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2016年 09月 20日 ( 2 )

強行採決から1年!戦争法廃止!9.19国会正門前行動に参加してきた

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 9月19日、戦争法(安保関連法)の強行採決から1年、「戦争法廃止をあきらめない」と全国各地で集会やデモが行われた。総がかり行動実行委員会の主催による国会前集会に参加してきた。
 天気予報では曇りだったのに、雨は激しさを増すばかり。だが、スピーチに立つ人も、参加者も、意気盛んだった。
 「安保関連法に反対する学者の会」。「立憲デモクラシーの会」、「元シールズ」、「安保関連法に反対するママの会@東京」、「日本弁護士連合会」と力強いスピーチが続いたが、中でも元自衛官の井筒高雄さんのスピーチは海外派兵によっていかに自衛隊員が危機にさらされていくか、「自衛隊員はいつでも命を投げ出す覚悟をしている」などと発言した政治家がどんなに無責任か、怒りの高まりが直接伝わってくるようなスピーチだった。南スーダンへの派遣のための準備がすすんでいるが、海外で行われた戦闘の結果に対する法的整備もなく、負傷した場合の手当の訓練も不足していること、一方、南スーダンはすでに戦場化しており、PKO宿営地に難民が押し寄せている状況であることなどが具体的に語られた。
 参加者数は主催者発表で2万2千人、また全国400箇所以上で行動があったとの報告があった。
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 雨でもあり、参加者で通路もいっぱいの状況で、思うように写真も撮れなかった。国会正門前はいつもにもまして警戒が厳重であるように感じられた。


by yassall | 2016-09-20 16:42 | 日誌 | Trackback | Comments(0)

2016秋の高校演劇 西部A地区発表会

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 9月17・18日、西部A地区発表会が開催された。いろいろあって、今回は必ずしも愉快にばかりはなれなかったのだが、それは私の気持ちの問題。こうして高校演劇を通じて人と人とのつながりをいただいていることに感謝しなくてはならない。
 1日目は細田学園、朝霞西、和光国際、新座高校の4校、2日目は朝霞、新座総合、新座柳瀬高校の3校が上演した。

 細田学園高校「桜井家の掟」作・阿部順
 キャストの大半が1年生ということもあると思うが、「演じる」(登場人物として舞台に現れ出る)ということがまだまだ理解できていないし、それをカバーするための工夫も出来ていない。だから姉は姉に、妹は妹に、恋人は恋人になり切れておらず、そのため相互の人間関係も構築できていない。舞台に上がったという経験が一番大きな糧になると思うので、これからを期待したい。

 朝霞西高校「BETTER HALF」作・鴻上尚史
 ここも4人芝居のうち1年生が3人。難しい台本にとりくんだ心意気は買いたい。楽な道に逃げていると、いつまでも力をつけることが出来ない。アップテンポにも助けられてそれなりに芝居が転がっていたと思うが、やはり消化不良か? 台本の問題もあるのだろうが、心の変化を説得力をもって表現しきれなかった。

 和光国際高校「あの雲は夏の名残り」作・萩原康節
 キャストは11人すべて2年生。部員の獲得と観客の動員力には敬意を表したい。ただ、創作台本には大きな疑問を持った。善玉と悪玉を際立たせ、物語を分かりやすくしたというところなのだろうが、姉と妹の対立とつながり、柔道の強豪校のあくどさの描き方など、かえってリアリティを失い、見ていて辛くなった。
 親や兄弟から強い否認を受ける人間は確かに存在するだろう。それが萎縮や性格のねじれになってしまうばかりでなく、発憤につながる場合もあるには違いない。それでもトラウマとして残るはずだ。姉の側からだけでなく、妹の側に立っても、その和解には説得力がないと思った。
 強豪校の部員による陰湿な面罵や暴力も度が過ぎているし、審査員の方のいうとおり、思わず距離を置きたくなるような描き方だった。
 少なくとも、コメディあるいはエンタメを作ろうとしたのだとしたら、まったく似つかわしくないと思った。

 新座高校「パヴァーヌ」作・曾我部マコト
 最近になって思うようになったのだが、曾我部マコトの台本には非常に濃厚・濃密な人間関係が描かれる。この芝居では双子の姉妹であるアキとユキの関係をどうとらえるかが核心になるのだろう。アキとユキはいっしょに高校受験を迎えるが、ユキは進学校に、アキは標準校(底辺校?)に進学する。何も説明されていないが、高校進学後のアキとユキの姉妹関係はどうだったのだろうか? アキが死んでしまったとき、その死をユキはどのように受けとめたのだろうか? ユキが学習意欲を失ったり、成績不振に陥ってしまった理由は何だったのだろうか?
 かつてアキもよく集まっていたという溜まり場で誕生会を開こうという友人たちとの人間関係を考えると、アキの死因は必ずしも自殺であると断定できないとも考えるが、後からの反省会の席で披露された審査員の方の「ユキはアキの通った土地を見て、そのあと死のうとしていたのではないか?」という仮説には深く考えされられた。
 この学校も7人のキャストのうち2年生は2人だそうである。舞台美術に統一感が欠けていたりと、まだまだトータルには芝居が作りきれてはいないが、個々の俳優、個々の演技には光るものがあった。1年生で芝居勘のようなものがつかめたら先が楽しみである。そういうわけで作品論にも深入りした。想像力が刺激された。

