人気ブログランキング |
<< 歴教協埼玉大会講演「学校をカエ... 平和憲法を守ったロベルト・サモ... >>

コピスみよし2019第18回高校演劇フェスティバル『勝手に名場面集』

  6月16日、コピスみよし2019第18回高校演劇フェスティバルが開催された。6月28日のまとめの実行委員会の報告によれば観客動員も昨年からV字回復を果たしたとのことだ。まずはフェスティバルの成功を喜びたい。
 今年も写真記録係を担当した。各校の許可を得て、今年も「勝手に名場面集」をアップしたい。ただ、諸事情があって時機を大きく外してしまったこともあり、いつもの「やぶにらみ観劇記」の方は簡素になってしまいそうである。
 私が現役としてこのフェスティバルに関わったのが第9回まで。今回が第18回と聞けば本来は感慨もひとしおなのであるが、それらの思いも省くことになる。
      ※                ※                ※
 とはいえ、いつものようにまずはひとくさり。斎藤美奈子が『日本の同時代小説』(岩波新書、2018)で、「小説は「何を(WHAT)いかに(HOW)書くか」が問われるジャンルです。その伝でいくと[HOW(形式)」に力点があるのが純文学、「WHAT(内容)」に力点があるのがエンターテイメント。」と書いている。
 1960年代論から稿を起こした斎藤美奈子としては、「知識人/大衆という階層の解体」の中で「純文学」が通用しなくなった、という文脈の中で語られる箇所なのであるが、ふと演劇でも同じようなことが言えないかと連想が広がったのである。
 もちろん表現者の側からすれば「何を」と「いかに」はどちらに力点を置くかという選択の問題ではなく、二つをどう結合させるかという問題設定になるだろう。それは脚本の段階でもいえるし、演技者・演出家のそれぞれに葛藤やひらめきや創意として表れることになるだろう。
 一方、鑑賞者の側からすると「感動した」や「面白かった」というとき、「何を」に力点を置いていたか、「いかに」に力点を置いていたかの違いは出てくるような気がする。私などはどちらかといえば「何を」の方に重点を置くタイプのように思えるし、おそらくは一般的な観客もそうではないかと考えている。その意味では「いかに」に重点を置いている鑑賞者は、本当の意味での見巧者ということになるのかも知れない。
 ただ、ここが演劇の不思議なところで、あまりにもパターン化された(陳腐な)感情表現や、肉声とならない観念語の羅列や、ちぐはくな身体と科白といったものからはその「何を」は少しも客席に伝わって来ないのである。「何を」に感動しているようにみえて、実は「いかに」に心震わされているというのが観劇の醍醐味かも知れない。 
      ※                ※                ※
 坂戸高校『修学旅行~鬼ヶ島編~』畑澤聖悟・作 県坂演劇部・潤色
c0252688_18562774.jpg
 一昨年に坂戸高校は『修学旅行』正篇を上演している。正篇は高校演劇の傑作であると思う。沖縄修学旅行を題材に、教師側のいわゆる平和教育がどのくらい生徒に届いているか、という問題設定から始まって、一班に割り当てられた部屋の中で高校生たちが繰り広げるドタバを描きながら、実は隣国からの脅威や国境侵犯、エスカレートする対立など、世界で起こっている紛争の有り様がカリカチュアライズされていて、高校生たちもその現実から無関係ではいられないという事実に直面していくという構成になっている。
 しかしながら、この『鬼ヶ島編』には少なからず疑問を感じざるを得なかった。鬼ヶ島といえば桃太郎が出てくる。実際、劇中でも桃太郎が過去に鬼たちを襲撃し、打ち負かしていった回想シーンとして登場する。さらに、青鬼と赤鬼を分断させ、島を支配していったというような歴史が語られる。とすれば桃太郎はここではかつての大日本帝国の象徴、あるいは戦後沖縄を統治したアメリカ帝国主義を象徴しているようにも解釈できる。
 しかし、そのようにして蒔かれた種はちっとも育っていく気配がなく、最後まで回収されずに終わってしまっているようだった。後に残るのは鬼が登場して高校生たちと会話をしたりという虚と実の境界を失ってしまった無秩序感であり、赤鬼と今は亡霊となった青鬼の百年だか千年だかの恋の成就を見せられても伝わって来るものがなかった。
 写真1はその桃太郎の闘争シーンである。桃太郎は台本上でも武器を手にしていないのだろうか? 日本刀なり、あるいは衣装に似つかわしくない近代兵器を持たせた方がその暴力性が表現できたのではないだろうかと思った。写真2はラストシーン。このところ坂戸高校は部員確保に成功し続けており、ともかくも大人数によるパワーは伝わって来る。
c0252688_18564265.jpg

