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韓国のこと (9) 「徴用工」問題⑤ 「損害賠償請求権」の正否(下)

(承前)
 以下に私見を述べる。
 過去の植民地支配という歴史問題を棚上げして日韓条約および請求権協定を締結してしまったことに問題のすべてがあったと考える。
 「韓国のこと」(6)日韓条約締結の背景の補足になるが、朴正煕はクーデター翌年の1962年にアメリカの支持を取り付けるために訪米し、ケネディ大統領と会談している。その往路には日本に立ち寄り、池田勇人首相と会談している。逆にいうと訪米・訪日を受け入れたアメリカと日本は前年のクーデターによる政権奪取を認めていたことになる。1951年以来滞ってきた日韓条約締結に向けての動きが一気に早まったのはなぜなのか? まだまだ歴史の暗闇に隠されたことがらあるのではないかと私は疑っている。いずれにしても日本側が過去の植民地支配の不当性を認め、謝罪し、必要な補償や賠償をすすんでするように態度を急変させたとは思われない。
 1987年以降の民主化の過程で、韓国側では日韓条約・請求権協定の見直しがすすんだが、日本側ではむしろ歴史修正主義の台頭によって態度を硬化させている。1993年に「河野談話」が出されたりするが、その直後から否定的な言動が政権の中枢から発せられたりした。
 経済成長をとげた韓国はすでに安定期にあるようにみえる。かつて世界第2位の経済力といわれた日本は停滞期にさしかかっているようだ。平穏で良好にみえる日韓関係の中で、物的な貿易だけでなく、人的・文化的な交流も盛んである。しかし、ひとたび歴史問題に火がつくと、ここまで収拾のつかないことになる理由について、私たちは思いを回らさなければならない。
 2009年9月、ドイツのメルケル首相はポーランドで開催された第2次世界大戦開戦70周年式典に招かれ、「ドイツの首相として、ドイツ占領軍の犯罪の下で言い尽くせない苦しみを味わったすべてのポーランド国民のことを忘れません。」とのスピーチを述べた。今年2019年9月1日にもポーランドでは80周年式典が開かれ、シュタインマイヤー独大統領がポーランド語で「過去の罪の許しを請う。われわれドイツ人がポーランドに与えた傷は忘れない」と述べて謝罪したという。
 今年、ポーランド議会特別委員会はドイツによる侵略でポーランド経済は8500億ドル(約90兆円)余りの損失を被ったとの暫定調査報告を公表した。モラウィエツキ首相は式典で、「われわれは犠牲者を忘れてはならないし、補償を要求しなければならない」と明言したともいう。
 ドイツは全ての賠償請求権は過去に解決済みだと主張しているというが、今後どのように進展していくことだろうか。ポーランド人の心の中で、被害者は自分たちで、加害者はドイツ人だという思いは残り続けているという。賠償請求権は解決済みだとするドイツはそうした中でも謝罪を続けている。
 韓国人・朝鮮人の心の中でも同じような思いは残り続けきたし、これからも残り続けていくのではないだろうか。そのことを忘れて、あるいは理解しようとしないで、いくら「未来志向」を訴えたところで同じことが繰り返されるばかりだろう。
 日本政府の中枢にある人や、TVに登場するコメンテーターの中には「静観(韓)していればいい」とか「冷静な無私」とかを称える人々がいる。おそらくは韓国で政権が変われば風向きも変わってくると高をくくっているのだろう。貿易問題で締め上げていけば、いずれ韓国内で政権が崩壊してしまうだろうと狙いを定めているのかも知れない。
 だが、少なくとも国民の間でこうした歴史問題に対する認識が消滅してしまうことはないだろうと私は考えている。むしろ、今回の「徴用工」判決を機会として、これに向き合い、対話を重ねていこうとする姿勢を持つことこそ、問題の根本的解決になると考える。それも、文在寅大統領の在任期間中こそが逃してはならない好機であると思うのである。それは、次のように語る文大統領には、そして自国の経済成長に一定の自信を深めた韓国には、かつてのような裏に回っての駆け引きがないと見られるからだ。

 「朝鮮半島平和のために日本との協力も強化します。「己未独立宣言書」は三・一独立運動が排他的感情ではなく全人類の共存共生のためのものであり、東洋平和と世界平和に向かう道であることを明確に宣言しました。「果敢に長年の過ちを正し、真の理解と共感を基に仲の良い新たな世界を開くことが互いに災いを避け、幸福になる近道である」ことを明らかにしました。今日も有効なわれわれの精神です。
 過去は変えられませんが、未来は変えることができます。歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代がわれわれに近付くでしょう。力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるでしょう。」 (2019年「3.1独立運動100周年記念式典」における文大統領の演説から)


