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2014年 02月 01日 ( 2 )

OLYMPUS XA

 一般的にいってカメラも大型になるほど高性能になるのは確かなことだろうと思う。登山に出かけて山の写真を撮るにはカメラは小型の方がいいと普通は思う。可能な限り装備を軽量にするためには当然である。だが、精密な山岳写真を撮るためには大判でなくてはならないとし、カメラ本体はもちろん、重量級の三脚を担いで平然と山に向かう写真家もまた多い。
 ニコンがF6を出したとき、これがF5の買い時かも知れぬと思い、F90を下取りにして中古を買った。一台くらい究極の性能を持ったカメラを所持しているのも悪くないと思ったのだ。
 (中古とはいえ、それでもけっこうな値段だった。ミヤマ商会池袋店にはよく通ったが、今はもう店をたたんでしまった。新宿店は健在のようだがまだ行ったことはない。)
 では、実際の撮影においてF5を持ち出す機会がどの程度あったかというと、恥ずかしながら指折り数えるくらいしかない。その重さに比してハンドリングは決して悪くはないのだが、それでも相当の気合いが入らないと持ち出す気になれない。
 F5は、少なくとも35mmフィルムカメラにおいては頂点を極めたとカメラだと思っている。そういうカメラはまた、それに見合うレンズも要求するのである。2代目の24-120mmを新調して装着してみたりしたが、どうもしっくり来なかったというのも持ち出す機会が減った理由である。

 さて、前置きが長くなったが、カメラ談義をどこから始めようかと考えた末、いわゆるサブカメラから話題にしてみようと思う。
 35mmサイズをライカ判というのは、ライツの技術者であったバルナックが映画用フィルムを使用した小型カメラを試作したことから始まり、その理由が「無類の写真好きであったが、小柄で体力もさほどなかったバルナックにとって木製大型カメラを持ち歩くことは難儀であったため。」という説がある。精緻な写真を撮るには大判のフィルムを使用するカメラの方がいいに決まっている。だが、今日のようなカメラの普及にはライカ判の完成にあずかることが大きかった。だとすれば、小型軽量であることもカメラの進化の方向のひとつなのである。

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 と、また遠回りをしてしまったが、最初にとりあげるのはOLYMPUS XAである。私の一眼デビューはニコンFEからで、これとはずいぶん長いつきあいになった。これをメインにしながら、もう少し気軽に持ち出せるカメラが欲しくなり、行き着いたのがXAである。
 XAは1979年の発売。私は自分が買ったことのあるカメラのパンフレットはすべて保存してあるのだが、そこには「凝縮されたメカニズムのハイテクニカルオート。だから、一眼レフのサブカメラ。プロの休日カメラ。」なる宣伝文句が書き込まれている。少々大げさだなと思うのだが、姉妹機のXA2がゾーンフォーカスであるのに対して二重像合致式一眼連動距離計を備え、露出制御も絞り優先式AE、切り換えレバーで+1.5EVのワンタッチ逆光補正も可能という凝った内容だった。(露出補正ダイヤルはついていない。自分で調整したいときはASA感度設定を変更すればよいのである。)
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 バリアを閉じた状態。この電源スイッチをかねたスライド式のバリアも当時としては個性的でなかなかオシャレだった。レンズは35mmF2.8。Fズイコー5群6枚構成で、これもDズイコー4群4枚構成のXA2と差別化していた。
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 ストロボは別売。A11とA16があったが、ガイドナンバーが少し大きいA16を選んだ。その当時の高感度フィルムはASA400程度でも役に立たなかったのでそうしたのだが、実際にはあまり使わなかった。

 シャッターは電子シャッター。「フェザータッチ」が謳い文句だったが、個体のせいなのか、私のは感度があまりよくなく、ときどきシャッターチャンスを逃した。絞りはF2.8~22まで選択できたが、絞り羽根が二枚式で、ここは手抜きだった。それでも当たるときにはそれなりの絵をものにすることが出来たからよく持ち歩いた。

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             (102×64.5×40mm、225g)


 ※ASAはフィルム感度をあらわす数値。今はISOというが、当時の言い方にならった。
 ※35mmフイルムをカメラで使おうという試みはライカ以前からあったとのことである。それでもライカ判と呼ばれるのはカメラとしての完成度が高かったからに違いない。
 ※ズイコー(Zuiko)は、オリンパスのカメラレンズのブランドである。ズイコーは「瑞光」から来ているのだろう。他社がニッコールとかフジノンとかヘキサーとか命名したのと比較するとずいぶんと古式ゆたかな名前である。なお、ミノルタのレンズ名がロッコールなのは六甲山から来ているというのは最近になって知った。


by yassall | 2014-02-01 02:38 | カメラ談義 | Trackback | Comments(0)

