<< 2017年のニューフェイス トイボ クリスマス公演17 >>

日馬富士事件と大相撲=「国技」原理主義について

 江川紹子氏と中島岳志氏もこの問題で発言しています。関連記事に追加しました。(1月1日)関連記事を追加しました。貴乃花個人の思想もありますが、日本にも広がりつつある排外主義と無縁ではない気がします。賛同者がどこまで踏み込んでいるのかも気になります。

 20日に開催された横綱審議会および日本相撲協会・臨時理事会で日馬富士事件に対する一定の処分が下された。
 日馬富士による暴行はあってはならないことであり、「引退勧告相当」は当然だった。また、同席した白鵬・鶴竜にも責任ありとした判定も適切であったと思う(このことについては後述)。
 しかし、その後もますます混迷が深まっているかのような様相をみていると、まさか他に視聴率や発行部数が稼げそうなネタがないからではあるまいが、意図的な情報操作がされているように思われて来てしまうのである。そして、「将来、大相撲をモンゴル勢で牛耳ろうとしている」白鵬と「興業的な成功ばかりを優先させようとしている」協会VS「相撲本来の姿を取り戻そうとしている」貴乃花といった、いわば「悪」VS「善」の対立軸が作られていこうとしていることに、大きな疑問を感じざるを得ないのである。
   ※
 先日アップした「MONGOLIAN TEAM」で「貴乃花については今いうことはない」と書いた。相撲協会による貴乃花への聴取もこれからだし、20日の理事会で配布されたという貴乃花個人の「文書」についても会議後に自ら回収したとのことで(当初はこのように報道されたと記憶していましが、その後、回収は協会側とも思われる経緯がありましたので削除します。その後、やはり貴乃花の意向によった、という記事がありました。)公開はされていない。
 憶測でものを言ってはならないという自制心は持ち合わせているつもりである。また、私は個人の「思想・信条の自由」は厳に守られるべきだと思っているし、何を「信念」とするかについても個人の責任の範囲だと考えている。
 だが、彼はいったい何と「たたかおう」としているのか、何を「取り戻そうとしている」のか、それを正しく認識しようとし、必要な批判をする必要もまた感じるのである。
 「表現の自由」を尊重する信念は人後に落ちないという自負はあるが、「正義」の名を借りて「不正義」な報道がされようとしているなら、これも批判しなければならないと思うのである。
  ※
 『週刊朝日』12月22日号に、「貴乃花の支援者の一人」である高野山別格本山清浄心院住職の池口恵観氏が11月末頃に受け取ったとして、次のような貴乃花からのメール(全文)が紹介されている。

 “観るものを魅了する”大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わりの私の天命があると心得ており、毘沙門天(炎)を心にしたため己に克つをを実践しております
 国家安泰を目指す角界でなくてはならず“角道の精華”陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体として組織の役割を明確にして参ります
 角道の精華とは、入門してから半年間相撲教習所で学びますが力士学徒の教室の上に掲げられております陛下からの賜りしの訓です、力と美しさそれに素手と素足と己と闘う術を錬磨し国士として力人として陛下の御守護をいたすこと力士そこに天命ありと心得ております
 今の状況、若い頃から慣れております報道とは民衆が報われる道を創るのが本分であると思いこれまで邁進してきております
 角道、報道、日本を取り戻すことのみ私の大義であり大道であります勧進相撲の始まりは全国の神社仏閣を建立するために角界が寄与するために寄進の精神で始まったものです。
 陛下から命を授かり現在に至っておりますので“失われない未来”を創出し全国民の皆様及び観衆の皆様の本来の幸せを感動という繋ぐ心で思慮深く究明し心動かされる人の心を大切に真摯な姿勢を一貫してこの心の中に角道の精華として樹立させたいと思います。敬白


