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2017年 12月 31日 ( 1 )

一年を振り返って

 今年も暮れようとしている。このところ、主に一年間の読書を振り返ることで、今年考えたことなどをまとめている。ところが今年は系統だった読書どころか、読みかけになった本も続出で、到達点はもちろん現在地点でさえ見失いがちである。
 退職したての頃、確かにある種の期待感があった。時間的にも人間関係上でもフリーになることで、ものごとを自由に考えることが出来そうに思えたのである。だが、まる7年もたつと次第に自分の中でチリのように積もってくるものもある。7年前はすでに自分にとって過去になりつつあるのである。
 また、体調に不安があるときなど、じっと自分の身体と相談しているなどという時間も増えてきた。容易に前に進めないぞ、という感じがあるのである。
 それでも、停滞と充電との区別くらいはつくつもりでいるが、どこかで流れが滞っているとしたらそれがどこかを突き止めることは出来るかも知れないと、何冊かだけでもメモに止めておきたい。

 木村敏『自己・あいだ・時間』ちくま学術文庫(2006)
 木村敏『自覚の精神病理学』紀伊國屋書店(1978)

 木村敏は精神科医にして精神病理学者。本を読むきっかけになったのは志木高時代の知人であるTさんの推薦による。Tさんらと3月に1回程度のローテーションで読書会を開いていることは以前にも紹介した。Tさんは今も大学でカウンセリングの講座を持ち、またカウンセラーとして活動されている。現役時代からの研鑽のたまものだと思う。そのTさんから読書会のテキストにどうかと提案があったのだ。
 木村敏の方法はフッサールやハイデガーといった現象学や実存主義、ときには西田哲学を援用しながら、精神疾患を人間学的に理解していこうとするところにある。さらにいえば、精神医学史を再検証し、西洋的二元論を克服するための理論構築をめざして行こうとしている。
 今回は分裂病(※)理解を中心とした。分裂病については高校時代に宮城音弥の書物で初めて知った。以来、とくに芸術と狂気の関連についての関心から、折に触れて本を読んだりした。30代のころだったか、荻野恒一の「現存在分析」理論に強く引かれ、何冊も本を読んだ記憶がある。
 とはいえ、継続的に研究を深めてきたわけでもなく、Tさんのようにカウンセラーとして疾患に直面してきたわけでもない。木村はノエマ・ノエシス(ただし、木村はフッサールの用語とは異なるとしている)、間主観性、「あいだ」、「共同世界」、habenとSein、アンテ・フェストウムとポスト・フェストウム(時間性)などの用語を駆使して理論を構築していく。たいへん刺激的で興味深い論考であると思ったが、その正しさがどの程度担保されるのかについては私には断言できない。
 木村は、分裂病は「対人関係の困難」ではなく「自己の個別化」の失敗が原因であるという。説得力に富んでいるが、木村自身も述べているように、完全な達成か挫折かを相互排除的に分けることは困難であろうし、他の精神病においても大きな意義を持つとすれば分裂病に固有の病因であるかどうかも断言できない。分裂病の中心的症状が「自閉性」にあるのか「妄想性」にあるのか、固有文化や時代背景は発病や病像に影響を与えるのかどうかも私は確たる認識にはいたっていない。
※病名としての「分裂病」は現在「統合失調症」に変更されている。ここで「分裂病」の用語を使ったのは書物で使用されたままを使ったということである。なお、森山公夫の書物で知ったのだが、「分裂病」の名の起こりは「連想心理学」が主流であった時代に、正常な「連想」の働きが断ち切られているという認識からであった、ということだ。とすれば、語感の違いはあるものの、「統合失調」と言い換えても病像の捉え方までもが変わった、ということではないような気がする。
 なお、これは木村の著作のみからの知識ではないのだが、分裂病を「疾患単位」としたクレペリン・ブロイラーの流れに対し、「汎精神疾患論」・「単一疾患説」を提唱する人々も存在する。精神疾患を広く「共同性の危機」と捉え、その現れ方によって多様な症状が顕れるという説などである。

 塩川伸明『民族とネイション』岩波新書(2008)
 井上寛司『「神道」の虚像と実像』講談社現代新書(2011)

 『民族とネイション』は上記の次の読書会で私からテキストとして取り上げてもらった。レポーターはもちろん私がつとめた。
 日本ばかりか、世界中に蔓延しようとしている自国中心主義・排外主義の根底にはナショナリズムがある。たとえば民族解放をかかげて戦われたベトナム戦争時、ナショナリズムは善であった。塩川もナショナリズムはさまざまなイデオロギーと結合すると述べているのだが、今日の反知性主義・歴史修正主義と結びついたナショナリズムはいかにも気味が悪く、かつ危険である。
 そのようなナショナリズムと対抗するために、まず学問的な基礎知識を得たいと思ってテキストにした。塩川のいうとおり、当初は何らかの政治的意図をもって「作られた」としても、大衆化したナショナリズムはときとして制御不能になり、暴発する危険性を秘めている。ナショナリズムに対抗、あるいは制御のためには、その正体を知ろうとすることが大切だと考える。
 次の『「神道」の虚像と実像』もその関連で読んだ。古代において日本では「神」は依り代にそのつど降りてきてもらうものであって、「神社」に常駐するものではなかった、「神社」の建設は仏教の影響とそれへの対抗によるものである、というところからはじまる。「神社」神道もナショナリズムと同じように、他の国家への対抗として歴史的に作られて来たのである。
 関連本ということでは、読みかけではあるが、

 立花隆『天皇と東大』文春文庫

 がある。明治国家建設のために近代天皇制が「作られた」ように、東大も日本の近代化をすすめるための装置であった。「天皇機関説」問題にみられるように、学問の世界でも国粋主義の嵐は吹き荒れていたのである。

 真継伸彦『鮫』河出文庫
 真継伸彦『無明』河出文庫
 真継伸彦『光る声』新潮文庫

 今さらながらこの夏には真継伸彦の小説をいくつか読んだ。書店では手に入らなかったので、Amazonを通して古書を取りよせた。前三作では主として浄土真宗をめぐっての信仰の問題、『光る声』では政治と党派の問題が掘り下げられていると思った。

 真継伸彦『心の三つの源泉』河出書房新社(1989)
 
 なども読んだし、つぎの本も同書に紹介されていたことから読んだ。

 胡桃沢耕史『黒パン俘虜記』文春文庫

 他に小説では帚木蓬生が筆力も確かであり、ミステリー仕立てではあるが、取り上げられている題材も興味深いものであった。薦めてくれる人があったからだが感謝している。

 帚木蓬生『聖灰の暗号上下』新潮文庫
 帚木蓬生『白い夏の墓標』新潮文庫

 平野啓一郎『透明な迷宮』新潮文庫

 平野啓一郎にはなかなか手が出なかったのだが、この本を読んで若手の中では筆力に確かなものがあると感じた。
  ※
 来年は柄谷行人『世界共和国へ』で得た見地をもう少し深めてみたいことと、原点に返って日本近代文学の見直しを再開したいと今は思っている。


by yassall | 2017-12-31 16:45 | 雑感 | Trackback | Comments(0)