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2017秋の高校演劇① 西部B地区発表会

アップしたてですがこの記事については訂正があります。文末をご覧下さい。恥っ…。[9月12日]
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 9月7・9・10日の日程で西部B(所沢・入間)地区発表会に出かけて来た。会場はすっかりおなじみになった所沢市中央公民館である。
 審査員としては2年連続になる。昨年、西部B地区から県中央発表会へ推薦したのは飯能高校1校。今年の上演校は13校だったが昨年は12校。つまり他の11校を選外としたのだ。
 志木高校で顧問生活が始まったが、県中央発表会への進出などとても望めないような学校でも、部員たちの心の中にはずっと憧れがあった。そして自分たちなりに少しでもよい芝居をめざしていた。応援してやりたいな、という気持ちが私にも起こった。
 朝霞高校には県中央発表会の常連校だった時代がある。私の時代にも何回か出場させていただいた。日ごろの稽古やとりくみの姿勢をみていれば土俵に乗るかどうかは分かってくる。もしかすると今年は、と期待がふくらんだ年も何回かはあったから、選ばれなかったときには本当にがっかりしたし、落胆にしずむ部員たちを励ますのは容易ではなかった。
 いつも挑戦者でいよう!でも、どの学校も一所懸命に劇づくりをして来たのだから、たとえ選ばれても選ばれなかった学校へのリスペクトを忘れず、他の学校が選ばれたときはきちんと賞賛の拍手を送ろう、とはいつも言い聞かせてきた。
 それでも演劇の場合には別の審査員だったら、という思いが残るものだ。そのことについては以前にも書いた。さまざまな観点や基準の存在は認めなくてはならないし、だからこそどの学校にも選ばれるチャンスがあるのだ、と思う他はあるまい。どんな審査員が来るかは分からないのだから、審査員の基準に合わせて芝居づくりをすることは出来ないし、またそんなことをしたら本末転倒で、自分たちは自分たちの芝居を作っていくしかない、というような話もした。(過去に、今年はここが本命だろう、と思っていた学校が落とされた理由が「高校生でこんなに上手い必要はない」だったということがあった。ちなみにその審査員はプロだった。このときばかりは納得のいかない思いがしたが、プロにはプロなりのザ高校演劇観があるのだと知った。)
 とはいえ、生徒たちにとってコンクールに臨む機会は最大でも3回、自分たちが中心になって芝居づくりが出来る2年生にとってはたった1回のチャンスである。
 「また今年もあいつが来るのか!」とこころよく思っていない人もいるだろうな、ということは覚悟しつつ出かけて来た。実際には、大人である大多数の顧問の方々のまなざしは温かかったし、終演後にロビーに集まってくれた生徒たちの中には昨年からの顔見知りも大勢いたのだが、皆にこやかで素直に話を聞いてくれた。西部Bの皆さん、お世話になりました!
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 選考には本当に悩んだ。暫定2校については事務局に伝えた。今の段階でここでは発表できない。Cブロックは約1ヶ月後の大宮地区との組み合わせになっている。したがって最終的な選考はそれが終わってからになる。
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 昨年は各校についての劇評を書いたが、今年はどうしようかと迷っている。どちらにしても大宮地区が終わってからになるが、書くとすれば講評でことば足らずであったことの補足ということになる。しかし、肝心の生徒たちに読んでもらえないとすればあまり意味のないことになってしまう。1ヶ月後になることの是非も含めて少し考えてみたい。(昨年は何人かの顧問の先生には知らせ、先生の判断で部員たちに紹介してもらうようにした。その学校を傷つけるような書き方をしないように留意しているが、もしあれば直ちに削除ないし訂正するつもりであったことはいうまでもない。)
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 ただ1校、亀尾佳宏氏の『ぽっくりさん』についてだけ述べておきたい。亀尾氏がすぐれた作家であることは承知しているし、本作が全国大会出場作品であること、オリジナルだけでなく、他県でこの台本にとりくんだ学校も全国大会への出場を果たした過去がある()ことも承知している。
 だが、台本をいただいて読んだ限り、私にはどうしても胸に落ちてこないのだった。講評でもそのことは正直に述べさせてもらったし、きっと私の不明によるものだろうとも伝えておいた。
 小学校を卒業するにあたってタイムカプセルを校庭に埋め、高校最後の夏休みの最終日に掘り出そうと約束したかつての同級生たちが集まって来る、その約束とは卒業後の6年間の日々が「どうにもならない毎日」であったらいっしょに死のうだった、というような内容である。
 これもお話しさせてもらったが、「目に見えないものを見ていた」小学生たちが「現実」世界の中で生きにくさを抱え込んでしまうことはあるだろうし、それは学童期にも青年期にも起こることだろう、また何かのきっかけでバラバラだった個人が呼応し、集団自殺になだれ込んでしまうことはあるだろう、ということは理解できる。だが、その約束が小学生の時になされ、6年間の間じっと心の中に秘め、高校最後の夏休みの最終日まで待ち続けてきたという設定に納得が出来なかったのである。同じ自殺でも小学生と高校生では動機が異なるだろうし、小学生にはともかくも封じ込めることができた衝動から、どうしても逃れられなかったその後の苦悩、精神的葛藤のあとが科白の中からは見えてこないのである。小学生の時に結ばれた固い絆と、集団自殺における精神的感応との異質さもある。高校生たちの「迫り来る壁」という訴えも抽象的で、「壁なんか押し返せ」というぽっくりさんのことばも十分に渡り合えているとは思えなかったのである。
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 煮え切らないものが残ってしまったなあ、と気にやんでいたところ、後から顧問の先生に伺うと(事前には聞けないので)今回の上演台本はオリジナルのものとは違い、亀尾氏がこの春に書き直したものであることを知った。言われてみると手渡された台本には「作者から直接いただきました」とあった。
 オリジナルとの比較ができないことが(私はオリジナルを読んでいないので)情けないのだが、オリジナルには小学校は出てこないのだそうだ。まだすべてが明瞭になったわけではないが、小学生から高校生までの心の軌跡に違和感を感じていた私には謎を解くための糸口がみえたような気がしたのである。
 亀尾氏には小学校の設定を付け加える必然があったのだろう(そのためフルで上演すると70分芝居になるそうだ)。過去に「ぽっくりさん」を上演したことのある方に問い合わせると、今手元に台本がないから、といいながら6年間という時間の設定にヒントがあるのではないか、という意見を述べてくれた。
 ここから先は当て推量になるので避けるが、いっきに思考が開けていくような思いがした。まだまだ小学生のストーリーが加わった事による芝居の整合性には疑問が残るが、もし私が考えたようなことが真実であったら亀尾氏はやはりすごい人だ。
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 そんなこともあり、審査員としてのあり方、あるいは審査員であることについて今年も考えさせられることになった。あれだけ「どうしても人がいなかったら」と念を押してあるのだからよほど困っているのだろうと、頼まれるままについダラダラと引き受けてきたが、ここらで少し考えをまとめる必要があるのだろう。とはいいつつ、まだ大宮地区があるので今年は今年でしっかり務めるつもりでいる。

