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2014年 01月 28日 ( 1 )

柄谷行人『遊動論』

 柄谷行人が『畏怖する人間』(1972)で古井由吉の「杳子」を読み解いていく様に圧倒された記憶は今も鮮明である。だから最初は「内向の世代」によりそう文芸評論家として柄谷は出現した。
 連合赤軍事件がきっかけだったというが、その後『マルクスその可能性の中心』(1978)を発表した辺りから今日の思想家としての営為に重点が移っていったようだ。
 折からのニューアカデミズムブームと併走しているようにみえながら、流行思想に便乗しているのとは違って、問題意識の在処が強固で、時代に対抗し得る新しい思想を構築しようとしていることは理解できるのだが、抽象度が高く暗喩に満ちた文章は難解でなかなか近づけなかった。
 『倫理21』(2000)を読んだとき、柄谷がしようとしていることが少し理解できたような気がし、柄谷へのインタビューで構成された『政治と思想 1960-2011』(2012)でその全容に対する見通しが開けたように思えた。
 『トランスクリティーク カントとマルクス』(2001/岩波現代文庫2010)は、やはり大部で難解な書物であったが、なんとか読み通した。内容を完全に理解し得たとはいえない段階であるが、博覧強記を越えて、人類的〈知〉と向き合おうとしていることは分かるし、その足跡をたどっていけば未来が見えるというような確証には至らないまでも、決してないがしろにはできない思索なのだと直観させられるものがあった。
 さて、今回『遊動論』をとりあげようと思ったのは、先に村井紀『南島イデオロギーの発生』(1992福武書店/2004岩波現代文庫)を読んでいたからである。
 『南島イデオロギーの発生』は副題を「柳田国男と植民地主義」とし、柳田国男および日本民俗学と植民地との関わりを明らかにしようとした書物である。
 1910年の「韓国併合」にあたって、柳田国男が内閣書記官として法制作成にあったことは事実であるらしく、村井の柳田批判は「「朝鮮」問題をこの「南島」によって隠蔽した」とし、「同質的な日本という作為された「政治」的な神話(イデオロギー)を作り出す役割を担わされている」というものである。
 沖縄には「琉球国」として独自の主権を確立していた歴史があり、明治日本の廃藩置県にあたって、いわゆる「琉球処分」によって日本に編入したことは沖縄の植民地化だった、というのは間違いとは言えない。すると、柳田の「日琉同祖論」はその正当化のためのイデオロギーであったというのは説得力がある。
 ただ、柳田国男の他の言説との整合性から、その認識を持ち続けるには心のどこかで何となく違和感を感じていた。
 『遊動論』は柳田国男を再評価しながら、持論である「国家」や「資本」から独立した「アソシエーション」という理論を展開しようとした著者の最新刊である。
 柄谷は村井の著作にも触れ、「琉球処分は植民地支配」であることを認めつつも、柳田が日本の植民地支配には批判的であったこと(「日朝同祖論」には与せず「皇民化」政策には反対していた)、日本文化の基底をなすものとして「日琉道祖論」に立つものの、沖縄が不平等に扱われることには異議を唱えていたことをあげ、村井の先のような見地を退けている。
 柄谷の「アソシエーション」論は「協同組合」論として展開される。「オヤ・コ」はもともと労働組織(親方=親分・子分、ウミノオヤ)であったこと、日本には服従関係を伴うその関係以外に「ユイ」という対等・相互組織も存在したというようなことが述べられる。
 農政家としての柳田の姿勢は一貫していたといい、少年期に飢饉を体験したことから「経世済民」思想が原点にあり、農民の救済を目的とする三倉(義倉・社倉・常平倉)を再評価していたことなどが述べられる。
 柳田は「山人」研究を放棄して「常民」論へ移行したのではなく、定住=農耕文化とは異なった山人=非定住民の文化を探究する中で、新しい社会のあり方の可能性を発見しようとの試みを持ち続けていたというのである。
 これらは柳田を柄谷の思想に引きよせ過ぎているという印象は確かにある。また、柄谷自身の思想も、ややもすれば「空想的社会主義」と批判されてもやむを得ない一面を持つだろう。
 しかし、つぎのような引用は柄谷の柳田解釈が決して的外れでないことを証明してはいないだろうか。

