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2019年 08月 30日 ( 2 )

高畑勲展

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 昨年4月に亡くなってから高畑勲に対する再評価が高まっている。7月2日に始まったこの企画展は10月6日までの長丁場である。それだけ思い入れも深いものがあるのだろう。27日、このところまた閉じこもりがちになっていると反省し、国立近代美術館まで出かけて来た。
 展示には工夫が凝らされ、飽きさせなかった。「アルプスの少女ハイジ」のコーナーでは精巧なジオラマが設置されていて、おそらくは子ども向けなのだと思うが、大人が見ても十分に見応えのある出来栄えだった。
 宮崎駿とのコンビで作られた長編アニメは名作揃いだと思う。今回の企画展を通しての感想としては、この二人以外にも実に多くの才能が結集していたのだなあということがある。美術監督をつとめた一人に山本二三がおり、現在並行して富士美術館で展覧会が開かれているとのことだが、その背景画を見ていると描かれた世界に引き込まれていくような錯覚さえ覚える。それらの才能を引き寄せ、見いだし、さらなる高みへと引き上げていったのが高畑勲という人間であったということらしい。
 NHK朝ドラで放映中の『なつぞら』に登場する坂場一久は高畑勲がモデルであるとのことだ。ネットではドラマの進行とともに高畑勲の足跡を振り返る記事もアップされている。新しい表現を追求して止まなかったパイオニアであったのだろうし、戦後の日本アニメーションの歴史である以上に、戦後日本の青春がそこにあったと思ったのだった。
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 本文で話題にした「アルプスの少女ハイジ」のジオラマ。TVアニメは見ていないがどのような世界観の下に制作されたか想像が広がるようだった。

by yassall | 2019-08-30 16:14 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

劇団銅鑼「ENDOLESS 挑戦!」コピスみよし公演

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 24日、コピスみよしで劇団銅鑼による「ENDOLESS 挑戦!」の公演があった。リーフレットには「私たちの仕事は、より良い未来を創るためにある…! 産廃屋二代目女社長と働く者たちの終わりなき挑戦。」というリードがある。
 この芝居にはきっかけとなった実話があるとのことだ。案内をくれたTさんが『東京新聞』取材による「石坂産業の取り組みを参考にした演劇の稽古に励む劇団銅鑼の団員たち」の記事を送ってくれた。下に引用する。

 嫌われる仕事-。そんな産業廃棄物処理業のイメージを覆し、国内外から年間三万人が見学に訪れる会社が、埼玉県三芳町にある。かつて住民から撤退を迫られ、廃業の危機から環境を一番に考える企業へと変貌した「石坂産業」だ。今夏、東京都板橋区の劇団銅鑼が、その復活の物語を参考にした演劇を披露する。プライドを捨てず偏見と闘い、信頼を勝ち取っていく姿を描き、働くことの意味を問い掛ける。
 三芳町周辺は以前、「産廃銀座」と呼ばれるほど業者が集中していた。1999年、近隣産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたとの報道があり、値段が暴落。後に誤報と判明したが、風評被害を受けた農家らは産廃業者に立ち退きを迫る反対運動を展開した。
 工場から上がる煙を標的に、「出て行け」と迫る住民たち。同業者が次々と撤退する中、創業者の父親から会社を引き継いだ石坂典子社長(47)は、住民の理解を得て「地域に愛される企業」に生まれ変わろうと、改革を推進した。(『東京新聞』8月20日夕)


 1999年頃といえば所沢市産の野菜からダイオキシンが検出され(後に国の調査で基準値超はなかったと発表された)、各学校でいっせいに焼却炉が使用禁止となるなど、大問題になったことを記憶している。今ではプラスチックを完全燃焼させた場合にはダイオキシンは発生せず、整えられた設備の下で適切に管理された産廃工場から健康に害をもたらすような有毒物質は排出されないことが分かっている。しかし当時はヒステリーともいえるような喧騒だった。学校の焼却炉のような低温では危険性は払拭できないということで、やがて解体されていくことになったが、今度はアスベスト被害の可能性があり、解体工事はかなり気を遣うものになった。