【訂正】
 アップしたてで恥ずかしいのだが、重要なことだと思うので訂正する。亀尾氏がこの台本を書き換えたのは2007年のことだそうだ。するとこの記事の後半部分は全面的に削除しなくてはならなくなるが、ふと、6年前に小学校を卒業した高校生の中に「どうしようもない生きづらさ」を感じている者たちがいる、というとき、むしろ2017年の今年にこの芝居を打つことの方に特別の意味があったのかも知れないと思いいたった。もし上演校がそのことを意識していたとしたらすごいことだと思った。そこで訂正は「この春」(これも誰かから聞いた記憶があるのです)という箇所だけ線を引き、あとはそのまま残すことにする。
 また、全国大会初演当時の扇田昭彦氏の評(HP「演劇創造」)を教えてくれた人もいた。ああ、私が感じ取っていたこともあながち間違いではないのだ、と得心したが、かえって私までもが権威にすがることになるような気がするのであえて引用しない。
 審査にあたってはタテヨコナナメから調べられることは調べて臨むようにはしているが、最後は自分の感性だと腹をくくっている。それしかないのだと思う。
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 私は講評の時間の中で「隣人たちの思い」というようなことをお話させてもらった。もしかすると、自分たちの隣人の中に死にたいほどの心の苦しみを抱えている人がいるかも知れない、その想像力を持ちたい、というようなことを伝えたかった。
 実はそれとは違った意味で「隣人たち」の計り知れない心の深さの存在を私は思っている。
 もう少し情報が集まりそうなのだがそれは別の機会にしたい。
 (追加)
 その後、指摘があったのでもう一点だけ。「他県でこの台本にとりくんだ学校も全国大会への出場を果たした過去がある」と書いたが、正確には全国高校演劇研究会。2016年に北海道で開催された同研究会に愛知の蒲郡東高校が選出されている。直近だが、中部大会での劇評が検索できた。それを読むとオリジナルバージョンであったことが分かる。



 
  

by yassall | 2017-09-12 14:54 | 日誌 | Comments(0)
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