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大岡信「青春」

 あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢をうばった。おごる心の片隅に、少女の額の傷のような裂目がある。突堤の下に投げ捨てられたまぐろの首から吹いている血煙のように、気遠くそしてなまなましく、悲しみがそこから吹きでる。

  ゆすれて見える街景に、いくたりか幼いころの顔が通った。まばたきもせず、いずれは壁に入っていく、かれらはすでに足音を持たぬ。耳ばかりが大きく育って、風の中でそれだけが揺れているのだ。

  街のしめりが、人の心に向日葵でなく、苔を育てた。苔の上にガラスが散る。血が流れる。静寂な夜、フラスコから水が溢れて苔を濡らす。苔を育てる。それは血の上澄みなのだ。

  ふくれていく空。ふくれていく水。ふくれていく樹。ふくれる腹。ふくれる眼蓋。ふくれる唇。やせる手。やせる牛。やせる空。やせる水。やせる土地。ふとる壁。ふとる鎖。だれがふとる。だれが。だれがやせる。血がやせる。空が救い。空は罰。それは血の上澄み。空は血の上澄み。

  あてどない夢の過剰に、ぼくは愛から夢をなくした。 (「青春」

 「青春」は大岡信の第一詩集『記憶と現在』(1956)の巻頭におかれた作品である。1969年、高田馬場の古書店でばら売りしていた思潮社の『現代詩体系』で私は出会った。全7巻のうち2冊しか手に入らなかったが、この詩集によって飯島耕一、長谷川龍生、吉岡実といった現代詩人たちの世界が私の前に開かれたのである。
 そうした中でも、大岡信の「青春」はひときわ私の心をとらえた。思潮社が現代詩文庫の刊行を始めたころで、『大岡信詩集』は24冊目、1969年が初版である。本棚から探し出してみたら出版されてすぐ買っていたことが分かった。
 大岡信は飯島耕一と「シュルレアリスム研究会」を開いていたことがある。オートマチズムによったともみえる散文体の詩に新しい才能による新しい表現の可能性を感じたのだった。

 「地名論」はその少し前に『現代詩手帖』で発表されたと記憶している。現代詩文庫版『大岡信詩集』の最後に収録されている。たいへん高く評価されていたのをおぼえているが、次のように書かれてもこちらの方はどうもピンと来なかった。

 水道管はうたえよ
 お茶の水は流れて
 鵠沼に溜り
 荻窪に落ち
 奥入瀬で輝け  (「地
名論」冒頭)

 思うに『記憶と現在』はモダンな装いをまとってはいるが、その詩精神の向くところは抒情である。きっと自らの内からわき起こってくる感情の正体をつかめず、ただもてあましていた10代の私は、「夢の過剰」という言葉に反応し、過剰ゆえに血しぶきをあげて傷つくすがたに共感したのだろう。抒情といえば最初期の「木馬」という作品にも私は鉛筆で小さな丸印をつけている。
 
 日の落ちかかる空の彼方
 私はさびしい木馬を見た
 幻のように浮かびながら
 木馬は空を渡っていった

 やさしい人よ 窓をしめて
 私の髪を撫でておくれ
 木馬のような私の心を
 その金の輪のてのひらに
 つないでおくれ
 手錠のように   (「木馬」)


 大岡信は評論家としても高い評価を受けている。『超現実と抒情 昭和十年代の詩精神』(1965)は卒論で昭和10年代文学と格闘していた学生時代の私に大きな示唆を与えてくれた。どうも昭和10年代を論じると、誰もが一方的な断罪を下そうとするか、やたらねじくれた情念の表白者になってしまいがちな中で、明晰な分析と批評によって際立っていた。
 近年では「マスコミ九条の会」の呼びかけ人になるなどの活動にもかかわっていたという。茨木のり子、吉野弘のときにも書いたが、「櫂」の世代の詩人たちは政治性とは無縁のようにみえて、決してそうではない。戦中世代として社会の中で果たさなければならない役割に自覚的だったということだろう。
 しばらく大岡信の詩からは遠ざかっていたが、訃報に接して思い出のようなことを書いた。

(おおおかまこと,1931-2017)


by yassall | 2017-04-08 00:22 | 詩・詩人 | Comments(0)
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