 個人請求権については、大法院判決の反対意見にあった「日本政府が自国の国民に対する補償義務を回避するため」と見透かされたように、当面の責任を回避するための姑息な言い逃れだったのかも知れない。だが、真に個人の人権を保護しようという、新たな理念として捉え直したとすれば人類にとっての偉大な前進といえる。
 このままでは日本側も韓国側も引くに引けないガマン比べが続くだけだ。実のところ、「徴用工」訴訟が日本国内で行われているうちに、せめて西松建設と同様の和解がなされればよかったのにと思う。このときも軍事的に侵略した中国で起こった強制連行と、「併合」下の韓国で起こった「徴用」とは異なるというような理屈でせっかくの機会を失ってしまった。
 20世紀後半は植民地支配を受けていた国や地域が解放されていく時代であった。しかし、政治的経済的基盤が乏しいため、その後の歩みは必ずしも順調ではない国々も多い。21世紀は前世紀までの植民地支配の代償が突きつけられている時代であるように思う。しかも、どこに矛盾が吹き出してくるか分からない複雑さである。泥沼から抜け出せないかの紛争地と比較すれば解決の糸口は必ず見つかるのではないか。
 決して容易ではないだろうが、まずは「徴用工」判決が投げかけるもの、損害賠償請求が問いかけるものを真摯に受け止めること、相手側から指摘されるのを待つのではなく、自ら過去の歴史を捉え直していくことが必要なのではないか。

[補足1]
 元外交官の浅井基文氏(大阪経法大学客員教授)のブログ『21世紀の日本と国際社会』に掲載された「日韓関係を中心とした朝鮮半島情勢」(2019.8.25)はたいへん興味深いものであった。内容は次回に紹介したいと思うが、「徴用工」問題に関連した箇所だけを下記に引用させてもらう。

 日本政府の主張は1965年当時国際的に広く共有され、通用していた、しかしその後、国連憲章(人権関連条項)、世界人権宣言(正確に言えば法的効力はない)、国際人権規約をはじめとする国際人道法が国際的に承認されるに至って、日本政府の主張はもはや法的正当性を主張できなくなった、ということであります。
 すなわち、1960年代までの状況と21世紀の今日の状況を法的に根本的に分かつものは、第二次大戦後に普遍的価値として確立した個人の尊厳・基本的人権が、国際法上の法的権利としても確立したことです。特に、1967年に発効した国際人権規約(日本加盟:1978年。韓国加盟:1990年)は、国家による人権侵害に対して「効果的な救済措置を受けることを確保」することを定めました。

 植民地支配の責任を認め、補償を行ったケースとしては、2008年8月31日にイタリア(ベルルスコーニ首相)とリビア(カダフィ最高指導者)との間で締結された友好協力条約、いわゆる「ベンガジ条約」が重要です。イタリアはこの条約で、過去の植民地支配について謝罪するとともに、補償としてリビアのインフラ整備に50億ドルを投資することを約束しました。カダフィ政権が崩壊したために条約は中断されましたが、2008年7月8日に、国連が支援するリビア暫定政府のシアラ外相とイタリアのミラネシ外相との間で条約を復活することが合意されました。

 そして、宇都宮賢健児氏も紹介していたドイツ政府と企業による「記憶・責任・未来」基金を事例にあげながら次のように指摘している。

 安倍政権は徴用工、「従軍慰安婦」などの「請求権問題は日韓請求権協定ですべて解決済み」という主張にしがみついています。しかし、以上の国際的事例が明らかにしているのは、人権問題に関しては法律上の「不遡及原則」の適用は認められないということです。

[補足2]
知人のFacebookで紹介されていたり、自分でも検索したりしているうちに、参考になりそうな何冊かの本が見つかった。早速注文した。これから発売される本が含まれているためか、届くのは10月下旬になってしまうようだ。本が届いて、これまで書いてきたことに間違いが発見されたり、新たな見地があったときはまた紹介する。

山本晴太『徴用工裁判と日韓請求権協定: 韓国大法院判決を読み解く』現代人文社
『週刊金曜日』 2019年9/6号
吉岡吉典『日韓基本条約が置き去りにしたもの: 植民地責任と真の友好』大月書店
戸塚悦朗『「徴用工問題」とは何か――韓国大法院判決が問うもの』明石書店

[蛇足的な補足]
 いまだに「徴用工」らは厚遇されていた、決して奴隷的に扱われたりはしていなかった、などとする言説が流布されている。現代の日本で外国人労働者とりわけ技能実習生がどのように扱われているかをみれば、それらがまったくの妄言であることが知れるというものである。戦前社会では日本人でさえ、いわゆるタコ部屋に入れられるような労務者の労働環境は劣悪だった。募集によるものか、斡旋によるものか、徴用によるものかを問わず、劣悪な労働環境で、貯金等の名目で賃金も支払われず、「半島出身者」として差別的な扱いを受けたことは、残された多くの証言を挙げるまでもなく明らかだといわざるを得ない。
 韓国で出版された『反種族主義』という書物の著者がTVのインタビューで2種類の写真を示しながら、これまで教科書に掲載されてきた韓国人労働者の写真は実は日本人で、こちらが本当に韓国人労働者を写した写真だと得意げに説明していた。前半の日本人の写真が韓国人だと誤って掲載されてきた、というのはあり得ないことではないと思う。だが、それらに比較して体格も立派で、きちんとした装備を身につけ、笑顔で写っている写真の方が、日本に渡ってきた韓国人の真実の姿だというのには疑念をいだかざるを得ない。『反種族主義』は日本での出版がすすめられているというから、書店に並ぶことがあったら出典だけでも確かめようと思っているが、せいぜいが新聞募集か官斡旋のためのモデル写真というところではないのか。


by yassall | 2019-10-02 16:32 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
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