つい一言 2014.2

 最近の「責任野党」論はつまるところ「隠れ与党」というより野党の名を借りた「露払い」というところなのだろう。またまた憲法96条「改正」をぶち上げて勢いづかせる元凶となっている。(2月5日)


 NHK経営委員の百田氏が都知事選候補の田母神氏の応援演説に立ち、「南京虐殺はなかった」など持論を展開(安倍首相も本当は田母神氏を応援したいのではないか?)。長谷川氏が先だっての「女性は家庭で子育てが合理的」発言に続いて、昨年秋、1993年に朝日新聞社内で拳銃自殺事件を起こした右翼団体幹部・野村秋介氏の20周年の集会にその行為を礼賛する追悼文を寄せていたことが発覚。
 (死者を尊重して野村氏と呼ぶが、朝日新聞社での自殺事件は鮮明に記憶している。「風の会」を「虱の会」と揶揄されたのに腹も立ったのだろうが、死に場所に選んだなと思った。マスコミが萎縮するきっかけになったのは確かだ。)
 法律的には特定の政治的発言や行動に対する規制はないのだそうだが、公共放送の経営委員となったからには自ずから自制すべきものがあるはずではないのか。それとも、そのような規範意識にはとらわれないことをもって、己れの力を誇示しようとしているのか。既成の価値観を打破するのだといえばかっこうはいいが、行き着いた先が「大日本帝国」への先祖返りでは情けない。(長谷川氏の『日本語の哲学のために』はすぐれた書物だと思っていたのに残念だ。人物がだめだと学問まで疑わしくなる。)(1月5日)

 今日は都知事選の投票日である。東京オリンピックの問題ではつい一言を書いてしまったが、このシリーズでもあまり触れないで来た。それは交遊の範囲を考えたとき、都知事選について何か発言したとしても多少とも影響を及ぼせる相手がごく少数であったことと、これからの日本の行く末を占うという意味で冷静にその動向を観察してみたかったという理由がある。(もちろん、自分は第三者でいようなどというつもりではなく、今日も雪かきの後、しっかり投票に行って来た。)
 大勢は決したようだが、各候補者の得票数や投票率も確定した数値が明らかになるのは明日になるだろうし、それから各新聞社や専門家による分析もされることだろう。自分なりの考えをまとめるのはそれからになるだろうが、二、三発言できたと思っている。
 今日のところは今回の都知事選の位置づけについて述べておきたい。猪瀬氏が副知事だったとき、株主総会で東電を責め立てるにあたって、「なぜ東電病院を売却して補償費を捻出しないのか?」と問い詰めているのをみて、その調査力と舌鋒に感心しないでもなかった。ところが徳洲会からのヤミ献金問題が起こったとき、にわかに浮上してきたのは徳州会病院による東京進出に便宜をはかろうとしていたのではないか、という疑惑であった。その真偽がはっきりする前に猪瀬氏は辞任した。これから検察庁による調査がなされるのかどうかもはっきりしないが、辞任そのものがことをウヤムヤにするための幕引きであった可能性もある。
 とすれば、今回は猪瀬氏を圧勝させた前回の都知事選の是非が問われる選挙であったはずであり、それは他ならぬ東京都民に深刻な反省を強いるものでなければならなかった。しかし、選挙期間中の経過をみても、そして今日の結果をみても、少しもその反省はみられなかった。まずもって、そのことに私たちは衝撃を受けなくてはならない。(2月9日)

