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川越スカラ座で「主戦場」、そして「平和の少女像」のこと

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 川越スカラ座で映画「主戦場」が上映中であることを知らせてくれたのはHさんである。機会があったら見たいと思っていた。最終日の23日に出かけて来た。
 「主戦場」は日系アメリカ人のミキ・デザキの監督デビュー作である。慰安婦問題をとりあげ、立場を異にする学者や評論家、活動家に対するインタビューによって構成されている。ディべード形式とでもいうことになるのだろうか、「両論併記」が目的ではなく、デザキも「両方の主張のどちらがより筋が通っているかを比較すべき」と語っているという(Webサイト「リテラ」)。
 私が映画を知ったのは、インタビューに応じた人々のうち櫻井よし子、ケント・ギルバード、トニー・マラーノ、加瀬英明、山本優美子、藤岡信勝、藤木俊一の7名が「商業映画に出演することは承知していない」などとして抗議声明を発表したこと(ミキ・デザキは6月3日の記者会見で「出演者全員と交わした合意書で、一般公開の可能性を伝えていた」と反論した)、その後6月19日、櫻井と加瀬をのぞいた5名が上映差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こしたというニュースを聞いたときである。
 テキサス親父との異名を持つトニー・マラーノ(藤木俊一はそのマネージャー)のことはこの映画で初めて知ったが、その他の人物たちはいずれも「高名な」右派の論客たちであり、その主張するところは十分心得ているつもりであった。したがってこの時点ではそれほど映画を見たいとは思わないでいた。
    ※
 見よう、という気になったのは現在も開催中の「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことからである。この問題については以前にも書いた(「『表現の不自由展』の中止について思う」8月4日)。
 繰り返しになるが、わけても「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫FAXには、直近に起こった「京アニ事件」を連想させようという、ゆがんだ、人外ともいうべき悪意と暗い憎悪がみえた。
 その背景には政治家たちの動向があった。河村名古屋市長は同実行委員会の会長代行でありながら、「平和の少女像」が「どう考えても日本国民の心を踏みにじるものだ。税金を使ってやるべきものではない」とし、「展示を即刻中止するよう大村秀章・愛知県知事に申し入れる」とした。
 会長代行という責任をどうとらえているのか、という問題もさることながら、ここまででも二つの大きな誤りを犯している。「どう考えても日本国民の心を踏みにじるもの」というのはつまるところ個人的な感想に過ぎない。展示された作品に何を感じるかは鑑賞者の問題であり、企画自体がそれを問うものだった。「税金を使って」云々は論理が逆さまだ。「税金」を使った公的な催しであるからこそ「表現の自由」は最大限に守られなければならない。大村知事の指摘を待つまでもなく、河村市長の発言は憲法21条に違反しているし、「文化芸術に関する活動を行う者(文化芸術活動を行う団体を含む。)の自主的な活動の促進」をうたった文化芸術基本法の精神にも抵触している。

 しばらく時をおいて、河村市長をそそのかしたのは松井大阪市長であったことが報じられた。その松井市長の発言は、「慰安婦問題というのは完全なデマ」であり、「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」という驚くべきものだった。
 「朝日新聞も誤報であったことを認めている」などとも発言したとのことだから、いわゆる「吉田証言」が虚偽であったことが判明したことで「狩り出し」という意味での強制性(を示す証拠)はなかった、という意味だとでも言い逃れするのだろうが、「事実ではないデマ」と言い切っているのだから「慰安婦問題」そのものが存在しないという印象を与えることを意図していることは確かだろう。これが国会に一定数の議席を持つ公党の代表の言説だと思うと暗澹とした気持ちになる。

 さて、怒りを通りこして危機意識すら感じざるを得ないのは、この事件をめぐってのマスコミの報道の仕方である。
 とくに昼の時間帯のワイドショーがひどい。TBSの『ひるおび』では八代英輝弁護士が、「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。」と切り捨てている。まるでテロまがいの脅迫ですら当然とでも思っているのだろうか?
 立川志らくまで、「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。」などとして平然としている。落語家であれば一個の表現者としての自負があることだろう。「表現の自由」は表現者の命であるとは考えないのであろうか?