 星野高校『僕らの青春ドキュメント』ユウと愉快な仲間達・作 星野高校演劇部・潤色

c0252688_18571339.jpg
 富山第一高校放送演劇部による2018年度全国大会出演作品。パンフレットによるあらすじ紹介には、「春山高校2年4組の放送部は番組制作に苦戦していた。そんなある日、文化祭のクラス別出し物で演劇をすることが決まった。そこで、その様子を撮り番組を作ることにした。お互いを傷つけながらも成長していく「青春」物語。」とある。
 ストーリーが進行していくといわゆる「スクールカースト」の問題が提示される。総勢25名を舞台にあげたところはいかにも星野高校らしいところだが、そのスクールカーストの存在を表象しているかの縦長の階段上の舞台装置が効果的で生徒達が大人数に埋もれてしまうことなく、それぞれのグループや個人が浮き彫りにされていく。スクールカーストといってもクラス内が分断されているというばかりでなく、実は皆がラインで結ばれているといったところがあり、特定の個人が徹底的に除外されていくといった悲惨からは免れ、現代的であると同時にまたかすかな希望のようなものも提示されている。
 そうしたクラスの実態を番組制作と称してカメラに収めていく突き放した視線の存在が芝居にどう絡んでくるのか、もう一つ理解できなかったが、人物もなかなか魅力的に造形されており、好演だったと思う。
 写真1は期末考査が終わったばかりのところに特別授業の開始を告げられるクラスの全景である。写真2はクラスの出し物の稽古風景。蜘蛛の女王の登場シーンである。
c0252688_18572511.jpg

 東大附属中等教育学校『Alice!~白うさぎのお見合い!?編~』稲葉智己・作 ルイス・キャロル・原作

c0252688_18574539.jpg
 新座柳瀬高校は昨年のコピスで『Alice!~響け、ウエディング・マーチ!編~』を上演した。後述するように、今年は同題名でこのシリーズの総集編というべき作品を持って来た。
 シリーズと書いたが、今回東大附属が上演した『白うさぎのお見合い!?編』は昨年と今年との間をつなぐ作品らしい。私は初見なのだが、どこかで上演したのを顧問のKさんあたりが見ていたのだろう。コピスの観客たちにとっては親切な上演となった。
 幕が開いてみるとKさんがなぜこの台本を選んだのか理解できたような気がした。中高一貫校らしく、高二は一人きりで、他は中二から高一までの混成チームなのである。まだどこかしらあどけなさの残るキャスティングで(こう書くと本人たちは怒るかも知れないが)、きっと子ども達が見たら親近感が湧くだろうという舞台になった。
 とはいえ、演技はしっかりしており、舞台運びのテンポもよかった。衣装などもかわいらしく雰囲気をよく出していたと思う。些末なことのようだが、メイクでうさぎたちに髭を描き込んだのは不要だったのではないだろうか? 顔をしっかり見せた方が伝わる力が強まったと思う。写真1,2とも舞台風景である。
c0252688_18580137.jpg

 東京農大第三高校『ルート67』鹿目由紀・作

c0252688_18585448.jpg
 題名はもちろんアメリカ大陸を横断するかつての国道「ルート66」をもじっているのだろう。「ルート66」は廃線になってしまったが、この「ルート67」も廃線の危機に直面している。何とか廃線を回避できるようにとランナー(ライダー?)たちが国道を疾駆する。
 パンフレットには、「いつからだろう。この世界はこんな風になってしまった。地球温暖化を防ぐため、人間は科学技術を推進させ、人間と車が融合することを発明した。車人間たちが繰り広げる過激なデットヒート。リアルとバーチャルが錯綜するスピーディーなSFファンタジックドラマ。」との作品紹介がある。
 とにかく役者たちがよく動いた。たちどころに後景に飛び去っていくドライブインの看板やら、工事中の看板の付近にいた工事人たちが飛び上がっては消え去っていくありさま、そして様々なパフォーマンスをまじえながらルート67を疾走していくランナーたち。昨年の『バンクバンレッスン』で見知った役者たちも多数認められたが、誰も彼も見違えるように動きもよく表情も生き生きとしていた。
 写真1はルート67を疾駆するランナーたち。それぞれに表情がある。写真2は工事の進行を遅らせようと毎日のようにやってきては徒歩で道路を行きつ戻りつする少女とその少女を見守ろうと、あるいは説得のために集まってきた人々。少女の行為は入院中の妹を激励するためであり、実はルート67の物語はパソコンを使って少女が書き続けている創作であることが判明する。この少女が醸し出す雰囲気には惹かれるものがあった。
c0252688_18590640.jpg
 農大三高だけもう一枚。写真はルート67上でのパフォーマンスの一場面。シャッターは1/80秒でしか切れていないのに全員がよく止まっている。次の動作に移る前に一瞬の静止があるものだが、よほど息が合っているのだろう。プリントした方がきれいな写真になった。今回の私的ベストショットである。
c0252688_18583241.jpg

