国宝6点が一挙に公開されたことで評判となった。平日であったからか、入場制限がされるほどではなかったが、たいへんな人出だった。ただ、国宝として指定された6点については、その6点だけで1フロアーを割り当てるという、かなり余裕のあるレイアウトになっていたため、ストレスなく鑑賞することが出来た。 縄文1万年は前期・中期・後期によって作風が変化していく。いわゆる火焔型土器あるいは王冠型土器は中期になって作られるようになったらしい。確かに独創的な造形である。ただ、縄文土器の命名の由来となった縄目文様は使われなくなっている。年代を追って出土品を鑑賞していくと、前期の縄目文様の素朴な味わいも美しいと思った。 国宝6点の中では「縄文の女神」の抽象的ともいえそうなデザイン性、「縄文のビーナス」の髪型なのか冠り物なのか、個性的な頭部から下半身にかけてのボリューム感に独創性を感じた。歴史の蓄積の中で、あるとき、ある場所で、突出した才能が出現したことを思わせた。国宝の指定はないが、遮光器土偶でも何点かすぐれたものが展示されていて、この目で見られたことに感謝した。 日本の古代史についての研究はすすんでいて、各集落・各地域はけっして孤立していたのではなく、交流ときには交易がなされていたということだ。ある地域でしか産出しない黒曜石が各地で出土するといったことから分かるらしい。今回の展覧会では、国宝とされた土器が長野、山形、青森、北海道といった東日本に集中していること(発掘の機会がどこでどの程度あったかによるから一概に東西を比較できないが)、ある地域で生まれた様式が他の地域に影響を与え、伝播していく痕跡がみられることなどが興味深かった。 ※ 帰宅すると、奇しくも『東京新聞』夕刊のエッセイ「大波小波」で同展がとりあげられていた。「ビーナス」という命名の背景に西洋中心主義があるという批判は(もっともではあるが)それほど過敏になることもないのでは、と思う(現在の考古学会では批判的だそうだ)。だが、確か「美の競演」というタイトルがつけられたコーナーだったと思うが、縄文土器を中央に配置し、同時代の中国・インダス・エジプトの土器を壁沿いに並べた展示について述べている部分については、私も同じような感想を持った。 装飾的な火焔型土器に比較して、展示された世界各地域の土器は形状に飾り気はなく、彩色が施されていたとしてもすでに色あせてしまっているのか、華やかさはない。しかし、「大波小波」子はこれをもって「日本は先史時代から『クール・ジャパン』であったといいたい」のだとしたら、それは「国家が出自の純粋さと優越性を誇示」しようとする意図とつながるという点で危ういというのである。 火焔型土器については実用目的だったのか、あるいは何らかの宗教的な用途があったのかにつていは諸説があるという。神器とまではいわないとしても、現代においてもまったくの日用品である場合と、冠婚葬祭などの儀礼用に作られる食器には区別がある。このようなコーナーを作る場合には、何と何を比較しようとしているのか、その基準を明確にしなければならない。また、メソポタミアの出土品の解説にあったのだが、すでにロクロの使用が認められるのだという。ロクロを用いることで均質で大量の焼き物の製作が可能となったことだろう。そして、その多くは実用品であっただろう。文明的にどちらが優れているかなどという比較は成り立たない。また、世界各地域では日本より早くから金属器の製作も始まっている。装身具などの製作は土器から離れ、金属器に移っていったということも考えられる。 だからといって、私は縄文土器あるいは縄文文化が価値的に低かったなどということを言おうとしているのではない。むしろ、1万年の長きにわたって外圧から守られ、豊かな自然にも恵まれつつ、営々と独自の文化を育んできた先人たちに思いをはせるとき、人間の営みの理想を見たくもあるのだ。
by yassall
| 2018-08-22 16:26
| 日誌
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Comments(2)
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by
torikera
at 2018-08-22 19:55
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縄文展とても面白かったですね。以前、長野の博物館で縄文のビーナスと仮面の女神を観たときにもそのデザイン性に驚いたのですが、その後埼玉の歴史民俗博物館の展示で県内出土の土偶の存在、ウルシで加工された土器や装飾品にも驚かされました。さいたま市内の博物館にあった人の顏を描いた「アート」な土器にも魅かれたことがありましたが、縄文の文化の奥深さ知りグイグイと引きこまれました。今回の企画展はまさに「縄文大集合」といった感がありお得でしたね。!(^^)!
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yassall at 2018-08-23 15:11
torikeraさんもお出でになったのですね。すでに漆が使われていたことは、私はこの展覧会で初めて知りました。本文にも書きましたが、関山式土器の縄目文様の美しさに惹かれました。口の広い土器は煮炊き用に作られたというのが正解だと思いますが、尻の尖った土器で大柄のものは、蓋をして半分を地中に埋め、酒を発酵させるために使われたのではないか、底が細くなっているのは澱を沈殿させるためではないか、と勝手に想像しています。ヨーロッパに似たような製法がありました。想像していると楽しいです。
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