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韓国のこと (5) 「徴用工」問題③ 請求権協定後の韓国の措置

 大法院判決以降、韓国に対する非難として次のようなことが盛んに言われる。1965年の請求権協定で受け取ることになった5億ドルのうち、無償3億ドルは元「徴用工」らに対する補償も含まれていた。それなのに韓国はすべて経済復興に充ててしまった。(なのに今になって補償金を請求するのはけしからん。)

 それは二重の意味で誤りであると考える。(未払い賃金といった供託金に関する「補償」と精神的・肉体的被害に対する「賠償」の違いについては後に取り上げる。)
 まず、前回触れたように日韓請求権協定の第1条には「日本国が大韓民国に経済協力(無償供与及び低利貸付け)する。」とあり、第1項には「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」とあることに注意を払いたい。日韓条約・日韓請求権協定の目的は「経済協力」にあるのであり、「経済の発展」のためというのが第一義なのである。韓国側としては、朝鮮戦争後の荒廃から立ち直るために最優先の課題であったことも大きい。
 なお、ここで述べておけば3億ドルは一度に現金で支払われたのではなく、「日本国の生産物」および「日本人の役務」(第1条「三億合衆国ドル(300,000,000ドル)に等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務」)によって10年をかけて支払うとされた。具体的には日本車が各部署に配分されたり、年次計画で発電所や製鉄所が日本からの資材や技術者によって作られたりしたのである。
 つぎに、韓国政府は元「徴用工」らにまったく補償の手を差しのべようとしなかったのかといえば、そうではなかったのである。
 その間の経過は大法院判決に詳しいので、以下に引用する。(日本語訳は(3)で紹介した「澤藤統一郎の憲法日記」による。)

1. 基本的事実関係のオ.請求権協定締結による両国の措置
(1)請求権協定は、1965.8.14.大韓民国国会で批准同意され、1965.11.12.日本衆議院及び1965.12.11.日本参議院で批准同意された後、まもなく両国で公布され、両国が 1965.12.18.批准書を交換することで発效した。
(2)大韓民国は、請求権協定によって支給される資金を使うための基本的事項を定めるために1966.2.19.「請求権資金の運用及び管理に関する法律」(以下「請求権資金法」という)を制定し、続いて補償対象になる対日民間請求権の正確な証拠と資料を収集するために必要な事項を規定するため、1971.1.19.「対日民間請求権申告に関する法律」(以下「請求権申告法」という)を制定した。ところで請求権申告法で強制動員関連被害者の請求権に関しては「日本国によって軍人・軍属または労務者として召集または徴用され、1945.8.15.以前に死亡した者」のみを申告対象として限定した。以後、大韓民国は請求権申告法によって国民から対日請求権申告を受け付けた後、実際補償を執行するために1974.12.21.「対日民間請求権補償に関する法律」(以下「請求権補償法」という)を制定し、1977.6.30.まで総83、519件に対して総 91億 8、769万3、000ウォンの補償金(無償提供された請求権資金3億ドルの約 9.7%にあたる)を支給したが、そのうち被徴用死亡者に対する請求権補償金として総8、552件に対して1人当り30万ウォンずつ総25億6、560万ウォンを支給した。

カ.大韓民国の追加措置
(1) 大韓民国は2004.3.5.日帝強占下強制動員被害の真相を糾明し、歴史の真実を明らかにすることを目的に「日帝強占下強制動員被害真相究明などに関する特別法」(以下「真相究明法」という)を制定した。上記法律とその施行令により「日帝強占下強制動員被害」に対する調査が全面的に実施された。
(2) 大韓民国は、2005年1月頃、請求権協定と関連した一部文書を公開した。その後構成された「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」(以下「民官共同委員会」という)では、2005.8.26.「請求権協定は日本の植民支配賠償を請求するための交渉ではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものであり、日本軍慰安婦問題等、日本政府と軍隊等日本国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては、請求権協定で解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っており、サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定の対象に含まれなかった」という趣旨の公式意見を表明したが、上記公式意見には下記の内容が含まれている。
〇韓日交渉当時、韓国政府は日本政府が強制動員の法的賠償、補償を認定しなかったことにより、『苦痛を受けた歴史的被害事実』に基づき政治的補償を求め、このような要求が両国間無償資金算定に反映されたと見なければならない。
〇請求権協定を通して日本から受けた無償3億ドルは、個人財産権(保険、預金等)、朝鮮総督府の対日債権等、韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案されたと見なければならない。
〇請求権協定は、請求権の各項目別金額決定ではなく、政治交渉を通じて総額決定方式で妥結されたため、各項目別受領金額を推定するのは難しいが、政府は受領した無償資金のうち相当金額を強制動員被害者の救済に使用しなければならない道義的責任があると判断できる。
〇しかし、75年、我が政府の補償当時、強制動員負傷者を保護対象から除外する等、道義的次元から見た時、被害者補償が不十分であったと見る側面がある。
(3) 大韓民国は2006.3.9.請求権補償法に基づいた強制動員被害者に対する補償が不十分であることを認めて追加補償方針を明らかにした後、2007.12.10.「太平洋戦争戦後国外強制動員犠牲者等支援に関する法律」(以下「2007年犠牲者支援法」という)を制定した。上記法律とその施行令は、①1938.4.1.から1945.8.15.間に日帝によって軍人・軍務員・労務者などで国外に強制動員され、その期間中または国内に帰って来る過程で死亡したり行方不明となった「強制動員犠牲者」の場合、1人当り2、000万ウォンの慰労金を遺族に支給し、②国外に強制動員されて負傷により障害を負った「強制動員犠牲者」の場合、1人当り 2、000万ウォン以下の範囲内で障害の程度を考慮して大統領令で定める金額を慰労金として支給し、③強制動員犠牲者のうち生存者または上記期間中国外で強制動員されてから国内に帰って来た者の中で強制動員犠牲者にあたらない「強制動員生還者」のうち生存者が治療や補助装具使用が必要な場合に、その費用の一部として年間医療支援金80万ウォンを支給し、④上記期間中で国外に強制動員され労務提供などをした対価として日本国または日本企業などから支給を受けることができたであろう給料などを支払ってもらえなかった「未収金被害者」またはその遺族に未収金被害者が支給を受けることができたであろう未収金を当時の日本通貨1円に対して大韓民国通貨 2、000ウォンに換算して未収金支援金を支給するよう規定した。
(4) 一方、真相糾明法と2007年犠牲者支援法が廃止される代わりに2010.3.22.から制定され施行されている「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援に関する特別法」(以下「2010年犠牲者支援法」という)はサハリン地域強制動員被害者等を補償対象に追加して規定している。

