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2014年 02月 13日 ( 1 )

2014都知事選で考えたこと

 今日は都知事選の投票日である。東京オリンピックの問題ではつい一言を書いてしまったが、このシリーズでもあまり触れないで来た。それは交遊の範囲を考えたとき、都知事選について何か発言したとしても多少とも影響を及ぼせる相手がごく少数であったことと、これからの日本の行く末を占うという意味で冷静にその動向を観察してみたかったという理由がある。(もちろん、自分は第三者でいようなどというつもりではなく、今日も雪かきの後、しっかり投票に行って来た。)
 大勢は決したようだが、各候補者の得票数や投票率も確定した数値が明らかになるのは明日になるだろうし、それから各新聞社や専門家による分析もされることだろう。自分なりの考えをまとめるのはそれからになるだろうが、二、三発言できたと思っている。
 今日のところは今回の都知事選の位置づけについて述べておきたい。猪瀬氏が副知事だったとき、株主総会で東電を責め立てるにあたって、「なぜ東電病院を売却して補償費を捻出しないのか?」と問い詰めているのをみて、その調査力と舌鋒に感心しないでもなかった。ところが徳洲会からのヤミ献金問題が起こったとき、にわかに浮上してきたのは徳州会病院による東京進出に便宜をはかろうとしていたのではないか、という疑惑であった。その真偽がはっきりする前に猪瀬氏は辞任した。これから検察庁による調査がなされるのかどうかもはっきりしないが、辞任そのものがことをウヤムヤにするための幕引きであった可能性もある。
 とすれば、今回は猪瀬氏を圧勝させた前回の都知事選の是非が問われる選挙であったはずであり、それは他ならぬ東京都民に深刻な反省を強いるものでなければならなかった。しかし、選挙期間中の経過をみても、そして今日の結果をみても、少しもその反省はみられなかった。まずもって、そのことに私たちは衝撃を受けなくてはならない。(2月9日)

 今回の都知事選で、脱原発二候補のことはさておき、私が注目していたのは田母神氏である。
 氏は2008年、「日中戦争は侵略戦争ではない」とした懸賞論文で最優秀賞を受賞したことが問題となり、航空幕僚長を更迭された人物である。
 その後も「最初から『日本は核武装を絶対しない』と宣言するのは馬鹿げたことだ」などの発言を続けていたとのことだが、その主張の特異さから考えても、都知事選に立候補すると知ったときは何やら亡霊がよみがえったように感じたものだった。
 注目しようという気になったのは、もちろん否定的な意味でだが、主要な候補者の中で原発推進を明確に打ち出したのは氏のみだからである。
 もし、安倍自民党が原発を「ベース電源」として維持し、再稼働(あわよくば新増設)をすすめようとするならば、田母神氏を支持すべきだった。他にも「集団的自衛権」の肯定や「憲法」改悪など、政策的にも最も近かったのではないだろうか。(実際、テレビの記者会見で氏は「安倍首相は本心では私を支持していると思いますよ。」と発言している。氏の応援演説に立った百田氏は安倍首相がNHK経営委員に仕立てた人物だ。)
 その主張がデタラメなことは誰が聞いても明らかだ。「福島原発事故で死んだ人はひとりもいない。」「日本の放射線基準は厳しすぎる」「福島原発事故は水素爆発であって、放射能が爆発(?)したのではない」などなど。安全神話・安心神話を復活・普及させようと躍起になっているとしか思えない。
 とりわけ最後の「水素爆発だったから」云々はひどすぎる。「核爆発」ではない、といいたいのかも知れないが、そうなったときは終局である。水素爆発だから「安全」などというのはまったくの嘘っぱちで、そのために大量の放射性物質が飛散したのだし、おそらくはそれ以前に起こったメルトダウンによって収拾もつかないまま、これ以降も放射能を出し続けていくことがどのくらい深刻なことかまるで分かっていない。
 「原発推進」対「脱原発」という意味では、田母神氏対他候補といってもいいような構図だったのではないだろうか? 3.11後、住民を「避難させる必要もなかった」と言い切る氏に、いったいどれくらいの票が集まるのか? 猪瀬氏を後継者に指名した石原慎太郎元知事が今度は田母神氏の応援に回ったわけだが、その石原信仰から醒めることが出来るのか、出来ないのか?

