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2014年 01月 26日 ( 1 )

「芸術新潮」つげ義春特集

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 「芸術新潮」1月号がつげ義春を特集している。なぜこの時期になのかは不明だが、原画あり、作者本人へのロングインタビューありで、なかなか力の入った企画であると思った。
 表紙にも採用された「ねじ式」は発表当時から多くの詩人や評論家たちに衝撃を与えたものだった。よく旅をした作家らしく旅行記物も多く描いた。伊豆の漆喰鏝絵(こてえ)を知ったのもつげ義春の作品からで、伊豆・松崎の長八美術館まで訪ねていったのがずいぶん昔だから、私も作品に魅せられるようになってから40年にはなろうとしている。
 長八美術館のことをもう少し書くと、今はネットで検索してみると立派な施設になっているが、私が訪ねていったときは古民家を改造した程度の建物で、展示品の多くはホコリをかぶっていた。ただ、松崎の街はいわゆるナマコ壁の建物が並び、路地を入ると相模湾が望めるようで、つげ義春が惹かれた気持ちがわかるような気がしたものだった。
 さっそくロングインタビューを読んでみる。
 「ともかくリアリズムが好きですね。自分の主観による意味付けを排して、あるがままの現実を描くのが…。」
 「この現実世界は本来あるがままで意味はないのに、そこで主観でもってさまざまに解釈し、意味付けをしてひとつの世界像を「創作」したわけでしょう。別の解釈をすればまた別の世界になる。ということは虚構の世界にすぎない。」
 「歎異抄も含めて浄土教の説いている「浄土」とは、虚構に惑わされず事実を直視した世界のことでしょう。仏教の原点はリアリズムで釈迦は凄いリアリストだと思えますね。」
 などの発言が、それほど気負ったふうでもなくつぎつぎと飛び出してくる。もう休筆して25年になるというが、この人はいったい何を考えながら日々を送っているのだろうと感じ入ってしまった。
 葛西善蔵、嘉村磯多、加納作次郎、宮地嘉六、川崎長太郎を好んで読んだという。それらの読書が世捨て人のような人々が登場する後期の作品に反映されているのかも知れない。私はまだそこまではついて行けないが…。
 ごく初期の、まだ作者のオリジナリティが発露される以前の作品に「噂の武士」がある。最近、柄谷行人の『遊動論』を読んでいて、急に思い出したので、最後にそのことを書く。
 『遊動論』は柳田国男を再評価しながら協同組合論を展開している。定住=農耕文化とは異なった非定住民の文化を探究する中で、新しい社会のあり方の可能性を発見しようという試みであるらしい。
 その本の中で、網野善彦の所論にもふれ、武士もまた武芸という芸能をもって諸国を放浪する非定住民であったという説が開陳されている。(柳田は山人の思想から武士は本来は山に住んだという。すると山賊や、平野部ではない周辺の民という意味では海賊が武士のはじまりであったのかも知れない。)
 つげ義春の「噂の武士」は偽宮本武蔵物で、そうとは名乗らないものの、それらしく振る舞うことで話題をつくり、旅館の集客に資することで報酬を得ているという設定である。ところがちょっとした失態をカバーするために、いかに自分が鍛錬によって身軽で、武芸にたけているかを見世物のようにひけらかすことによって、ひそかに憧れを懐いていた主人公を幻滅させるという結末を迎える。
 歴史的に正しいかどうかは日本史の先生に聞いてみなければわからないが、その宮本武蔵にしろ、塚原卜伝にしろ、柳生十兵衛にしろ、確かに武芸者と武者修行の旅は結びつきが強い。その旅の途中、どうやって生活の糧を得ていたかも謎といえば謎である。いわゆる大道芸と武芸の類いとの関連もなくはないように思われる。
 初めて読んだときは、時代劇ものなら売れると当て込み、おそらくは出版社からの注文もあって書いた営業用の作品なのだろうと思っていたが、もしかするとつげ義春がそうした武士の原像を直感的に探り当てた結果に生まれたのかも知れないと考えたのだ。
 松尾芭蕉から近くはフーテンの寅まで、漂泊の人生への憧れは、自分にはないものへの渇望なのか、あるいは数%は混じり込んでいるかも知れない非定住民のDNAのなせるわざなのかは知らない。だが、つげ義春がそうした血脈にあることは間違いないだろう。


by yassall | 2014-01-26 18:03 | | Trackback | Comments(2)