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2013年 04月 14日 ( 1 )

最後通牒ゲーム

 水野和夫×大澤真幸『資本主義という謎』を読んだ。大澤真幸の本は難解なので敬遠していたのだが、目次に「成長なき資本主義は可能か?」という章立てがあり、読もうという気になった。
 何故かというと、「持続可能な社会」というテーマがあって、きっとそれは〔成長=拡大再生産=大量生産・大量消費〕というこれまでの資本主義モデルの再検討なしにはあり得ないと考えているからだ。
 と、おおよその見当をつけながらも、やはりかなり取っ付きにくかった。先の問いについても、「周辺のない資本主義」はありえず、「アフリカのグローバリゼーション」というかたちで資本主義が地球を覆い尽くしたとき、「資本の自己増殖それ自体を目的とする近代資本主義」が終焉を迎えられるかどうか、というような問題提起がされて、それ以上にはすすんでいないようだ。課題は提示されているが解決への道筋を指し示すことは避けられているというところか。
 ※
 それはそれとして、対談形式の書物らしく、丁々発止の中に興味深い話題がちりばめられていて、いろいろなことを考えさせられた。そのひとつ、最後通牒ゲームについてのやりとりを紹介したい。
 ルールはこんなふうだ。…Aさんに1000円を渡し、見ず知らずのBさんと分けるようにいう。その配分はどのようでも構わない。ただし、Bさんがその割合に納得しないとAさんもBさんもお金を受け取ることができない。そして交渉は一回きりである。…
 理屈だけで考えると、割合の決定権はAさんにあり、Bさんにしてみれば0よりは1の方がいいわけだから、極端にいえば999円対1円でも交渉は成立しそうである。ところが実施してみると、6:4から5:5で提案されるケースが圧倒的であるとのことだ。
 (実は昨年のNHK・BS特集「なぜ人間になれたのか」でも同じような実験が紹介されていて、そこでは後半のルール、つまりBさんの拒否権がないものだったが、結果は同じだった。)
 これは人類が乏しい獲物を分け合うことで生存を可能としてきた知恵の記憶によるものだそうである。
 何が明らかになったかというと、人類の長い歴史からみれば、市場による商品交換が唯一の形態ではなかったということであり、他に贈与(互酬)・再分配などさまざまな方法によって「財の移動と社会統合」を行って来たということである。(資本主義とは商品一元化社会なのだが一元化し得ないものが人間と人間社会にはありそうだ、ということである。)
 ※
 さて、そこで考えたことがある。最後通牒ゲームで、金額が1000円ではなく、100万円だったり1000万円だったらどうだろうか、それでも人々は6:4や5:5を選ぶだろうか、という問題である。
 相手には10万円でがまんしてもらおう、100万円で納得させよう、ということにならないだろうか?
 実は、最後通牒ゲームで考えたことは、人間は本来的に「公平」であることを求める、ということだ。自分が公平に扱われていないと感じたときは受け取りを拒否する、ということを予想するからこそ、最初から6:4や5:5の割合を選択するのではないだろうか?
 しかし、1000円に対して100円の受け取りを拒否できた人間が、10万円・100万円(不当なものでないとして)の受け取りを拒否できるだろうか? (ただし、受け取った後の差別感を残しながら。)
 ※
 やはり、資本主義が人類史にかつてないほどの巨万の富を作りだしてしまったところに、資本の「強欲」さが生じたのかも知れない、と考えたのだ。(もし宝くじで3億円当たったら自分はどうするだろうか? 一度手にした富を手放したくはないと考えるだろうし、ましてや資本家であれば分配よりは投資を選択するだろう。)
 この本では次のような話題も紹介されている。
 昨年のアメリカ大統領選挙でロムニー共和党候補が「私は税金を払っている人のための政治をする。オバマは税金を払っていない人のために政治をする」と発言したという。
 (もちろん、ここで税金を払っていない人というのは脱税という意味ではない。家・土地を持たない人は固定資産税は払わない・払えない。)
 水野和夫が12、3世紀の資本主義勃興期のイタリアで読まれた『商業についての助言』に「貧乏人とは付き合うな。なぜなら、彼らに期待すべきものは何もないからだ」とあったことの類似を指摘している。
 こうした資本主義の「強欲」さにブレーキをかけようとした人たちもいた。ダンテは「すべての人間にとって最も大切なことは、われわれは先人の苦労のたまものを受けているが、それと同様にわれらの子孫が豊かになるように、われらも後からくる者の発展のために骨折らなくてはならぬ。」(『帝政論』)と述べているそうだ。
 またまた原発の話になってしまうが、何万年にもわたって管理を強いられる放射性廃棄物を次世代に残していくことでいいのだろうか、と考えてしまう。
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 私のもう一つの関心事は「国家と資本主義」の問題だ。この本でも章立てがあるのだが、結論らしきものの手がかりは見つからなかった。
 近代資本主義と国民国家の成立は平行している。だが今日のグローバリゼーション化された世界にあって、国家がその機能を同じように維持しているとは思われない。多国籍化した資本が海外で利潤をあげたとしても、それが国家・国民を豊かにするとは限らないし、税金ですらまともに払わないですむ時代になってしまったのだ。
 資本が国境を越えていってしまっているのは確かなのだが、それでは国家を必要としていないかどうかが問題なのである。どうやら、そのことで「国家の死滅」はあり得ないことは容易に予想がつくのであるが、それではそこに残された国家とは何もので、どうあらねばならないのか、問題を解くキーのひとつのように思われてならないのだが、いかんせん私の手に余る。

水野和夫×大澤真幸『資本主義という謎』NHK出版新書(2013)
by yassall | 2013-04-14 15:19 | 雑感 | Trackback | Comments(1)