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ドラキュラ

 ベラ・ルゴシ(1882年 1956)とクリストファー・リー(1922 2015)は吸血鬼ドラキュラの二大俳優である。
 ベラ・ルゴシはハンガリー出身で、母国にあったときから著名な舞台俳優であった。第一次世界大戦後、革命政権の崩壊とともに亡命し、1921年にはアメリカに移住した。英語を覚えながら演劇活動を再開させ、ユニバーサル・スタジオによる『魔人ドラキュラ』(1931)に抜擢された。
 クリストファー・リーはイギリス出身で、活躍時期は第二次世界大戦後である。196cmという長身であったため端役に甘んじていたが、ハマー・フィルムがクラッシックホラー映画を制作するにあたってピーター・カッシングと並ぶ二大スターとして開花した。
 ハマー・フィルムは1950年代のイギリスに誕生したプロダクションであるから、ドラキュラは祖国の地に返り咲いたことになる。
 クリストファー・リーの『ドラキュラ』映画は成功をおさめ、ハマーだけで9作が作られたほか、ヨーロッパ各国で映画が撮られた。その後、怪奇映画俳優としてのみならず、『007』シリーズに出演したり、2000年代以降も『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』で存在感を示すなどしたところがクリストファー・リーのすごいところである。
 ベラ・ルゴシにせよ、クリストファー・リーにせよ、ヨーロッパ出身の俳優である。少し先走るが、ドラキュラをを演じようというとき、中世という歴史をもたないアメリカ出身の俳優であってはならないという意味で、(実際、アメリカの俳優による吸血鬼はどこかしら薄っぺらで滑稽なのだ)、映画が成功するための必然であったのではないかと思うのだ。
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 ドラキュラの故郷はトランシルバニアである。『ドラキュラ』の原作者ブラム・ストーカーは最初、オーストリアに伝わる吸血鬼伝説を基にするつもりであったらしい。現在、トランシルバニアはルーマニアの一部になっているが、歴史の上ではオーストリア領であった時代もある。同様の伝説が伝わっていたのだろう。
 ヨーロッパでの取材を終えイギリスに戻ったストーカーは、図書館でワラキア公ヴラド三世(1431 1476)のことを知る。ワラキアはトランシルバニアの南に位置し、やはり現ルーマニアの一部を占めている。ドラキュラ城のモデルとして知られるブラン城はワラキアとの県境のトランシルバニア側にある(だから実際にはヴラド王の居城であったことはない)。現在は観光名所となっているそうだ。
 ヴラド三世は通称ドラキュラ公(別名串刺し公=ツェペシュ)である。ドラキュラは「竜の息子」というような意味であり、父ヴラド二世が神聖ローマ帝国により竜騎士団の騎士に任じられたことからドラクル(竜公)と呼ばれたことに由来する。「竜」は悪魔の象徴でもあったことから二世は「悪魔公」とも称されたという。三世はオスマントルコ帝国から祖国を守った英雄でもあるのに、いつしか「悪魔の子」という見方をされるようになった。(これにはハンガリー王が流布させた悪評も影響をあたえているという説もある。)
 ゲイリー・オールドマンがドラキュラを演じた『ドラキュラ』1992年版はこうした歴史的背景をストーリーの中に取り入れ、ヒロインのミナは400年前に死んだドラキュラの妻エリザベータの生まれ変わりであったとし、幾世紀の時代を超えた愛の物語に仕立て上げている(この映画については後述する)。原作とはだいぶ異なるが、ストーカーがヴラド公のことを知って物語をふくらませていったことは間違いない。
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 さて、私にはベラ・ルゴシの「ドラキュラ」の記憶は薄い。黒マントに身を包んだドラキュラのイメージがベラ・ルゴシによって作られたものであることは理解しているものの、私の記憶の中のドラキュラの地位はクリストファー・リーによって占められている。
 クリストファー・リーがドラキュラ伯爵を演じ、ピーター・カッシングがヘルシング教授を演じた『吸血鬼ドラキュラ』は1958年の公開である。私はこの第1作と(たぶん)第3作の『凶人ドラキュラ』(1966)を見ている。ところが、今回DVDを入手して見てみるとずいぶん記憶と違っていることに気が付いた。
 まず、1958年版は初のカラー・フィルムによるドラキュラ映画なのだそうであるが、ここが違っていた。私の記憶に残るクリストファー・リーがモノクロの世界の魔人であるのは、我が家のTVがまだ白黒TVであったためかも知れない。
 しかし、何よりイントロ部分が異なるのである。物語は弁理士のジョナサンがロンドンに屋敷を購入したいというドラキュラ伯爵との交渉のために、トランシルバニアの山中にある古城を訪ねていくところから始まる。つまり、いち早く近代化をなしとげたイギリスから、それでも後に続いた西欧を抜け、いまだ中世の伝説が生きる東欧へと入っていく過程が大切なのである。
 トランシルバニアのある村に到着し、ジョナサンが行き先を告げると、村人たちはいっせいに恐怖のまなざしを向ける。乗合馬車もボルゴ峠でジョナサンを降ろすと早々に去ってしまう。夜も更ける中を一人待たされたジョナサンのもとにドラキュラ城からの迎えの馬車が到着する。馬車はオオカミの遠吠えが聞こえてくるような山道を走った後、深い堀に囲まれた城内に入るや跳ね橋が引き上げられてしまう。
 異界に入っていく通路としてこれだけの各段階が必要なのに、1958年版では馬車が嫌がって行ってくれないので徒歩で屋敷まで歩いた、というような説明とともに、いきなり屋敷の前にジョナサンが登場する。それも白昼とおぼしき明るい中をである(屋敷の中に入ると夜中であるようなので、昼とみえたのはカラー・フィルムの露光のためだったのかも知れない)。