 川越高校『パンツァー☆ぼぉいず』阿部哲也・作

c0252688_18594539.jpg
 TVアニメ『ガールズ&パンツァー』を下敷きにしているのだという。戦車同士の模擬戦が伝統的な女性向けの武道として競技化され、華道や茶道と並ぶ大和撫子の嗜みとして認知されており、女子高校生たちが全国大会で優勝を目指して奮闘するといったような内容らしい。その戦車道に男子高校生の部があり、全国大会に出場することで落第を免れようとする高校生とその仲間たちを描く。
 その奇抜さとたぶんわざとチープに(しかしある意味で実に精巧に)作られた2台の戦車が見どころの舞台だろう。以前、同じ川越市内の高校に勤めていた身として、これは川越高校ならではの芝居だなと感じていた。
 旧制川越中学校を前身とし、陸軍特別大演習では大本営がおかれ、大正天皇を迎えたというような歴史がある。戦前、天皇から下賜された戦車が倉庫に眠っていた、などという設定は他の新制高校では想像上でもあり得ない。もちろん川越高校でもあり得ないのだが、何となく説得力が生まれてしまう。
 そして何より川越高校水泳部の存在が大きい。それまで女子の競技とされてきたシンクロナイズドスイミング(今はアーティスティックスイミングというらしい)を引退した3年生の水泳部員が文化祭での出し物として披露し大人気となったのである。私は見に行ったことはないが、ともかく年を追うごとに観客が殺到するようになったという噂を聞いていた。その後、映画『ウォーターボーイズ』(2001)のもとにもなった。「ガールズ&パンツァー」で女子の競技とされた戦車道を男子が競うというのとどこか構図が似ているような気がする。
 写真1は川添高校の選手が乗り込む九七式中戦車チハとその運転席。迷彩色が効いている。写真2は中戦車の元乗組員らしい旧日本軍人の霊と対話する男子。軍国主義の復活ではないスポーツとしての戦車道を認知するために登場させたらしい。ポツダム宣言受諾後のソ連軍との戦闘により、オホーツクで戦死したとある。日本の戦車は東南アジアを走り回るのには適していたのかも知れないが、ノモンハンではソ連に、太平洋諸島では米軍に徹底的にやられている。
c0252688_19000119.jpg

 新座柳瀬高校『Alice!~響け、ウエディング・マーチ!編~』稲葉智己・作 ルイス・キャロル・原作

c0252688_19003494.jpg
 東大附属のところで触れたようにシリーズの集大成的な作品であると思われた。白うさぎとアリス、帽子屋とチエシャといったカップルが、それまでのわだかまりを乗り越えて心を通わせていくという大団円を迎える。これまで暴君さながらであった女王は今回は縁結びの役割を果たしている。
 シリーズの集大成というだけなく、これまでの総決算を意識しているようにも思われた。オープニングで紗幕に映し出された回想的シーンなどの作り方にも感じたし、繰り返し使われてきたテディベアによるプレゼント攻勢などにも感じた。
 今年は新入部員が多かったらしく、キャスティングには余裕があったようである。1年生も多数出演させているようなのに、東大附属の「Alice」と比べると大人びた舞台となった。ただ、急ごしらえであったのか、脚本にももう少しひねりが欲しかったような気がするし、演技・演出にも詰めが不足していたように感じた。まあ、最近の多忙ぶりを知っていて書いているのだが。
c0252688_19004795.jpg

 ※今年も使用機材はD750+TAMRON28-300mm


by yassall | 2019-07-17 17:37 | 高校演劇 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://sakurago.exblog.jp/tb/30367002
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 歴教協埼玉大会講演「学校をカエ... 平和憲法を守ったロベルト・サモ... >>