 上記から、実際の支給は1974年の請求権補償法の制定以降であり、当初、対象者は被徴用死亡者に限定されるという不十分なものであったが、1977年までに83、519件に対して 91億 8769万3000ウォンの補償金が支給されている。それは無償3億ドルの約9.7%にあたる。約10%という割合の評価はともかく、すべてを経済インフラに流用してしまったという非難はあたらない。
 さらに追加措置として、2007年には犠牲者支援法を制定し、「強制動員犠牲者」には2000万ウォンの慰労金を遺族に、強制動員により障害を負った「強制動員犠牲者」には2000万ウォン以下の慰労金を、生存者のうち強制動員犠牲者にあたらない「強制動員生還者」には年間医療支援金80万ウォンを支給した。そして強制動員されながら給料などが支払われなかった「未収金被害者」またはその遺族に、未収金を当時の日本通貨1円に対して2000ウォンに換算して未収金支援金を支給するとした。

 これらの「慰労金」「支援金」が韓国政府によって支払われたということは、韓国政府が無償3億ドルの中に強制動員犠牲者(元「徴用工」)に対する補償が含まれていたこと、追加的な措置についても韓国政府が責任を負うという認識であったことを示しているといってよいだろう。
 この間のことについて、判決文では次のように説明している。

〇韓日交渉当時、韓国政府は日本政府が強制動員の法的賠償、補償を認定しなかったことにより、『苦痛を受けた歴史的被害事実』に基づき政治的補償を求め、このような要求が両国間無償資金算定に反映されたと見なければならない。
〇請求権協定を通して日本から受けた無償3億ドルは、個人財産権(保険、預金等)、朝鮮総督府の対日債権等、韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案されたと見なければならない。

 日韓条約締結にいたる日韓会談で、韓国政府は「『苦痛を受けた歴史的被害事実』に基づき政治的補償」を求めたが、日本政府は「法的賠償、補償」を認定しなかったというのは、具体的には1960-1年の第5次日韓会談をみていかなくてはならない。韓国側は「強制徴用で被害を受けた個人に対する補償」を要求したのに対し、日本側は具体的な徴用・徴兵の人数や証拠資料を要求したり、国交の回復後に個別的に解決する方法を提示するなど、要求にそのまま応じることができないという立場を表明した。会談は1961年5月16日の.軍事クーデターによって協議が中断され、実質的な妥協を行うことはできなかった。
 1961年10月から開始された第6次会談で、請求権の細部をつめていくと時間がかかり、解決が長引くとの判断から政治的な妥協がはかられ、有償と無償の経済協力の形式をとり、その代わりに請求権を放棄しようという提案が日本側からなされた。韓国側は数回の譲歩の結果、純弁済と無相照支払いの名目としつつ、金額を区分せず、総額を表示するという方法を提案し、後に合意された。
 これらの経過から、強制徴用被害に対する交渉があったという事実により、「両国間無償資金算定に反映されたと見なければならない」としたのである。

 日韓請求権協定によって元「徴用工」被害者個人の請求権は消滅したとの見解に変化が生じてきたのは、日本政府が外交保護権放棄説に立っていることが知られるようになって来たことによる。既出の柳井答弁が1991年、元徴用工4人が大阪地裁に新日鉄住金に対する訴訟を起こしたのが1997年である。2000年には、請求権協定で放棄されたのは外交保護権であり、個人の請求権は消滅していないとの趣旨の外交通商部長官答弁が行われた。韓国政府の公式見解となったわけである。

 さらに2005年、日韓請求権協定と関連した一部文書が公開され、その後構成された「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」(「民官共同委員会」)は、「請求権協定は日本の植民支配賠償を請求するための交渉ではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものであり、日本軍慰安婦問題等、日本政府と軍隊等日本国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては、請求権協定で解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っており、サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定の対象に含まれなかった」とした。
 そして2012年、大法院判決は「反人道的不法行為や植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権」は日韓請求権協定の適用対象ではなく、強制動員労働者の問題も日韓請求権協定で解決していないとしたのである。

 要約すると、外交的保護権に対する「個人請求権」と「反人道的不法行為」に対する「損害賠償請求権」の有無と正当性が問題の焦点となる。



by yassall | 2019-09-22 01:00 | 雑感 | Comments(0)
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