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2014年 07月 01日 ( 1 )

つい一言 2014.7

 梅雨空に「九条守れ」の女性デモ
 俳句としての巧拙は知らず、もしかしたら昨今最も有名な一句となったのではないだろうか。さいたま市三橋公民館「月報」に掲載が拒否されたことで問題となった。
 のっけから巧拙のことを話題にしたが、「不易流行」が俳句の命である。その意味では「九条」を焦点とした改憲の動きの中で戦後政治が大きな転換点を迎えようとしている時代(=流行)と向き合い、恒久平和主義(=不易)を訴える本作は俳句という文芸の本質にかなっている。
 また、「女性デモ」の結句も生きている。第五福竜丸被災後の原水爆禁止運動の原動力になったのも女性パワーであった。再び、そのパワーが湧き起こるのが待たれている。
 さて、さいたま市民のみならず、全国からの批判を浴び、再考を公言していたさいたま市であるが、市教育委員会から「世論を二分する問題については今後も掲載せず」との方針が明らかにされた。
 世論を二分? まず、この一点に疑問が集中する。かつて「改憲」キャンペーンをはった読売新聞による世論調査でさえ、九条改正に60%が反対(第1項「戦争の放棄」については、改正する必要が「ある」が17%、「ない」が76%、第2項「戦力の不保持」については、改正する必要が「ある」39%、「ない」52%。)であり、「日本は戦争に参加せず」が圧倒的な世論である。(調査は3月15日実施のもの。この間の「集団的自衛権行使」の閣議決定後は、さらに国民の危機意識が高まっていることは容易に予想される。)
 そして、公民館が掲載不掲載の判断を下すことが適当なのかという問題がある。「公民館の考えであると誤解を招く」というのが最初の理由であったが、作句も選句も公民館を利用している俳句サークルによっている。これまで「月報」の俳句コーナーに発表されてきたというのは、紙面の一部をサークル活動に開放してきたということなのだろう。そのことが明確にされていれば「誤解」も何も起こりようがないのではないか?
 近年、内からの圧力なのか、外からの圧力なのか、自治体が過敏になりすぎて、本来果たすべき「集会・結社の自由」「表現の自由」を守るという役割を制限してはばからない事例が続発している。
 私に多少関わりのある会館でも、かなり敏感になっている様子なので、ざっくばらんに尋ねてみたことがある。半ば民間委託状態にあり、むずかしい問題もあるのだろうと思っていたが、「ハコものとして会場を提供するなら何も問題はない」「ただ、会館主催となると特定の政治的な主張は検討の対象とならざるを得ない」というような回答であった。
 民間でさえ、このくらいの覚悟を持ってやっているのである。いわんや、日本国憲法を遵守する立場にある自治体の弱腰ぶりは本当に情けない。こんなことでは、ファシズムはあっという間にやってくるというのもうなづける。(7月30日)

川内原発二題:
 ①18日、安倍首相は視察に訪れた福岡市内で九州電力会長ら九州の財界人と会食。出席者から川内原発の早期再稼働を要請された首相は「川内はなんとかしますよ」と応じたという。
 目線が国民の側にではなく、財界に向かっていることが明らかな一幕だ。だが、国民の命と安全、未来に対する責任はどうなってしまうのだろうか?
 ②それも規制委の「適合」との判断を受けてのことだが、知れば知るほど、その中味はずさんだ。事故が起こったときの「作業拠点」は建設中で水道もなく、「作業員が放射能を浴びた場合、シャワーで洗い流すのが通常だが、川内原発ではウェットティッシュで拭く想定」になっているのだそうだ。
 原発再稼働の名目には「雇用の確保」もあったと思うが、これが人間の働く労働環境といっていいのだろうか?(7月19日)

 原子力規制委員会田中委員長:「安全だとは私は言わない」、規制委は「基準に適合しているかどうかを審査するだけで、稼働させるかどうかには関与しない。」(再稼働については政治判断?)

 安倍首相:「規制委が基準に適合すると認めた原発は再稼働を進める」(やはり再稼働の決め手は規制委の審査?)、「一歩前進ということだ。立地自治体の理解をいただきながら、再稼働を進めていきたい。」(それとも立地自治体の合意?)

伊藤鹿児島県知事:「国が安全性を十分に保証すべきだ」が持論。TVでのインタビューを正確には記憶していないが、「国が安全と判断すれば再稼働」という構えのようだ。それでいて、避難・防災計画は自治体に丸投げされているのに、「30キロ圏内までの要援護者の避難計画は現実的ではなく不可能だ」と発言してはばからない。

 何なんだ、この責任のなすりあいは!などと、今さら驚いたり、嘆いたりはしない。かつて日本が15年戦争の泥沼にはまり込み、日米開戦に踏み切ったのも、関係者の証言によれば「反対とはいえない空気」があったという。つまりは「責任」は「空気」にあるというのがこの国のならわしなのである。
 原発推進派・再稼働派の人々は本心から原発が必要だと思っているのだろうか? ただ、「電気料金が」とか、「地元経済が」とかいう風説から、何となく流れ出した「空気」に逆らえないだけでいるのではないだろうか?
 電気料金は安全より優先するのか、地方都市がシャッター街化しているのは原発が停止しているせいであるのかどうか、冷静に考えてみようとする人はいないのだろうか?(7月17日)
※「立地自治体」をどの範囲までとるかの問題もある。まだまだハードルは高いはず!