 日本国憲法は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障するとしている。そこでは芸術活動としての「表現」であるのか、政治活動としての「表現」であるのかは区別されない。誤解がないように最初にそのことを断っておけば、今回「平和の少女像」はトリエンナーレという国際美術展覧会という場で展示されたのであり、批判者・反対者はそれを政治活動としてとらえたところにも異様さがある。
 2011年に「日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜集会」千回を記念して「平和の少女像」は作られた。その後、世界各地に建立されていったのは抗議活動・支援活動の拡がりと共にあったのだから、確かに広い意味での政治活動と一体であったとは言えるだろう。だが、そうした運動とはいったん切り離し、作品を美術展覧会という場に置くことによって、もっと冷静に、客観的に対象化することが可能だったではないのだろうか? 作品の美術的価値を論評するのでもなく、作品が発するメッセージに賛否を表明するのでもなく、頭から「反日」行為であると決めつけ、展示すること自体を否定することによってその可能性を潰してしまったのではないだろうか? 主催者は「平和の少女像」の前で集会を開こうとしたわけでもなく、呼びかけたわけでもない。鑑賞の機会を与えようとしただけなのである。

 作者はキム・ウンソン、キム・ソギョン夫妻である。大学の彫塑科の同期生で卒業以来共同制作を続けてきたという。2017年、済州島に建立された「最後の子守歌」はベトナム戦争に参戦した韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰霊する銅像であるが、作者はこの二人の彫刻家である。
 なお、日本政府は「慰安婦像」という呼称を採用したが、韓国では「平和の少女像」と呼ばれている。碑文には「平和の碑」とあるそうだ。二人の彫刻家の視線の在処がうかがえる気がする。
 これまで目にしてきたのはブロンズ像だが、今回展示されたのは繊維強化プラスチックにアクリル絵の具で彩色したものであるという。画像でしか見ていないが、ブロンズ像とはずいぶん違う印象を受けた。少女が待っているのは「日本政府の反省と悔い改め、法的賠償」であるという。だが、そうした日本政府への抗議だけを込めたのではなく、肩にとまっている小鳥は平和と自由の象徴であり、少し浮いた踵は「彼女たちを放置した韓国政府の無責任さ、韓国社会の偏見」を問うているのだという。単に「反日」のシンボルというには表現の厚みが異なるようだ。名古屋まで行くことはなかったが、もし関東近辺で開催されていたら私も見に行こうとしただろう。
(参考:チョン・ヨンファン明治学院大教授「アートしての少女像」東京新聞2019.8.7、「制作の彫刻家キム・ソギョンさんキム・ウンソンさん語る」赤旗2019.8.28)

 映画「主戦場」の話にもどる。日本社会における「慰安婦問題」の存在すら否定しようという言説の横行や、ネット世界のみならず、マスコミや出版界で高まる嫌韓ムードに対して何らかのカウンターが必要だと思ったし、それが日系とはいえアメリカ人によって為されていることに若干の不甲斐なさを感じつつも、まずはどの程度のものか見てみようと思ったのである。
 ミキ・デザキという人物については確かなことは何も知らない。ただ、なかなかユーモアのある人間だと思った。
 藤岡信勝がさかんに「国家というのは謝ってはいけないんです。謝ったらそこで終わりなんです」と力説している。すると続けて1988年、ロナルド・レーガン大統領が「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)に署名し、「連邦議会は国を代表して謝罪する」と宣言し、日系人らと笑顔で握手を交わしている映像が流される、といった具合である。超タカ派として知られたレーガンを取り合わせたところは秀逸である。これでは藤岡が怒るのも無理はないし、さぞしてやられたと臍を噛んだことだろうと想像してしまう。
 杉田水脈も出番が多い。「日本人は子どものころから嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきた)」「嘘は当たり前っていう社会と、嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会とのギャップだというふうに私は思っています」という珍説が開陳されると、ソウル市内で若者たちに「嘘をつく人と、だまされる人どっちが悪い?」とインタビューする映像が流れる。韓国の若者たちの答えはもちろん「嘘をつく人が悪い」である。
 まあ、このへんはトンデモ発言ながらご愛敬として、杉田が「奴隷と聞いてどんなイメージが思い浮かびますか?」として、慰安婦が「性奴隷」とされることに異議を唱えようとしている。鎖につながれてでもいなければ「奴隷」ではないということなのだろう。「奴隷とは自由意志を奪われていること。本人の意志に反して性行為を強制されたことが性奴隷と定義されたのだ」と反論された。
 核心部分に「報告書のなかに慰安婦関連は皆無だった」とする「IWG報告書」をスクープした米国人ジャーナリストのマイケル・ヨンにまつわる件がある。陰で多額の「調査費」が渡ったらしいが、櫻井よし子も「調査費」を支払った一人であることを認めている。ただ、「詳しいことは話したくない。複雑な問題なので。」とそれ以上の回答を拒んでいる。
 あまりに闇の奥深くを見せつけられると、それはそれで気分が萎えてしまうものだが、もっと知られていいし、上映の機会が増えてよい映画だと思った。