 今回の都知事選で、脱原発二候補のことはさておき、私が注目していたのは田母神氏である。
 氏は2008年、「日中戦争は侵略戦争ではない」とした懸賞論文で最優秀賞を受賞したことが問題となり、航空幕僚長を更迭された人物である。
 その後も「最初から『日本は核武装を絶対しない』と宣言するのは馬鹿げたことだ」などの発言を続けていたとのことだが、その主張の特異さから考えても、都知事選に立候補すると知ったときは何やら亡霊がよみがえったように感じたものだった。
 注目しようという気になったのは、もちろん否定的な意味でだが、主要な候補者の中で原発推進を明確に打ち出したのは氏のみだからである。
 もし、安倍自民党が原発を「ベース電源」として維持し、再稼働(あわよくば新増設)をすすめようとするならば、田母神氏を支持すべきだった。他にも「集団的自衛権」の肯定や「憲法」改悪など、政策的にも最も近かったのではないだろうか。(実際、テレビの記者会見で氏は「安倍首相は本心では私を支持していると思いますよ。」と発言している。氏の応援演説に立った百田氏は安倍首相がNHK経営委員に仕立てた人物だ。)
 その主張がデタラメなことは誰が聞いても明らかだ。「福島原発事故で死んだ人はひとりもいない。」「日本の放射線基準は厳しすぎる」「福島原発事故は水素爆発であって、放射能が爆発(?)したのではない」などなど。安全神話・安心神話を復活・普及させようと躍起になっているとしか思えない。
 とりわけ最後の「水素爆発だったから」云々はひどすぎる。「核爆発」ではない、といいたいのかも知れないが、そうなったときは終局である。水素爆発だから「安全」などというのはまったくの嘘っぱちで、そのために大量の放射性物質が飛散したのだし、おそらくはそれ以前に起こったメルトダウンによって収拾もつかないまま、これ以降も放射能を出し続けていくことがどのくらい深刻なことかまるで分かっていない。
 「原発推進」対「脱原発」という意味では、田母神氏対他候補といってもいいような構図だったのではないだろうか? 3.11後、住民を「避難させる必要もなかった」と言い切る氏に、いったいどれくらいの票が集まるのか? 猪瀬氏を後継者に指名した石原慎太郎元知事が今度は田母神氏の応援に回ったわけだが、その石原信仰から醒めることが出来るのか、出来ないのか?

 結果は12%の得票であった。この低投票率の中で10人に1人以上が田母神氏に投票したこと、その総数が61万人を超えていること、これをどう評価したらよいのか?
 なぜ田母神氏を選んだのかについては、一人ひとりの気持ちは聞いてみなければわからない。まさか、「安全・安心」と言ってくれる人を待っていたんだ、などということはあるまいとは信じたい。
 とりわけ20歳代の投票者のうちの24%を占めたというのは、「景気をよくして雇用を増やす」という政策がアピールしたのかも知れないが、ネットでの支持が広がったということを考えてみるとその背景はもっときちんと分析される必要があるだろう。
 「ナチスだって最初は過激な論を主張する奇人の集まりだった」と山口二郎氏は警鐘を鳴らしている(「東京新聞」2/9)。一定の支持が集まったからといって氏が都知事に選ばれるまではまだまだ遠い先だろうと、楽観ばかりはしていられないと思うのである。(2月10日)

 都知事選の結果を受けてか、安倍首相が早速「現実を見据え責任をもって実現可能かつバランスのとれた」エネルギー基本計画を策定していくと、原発再稼働に前向きな姿勢をみせた(10日衆院予算委)。
 原発輸出についても「周辺国やアジアで原発が新設される際、福島第一原発事故の経験と教訓を共有してもらうことは安全上重要だ」などと発言したとのことだが、いったいどのような「教訓」を学んだのか聞いてみたいものだ。
 都知事選に勝利したというが、桝添氏も「原発がこのままでいいとは誰も思っていない」と発言しているとおり、原発問題が争点になることを回避した上での当選である。桝添氏の得票が44%、脱原発二候補が20%ずつの合計40%であること(一人は元総理とはいえ告示9日前の出馬)を考えれば、国民が原発再稼働にGOサインを出したと考えるのは早計である。(2月11日)
 ※自民党、百田氏らの参考人招致を拒否。そんな強気でいいのだろうか……?
 ※首相、「集団的自衛権」行使の例に北朝鮮を名指し。相手も挑発国家だが日本も挑発していないか……?

 初日に、都民は前回の都議選から何も反省しなかった、と書いたが、もしかすると言い過ぎだったかも知れない。
 2012年の選挙で当選した猪瀬氏の得票が4,338,936票(65.27%)であったのに対し、今回の桝添氏の得票は2,112,979 票(44%)である。石原元都知事の任期途中での辞任という事態の中で、猪瀬氏のケースが特別だったとはいえ、今回も事情は似たようなものだ。両方とも最初から本命とされた候補者でありながらこれだけの差がついた。
 これに対し、宇都宮氏一人をとっても前回が968,960票(14.58%)であったのに対し、今回が982,594 票(20%)と得票数・率ともに伸ばしている。投票率が46.15%と前回を16.45%下回る中でである。
 脱原発候補が二分されてしまったという人がいる。それは私も残念に思っているが、脱原発運動がどこまで浸透しているかを考えれば、細川氏の立候補は脱原発を争点とし、話題を盛り上げていく上で大きな役割を果たしたといえる。寒風ふきすさぶ中、二人の高齢者(といっては失礼だが)が「原発を次の世代に残したくない」と街頭で訴える姿に、若い世代が反応しなかったはずがないと思いたい。
 細川氏は小選挙区制を導入した首相、小泉氏は格差社会を拡大した首相という過去を忘れてはいないから、私が投票することはなかったが(宇都宮氏がいなければ投票したろう)、この二人がいなければ今回の都知事選はずいぶん緊張感を欠いたものになってしまっていただろう。
 二人に分かれてしまったから、というより、二人に分かれてしまっても、この結果を出せたととりたい。(続きは明日)(2月12日)

