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銀杏祭公演「震える風」

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 東大附属中等教育学校演劇部顧問のKさんから銀杏祭公演のお誘いがあった。Iさんには少し前に案内があったとのことでIさんからも「一緒に行こうよ」と誘われていた。日程が西部A地区発表会と重なってしまっていたため、少し考えてからと生返事をしていたら、「開催2日前に校内向けに公開リハがあるので、そちらにどうぞ」というメールが届いた。
 Kさんからの最初のメールには「東日本大震災を扱ったもので、簡単に言うと1ミリも笑うところがない深刻な芝居です。ですがエンディングは美しいかも知れません。」とあった。実はこの時点で心はだいぶ傾いていた。それでもその直後に話が来たので、私は公開リハの方を見せてもらうことにした。西部Aも春は朝霞高校しか見られず、他の学校がどうしているか気になっていたのである。まあ、私が行ってどうなるものでもないのは分かっているが、激励したい気持ちがあったのである。
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 東大附属の銀杏祭公演は2016年の「宇宙のみなしご」以来である。同作品は森絵都の小説を戯曲化したものだが、秋にはずっと創作劇で臨んできた。そこでてっきり今回も創作なのだろうという先入見で見てしまった。既成台本であると知ったのは部員たちとの交流も終わり、片付けが始まったころだった。それでもまだ気づかず、「以前にもブルーシートを広く敷き詰めた真ん中にエリアを作り、両脇で役者が控えていたり、衣装替えをしたりする設定の芝居があったなあ。」という話をしたら、「きっと同じ芝居ですよ。新潟の学校です。」と言われ、やっと思い出したのだ。2016年に関東大会が彩の国芸術劇場で開かれたとき、新潟県立長岡大手高校が上演し、創作脚本賞を受賞した作品だった。「同じ芝居に見えませんでしたか?」と聞かれ、すっかり面目を失った。
 作品は1つの始まりと終わりを持つストーリーではなく、いくつものエピソードを積み重ねていく手法によっている。それが震災や、津波や、あるいは原発事故によってバラバラにされた人々の思いや記憶を拾い集めていく作業と重なっているようで、そこで成り立っていく芝居なのだと思う。ただ、役柄を変えながら、たとえば一冊のノートが人から人へと手渡されているうちに、いったい今、誰と誰が語り合っていて、どのような思いを交換し合っているのか、つい追いかけ損ねてしまうことがしばしばあった。そんなこんなで、終演後の部員たちとの交流会はずいぶんトンチンカンなものになってしまった。(音楽座からも2人来訪していて、そちらからのアドバイスは的確なものだったから、交流会自体は部員たちにとって有意義だっただろう。)
   ※
 というわけなので、とくに今回はこうして「感想」めいたものをアップしようというのは申し訳ない限りなのだが、約束なので少し書くことにする。
 まず秋のコンクールに向けてこの作品を選んだことを(私の観劇態度を棚に上げて)褒めておきたい。自分たちが演劇という表現手段を通じて、何を演じ、何を伝えたいのかというときに、本作に向かっていったことに頼もしさを感じたのである。
 パンフには千葉を襲った台風被害も一通りの報道が終わった後、話題はラグビーW杯に移ってしまう、震災の3年後東京オリンピックが決定し、来年の開催に夢中になっている、果たしてそれでいいのか、という疑問をぶつけている。いつまでも記憶していなければならないこと、むしろ新たにしていかなければならないことがあるのではないか、彼・彼女らが(キャストは女子だけだったが部員には男子もいるようなのでこう言っておく)自分たちの日常を振り返り、そのような疑問、そのような気づきがあったとしたら、それだけで素晴らしいことだと私は思うのだ。
 8.15後の文学が戦後文学であるように、3.11後の文学を震災後文学と呼ぶことを提起したのは木村朗子である(『震災後文学論』青土社、2013)。木村は、いとうせいこうの『想像ラジオ』が2012年上半期の芥川賞の最終候補作となったとき、「安易なヒューマニズム」というような心ない非難を浴びながら、いとうせいこうが語った次のような言葉を紹介している。

 「この小説の第二章に「当事者でないものは語るべきではないのか」っていう論争があるんだけど、まさにあの論争の通り、この小説自体に対して当事者のことを考えて書けよと言われたら僕はもう何も言えないんです。」

 当事者でなければ語るなとか、自身の作品に利用するな、とか、厳格さを装ったかの言説は流行しやすい。しかし、当事者であればよけいに声にし難いことを棚上げしたこれらの妄言は、つまるところ言論の封殺につながり、人と人とが結びつくことを断ち切っていく。
 「震える手」を書いた田村和也氏も、その意味では当事者ではあるまい。「誰でもない誰か、誰でもある誰か」という科白のキャスト全員による繰り返し、さまざまな役柄がカードを引くことによって決められ、しかし一度カードを引いた限り交代は出来ないという冒頭の場面は、震災体験を個人という特殊に押し込めようとする圧力の乗り越えを暗喩するものだろう。「誰でもある誰か」の声を、「誰でもない誰か」が引き取り、また引き継いでいこうという営みがなければ、いかなる体験も普遍化されることなく、結局は風化していく運命をたどり、いつかまた同じことが繰り返されるのを待つばかりになってしまう。
 小森陽一もまた、「文学で問う原発の日本」と副題をつけた『死者の声、生者の言葉』(新日本出版社、2014)で、いとうせいこう『想像ラジオ』の最終章「死者との対話を持続するために」から以下のような文章を引用している。

 「死者と共にこの国を作り直していくしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなっちゃったんだ」
  ……
 「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に。」


 芝居の出来栄えを(またまた、私の観劇態度を棚に上げて)言うと、そうした死者たちの声が聞こえて来たかといえば、残念ながらそうはならなかった。テクニック的なことを言えば、声が甲高いのは地声だから仕方ないとしても、いつも同じように強い科白が続くと客は疲れてしまうものだ。どのような人間関係があり、どのような感情を交換し合っているのか、何をどう伝えるのかについて、もっと掘り下げる必要があったのではないかと思う。鎮魂の思いも込められているとしたらなおさらである。 
 それでも生者ばかりでなく、死者の声にも寄り添って行こう、一冊のノートを残した人の思い、収集した人の思い、受け取った人の思いをくみ取って行こうと懸命に努力をしてきたことは伝わった。
 3.11をもう過ぎ去ったこと、遠い昔のことにしたい者たちはたくさんいる。私は高校演劇という世界で、3.11を語る作品、3.11があったことを踏まえた作品が、これからの若い世代、もしかしたら幼年期にでも重なることのない世代によって選ばれ、演じられ、引き継がれていったらいいと思っている。そして、それに耐え得るような作品がもっと多く書かれればいいと思っている。

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 というわけで、出かけたのは10月3日。正門は文化祭の飾り付けの最中でした。


by yassall | 2019-10-08 19:51 | 高校演劇 | Trackback | Comments(0)
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