 「揚げ足取り」にならないように、「全文」とされているまま引用した。自分を「毘沙門天」の「生まれ変わり」となぞらえているところなど、dマガジンで記事を読んだときから、何か神がかりのようなものを感じた。
 また、「池口恵観」という名前をどこかで聞いたようだと思い調べてみると、2013年に朝鮮総連中央本部の土地・建物を45億1,900万円で落札しようとし、のちに「圧力があった」として断念したことで話題になった人物であった。どうも政界や右翼団体ともつながりが深いらしく、安倍晋三が第一次安倍内閣を辞任した直後に当人を擁護するような講演を行ったり、石川県護国神社において、田母神俊雄と共に「神官仏僧合同大東亜聖戦祭」を開催したりしたとのことで、正体の分からないところがある。貴乃花以外にもスポーツ界と交遊があるらしいが、いずれにしても危ういものを感じる。
 それはさておき、基調として「国家安泰を目指す角界」「国体を担う団体」「国士として力士として陛下のご守護をいたす」など、特定のイデオロギーの存在が明らかな文面である。
 古代において角力が宮中行事であったという歴史は確かにある。ただし、有名な野見宿禰が當麻蹶速を蹴り殺したという記事にあるように、互いに蹴り合うというスタイルで、現代とはずいぶん形態が違ったものであり(想像するにテコンドーのようなもであったか?)、そのまま今日の相撲に結びついているというわけではない。途中をはしょれば、今日の大相撲の直接の起原は江戸期の勧進相撲であり、さらにさかのぼれば武家相撲である。組み打ちを中心とする技は甲冑を身にまとった武士同士の争闘に最適であり、合理性がある。
 横綱のしめる注連縄や行事の出で立ちからして神事としての要素があることは事実だが、巡業相撲にみられるように、それらもその土地土地に根ざした宗教儀式であったように思われる。
 私が「特定のイデオロギーの存在」を指摘するのはこのような理由からである。「国体を担う」とか、力士は「国士」であるとかは、少なくとも大多数の大相撲愛好家にとっても、また力士その他の相撲関係者にとっても共通認識となっているとは思われない。
  ※
 こうした相撲=「国技」観を原理主義的に純化しようとしていけば、モンゴル力士のみならず、すべての外国人力士を廃業ないし除名させるしかないことになるだろう。だが、今更そんなことが可能だろうか? 
 日本出身の日本人力士だけで大相撲を成り立たせたければ海外巡業などすべきではなかったし、門戸を開くべきではなかった。そのようなあり方を選択することも出来ただろうが、それで今日のような相撲人気はあり得たであろうか? 繰り返すが、もともと大相撲のルーツは勧進相撲であり、相撲興行なのであって、興行的な成功をめざさなければ成り立たなかったのである。
  ※
 白鵬についていえば、2015年に33回の優勝によって大鵬の記録を塗り替えて以来、相撲に迷いが出てきたというのか、取り口を見ていると確かに相撲が荒れているという感じはあった。それでもここ一番というとき、本当にほれぼれするような相撲をみせてくれるし、とくに「断食もして体を作り直して来ました」というここ数場所は白鵬復活を思わせるものがあった。素質に恵まれているばかりではなく、誰よりも努力家で、研究熱心であることのたまものではないのか? 
 横綱という圧倒的王者がいて大相撲人気はあると思うのである。もちろん、東西両横綱が揃っているのが望ましいし、どちらが勝利をおさめるかに神意を読み取ろうとしたという原初の形態からしてむしろそうあるべきなのであろう。
 つまりは小錦に対する千代の富士、曙・武蔵丸に対する貴乃花が不在なところに不満が高まっている理由もあるのだろう。しかし、残念ながら白鵬に並び立つ横綱が日本人力士に見当たらないのは白鵬のせいではない。素質も、努力も、探求心も日本人力士に不足しているということに他ならないのである(※)。それが気にくわないから、外国人では「国体を担う」には相応しくないから、という理由で排除し、「身内」だけで盛り上がろうとするなら、多くの相撲ファンの心は離れていくことだろう。
 (※白鵬の張り手・かち上げが批判されるが、三代目若乃花・花田虎上にいわせれば、張り手・かち上げをすれば脇が空く。そこを攻められないのは研究が不足しているからだという。これは攻めたというより、かち上げを避けた結果だが、両腕をあげることで白鵬のかち上げを最初に封じたのは宝富士だった。白鵬がかち上げを封印し出したのはそれからである。つまり、白鵬は同じ取り口では通用しないことをすぐさま「学んだ」のである。)
  ※
 もう少し書くべきことがある。しかし、焦点がぼけてしまうことを避けて別項とする。ただ、冒頭に「後述する」と書いたので、白鵬に下された処分について私見を述べる。
 1ヶ月半の減俸では軽すぎる、という意見がある。3ヶ月とか6ヶ月とかいう人もいるし、1場所の出場停止くらいならむしろ白鵬は喜ぶだろうという人までいた。しかし、大相撲=「国技」原理主義からすれば白鵬の引退あるいは除名しかない。たぶん、1ヶ月半では軽すぎる、と考えた人を満足させるにはそれしかないだろう。
 私は、といえば、3ヶ月でも6ヶ月でも同じだといいたい。横綱ともあろうものが処分を受けたのである。それだけで大きな傷である。それを「恥」と考え、潔く引退してしまうことで名を残す道もあるのではないか、ととっさに考えたほどである。
 だが、白鵬は汚名を負ったまま引退すべきではない、と考え直した。優勝回数40回を数えた大横綱をこのまま見送るのは忍びない。今回のことについては、これまで白鵬自身が蒔いてきた種の結果だ、という側面は確かにある。横審から公の場で取り口に対する批判も受けた。これらを受けとめて、誰からも批判されることのない、己の相撲人生の完成形をみせることで相撲史に名を残してもらいたいと私は思っている。
 

【関連記事】
https://www.j-cast.com/2017/12/21317301.html

https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2017/12/post-8.php

江川紹子「白鵬には、こんな顔もあります~マスコミのバッシングの中でつぶやき合う相撲ファンたち」
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20171228-00079846/

中島岳志「相撲とナショナリズム あいまいな「国技」「品格」 国威発揚への利用に懸念」
https://www.nishinippon.co.jp/feature/press_comment/article/383794/

白鵬はなぜ過剰に叩かれるのか?世間と報道がつくる「大相撲の虚像」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54162


by yassall | 2017-12-23 01:41 | 雑感 | Comments(0)
<< 2017年のニューフェイス トイボ クリスマス公演17 >>