 (昨日の続きとして読んでくれるとうれしいです)
 宇都宮氏はよく検討したのではないだろうか? 二度目の立候補ということで都政に対する政策も一番しっかりしていたと思うし、何といっても徳洲会問題をきちんと追及するといって選挙戦に臨んだのはこの人だけだ。全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長というこれまでの活動歴も、その信念と行動力に信頼を寄せるのに十分である。
 出口調査(朝日)では、20代こそ田母神氏24%に対して宇都宮氏19%という数値だったが(細川氏11%)、30代では田母神氏17%に対して宇都宮氏21%(細川氏15%)と、若者層にもよく浸透していた。選挙運動にもそれはあらわれていた。
 脱原発候補の一本化を働きかけた市民派(といったらいいのか)の人々が、共産党と社民党の支持を受けているということから、政党色を嫌って細川氏についたという。細川氏が立候補しなかったらどうしたのだろうと思ったりもするが、その考え方はもはや時代遅れなのではないかと思っている。
 むしろ、それらの政党がついてこなければならないような、政党そのものも巻き込んでいくような運動を作り出していこうという気概が必要なのではないのか。
 多くの場合、無所属での立候補が政党隠しでしかないことを考えれば、一致できる政党とは連帯しながら(ヘゲモニーをとるとか、とらないではなく)運動の輪を拡げていく道すじを模索し、足腰を鍛えて行かなくてはならない。
 かつて、社会党・共産党・総評・市民グループが統一戦線を形成しながら、つぎつぎと革新自治体を実現していったことを目の当たりにしている者としては、共産党と社民党がともに同一候補を支持し、同じ一台の宣伝カーに乗り合わせたということだけでも大変なことだと思っている。(2月13日)

 革新自治体といえば、つい先日突然思い出したことがある。現在、東京ドームがある位置には昔競輪場があったのである(昔の後楽園球場はその隣にあった)。子どもの頃、たまに後楽園遊園地に連れて行ってもらったとき、夕方になって帰ろうとすると、駅周辺にハズレ券が紙吹雪になって風に舞っていた。子供心にずいぶん荒んだ空気を感じたものだった。
 競輪場として使用されなくなったのは1972年、「都営ギャンブルは廃止する」とした美濃部都政になってからだった(跡地が東京ドームになったのは1988年)。時代がめぐり、東京オリンピックを機会に、日本でもカジノを!などとうそぶいている連中もいるが、「大人の遊び場」(「大人」でいられるのか、「遊び場」に止まるのか大いに疑問だが)のそばには子どももいるのだということを忘れてはいけない。
 都知事選では「脱原発」は争点にならなかった、という人がいるが、断じてそんなことはない。電気の最大の消費地である東京都民がどう決断するかは、今後どのような社会をめざしていくかを決定づけるような選択であったはずだ。選挙で「脱原発」を訴えた人たちは現代文明に対するたいへん大きな問題提起をしてくれたのである。
 そして、「脱原発」を争点にすまいとした人たちが嵩にかかって原発の再稼働をすすめようとすることは、東京オリンピックにかこつけてカジノ(=賭博場)を開帳しようとするのと同列だ。そんな「悪ノリ」を許してはならない。(2月14日)
※集団的自衛権に関する憲法解釈について、安倍首相の「最高責任者は私だ」との発言には自民党内からも批判が起きているという。当然のことだが、振り子をもとに戻す力になるだろうか?