 結果は12%の得票であった。この低投票率の中で10人に1人以上が田母神氏に投票したこと、その総数が61万人を超えていること、これをどう評価したらよいのか?
 なぜ田母神氏を選んだのかについては、一人ひとりの気持ちは聞いてみなければわからない。まさか、「安全・安心」と言ってくれる人を待っていたんだ、などということはあるまいとは信じたい。
 とりわけ20歳代の投票者のうちの24%を占めたというのは、「景気をよくして雇用を増やす」という政策がアピールしたのかも知れないが、ネットでの支持が広がったということを考えてみるとその背景はもっときちんと分析される必要があるだろう。
 「ナチスだって最初は過激な論を主張する奇人の集まりだった」と山口二郎氏は警鐘を鳴らしている(「東京新聞」2/9)。一定の支持が集まったからといって氏が都知事に選ばれるまではまだまだ遠い先だろうと、楽観ばかりはしていられないと思うのである。(2月10日)

 都知事選の結果を受けてか、安倍首相が早速「現実を見据え責任をもって実現可能かつバランスのとれた」エネルギー基本計画を策定していくと、原発再稼働に前向きな姿勢をみせた(10日衆院予算委)。
 原発輸出についても「周辺国やアジアで原発が新設される際、福島第一原発事故の経験と教訓を共有してもらうことは安全上重要だ」などと発言したとのことだが、いったいどのような「教訓」を学んだのか聞いてみたいものだ。
 都知事選に勝利したというが、桝添氏も「原発がこのままでいいとは誰も思っていない」と発言しているとおり、原発問題が争点になることを回避した上での当選である。桝添氏の得票が44%、脱原発二候補が20%ずつの合計40%であること(一人は元総理とはいえ告示9日前の出馬)を考えれば、国民が原発再稼働にGOサインを出したと考えるのは早計である。(2月11日)
 ※自民党、百田氏らの参考人招致を拒否。そんな強気でいいのだろうか……?
 ※首相、「集団的自衛権」行使の例に北朝鮮を名指し。相手も挑発国家だが日本も挑発していないか……?

 初日に、都民は前回の都議選から何も反省しなかった、と書いたが、もしかすると言い過ぎだったかも知れない。
 2012年の選挙で当選した猪瀬氏の得票が4,338,936票(65.27%)であったのに対し、今回の桝添氏の得票は2,112,979 票(44%)である。石原元都知事の任期途中での辞任という事態の中で、猪瀬氏のケースが特別だったとはいえ、今回も事情は似たようなものだ。両方とも最初から本命とされた候補者でありながらこれだけの差がついた。
 これに対し、宇都宮氏一人をとっても前回が968,960票(14.58%)であったのに対し、今回が982,594 票(20%)と得票数・率ともに伸ばしている。投票率が46.15%と前回を16.45%下回る中でである。
 脱原発候補が二分されてしまったという人がいる。それは私も残念に思っているが、脱原発運動がどこまで浸透しているかを考えれば、細川氏の立候補は脱原発を争点とし、話題を盛り上げていく上で大きな役割を果たしたといえる。寒風ふきすさぶ中、二人の高齢者(といっては失礼だが)が「原発を次の世代に残したくない」と街頭で訴える姿に、若い世代が反応しなかったはずがないと思いたい。
 細川氏は小選挙区制を導入した首相、小泉氏は格差社会を拡大した首相という過去を忘れてはいないから、私が投票することはなかったが(宇都宮氏がいなければ投票したろう)、この二人がいなければ今回の都知事選はずいぶん緊張感を欠いたものになってしまっていただろう。
 二人に分かれてしまったから、というより、二人に分かれてしまっても、この結果を出せたととりたい。(2月12日)

 宇都宮氏はよく検討したのではないだろうか? 二度目の立候補ということで都政に対する政策も一番しっかりしていたと思うし、何といっても徳洲会問題をきちんと追及するといって選挙戦に臨んだのはこの人だけだ。全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長というこれまでの活動歴も、その信念と行動力に信頼を寄せるのに十分である。
 出口調査(朝日)では、20代こそ田母神氏24%に対して宇都宮氏19%という数値だったが(細川氏11%)、30代では田母神氏17%に対して宇都宮氏21%(細川氏15%)と、若者層にもよく浸透していた。選挙運動にもそれはあらわれていた。
(ちなみに、昨年の都議会選挙の得票率のデータがあったので記しておくと、自民36.03、公明14.1、計50.13%。共産13.6、社民0.28、計13.88%。桝添氏が自民・公明の票を押さえ切れていないこと、宇都宮氏が無党派層にも切り込んでいることがわかる。)
 脱原発候補の一本化を働きかけた市民派(といったらいいのか)の人々が、共産党と社民党の支持を受けているということから、政党色を嫌って細川氏についたという。細川氏が立候補しなかったらどうしたのだろうと思ったりもするが、その考え方はもはや時代遅れなのではないかと思っている。
 むしろ、それらの政党がついてこなければならないような、政党そのものも巻き込んでいくような運動を作り出していこうという気概が必要なのではないのか。
 多くの場合、無所属での立候補が政党隠しでしかないことを考えれば、一致できる政党とは連帯しながら(ヘゲモニーをとるとか、とらないではなく)運動の輪を拡げていく道すじを模索し、足腰を鍛えて行かなくてはならない。
 かつて、社会党・共産党・総評・市民グループが統一戦線を形成しながら、つぎつぎと革新自治体を実現していったことを目の当たりにしている者としては、共産党と社民党がともに同一候補を支持し、同じ一台の宣伝カーに乗り合わせたということだけでも大変なことだと思っている。(2月13日)


by yassall | 2014-02-13 14:25 | 雑感 | Trackback | Comments(0)