 深夜、ジョナサンに襲いかかるドラキュラの花嫁は3人でなければならないのに1人しか現れない。ジョナサンの職業もドラキュラに司書として雇われたことになっており、しかもそれは仮の姿であって、最初から吸血鬼を退治しようと乗り込んで来たことになっており、しまいには早々に返り討ちにあってしまう。そこで、後から登場するルーシーやミラとの人間関係もごちゃごちゃになってしまう。
 そしてより重大なことは、物語の第2ラウンドとなる土地がロンドンではなくトランシルバニアの周辺地と思われる場所なのだ。近代対中世、文明対伝説、都市対自然という物語の一番大きな構造がなし崩しになっているのである。1958年版は『ドラキュラ』映画の最高傑作とも評されているとのことである。しかし、原作と映画とは別物であっていいとはいいながら、これらの改変を容認することは私にはとうてい出来ないのである。
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 『ドラキュラ』には「遅れた」東欧に対する蔑視や、ドラキュラの手先とされるジプシー(現代ではロマとされるがそれが正しいかどうかは不明)に対する差別意識があるとされる。
 間違っているとはいえないのかも知れないが、私の理解は少し違う。資本主義の発達は歴史の「進歩」を飛躍的に高めた。その「進歩」にもしかすると人間は追いついていけていないのかも知れない。自分たちが置き去りにしてきた中世的世界は本当に無価値だったのだろうか、というような問いがあっただろうし、古い伝説は意識の古層の奥に生き続けているのではないだろうか? それらの古層に眠るものは、人々が何を恐れ、惹かれていくかを無意識のうちに決定づけているのではないか?
 イギリスは世界にさきがけて資本主義を発達させた。イギリスに生まれたブラム・ストーカーはまた、世界にさきがけてそうした近代人の心の闇をかかえてしまったのではないか?
 ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』にいち早く注目した一人にフロイトがいるという。フロイトはリビドーと抑圧、エロスとタナトスの葛藤、あるいはエディプス・コンプレックスといったところから『ドラキュラ』を読み解いていったらしい。確かに首筋に残された傷跡などには性的な雰囲気がただよう。
 しかし、それらの解釈をおいたとしても、近代対中世、文明対伝説に引き裂かれた人々の深層心理の中に押し込まれた不安が反映されていると解釈するのは間違ってはいないと思う。不眠と悪夢に悩まされたというストーカーは、伝説世界の息づく東欧にある種の恐れと密かなあこがれを抱いていたのではないかと私は思うのである。
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 ドラキュラは不死の物語である。種村季弘は『吸血鬼幻想』(1982)で吸血鬼伝説の原初的なすがたは死んだのちにも死にきれず、墓場から甦っては人々を襲う死餓鬼があるといい、さらにその背景には死者の蘇生(とくに埋葬されてからの)への恐怖があったのではないかと述べている(ような記憶がある。もう一度読み返してみる気力がないので確かではない)。
 不老不死といえば東洋の神仙思想において仙人は理想とされる存在である。同じ不死の生命を得た者であるとはいえ、霞を食って生きる仙人と人の生き血をするる吸血鬼とは大きな違いがある。キリスト教の世界では不死に対するイメージが異なるのだろうか? 神による復活とは異なる蘇生は悪魔のしわざでもあるというふうに。
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 ここで1992年版の映画『ドラキュラ』についてふれる。先に述べたドラキュラとエリザベータの愛の物語という解釈は今となってみると踏み込みすぎだと思われる。しかし、そのことを除くと、かなり原作に忠実に作られている。ラストシーンで、心臓を剣で刺し貫かれ、死を迎えようとするドラキュラからは悪鬼の容貌が消え、穏やかな表情にもどる。とどめを刺したのがミラであるところは異なるが、これも原作の通りである。死はドラキュラの安息なのである。
 何より映像が美しい。、ウィノナ・ライダーが演じるミナはもちろん、3人の花嫁たちも文句なく美しく妖しい魅力に充ちている。カラー撮影の進化を実感するが、その映像美には衣裳デザインを担当した石岡瑛子(アカデミー賞衣装デザイン賞受賞)の力も大きくあずかっているに違いない。とくにルーシーの花嫁衣装にして死に装束でもある純白のドレスの美しさといったらない。
 まだ城にいて、若返る前のドラキュラが身にまとうマントは黒から赤に変わり、髪型も凝りに凝っている。旧来のイメージからの脱却というねらいが鮮明である。監督のコッポラがプロデュースした『フランケンシュタイン』(1994)については前回述べた通りだが、この映画については私は高く評価せざるを得ないのである。
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 最近では『ヒトラーから世界を救った男』でウィンストン・チャーチル(ここでも辻一弘が特殊メイクを担当し日本人アーチストとかかわっている)を演じたゲイリー・オールドマンは、もはや怪優の域に達しているのかも知れない。『ドラキュラ』での演技にも(イギリスの俳優だからというわけではないが)気品と哀愁のようなものを感じる。
 それでも私にとってのドラキュラはクリストファー・リーなのである。オールドマンが取って代わることはないのである。
 では、私の『ドラキュラ』はどこへ行ってしまったのだろうか? 古い記憶の扉を開けようとしながら、いざ扉を開けてみたら中味はからっぽであった、というような不思議な喪失感を私は味わっているのである。

(あるいはベラ・ルゴシの映画も見ていて、それらが記憶の中でごっちゃになっているのかも知れない。ルゴシの映画ではボルゴ峠も出てくるし、花嫁は3人であるようなのだ。最近、DVDが出ていることを知ったからいつか見てみようとも思っている。)


by yassall | 2018-04-09 23:49 | 雑感 | Comments(0)
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