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2016年 09月 27日 ( 1 )

2016秋の高校演劇 Cブロックを振り返って②

 先に①でとりあげた5校以外の学校について出演順に述べる。長文と短文が入り混じってしまうのはご容赦願いたい。講評では各校が公平になるように時間配分したつもりである。

【西部B地区】
 狭山経済高校「ソロモンのちっちゃい鍵」作・網田明紘
 ネット台本らしいが、やりようによっては面白い芝居になるかも知れないと思った。書き直しプランを二つくらい考えた(書かないけれど)。その台本を選んで何を演りたいのか、方向性のようなものを持たないと、台本に引きずられてているだけ、という結果になってしまう。作りたい世界が明確になっていないから演技も小さくなってしまい、照れが残っている様子ばかりが目立ってしまう。部員の人数は揃っているようなので、もっと歯ごたえのある台本に挑戦して欲しい。

 所沢西高校「桜、散る恋の物語。」作・小林彩音(生徒創作)
 学園ミステリー物。名探偵コナンを連想させるような主人公が事件の解決にあたる。創作への意欲は買うが、恋敵・父子・刑事と犯人など様々な対立を盛り込みすぎてドラマを作れていない。設定にも無理が多く、出来事や感情の変化の唐突感が否めない。「これですべてのピースがそろいました」といわれても、ご都合主義に見えてしまう。「感情の解放」への欲望、といった人間の心の闇を解明しようとしているようにも見えたのだが。

 聖望学園高校「GONGERAゴンゲラ」作・安藤聖
 浪人中の受験生の部屋につぎつぎと不可解な闖入者が現れるという不条理劇。自分の住む町が突然戦場になってしまうという展開は、ある意味で今日的なリアリティがある。常にハイテンションで、熱演ではあったが、身振り手振りが説明的でドタバタし過ぎた。その割にはパワーが伝わってこなかった。個々の人物設定や場面のリアリティをもっと作りこんで欲しい。

 所沢北高校「ひまわり~トコキタ劇版こころ~」作・所沢北演劇部
 サブタイトルにある通り、漱石の「こころ」を下敷きにした創作劇。「こころ」は良くも悪くも明治の男の話だが、男女それぞれ二人ずつの組を作り、女の物語も作ったところに新しさを感じた。ただ、それでは現代の男女のドラマとして作り出せていたかというと疑問が残る。漱石の「精神的な向上心のないものはバカだ」という引用も、現代人の心の葛藤を表現する言葉にはなり得ていないと思った。強い感情表現をしようとしているのは理解できるのだが、ずっと同じテンポになってしまい、科白と身体との間にギャップがあった。

 入間向陽高校「クレタ島の冒険」作・中村勉 潤色・Koyo劇
 三人芝居。小品ながら面白い台本にとりくんだと思った。「クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った」は日本語の世界でなら何の不思議もなく成立する。「(ときたま)嘘をついても(恥じない)人(が多い)(から気を付けろ)・(ので恥ずかしい)」とカッコの中を補足しながら読みとってしまうからだ。同一律・矛盾律・排中律を基礎とするヨーロッパ言語で問題を考えるからパラドックスに見えてしまうのである。
 (もっと簡単に言うと、一度も嘘をついた人間はおらず、かといって言う言葉全部嘘という人間もいないという前提でこの言葉が発せられていることを予め了解しているからだ。)
 中田は相談室登校をしている。だが、あちこちに盛んに校内電話をしている。どうも単純な引きこもり傾向を有する生徒というのとも違うようだ。友人である内田が訪ねてきたり、荻野が訪ねてきたりする。やがて荻野は中田が作り出した幻覚であることが分かる。
 中田は自分探しの過程で迷路に入り込んでしまった人間のようにも見える(どちらが本当で、どちらが嘘の自分か分からない)。また、荻野を作り出すことによって自己完結してしまおうとするようにも見える。
 閉塞された世界から中田を救い出すのは内田なのだろう。内田は中田の虚構を突き崩すことによって、中田を肉体を持った人間世界、現実世界に引き戻す。それは「わたし、クレタ島の人みたい」「嘘つきで正直」と自らの矛盾を引き受けることから始まる。
 キャストは2年生1人、1年生2人。丁寧な芝居づくりであったが、その分、身構えすぎて取るべきところで笑いが取れなかったり、坦々としてしまって芝居のヤマが作りきれなかった。それでも真面目に台本と向き合ってきたことは伝わってきて好感が持てたし、役者として力をつけていくだろうと思わせるものがあった。
 起承転結でいえば、「転」にあたるのは内田が電話のコードが繋がっていないことに気づくシーンだろう。伏線になるのは何度か呼び出し音が鳴り、中田が電話に出るのだが、内田に「今、なった?」と言わせるところだろう。これは台本通りらしいから仕方がないのだが、「鳴った?」ではなく、「電話?」だけで十分ではないだろうか(存在が知られていない中田にどうして電話が?とも解釈できるから)。伏線もあまりにもあからさまだと最初から答を教えられている気になってしまう。

