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韓国のこと (2)  韓国の「反日」

 最初に本を一冊紹介しておきたい。

  池畑修平『韓国 内なる分断』平凡社新書(2019)

 著者の池畑修平は1969年生まれのNHK職員。ジュネーブ支局長、中国総局、ソウル支局長を経て、現在BS1「国際報道2019」のキャスターを務めている。題名にある「内なる分断」とは、朝鮮半島が南北に分断されているだけでなく、韓国内に保守派と進歩派という「南南葛藤」が存在していることを指しており、その対立がいかに深刻であるかを解明している。
 文在寅政権の発足以来、「積弊清算」がスローガンになっているが、それは国家情報院(旧KCIA)が国内政治に介入できないようにするなど、保守派が作り上げてきた抑圧体制の変革をめざしたものである。「親日残滓の清算」というような言葉が飛び出してくると、我々日本人はびっくりさせられるが、もともとは戦前にあって日本の植民地支配に協力し、戦後も権力の座にあり続けた勢力に対する批判であり、直接日本に敵対しようということではない。
 「南南葛藤」には朝鮮戦争、李承晩政権を倒した4月革命、その4月革命を挫折させた朴正煕軍事独裁政権、朴正煕暗殺後のつかの間の「ソウルの春」、全斗煥による軍事クーデターと光州事件、全斗煥に大統領の直接選挙制を迫り、これを実現させた民主化闘争などの歴史的背景がある。その間には多くの血も流された。解きほぐしていくのは容易ではない。
 1987年の憲法改正によって韓国の大統領は1期5年で再選を禁じられている。再選を禁じたのは李承晩、朴正煕、全斗煥らのような独裁政権化を防ぐためである。池畑は「帝王的大統領」ともいうべき権限の強大さとその儚さという問題にもふれている。
 保守派、民主派のどちらかに肩入れするというのではなく、それぞれの問題点を比較的公平に解説している。いわゆる嫌韓本ばかりが書店に並べられている現状では現代韓国の実情を知る上で良書であると思われる。私個人は民主派支持であることに変わることはないが、バイアスがかかりすぎるのをたしなめてくれるように思う。報道機関の人らしく、その時々に起こった事件なども的確にフォローされている。これからものを考えて行くにあたってのベースにしてよさそうである。
   ※
 さて、今回書こうと思っているのは「反日」ということである。たとえば「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で問題となった「平和の少女像」は「反日」的であるとされた。その「反日」とはどういうことなのか?
   ※
 記憶に残る中で「反日」という言葉が使われた事例には、1970年代にさかんに爆弾闘争を行った「東アジア反日武装戦線」と、1987年に朝日新聞阪神支局襲撃事件から始まる一連のテロ事件を引き起こした「赤報隊」とがある。「赤報隊」はその犯行声明で自分は「日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊」であるとした。
 両者の思想的傾向は真逆ともいうべきで、攻撃の対象も「東アジア反日武装戦線」は高度経済成長期を迎え、再びアジアに対する経済進出を始めようとしていた「日本」に、「赤報隊」は日本国内にあって政権に批判的なマスコミや革新勢力に対して向けられた。「赤報隊」のいう「反日」は戦前の「非国民」やら「国賊」というのに近いようである。いずれもきわめて暴力的で、殺人をも抵抗なく実行する、問答無用ともいうべき行動主義に染められている。「反日」とは本来それほどに強烈な言葉であった。(「反米」や「反共」といった言い方も全否定というニュアンスが強いようである。)
 韓国=「反日」というとき、それは韓国が日本に敵対しようとしているという意味であるのか、そしてそれは「反日」という言葉で呼ぶことは適切であるのか? それとも自国に対する一切の批判を許さず、「反日」というレッテルを貼り付けることで、暴力をもってしても排撃しようという意志の現れであるのか?
 後者についていえることは「表現の不自由展・その後」を中止に追い込んだ電話やメール、街宣車を持ち込んだ右翼の言動、会場に入り込んで少女像の頭に袋をかぶせ、大声で騒ぎ出した男たちは一般市民たちにも恐怖感を与えるような暴力性があからさまであることだ。
 では、前者はどうか? ことあるごとに韓国では「反日教育」が行われているとの批判がなされる。私は韓国でどのような教科書が使われているかは知らない。しかし、韓国で自国の歴史を教えようとするとき、日本の植民地支配や独立運動のあったこと、その独立運動が激しく弾圧されたことを必須とするのは当然ではないだろうか? それとも日本はロシアの侵略から国を守ってくれたとか、近代化を進めてくれたとか(※)、「創氏改名」によって日本の名前まで名乗らせてくれたとか、日本の神社を作り参拝することを許してくれた、とでも教えて欲しいのか? 「独立運動」などというのは非国民の行いで弾圧されて当然だったとでも教科書に書いてもらいたいのか?
 (※「日本は朝鮮の近代化に貢献した」というのは保守・右派の常套語である。では日本の敗北によって植民地支配から解放されたとき、朝鮮の人々は悲しんだり、感謝を述べたりしたのだろうか? 8.15を韓国では光復節と呼んで祝うのである。)
 以前、日中関係が極端に悪化した一時期があった。そのとき、インタビューに答えた中国の国民が「日本はもう一度中国に攻めてくるのか?」と真顔で不安がっていたいうことがあった。侵略を受けた国民の記憶とはそういうものであると思い知ったことがある。
 過去は変えることも出来なければ、なかったことにすることも出来ない。植民地支配を受けた朝鮮半島の人々の間には、今も消え去ることのない記憶の傷跡が残されていることを忘れてはならないし、「親日」であって欲しいとか、友好関係を結ぼうというならそのことの理解に立たなければならないと思うのである。
 ましてや韓国では解放後も朝鮮戦争やその後長く続いた軍事独裁政権による苦難の歴史、そしてそれを乗り越えてきた歴史を持つのである。韓国で起こっている出来事、議論されていることがらを、そのこと抜きに断定してはならないと思うのである。

