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池田龍雄展

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 5月4日、「戦後美術の現在形 池田龍雄展 楕円幻想」が開かれているというので練馬区立美術館へ出かけてきた。これまでも中村正義や牧野邦夫など、独特の鑑識眼による企画展が開催されて来たが、今回も思いがけない拾いものをしたというのが率直な感想である。
 というような感想を持ったというのは私の不明によるものであって、戦後アバンギャルドの画家として池田龍雄は確固とした地位を占めており、ここ練馬区立美術館では20年前にも「池田龍雄・中村宏展」を開催しているそうだ。
 池田龍雄は1928年、佐賀県生まれ。1943年に「忠君愛国の至誠に燃え」て15歳で海軍航空隊に入隊し、1945年には特攻隊員として霞ヶ浦航空隊に配属され、敗戦の報を聞いた。除隊後、佐賀にもどり佐賀師範学校に編入されたが「終戦時に陸海軍の現役下士官以上だった者の教職就業の禁止」というGHQの通達のため、一年で退学となった。教師への道も閉ざされた池田は幼い頃から絵が得意であったことから画家をこころざし、1948年に多摩造形芸術専門学校(多摩美大)に入学、同年秋には岡本太郎や花田清輝らの「アヴァンギャルド芸術研究会」に参加し、前衛芸術家の道を歩にはじめた。
 展覧会の第0章は「終わらない戦後」である。このような経歴の持ち主であることから初期の作品には戦争体験の影が色濃い。最初期の「無風地帯 壊された風景」(1951)あたりにこそピカソの影響が明かだが、次第にオリジナリティを獲得していく様子が見て取れる。
 鋭く硬質な線の多用によるペン画は当時刊行されていた『現代詩』や『人民文学』等の表紙や挿絵に採用されていたらしい。その線描は棘のようで痛い。だが、風刺的でシニカルであると同時に、そこはかとないユーモア精神も感じられる。ここで、『列島』の関根宏や木島始と交流があったことも知り、頭の中でさまざまなピースが繋がっていく。一昨年、府中市立美術館で新海覚雄展を見たことがある。その新海と同じく、池田もルポルタージュ運動にたずさわっていた時代があるとのことだった。総評系に近かった新海が社会主義リアリズム的な傾向を持ち、共産党に近かった池田がアバンギャルドの技法によっていたというのは面白いと思った。ルポルタージュ運動には安部公房も参加していたから、1950年代はさまざまな志向を持った運動が渾然としていたのだろう。
 展覧会第1章のネーミングは「芸術と政治の狭間で」、第2章は「挫折のあとさき」である。ここでいう「挫折」とは具体的には1960年安保闘争とその挫折(条約改定を阻止し得なかったこと)であり、池田はのちに「わたしのなかの芸術と政治の間の距離を決定的に広げてしまった」と語ったという。絵画の上でも《禽獣記》《百仮面》シリーズをへながら変容していく。それは「人間の存在や、自らの内面」への視線の深まりともいえる。私の感想からいえば「線」から「球体」への変化である。
 それは池田の芸術活動の衰退を意味するのではなく、第3章「越境、交流、応答、そして行為の彼方へ」ではさまざまなジャンルとの横断的な交流(たとえば寺山修司のと共同作業)によってその範囲を広げ、第4章「楕円と梵」では宇宙論的とも存在論的ともいえる境地を開いていく。色彩も実に神秘的で美しい。
 池田龍雄がすごいところは90歳になる現在もその芸術活動がとどまらないことだ。第5章「池田龍雄の現在形」では《箱の中へ…》シリーズに象徴されるような即物的ともいえるオブジェや立体の造形に新境地を開いている。そのありようは、「宇宙空間を漂い続けた池田の思考は、やがて引力に引き戻されるように地上に降りてきた」とも評されているようだ。
 また、60年代に「芸術と政治の距離」を実感したとのことだが、2007年には「青空の下を再び焦土にするな」、2010年には「散りそこねた桜の碑」を描くなど、決して「外側の世界」に対する視点を失ってはいないことも見誤ってはならない。さらには、これは指摘を受けて気が付いたことだが、池田はまだ画家としては自立出来なかったころ、木島始を通して絵本を手がけていた時代があり、中でも浜田廣介・文『ないたあかおに』(1965)は今もなお出版され続けている代表作となった。原画が陳列ケースの中に展示されていた。やさしい絵だと思った。
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 1階展示室前のロビーには撮影フリーで「漂着」(2001)が展示されていた。瀧口修造の「夢の漂流物」に触発されて制作されたという。日本のシュルレアリスト瀧口修造は池袋モンパルナスとのかかわりでも名前が出てくる。また一つピースとピースが繋がった。左下の床には「楕円空間」(1963-4)を図案化したものが描かれている。二つの中心点を持ち、運動体である楕円の発見にも心ひかれるものがある。






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by yassall | 2018-05-05 16:53 | Comments(0)
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