 所沢商業高校「鎖をひきちぎれ」作・加藤のりや
 勇ましい題名だが看板倒れに終わってしまった台本ではないだろうか? 選んではみたが、役者たちもどう演じたらいいのかつかめず、そのまま舞台に上がってしまった、というような気がする。
 感情表現の努力は認めるし、モノローグにはそれなりの力があった。だが、ここでも長科白の応酬という台本のしくみから会話としては成立していない。
 こういうときは、いっそハチャメチャにやってしまうしかないのだが、元々がそれぞれの墓に鎖でつながれているという設定なのだから動きを作り出しようもない。
 矛盾するようだが、プラスチック製の鎖(ホームセンターで買える)を用意し、走り出したら足を取られて転んでしまった、というくらいのことをしてもよかったかも知れない。どうにも動きが作れないときは道具の力を借りてみるのも一つの方法である。
 舞台に上ろうという意欲は伝わって来るから、今度はもっといい台本をつかんで欲しい。

 豊岡高校「ある日、僕らは夢の中で出会う」作・高橋いさを
 初めて演劇部を任されたとき、生徒が「これ演りたい」といって持って来た台本。秋の地区発表会に持って行ったら、審査員にさんざんけなされた(酷評から「評」の字をマイナスした感じ)。
 その後、今度やるとしたらどうしたらよいのかなあ、とときどき思い出したりしていた。豊岡高校はとても丁寧な芝居づくりをするという印象があったので、楽しみにしていた。
 拳銃が「ハジキ」ならぬ「ビー玉」、刑事が「デカ」ならぬ「チビ」といった胡散臭さをどう引っ張るか、転換勝負の芝居に、客にどう食いついてもらうかが勝負どころだと思った。
 予想通りとても丁寧な芝居づくりで、真摯に台本と向き合って来たことは分かるのだが、もうひとつ弾みが足りなかった。
 結末の意外性以上に、大人の「常識」に対する若者の怒りのようなものが、この芝居の核にあるように思う。なかなか表現しきれなかったが、この台本だったらここまでではないか?
 (終演後、何だか落ち込んでいる生徒がいたので顧問の先生に聞いてみると、科白を一箇所間違えたのを気に病んでいるとのことだった。責任感の強い生徒なのだろう。だが、人物の呼び間違えなんて気にする必要はない。客はそれが誰だったかなんて覚えていないことの方が多いのだ。誰が、誰に向かって呼びかけているのか、身体の方を見ているのである。)

 所沢中央高校「海がはじまる」作・曾我部マコト
 難しいが、いい台本をつかんだ。5人のキャストのうち、1年生が3人。よく挑戦したし、上級生にリードされてのことだろうが、1年生もまったく遜色ない演技だった。
 4人の女子生徒たちは伝統の「クラス対抗全校ボートレース大会」の接待班として開会にそなえているところである。だが、実はこの日は大会は開催されず、転居していく友人のために他の3人は学校をサボって、見送りを兼ねて最後の大会を演出しているところだったのである。
 ネタバレをしてしまったが、いかに客を欺して今にも大会が始まりそうなわくわく感を表現するか、女子大生の登場あたりから怪しくなってくる空気の変化をどう表現するか、という課題があるが、それは表面にすぎない。
 4人の女子生徒の虚々実々の会話には、秘められた人間関係が隠されている。その人間関係をどう構築し、表現するかが最大の課題だったのだろう。

 狭山清陵高校「通勤電車のドア越しに~OL編~」作・金井達
 終電に閉じ込められた人々が織りなす人間模様。あり得ない設定にどのようにリアリティを持たせるかが課題かなあ、と漠然と考えながら上演に臨んだが、観客を引き込む力があった。
 声量、間、応答などがしっかりしていた。やはり、科白をきちんと客席に届けることが基本中の基本だ。ここも1年生がよく頑張った。ドアに首を挟まれ、身動きが取れなくなったという黒木を中心に芝居が回るが、身動きならぬという設定ゆえに、かえって不要な身振り手振りがなく、演技が生きていた。上司と部下、先輩と後輩、母親と娘の間の人間関係の変化もそれほど無理なく描かれていた。
 荒唐無稽にみえて、きちんとしたドラマになっていた。