 16日、原子力規制委員会は九州電力川内原子力発電所1、2号機の安全対策が新規制基準に「適合している」とする審査書案を了承した。再稼働の前提条件である安全審査に事実上合格したことを意味し、残る審査手続きや地元の同意などを経て秋にも再稼働する見通しとなった。
 地震と津波の最大想定を大きく引き上げたというが、避難経路の確保や避難先の不備、火山の噴火などの危険性が指摘されている中でのことである。
 原発推進派からすれば待ちに待ったというところだろうが、福島原発では瓦礫撤去にともなって新たな放射能汚染があったことが発覚したという状況にあって、どうして待ちきれなかったのだろうという思いがする。
 万全な「安全」などあり得ないことを彼ら自身が一番よく知っているので、「楽観」論の勢いのままに一点突破してしまえということではないのか? 相当の圧力がかかったことが容易に想像されるが、理性という「堰」が勢いにまかせて流されてしまうのが怖ろしい。(7月16日)

 11日、菅官房長官が外国特派員協会で講演した際、仏メディア記者から次のような質問をされた。

「自民党は2009年12月16日に民主党政権の政治主導に対して緊急提言をまとめ、国民のものである憲法を一内閣が恣意的に解釈変更することは許されないとしたが、安倍政権は憲法を解釈変更した。提言当時の考え方は今も変わらないか?」

 質問が終わるや否や、菅官房長官は強い口調で「それは、まったくあたらない」と反論したというが、この人の「まったくあたらない」は反語法である。とくに政権側に不都合な指摘があったときに連発される。

 今回の政権側に不都合な指摘とはなにか? ここでいう緊急提言とは次のようなものである。

<憲法は、主権者である国民が政府・国会の権限を制限するための法であるという性格を持ち、その解釈が政治的恣意によって安易に変更されることは、国民主権の基本原則の観点から許されない>

 現在、自民党のHPからは削除されているが、当時PT座長として提言をまとめた林芳正農相の公式サイトには、当時の記事が残っており、

<本来、「政治主導」の在り方は、政権交代が行われても健全な議会制民主主義が機能するためのものでなくてはなりません>

 と書かれているという。林氏はむろん閣僚として解釈改憲の閣議決定に署名した。「無理が通れば道理が引っ込む」「頭隠して尻隠さず」の典型である。

 上記は「日刊ゲンダイ」による(下記URL)。先日は「週刊フライデー」が「安倍官邸がNHKを土下座させた」というスクープをものした。出版社系のメディアの中で講談社は奮闘している。

http://nikkan-gendai.com/articles/view/news/151819


 ※「週刊フライデー」のスクープとは、NHK「クローズアップ現代」に、菅義偉官房長官が出演して集団的自衛権行使容認の閣議決定について宣伝しようとしたところ、国谷裕子キャスターが、「他国の戦争に巻き込まれるのではないか」、「憲法の解釈を変えていいのか」と質問した。それに対して、番組が終わった後で、「誰が中心になってこんな番組をつくったのか」、「誰が国谷にこんな質問をさせたのか」、と安倍官邸が恫喝し、犯人さがしをしたというもの。ここでも菅官房長官がからんでいる。(7月13日)

 7日、防衛省・自衛隊のHPの「憲法と集団的自衛権」の項は削除され、「現在、修正中」とされたとのことです。(7月7日)

  FBに投稿されていたのだが、防衛省・自衛隊のHPには、「集団的自衛権は違憲」であると明記されているそうです(下記)。いずれこっそり書き換えられてしまう前に拡散してしまおうと投稿者は提起しています。

 
(4)集団的自衛権
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わ...
が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。

 (防衛省と内閣が異なった見解を持っていたらどうするのだろう。この場合は防衛省を応援しちゃうが、するとシビリアンコントロールを否定することになるか?)(7月7日)

 原子力規制委員会の委員に就任することが決まった田中知東京大工学部教授が、核燃料サイクルを担う「日本原燃」と原発メーカーの「三菱FBRシステムズ」から、今年前半まで報酬を受け取っていたことが朝日新聞の調べでわかったという。
 田中氏が「日本原子力産業協会」理事を2010~12年につとめ、11年には「東電記念財団」から50万円の報酬を受け取っていたことは以前から報じられていた。しかし、過去の前歴としてではなく、今年前半までとなると、どのような言い訳も成り立たないのではないのか?
 こういうのは何と表現したらいいんだ? オオカミに羊の番をさせる?
 原発推進の立場に立つ人が規制委員会に送り込まれようとしている。それが、これほど明白になっても、政権はシラを切るのだろうか? (7月5日)

 なぜ7月1日だったのだろうか。国会会期中の閣議決定をあきらめ、先送りとしたのだから、2、3日のずれはどうでもいいはずなのに、と思っていたら、この日が自衛隊発足60周年に当たっていることを知った。
 防衛庁を防衛省に昇格させたのは第1次安倍内閣のときだった。きっとこの人物は、最終目標を自衛隊の国軍化においているに違いない。集団的自衛権の行使についての閣議決定を7月1日としたのは、記念の日に自らの手で新たな一項目を刻みたかったのと、最終目標に向かってのスタートラインとしたかったからなのではないだろうか。
 だが、国民の側にとっても7月1日は忘れてはならない日となるだろう。昨年12月の特定秘密保護法の強行採決からわずか半年。急速に国のかたちが変えられようとしていることに国民の誰もが気がついているし、深く危惧している。(7月3日)  
 


by yassall | 2014-07-01 23:38 | つい一言 | Trackback | Comments(0)