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板倉雷電神社

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 写真を撮りに出かけながら、そのままになっていることが多くなった。板倉雷電神社に出かけたのは6月14日。6月はめずらしく用事が立て込んで写真の整理に当てる時間がなかなか取れなかったのだ。

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 誘ってくれたのはいつも森林公園散策でご一緒するKさんである。Kさんは群馬・太田の出身。埼玉で教職に就き、結婚もしたことから埼玉住まいになったが、故郷いまだ忘れがたいものがあるものと推察する。太田からはかなり離れているのだが、ずいぶん前から板倉近辺のドライブに誘われていたのだ。
 板倉雷電神社は、主に関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の事実上の総本社格にあたるとのこと。渡良瀬川と利根川との間に位置し、古くは伊奈良(いなら) の沼と呼ばれる湿地に浮かぶ小島であったこの地は、また雷の被害が多い土地で、古来から度々火災や水害に見舞われたという。(埼玉では本庄が雷被害が多いと聞いたことがある。大気が不安定になりがちだったり、雷雲が発生しやすい地形があるのだろう。)それらを鎮め、人々の暮らしを守護することを目的として建立されたのだろう。創設は推古天皇6年(598年)とある。延宝2年(1674年)、当地を治めていた館林藩の藩主であった徳川綱吉が本社社殿を再建し、後に綱吉が第5代将軍となるに及んで次第に繁栄するようになり、社殿に徳川家の三ツ葉葵の紋章を使うことを許された。(これらは話を聞いたり、後から調べて知ったことだが、翌週、母方の田舎で法事があって茨城に出かけたところ、車中から雷電神社の末社が見えた。関東一円の信仰を集めているというのは確かなのだろう。)
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 Kさんの運転はかなりアバウトである。ナビがついているのだから使えばいいのにと思うのだが、だいたいの見当はついている、俺の勘の方が頼りになるとのこと、1kmくらい先に進んでから、もう一度引き返してみよう、という具合でやっとたどりついた。ただ、関東平野の広大な田んぼと、ところどころに工業団地や民家が集中している中に、幹線道路からはかなり離れたところにあるので、見つけにくいことは確かだった。そういうわけで、社殿を間近にしたときはその構えが予想以上に立派であることに驚かされた。
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 彫刻の作者は左甚五郎から10代目の石原常八とのことだ。どれほどの人物かは知らないが、かなりの力量が見て取れる。

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 これは本殿の裏側の彫刻。描かれている逸話についての知識があればもっと理解が深まるのだろうが素養に乏しいのが残念だ。
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 さて、発端は雷電神社の本殿前に小林という川魚の料理店がある、そこでナマズの天ぷらを食おう、ということだった。ところが駐車場に車を止めてから参道を探してみたのだがなかなか見つからない。
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 これが参道。最近になって整備されたらしい。本殿前から逆に歩いていった。こちら側から見ると堂々たるものだが、反対側を見ると左側は狭い路地に抜けるようになっており、右側は斜めはるか遠くに幹線道路につながるようになっている。これでは見つからないはずだ。
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 そういうわけで、実際に昼食をとったのは小林の向かいにある林屋という店だった。駐車場からアプローチしようとすると、路地がこの店に通じていたのだ。老夫婦が経営する店で、話しかけるといろいろなことを教えてくれた。
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 次に向かったのは西丘神社である。変哲もない、どちらかといえば忘れ去られたような神社であるが、境内は赤城塚古墳である。古墳からは三角縁仏獣鏡他が出土しており、県の重要文化財に指定されているとのことである。三角縁仏獣鏡は3世紀に魏で制作され日本に伝わったとされ、仏教あるいは道教の影響を考察する上で貴重な資料であるという。Kさんは数学が専門であるのに、考古学にも関心が高く、今も講座に通うなど勉強を怠らないのである。
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 次に向かう。田中正造が最期を迎えた庭田清四郎家が近くにあるはずだという。後から渡良瀬川の支流である才川沿いにあることが分かったが、探している途中で道を大きく外れてしまい、見つけることが出来なかった。ただ、幹線道路の交差点にこのような碑が見つかった。
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 そろそろ夕暮れ時がせまってきたところで館林市内に入る。館林城趾が市役所や文化会館・総合体育館等が集中するエリアになっている。域沼が豊かな水をたたえている。
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 館林城の本丸跡。在りし日の規模が知れる。
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 館林市第二資料館が隣接している。旧上毛モスリン事務所とある。群馬らしく製糸業に関連した旧跡が残されている。
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 田山花袋(1871-1930)が7歳から14歳までを過ごしたという家も残されていた。全景も撮ったのだがなぜかピンぼけだった。ここで群馬紀行を終え、一路埼玉にもどる。森林公園は新盛で二人反省会を開いたのはいうまでもない。

 E-M10Ⅱ+LX12-60mm


by yassall | 2018-07-13 18:32 | 散歩 | Comments(4)
Commented by krmtdir90 at 2018-07-15 18:37
板倉の雷電神社、懐かしい!
実は、妻の実家がすぐ近くだった(歩いて行ける)ので、結婚当初は初詣などに何度か行ったことがあるのです。でも、雷電さまの由緒など、まったく知りませんでした。
両親が亡くなって、もう行くこともないと思っていましたが、Yassallさんが行くなんて、思いがけない廻り合わせでした。
写真を見ると、ずいぶん立派な作りの神社だったのですね。

ナマズの天ぷら、知っていますよ。昔はウナギや鯉の洗いなども名物だったようで、実家ではナマズは出なかったけど、そちらはよくご馳走になったものです。
natsu
Commented by yassall at 2018-07-15 20:18
コメント、ありがとうございます。奇遇というべきか、昨日10年ぶりくらいにあった人も、つい最近ナマズを食べに雷電神社に行って来たとのことでした。群馬、茨城、埼玉の県境で、信仰や文化、生活様式がとても近いことが興味深かったです。natsuさんも何かの機会があったら奥様と思い出の地を再訪してみて下さい。
Commented by torikera at 2018-08-03 17:35 x
先日こちらの雷電神社に行ってきました!yassallさんのブログに記事があることを今日発見してビックリ(笑)ナマズの小林ですが、記事の中の軽自動車が停まっているお店が小林で、私はこちらでナマズ定食を食べました。(参道を挟んで小林と林と二つの食堂が並んでいます)天ぷらより叩き揚げというのが美味しかったなぁ(^.^)
Commented by yassall at 2018-08-04 13:48
torikeraさんが雷電神社に行かれたことはfacebookで知っていました。相変わらずの神出鬼没ぶりだな、と感心していました。それにしても奇遇ですね。
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