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 映画を見てから1週間が経過してしまった。書かなくてはならないと思うことが多すぎて、頭の中を整理しきれず、ここまでの文章にするのにも難渋してしまった。3時には映画館を出た。時間がもう少し遅ければ誰かに声をかけて酒宴に及んでもよかったのだが、川越の街を散策してそのまま帰路についた。


by yassall | 2019-08-29 18:50 | 日誌 | Trackback | Comments(5)
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Commented by とりけら at 2019-08-30 14:21 x
調べたら23日まででした!残念(゚o゚;; 毎日ニュースを見るたびに嫌な気分になります。川越のスカラ座の過去上映作品を見ていたら、あらら!スカラ座ってこんな映画を上映するの^_^という映画がいっぱいでびっくりでした。ちょっと気に留めておこう!情報ありがとうございました。
Commented by とりけら at 2019-08-30 14:36 x
追伸・調べたら渋谷のシアターイメージフォーラムで、4月からずっとこの映画を上映し続けていました(゚o゚;;
さらに日本鬼子という中国での日本軍の蛮行を綴ったドキュメンタリー映画も上映中です。宮益坂、青山学院近くでした。
Commented by yassall at 2019-08-30 18:13
torikeraさん。いつもコメントありがとうございます。毎日のようにTVで垂れ流されている「嫌韓」ニュースには心底不愉快な思いでいます。かなり良心的な番組でも「文在寅大統領は頭を冷やして」などと一方的です。Facebookには投稿していますが、側近問題に決着がついたらブログでも何か書きたいと思っています。
Commented by haru_ogawa2 at 2019-08-30 19:19
川村市長の発言内容、確かに違憲そのものですね。表現の自由というのは国家からの自由であるということ、国家権力(自治体もその機関)が表現内容について立ち入ってはいけない(例外はあります)ということについて理解していない。間違いないですね。
そして、慰安婦問題はデマではない、日本政府自身が日本軍の関与があったということを認めています。デマなのは吉田証言だけということも事実ですね。
ですから、河村市長は「平和の少女像」の展示を公費に行うことに文句をつけてはいけなかったということは間違いないです。

ただ、物事、そして、ものの意味というのは重層的なので、「平和の少女像」が反日的な「慰安婦像」ではないとは言えません。作者の意図がどうであれ、この少女像が反日的な「慰安婦像」として利用されていることは否定のしようが無いからです。

文在寅大統領の行動については、私ももっと理性的になるべきだと思っています。日本政府による三品目の輸出制限やホワイト国からの除外が、徴用工問題に対しての報復であることは否定の仕様がありません。しかし、徴用工問題はやはり韓国政府が政治的に解決するよう努力すべきだし、経済的報復に対し、安全保障上の報復で応えるというのは、限界を超えていると思います。

ただ、もともと中国の保護化に入る=属国になることを希求していたなら、本願の実現を少し早めただけのことになりますけどね。まあ、日本はアメリカの属国です。そうなることを条件として、サンフランシスコ平和条約を締結して独立を認められたわけです。かつて日本の植民地でありアメリカが占領した韓国も当然アメリカの属国で来たわけですが、ご主人さまを換えるという判断はあっても良いことではあると思います。ただ、そうなると日本の軍事強化は進まざるを得ないでしょうね。

何は、ともあれ、ネトウヨと同調しそれを先導し、歴史を書き換えようとしている極右政治家・評論家・文化人どもには呆れたものです。この人たちにも理性はあるはずですが、それはあくまでも道具的理性。〈ボク、悪いことしてないもーん〉という幼児じみた正当化をなそうという口実づくり、でっち上げのための理性であるとしか思えません。できたら消えてほしいですが、そうは行かないのが残念なところです。
Commented by yassall at 2019-08-31 12:28
haruさん、コメントありがとうございます。ことば足らずだったのか、上手く伝わらなかったのは残念です。①「少女像」が慰安婦を形象したものであり、慰安婦問題での日本批判のシンボルとなっていることは事実です。ただ、その「少女像」を美術展に展示したことを「反日」行為ととらえたことは、現在の日本社会が短絡的思考に陥っている証左ではないか、②「反日」とは何か、日本に対する批判をまるごと「反日」ということばで一括りにしていいのか、文在寅の発言はただただ日本を全否定しているだけなのか、③「徴用工」の問題は本当に1965年の請求権協定で解決されたのか、日韓条約は「徴用工」は不当であったという認識の下に締結されたのか、「慰謝料」の請求は不当なのか? 現在の日本では少数意見なのかも知れませんが、私はそんなことを考えてしまうのです。日韓条約締結時の会議録も日本では一部しか公開されていません。いろいろ確かめなければならないことが多いですが、いつかまとめてみたいと思っています。
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