人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< 「縄文 一万年の美の鼓動」展 沖縄スパイ戦史 >>

ゲッコーパレードの『マクベス』

ゲッコーパレードの『マクベス』_c0252688_18442177.jpg
 ゲッコーパレードの芝居を見るのは久しぶりだ、と蕨駅から加藤家へ向かう道を歩きながら考えていた。だが、記録を調べてみたら昨年の12月以来だから、まだ1年とは空いていないのである。
 (パレードの連中もしだいに活動範囲を広げていて、公演案内をもらっても、というケースが増えてきたのは確かだ。この秋にも山形ビエンナーレ2018に参加したり、10月には早稲田の演劇博物館での上演が決定しているとのことだ。)
 それでも久しぶりだと感じたのは、久しく音信がとだえていた(?)ヨージと連絡がとれ、彼女いわく「まだ細~くゲッコーとつながっています。『マクベス』も応援に入ります」ということなので、それなら無事を確かめながら観劇にのぞむか、というはこびになったのである。
 芝居の作り方としては、ストーリーを追っていくのではなく、原作からいくつかのシーンを抜き出し、ときに改編しながら、さらにはまったく異質のシーンを挿入しながらつなげていくという手法である。4人の出演者がシーンごとに違った役を担うから、一人の役者が全編をつうじて一人の人物を造形していくというのではない。
 科白と人物とを切り離し、ことばをことばとして立ち上がらせていこうとしているのか、とも考えた。シェークスピア劇へのひとつの迫り方だろう。人は単なる通路に過ぎない、ことばこそが先行する、ということもある。途中で観客たちに文章の一部を切れ切れにした紙片を配り、はさみと糊を使って別の文章に再編させる、というようなワークショップを行わせたりする。成功しているかどうかはともかく、実験精神としては伝わってくる。
 そうした作業も民家を会場に、客数を限定してはじめて可能なことである。シーンごとに観客は別室に、ときには2階に案内されたりするのは以前にもあった。つまり、一軒の家屋の全体を演劇空間にしてしまおう、場合によって舞台と客席の境界も取り払ってしまおう、という試みを追究し続けているようにもみえる。
 役者は4人とも達者だった。ダンカンの王子たちがイングランドへ、あるいはアイルランドへと逃避していく場面には年若い王子たちの緊迫感がよく表現されていたし、マクベス夫人のモノローグの場面では底知れない内面が描き出されていた。この場面では照明も生きていた。
 それでも(というよりも、だからこそ)見終わった後に物足りなさを感じたのは、『マクベス』という劇をどう見せたかったのかがもうひとつ伝わって来なかった、ということである。それは、私自身が『マクベス』をどう読み解いたらいいか計りかねているということも大きな要因になっている。
   ※
 マクベスは魔女の予言に翻弄されたのか? 予言はマクベスの内心の声だった、というのには、予言はあまりにも人知の及ばない未来を言い当てている。マクベスが欲したのは何か? 栄光か、権力か? 権力にとりつかれた人間が権力を守るために暴政の限りをつくす。それはマクベスが偽王だからか、王道を外れた者の定めか?
 だいたい、主人公は誰なのか? マクベスか、マクベス夫人か? それともマクベスを打ち倒したマクダフか、あるいはマクダフに支えられて新王となったマルカムなのか? 最後のマルカムが正解だとすれば、権力を簒奪した者が自己を支えきれず自壊していき、破滅という末路をたどるしかなく、正統な王位継承こそが理想である、というのがテーマとなる。時代背景や成立事情からすると、あながち間違いともいえないらしい。だが、それではあまりにも勧善懲悪すぎる。
 マクベスは小心でありながら、つい足を滑らせた愚か者であった、というのはたやすい。だが、戦乱に明け暮れる日々にあって、自分に王座が転がり込むチャンスを目前にしながら、最後のところで怖じ気づいたまま生涯を終えたとき、人は己の小心を悔いたりしないのだろうか? マクベスは確かに亡霊に脅かされる。だが、バーナムの森が城に迫り、自分が魔女に謀られたことに気づいたとき、むしろ初めて正気に返ったのごとく、雄々しく剣をとるマクベスは勇者のようである。
  ※
 終演後、役者の人たちとお話しが出来た。「いろいろな『マクベス』を演じてみようと思い、稽古しながら話あって行った。」「マクベス夫人の夢遊病は本当なのだろうか、彼女は正気だったのではないだろうか?」というようなことが聞けた。演じようとする側は演じようとする側から『マクベス』という迷路への入り口と出口を探そうとしているのだと思った。劇中で使われた短剣はボール紙製のチープさであったのに対し、最後のシーンでは本物の包丁を持ちだし魚を捌きだした。虚構とリアルとの対比を際立たせようとしたのか、とも考えたが、自信はない。もっと突っ込んだ話も聞いてみたかったが、彼・彼女たちも次の公演を控えていたし、私の方の準備も不十分だった。
  ※
 加藤家を訪れたのは先週の土曜日である。あまり時間をおいてもと思ってアップするが、まだ感想としてまとまってはいない。また何か書くことがあるかも知れない。

 ゲッコーパレード本拠地公演 戯曲の棲む家vol.8『マクベス』 ~26日(日)まで

 Web http://geckoparade.com  Mail geckoparade@gmail.com
 


 

 


by yassall | 2018-08-22 01:36 | 日誌 | Comments(0)
<< 「縄文 一万年の美の鼓動」展 沖縄スパイ戦史 >>