【比企地区】
 小川高校「リンク」作・山崎永遠(生徒創作)
 イジメを題材とした創作劇。重いテーマだが、直面する世代からの実態、被・加害者の心理等の報告が蓄積されていくなら意義がある。
 隠蔽された世界でイジメが行われていく陰湿さ、事なかれ主義、無神経なまでの配慮のなさ、教師集団の不統一などの問題は提示されており、友人や大人たちの気づきや声かけの大切さなどの指摘もある。
 肝心なことはドラマとして成立しているかということ。山口はなぜ自殺を思いとどまれたのか、中野はどうやって過去のトラウマを克服できたのか、加害の中心にいた2人はなぜ改心したのか、対立や葛藤を通して人物が変化していく過程の描き方が主要な観点となるが、まだまだ説得力に欠けると思った。また、照明に工夫したい気持ちも分かるが、肝心な場面で顔が暗くなってしまうのは本末転倒だった。

 滑川総合高校「ごはんの時間2い」作・青山一也
 最終学年を直前にしたデザイン科の高校生たちの昼休み、一番の楽しみの昼食風景から進路をめぐっての討論会となり、ジェンダーの問題にまで議題は広がる。一見おふざけに見えて、真面目な内容の台本だと思ったし、キャラクターの設定や個々の演技もしっかりしていて好感度が高かった。
 教室については机の間隔が広すぎ、せっかく科白のやりとりで反応が出来ているのに、伝達速度の遅れを感じた。昼休みなのに机を寄せ合おうともしないのは仲がよいのか悪いのか分からない。女子同士はあちこちで固まるのに、男子2人は孤立している、というふうにすれば、人間関係の構図も作りやすかったのではないか。幕開けとラスト近くの暗転は台本通りだが、要らなかったのではないだろうか? Tさんの意見もきいてみたが同意見だった。どこまで台本通りにやるべきか、時と場合によるだろう。客は役者の声が聞きたい、顔が見たいものなのである。

 鳩山高校「オリオンは高くうたう」作・内木文英
 黒パネルを4枚使っただけだったが、袖幕も上手く使い、世界は作れていた。バックはホリだったが、ホリは本来強烈で説明し過ぎなもの。後ろに光があると役者の顔も見づらい。パネルで狭めてやると、そうした欠点が多少とも軽減できる。演技は無駄な身振り手振りを避け、さわやかイメージだった。声も抑制されて耳障りなことはなかったが、その分メリハリに欠け、芝居も小さくしてしまった。芝居のヤマ場は「君だけしかない証明書」を発見するシーンだろうが、もっと印象的に作れたのではないだろうか?

 松山高校「ここでは死ねない!?」作・楽静
 マンションの屋上、自殺しようとする青年と思いとどまらせようとする謎の人物。2人芝居は芝居の基本形だと思う。科白のやりとりを通して相互に影響し合ったり、互いに変化していくところからドラマが始まる。
 客席に伝わる力が弱かった理由について考えてみたい。声量のせいではない(怒鳴り散らされても耳障りなだけだ)。滑舌の弱さは多少あるかも知れない。音としてではなく、言葉として発せられていないと伝わらない。やはり台本が書き込まれていないことは大きい。言葉が胸に落ちてこない。
 一番は会話として成り立っていない、ということではないか? 2人間の距離が開きすぎ、きちんと相手に話しかけているようには見えない(ましてや自殺を思いとどまらせようとしているようには見えない)。指さし・身振り手振りが大げさで、しかも2人とも同じようだから、お互いが会話の中で変化しているようには見えない。
 一応、起承転結もそなわり、しかも「転」は「転・転・結・転」くらいには凝っている。今回は練習問題というところではなかったか? 自分たちのめざすべきものを追究して次ぎの芝居に挑戦して欲しい。

※当日の講評もあることだし、いつもは審査に伺った地区の劇評は避けているのだが、今回は少し考え方を変えてみた。いつもいうことだが、私のつたない感想でも何かのヒントになったり、芝居づくりの役に立つことがあったら幸いである。


by yassall | 2016-09-27 17:20 | 高校演劇 | Trackback | Comments(1)