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3.11原発ゼロ☆国会前集会

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 3月4日の日比谷野音集会に続いて反原連主催の国会前集会に出かけてきた。ミサオレッドウルフ氏のあいさつに続いての政党からのあいさつでは「原発ゼロ基本法案」を共同提出した立憲民主党、日本共産党、自由党、社民党に加え、民進党、希望の党の国会議員も登壇した。現時点で「原発ゼロ」をかかげるに至っていない政党内部でも賛同者が存在していることが鮮明になった。
 今年は立憲民主党の代表としてスピーチに立った菅直人氏は最近国会内で安倍首相と原発について話し合ったとき、「原発は安価である」「原発は環境によい」などと発言していたことを紹介し、その時代錯誤性を批判した。
 同行動は国会正門前と首相官邸前で行われた。参加者は5000人と発表された。昨年は8000人であったので、人数的には減ってしまったが、7年が経過しても福島第一原発は廃炉に向けての目途さえ立っていない。一方で原発の再稼働はなし崩し的に進められようとしている。この怒りの声を絶やしてはならないと改めて思う。
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 一般紙ではほとんど報道されなかったし、またあまりに大きく取り上げるのもかえって彼らのねらい通りになってしまうのだろうが、この日の集会では右翼の妄動が際立っていた。街宣車だけでも5、6台は来ていたのではないだろうか? その街宣車も普通だと集会場から離れた箇所で警官隊に押さえ込まれているか、交通規制された外周をうろうろ回っているものなのだが、何台もが集会の目と鼻の先の道路に横付けし、大音量で軍歌などを流し続けてたり、脅迫めいた怒声をあげ続けている。そればかりでなく、人数にしたら7、8人もいただろうか、街宣車から降りて盛んに機動隊と口論している者や、中には集会に紛れ込もうとして警官たちに連れ出されている者までいた。いつもなら集会が始まるとほどなく立ち去っていくのに、1時間も居座り続けていたというのも常態とは異なっていた。
 反原連が用意した音響設備は優秀で音量的には負けていなかったし、ミサオレッドウルフ氏はじめ、登壇者も参加者もかえってファイトを燃やしていたのは心強かったとしても、暴力的に言論を封殺し、集会を妨害しようとする者たちと直面し続けるのは愉快ではなかった。
 なぜ、こんなに気負い立っているのだろうかと、二つほど理由を考えてみた。
 2月末に右翼団体構成員ならびに関係者二人が朝鮮総連本部に発砲するという事件を起こし逮捕されるという事件があった。その一人は行動右翼としてこれまで何度も警察に逮捕されている人物であるという。この事件が数ある右翼団体を刺激し、過激さを競うような風潮を生んでいるのではないだろうか? 発砲は門扉に対してだったというから児戯のようなものなのだが、どのようにして拳銃を入手したのかも含め、一般市民からすれば正常な市民生活を脅かしてあまりある蛮行である。ところが、それが右翼団体からするとあたかも先を越され、自分たちのメンツをかけて後に続かなくてはならない問題のように受けとめられるらしい。過去の事件でも同様だった。
 もう一つは森友問題に関連して、ついに財務省が文書の書き換え・改竄があった事実を認めるまで追い込まれたことだ。どこまで逃げ切りをはかるかはまだ不明だが、本来なら内閣総辞職に値する事件にまで発展している。
 過去の事例からも政権が危機に瀕しようとすると右翼の活動が活発になる。どうも反原発運動に対する敵対行動というより、政権に対する批判が高まることを少しでも削ごうという意図が働いているように思われるのである。それも各団体が自主的に立ち上がった、というより、どこかの指令によって動き始めたというのが真相に近いと思うのである。そうでなければ、複数の団体が一度に行動しはじめるわけがない。このような勢力によって守られる政権とは何だろうか? 私はその醜悪さを思いながら帰路についた。
 

by yassall | 2018-03-13 01:16 | 日誌 | Comments(0)
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