 「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」と罵られようと、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とそしりを受けるのを嫌う。もちろん原発のことを指しているのである。
 まだ避難計画も立てられていない浜岡原発が再稼働に向けて審査を受けるという。もし避難計画があっても、この雪をして交通が寸断されている状況が見えないのだろうか?
※私は風邪を引きました。よって今日は短めです。(2月16日)

 安倍首相の暴走が止まらない。「教育基本法」は占領時代のマインドコントロール(衆院予算委)と発言したそうだ。君の方こそ「教育勅語」の呪縛から解放されていないのではないのかね?
  ※
 「解釈改憲」の最高責任者は私だ、発言もこのまま居直るつもりらしい。政府の(そういえば、このときは「私の」とはいわなかったかも知れない)「責任」で解決するとした汚染水漏れの問題はどうなっているのか? 
 いったい、個人であがなえる「責任」なんてたかが知れている。ベルリン陥落を前にヒトラーは自殺したといわれるが、ヒトラーの死をもって第二世界大戦を引き起こした罪過が帳消しになるはずもない。
  ※
 学校図書館から『はだしのゲン』を撤去しようとする策動がいまだに尾を引いている中、都内の複数の公共図書館で『アンネの日記』とその関連の図書200冊超が破られているのが発見されたという。
 何に感化されているのか、世の中が狂いだしているようだ。底知れない気持ち悪さがある。(2月21日)

 2012年12月の第2次安倍政権発足からの約1年2カ月間で、国庫から支出した官房報償費(機密費)が約16億9千万円に上ったと明らかになったそうだ(21日衆院内閣委)。国会答弁も言いたい放題だが、金も使いたい放題だ。
  ※
 NHKの籾井会長が1月25日の就任初日に、NHKの理事らに辞表を預けるよう求め、会長の人事権を強調していたことが複数の関係者への取材で分かったそうだ。
 最近は多少しおらしくしていると思っていたが、陰で何をしているか分かったものではない。(2月22日)

 「重要なベース電源」という原案を一時ひっこめていたと思ったら、今度は「ベースロード電源」ということばで原発再稼働への道が復活した。
 昨日の政府の「エネルギー基本計画」が、「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」(自民)、「可能な限り速やかに原発ゼロを目指す」(公明)とした衆院選での公約に違反していることが指摘されているが、選挙向けに公約を発表したときからいずれ反古にするつもりだったのではないかと疑われる。
 なぜ原発がベースロードなのかだが、ひとたび運転を始めると昼夜で出力を調整したりすることが困難であるからではないかと疑っている。つまり「正常」に運転している間でもコントロールし難いのが原発なのであって、ましてや故障や事故に遭遇すればコントロールは不可能になってしまう。
 それが分かっていながら「ベース」に位置づけるというのは、本当に苦しまぎれで、無責任この上ないと思うのである。「もう止めよう」という決断ができないのが残念でならない。(2月26日)

 政府が「原発はもう止めよう」という決断ができないからといって、我々が福島原発事故のことを忘れたり、脱原発をあきらめるわけにはいかない。
 ①第一に福島原発事故は続いている。②その事故の原因ですら解明されていないうちに、いかなる「安全」も「神話」にすぎない。③広域避難は困難というより不可能であり、「防災計画」「避難計画」は机上の空論でしかない。④わけても核燃料サイクルは破綻しており、予算をつぎ込めばつぎ込むほど泥沼にはまり込んでいくしかない。⑤何より溜まり続けている使用済み核燃料の問題は決定的である。
 進むに進めず、引くに引けないというのが現状ではないのか。だからといって思考停止状態であってはならないのであって、まず「原発はもう止めよう」という決断を下すことで山積した問題の解決への糸口が見つかるはずだ。(2月27日)

 籾井NHK会長が理事10人に辞表の提出を求めた問題は、理事たちが事実を公表したことから本人も答弁せざるを得なくなったのか、苦しまぎれの言い訳をはじめている。
 だが、「萎縮させるつもりはない」とか「本人たちのやる気を引き出すため」などという言い分をうのみに出来るだろうか? 「民間ではよくあること」などといっているが、ブラック企業でもあればこそ、「(業績が悪ければ)解雇」をちらつかせながら従業員の尻を叩く企業なんて長続きするはずがない。残るのは不信感だけだ。
 ましてや、NHKという公共放送でいう「業績」は営利を目的とする一般企業とは異なるはずだ。この人の場合、日ごろの言動からして、正確・公正・迅速な報道というより、「良心」の売り渡しを強要しようとしているようにしか思われない。
 昨今、「強いリーダーシップ」を標榜する人たちが一様に「独裁志向」と「排外主義」を特徴としていることに強い危機感をおぼえる。(2月28日)















by yassall | 2014-02-01 01:48 | つい一言 | Trackback | Comments(0)