 「此山村には、富の均分というが如き社会主義の理想が実行せられたのであります。『ユートピア』の実現で、一の奇跡であります。併し実際住民は必ずしも高き理想に促されて之を実施したのではありませぬ。全く彼等の土地に対する思想が、平地に於ける人々の思想と異なって居るため、何等の面倒もなく、斯かる分割方法が行わるるのであります。」(「九州南部地方の民風」)

 さらには幸徳秋水らが「共産党宣言」を翻訳したのが1904年、『遠野物語』が刊行されたのが大逆事件のあった1910年であることにふれ、「願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という激越な序が、「一つの妖怪がヨーロッパをさまよっている」という「共産党宣言」の書き出しを想起させるとまで書いている。
 これは柳田からの引用ではないのだが、宇沢弘文の「社会的共通資本」の概念を援用して、「コモンズとしての農村」といった問題も提起している。今日、里山の荒廃が指摘されているとき、山林や田畑が果たしてきた治水・保水のことを考えれば、私有財産制を越えた社会の可能性があったかも知れないこと、未来に向かってあり得ることは、大きな示唆を与えてくれるのである。
 『トランスクリティーク』では、つぎにようなマルクスのことばも引用していることも紹介しておこう。

 「もし連合した共同組合組織諸団体が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外のなんであろう」(「フランスの内乱」)

 母系でも父系でもない双系制の社会が日本にあったとか、先の「社倉」の理論化と実行は南宋の朱子によるものであったとか、新書版でありながらともかく知的な刺激に富んだ書物である。

柄谷行人『遊動論』文春新書(2014)

《追記》
 実は『畏怖する人間』は長いこと行方不明になったままだった(誰かに貸したままになっているのだ)。講談社文芸文庫に収められたのは知っていたので、いつだったか三省堂で探したことがあったのだが、見つからなかった。著者が絶版にしてしまったという話を聞いたことがあったような気がしたので、そのまま諦めていたのだが、今回このような文章を書き、気になってネットで検索したらamazonで注文できた。
 今日届いたのだが、パラパラめくってみると、やはり記憶違いがあった。「「杳子」を読み解いた」と書いたが、「杳子」のみを取り上げて論じた文章はなく、「閉ざされたる熱狂」を中心に古井由吉を論じた文章が長短いくつかあり、それぞれで「杳子」に触れているのだった。
 中村泰行『ポストモダニズムの幻影』(1989)の柄谷の項も読みなおしてみた。柄谷が江藤淳と親和性が高いというのは事実であろうし、戦後日本社会に対する違和感を思想的な原点に持っているという共通点の指摘も正しいのだろう。批判の論点は明快であるし、私も「ポストモダニズム一般」はこれで切って捨てたように考えていた時期もあった。
 だが、明快である分、一方的な決めつけはぬぐいがたく、ややもすればイデオロギー暴露で終わってしまう嫌いもある。中村は「解体批評」を「解体=はぐらかす」ことだけを目的とした主観的な印象批評と断じているが、「内向の世代」という同時代で進行している作家たちの解読に私が驚嘆したのは、「ずらす=はぐらかす」という批評態度から生まれたものではなかったに違いない。
 「脱構築」とか「解体構築」というとさも目新しく感じられるが、ひとつの作品(テキスト)に対して、先入見を可能な限り排し、あくまでテキストに沿いつつ、新しい読み方を試みること、今日的な意義をつかみ取ろうとすることは、むしろ正統ともいうべき批評態度ではないだろうか。ましてや既存の価値観がゆるぎ、新しく引き起こされている現象を説明し得ることばが失われた時代であればなおのことである。(1月30日)


by yassall | 2014-01-28 15:09 | | Trackback | Comments(0)