[補足]
「一橋大准教授権容奭氏 韓国で流行「サンキュー安倍」の意」日刊ゲンダイ2019.9.9より

元徴用工判決をめぐり、日本では文大統領が仕組み、大法院(最高裁)の判事入れ替えによって恣意的な判決が導き出されたかのように伝えられていますが、それは見当違いの批判です。大法院長(最高裁長官)の任命は大統領の権限で、司法のトップを代えることで政権交代が可視化される一面もある。前政権と司法の癒着が明るみに出たことからも、判事交代は自然な流れでした。

――韓国では日本製品の不買運動や「ノー安倍デモ」が展開されています。

「サンキュー安倍」というフレーズもはやっています。韓国と敵対してくれてありがとう、経済的にも技術的にも日本に従属している現実に気づかせてくれてありがとう、日本の本音を教えてくれてありがとう、といったニュアンスです。本音というのは、日本は歴史問題を直視せず、植民地支配を反省せず、韓国に対しては上から目線だということですね。

 ――「ノー安倍」より強烈です。

「サンキュー安倍」には日韓対立によって、親日派が浮き彫りになったという意味も込められています。いま広がっているのは「反日」というより、「反親日派」なんです。韓国における「親日派」はいわゆる「親日」ではなく、戦前の日本統治に協力し、民族の独立を妨害して私腹を肥やした人を指します。解放後も権力層を形成し、政界、軍部、財界、学会、メディアなどを牛耳り、親米反共国家をつくって分断体制と開発独裁を支えてきた。彼らは日本と妥協し、今なお既得権益層を形成しているとみられています。文大統領が掲げる「積弊清算」は「親日派」による支配構造を変えようとするもので、「反日」ではありません。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/261400


by yassall | 2019-09-13 15:34 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
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