 劇団銅鑼はかつてコピスみよしのアドバイザーをつとめていた。高校演劇フェスティバルでもずいぶんお世話になった。民間委託になる過程でアドバイザーからは外れたが、Tさんはその後も交流があったのだろう。稽古場が私の家のすぐ近くで、いつでも見学に来て下さいとお誘いも受けていたのだが、そのままになってしまっていた。いつか芝居を見てみたいとは思っていたので、ちょうどよい機会だった。
 ホームページを閲覧したことはあって、傾向としては社会派だなと察しをつけていた。一度しか見ていないのに決めつけも出来ないが、リーフレットにも「1972年の創立以来、『平和』と『人間愛』を求め、『本当に人間らしく生きるとは何か』」をテーマにしてきた、「様々な問題を抱えた現代にこそ、社会を豊に反映させた、心の糧になる『演劇の力』が求められています。」とあるところからそう間違ってはいない気がする。

 ドラマとしては二代目女社長の奮闘記というところだ。「プロフェッショナル」や「カンブリア宮殿」でよくありそうである。二代目を継いだのはいいが、先代の社長と苦楽を共にしてきた社員となかなか心が通わず、そこへ公害問題が降りかかってくるというわけだ。「女性社長を主人公に、住民との対立や社員と社長のぶつかり合い、対話を重ねて理解し合う姿を描くストーリー」(『東京新聞』)が展開する。
 社会派ドラマはどうしても説明的な科白が多くなり、固くなる印象がある。前半の二代目社長と古株の社員たちの対立あたりは迫力を感じたが、むしろ社長が繰り出す改革案が浸透していく段になっていくにつれ、急に社員たちの会話も理論だってきて「そんなに急に変われるものかなあ」と意地悪な気持ちが起こってしまう。モデルになった石坂産業はそれをなし遂げたからこそ変わることが出来たのだろうが。
 このような芝居はただ一方的に観劇していればいいというのではなく、観客一人ひとりが啓発され、思考することを始め、論議し、行動にうながされていくことを求めるのだろう。
 コピスみよしでの公演は一日だけで、27日から9月1日までは池袋の東京芸術劇場に会場を移しての上演となるとのことだ。おそらくはこちらの方が本公演なのだろう。今回の一日公演はモデルとなった石坂産業の地元でとの思いがあったに違いない。コピス公演の実行委員会にはかつて反対運動に関わっていた住民も参加しているという。これも演劇が舞台の上だけで完結するのではなく、住民たちと結びつき、議論と運動へのアクションを投げかけようとの考え方からだろう。演劇の可能性は多様であり、このような演劇が存在することも必要だとの思いを強くした。

《追記》
 そして私もいろいろ考えた。ゴミ処理にしても産廃の処分にしても、本来は生産と同程度の作業過程があってしかるべきなのではないだろうか? そこには当然労力と経費が発生するが、生産の側は「売って」おしまい、消費者も欲しい物への対価は支払うが、ゴミ処理にはお金を出し渋る。また、自分の手を離れてからのことには注意を払おうとすることはない。
 つい最近TVのニュース番組で、日ごろリサイクルされているとばかり思って来たプラスチックゴミのかなりの部分が東アジアに「輸出」されていることを知った。いちおうの名目は「リサイクル用資源」ということなのだが、ほとんど分別もされず、ポリ袋に詰め込まれたものであったりする。それらが処理しきれず、ベトナムの河川に放置され、汚染の原因になっているという。華々しい「海外援助」の成果が宣伝される裏側で、今日になっても日本のアジアに対する姿勢は戦前と少しも変わらないのだと思い知らされた。プラスチックによる海洋汚染のほとんどが日本製であるというのは誇大ではないのだろう。
 ずいぶん以前、分別が徹底しているドイツでプラスチックゴミを火力発電に利用しようという試みがあるというニュースがあった。プラスチックは燃やすと高温となり、完全燃焼が可能ならば有害物質の発生も抑えられるというのだ。普通の可燃ゴミと混ぜることになり、せっかくすすんできた分別に逆行するというので反対の声も上がっているとのことだった。この国民意識の違いはどこから来るのだろう。
 


by yassall | 2019-08-30 15:31 | 日誌 | Trackback | Comments(0)