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えのもとぐりむ傑作選『陳弁ピクトグラム』

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 26日、みかわやこと今は葉山美侑から出演情報があったので、えのもとぐりむ傑作選『陳弁ピクトグラム』を観に浅草九劇まで出かけてきた。
 「ピクトグラム」とはひとことで言えば絵文字のことであり、上の舞台写真(終演後、許可を得て撮影した)下手の非常口や上手の禁煙マークのような、何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号のことである。「人間はピクトグラムのように薄っぺらな存在ではない」というのが芝居のテーマを言い表している。
 会場に入ると、「青白く照らされたトイレ。ひとりの女が殺されたところから物語は誘導されていく。」というリードの通り、舞台中央に設えた便器が青いサスライトで照らされている。単なる飾りではなく、様々な役者によって入れ替わり立ち替わり使用される。これを悪趣味といってはいけない。この芝居の基本的な構造を象徴しているのだから。
 人間が遮蔽物に囲まれたトイレの中で用を足すようになってから、それは個的な出来事となり、他者の目に触れることがないもの、触れてはならないものとなった。芝居はそうした人間の表面からは見えないもの、隠されたものの存在を明示し、あからさまにしようとしているのだろう。
 (もし、悪趣味というなら、むしろ演劇の仕組みそのものにかかわっているといえるだろう。通常、本当は目の前に観客が存在しているのに、役者は誰からも見られていないことを前提に演技し、観客は演者に知られずにそっと覗き見ていることを前提に観劇している。それならば誰にも見られることのないトイレの中の場面でも同様のはずだが、役者の方も観客の方も、見る・見られるの関係のある一線、日常に起こりえる一線を越える。もしかすると、それは観客の側に多くの緊張を強いるかも知れない。)
 えのものぐりむのTwitterを検索してみると、「人間世界は汚くて醜いバケモノが隠れていて、繊細な人間ほどそれをくらう。だけど純なものを信じて生きよう。」というような投稿と出会う。芝居には近親相姦やらストーカーやら、性関係による利害の交換やらが出てくる。殺人事件が起こり、しかも遺体は行方不明のままになる。被害者とされた女性の兄である刑事が同僚の女性刑事と捜査を続け、謎解きがはじまる。だが、表現の中心はそれらにはないのだと思う。「人間はピクトグラムではない」の科白によって示された人間存在の有り様そのものを描こうとしたのだと思った。さらにことばを重ねれば人間の自由を。
 以上が劇を見ての感想である。卒業生の追っかけしかしていないから詳しくないのだけれど、えのもとぐりむは「演劇界で今とても人気が出てきている演出家」なのだという。今回の公演については、「若手発掘企画と銘打ち、えのもとぐりむのワークショップなどから若き才能をプロデュース」とあった。終演後、みかわやにいきさつを聞いてみると、やはりオーディションを受けて抜擢されたそうだ。千葉ユリとして、「イントロ」で殺人事件の被害者となり、3話目の「禁煙」で美大生を演じ、そして謎解きがされる「三つ編み」に出演するという、全編を貫く重要な役どころを与えられた。一見、清楚で真面目そうでありながら、過酷な過去と複雑な内面とをかかえた人物造形にとりくんだ。濃淡をつけすぎず、清楚さも、不気味さも、リアルに表現できていたのではないか? やりがいのある役にとりくんだ、という充実感が、終演後のあいさつに駆け寄ってきた表情に見えた。

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by yassall | 2018-05-28 14:31 | 日誌 | Comments(0)
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