 朝霞高校「ハルシオン・デイズ」作・鴻上尚史
 顧問時代、最後の春は「ハルシオン・デイズ」だった。9.11を意識していると思ったし、自爆テロと人間の盾との自己犠牲のあり方の違いというようなことを取り出し、かなり大胆なテキストレジをした。私としては思い入れのある舞台になったが、今回はかなり異なった切り口を持とうとしているらしかった。
 月を映し出したい、というようなことは、以前から聞いていた。その効果については私からは触れない。なかなか時間内に収まらず、大事だと思われる科白をカットしているうちにあらすじを追うだけになってしまったとの嘆きがあった。それはその通りだったなと見終わったときに感じた。(例えば、使わない七輪をみせる必要があったのか? 省略した食事のシーンを暗示するため? あらすじをかいつまんだつもりでも観客には意味不明だ。)
 4人のうち2年生は1人だけ。芝居勘をつかむには至っていないことを承知で、いくつかだけ書く。和美の衣装はせいぜい女子大生で子ども子どもし、カウンセラーには見えない。月を正面に出して、和美のモノローグをセンターに置いた幕開けはいかがなものか、和美を下手に、他の2人(あるいは3人とも)を予め上手にというような立ち位置は考えられないか? 赤鬼のシーンで哲造の鳥の形態模写は必要だったか、様になっていたか? 頭の中にはイメージがあったのかも知れないが、そのイメージを形象化するだけの作戦も力量もともなっていなかった。
 今後、伸びそうな部員もいるが、まずは当事者たちが危機意識を共有しないとせっかくの芽も摘んでしまうことになる。

 新座総合技術高校「第52回オカルト部会議」作・篠田美羽
 確かに台本にはつじつまが合っていない箇所が多数あり、結末も取って付けたようでいかにも苦しまぎれである。だが、新総芝居と長年つきあっているうちに、この「ユルさ」が何ともいえない味のように感じられてきた。いわれてみれば花子さんは小学生で、二宮金次郎ともども高校の怪談には登場しそうもないが、あのおかっぱ頭といい、紋付き袴の金次郎といい、ビジュアル的には成功している気がする。少なくとも一時の舞台上だけで完結してしまっている閉塞感はない。

 新座柳瀬高校「Love&Chance!」原作・P.D.マリヴォー 脚色・稲葉智己
 最後になってようやく安心して見ていられる芝居が上演された。舞台美術、衣装もグレードアップし、セリフ回しも申し分ない。役者に力量以上のものを要求してはいないが、ハイテンポな芝居運びで単調になってしまうこともなく、飽きさせない。難をいえば照明の切り替えがときどき遅れたくらいか? 先の展開が読めてしまっても十分楽しめた。ラストシーンは他の人も指摘したとおり。芝居そのものが貴族同士の恋の成就よりも、彼らの気まぐれによっ偶然にもそれぞれの従者と小間使いの恋が芽生え、めでたく結ばれたというところに重点があるお話なのだから、その二人に祝福の拍手を送る機会を観客から奪う手はない。

 さて、冒頭に「今回は」と書いたが、何とはなしにふと憂鬱な気分がただよってしまうのは春のときもそうだったのだった。どうやらそれは、リタイア6年目というならそれに見合う距離感をとりあぐねている、いったようなことであるらしい。
 こうして観劇記のようなものを書いても、つい辛口になってしまっているのに気づくと、「自分のときはどうだったのか? いつの間にか過去が美化されていて、正当な評価になっていないのではないか?」などという自問が生まれてくる。
 運営面でも、客寄せの音楽がないなあ、とか、1ベルと2ベルの間隔、アナウンスと2ベルの順番、アナウンスが早口すぎないか、一番心配だったのは緞下げのとき、いつでも停止ボタンを押せるように人が配置されているのだろうか、などなど、客を不安にさせるような場面がいくつかあった。ただでさえ人事異動で人の入れ替わりがあり、今回は文化祭と重なってしまった学校が多く、そもそも人手が足りない中で切り盛りしているのだろうな、というようなことを察しないわけではない。
 それでも客席にいて初めて気がつくこともあるかも知れない、自分だってさんざんヘマをやってきたことを棚に上げてでも、気がついたことは伝えた方がいいのか? それとも、いつの間にかただの口うるさい年寄りになってしまっていることに気がつかないだけなのか?

 今回、2日間通って初めて知ったのだが、1階のレストラン”ぱる”が8月で閉店してしまっていた。そうと知っていればごあいさつに伺ったのに、と思ったくらいに”ぱる”にもさまざまな思い出がある。
 つまりは西部Aおよび朝霞コミセンには切っても切れない愛着があるのであり、代が変わり、人が変わっても、この場所で発表会が行われ続け、訪ねて来られるということがこの上ない喜びであるということなのだ。
 そして何より、この西部A地区が生徒たちの交流と切磋琢磨の場であり続けて欲しい、それを支える各校の顧問が啓発しあい、しっかりと協力し合う場であり続けて欲しい、私はそれを見守りたいということなのだ。

【追記】
 momさんのブログへのコメントを見て「Love&Chance!」の結末は原作通りだということを知った。(考えてみれば当たり前で、「従者と小間使いの恋が重点」という前言は撤回しなければならない。)だとすれば、monさんの言うとおり、貴族の子息令嬢がもっと魅力的に造形されていなければならないと思った。また、身分違いの相手に惹かれてしまった苦悩、自分たちの企みがもたらした結果に対する後悔といったものが(私が見落としたのかも知れないが)もっと表現されていなければならないと思った。それでも、その恋の成就は大勢の人に祝福されていいと思うし、たとえサブストーリーであったとしても、勇気をふるって自分たちの恋愛を追求した召使いたちにも讃歌が送られる場があって欲しいと思う。


by yassall | 2016-09-20 02:02 | 高校演劇 | Trackback | Comments(3)