ゲッコーパレード「リンドバークたちの飛行」を見てきた
2016年 12月 20日
19日、ゲッコーパレード本拠地公演・戯曲の棲む家vol.5を見に蕨まで出かけて来た。今回の演目はベルトルト・ブレヒトの「リンドバークたちの飛行」である。
チャールズ・リンドバーグがスピリットオブセントルイス号に乗り込み、大西洋単独無着陸飛行を成功させたのは1927年5月21日のことである。ブレヒトが「リンドバークの飛行 」(Der Flug der Lindberghs)を発表したのが1928年のことだというから(※)、同時代の出来事に敏感に反応してのことなのだろう。ブレヒトは何を感じ取り、何を考えたのだろう。また、何を感じ、何を考えなければならない、としたのだろう。
(※とはいえ、ブレヒトが現代演劇において措くべからざる存在であることは何となく承知はしているものの、作品といったら「三文オペラ」くらいしか見たことはないし、少しも詳しくはないのである。この作品があることもネットで検索してみて知った。ドイツ語は、その昔やっと単位が取れたというだけで、もう辞典もどこかへ行ってしまったが、英語風に語尾にsをつけて複数形を作る方法はある。「 Lindberghs」とあるのは、劇中には登場しないものの、何度も紹介されるスピリットオブセントルイス号を特別仕様に改造した技術者たちの存在を意識してのことだろうか?)
リンドバーグについては、「科学者たちと戦争」を扱ったNHK特集で、飛行技術をナチスに売り込もうとしたというエピソードを知った。第二次世界大戦が始まるとリンドバーグは愛国者としてアメリカの勝利のために働くのだが、少なくとも一定期間ナチスと親密な時代があったことは確かなようだ。ただ、ゲーリングから勲章を受けたのが1938年のことだというから、大西洋横断飛行を成功させたころは無関係であっただろうし、のちにナチスの迫害を避けて亡命したブレヒトがその作品にナチス批判を込めていたとは考えられない。
さて、事をわきまえた人にとってはどうでもいいことで長くなった。劇評としては、きわめてスリリングであったといいたい。演出の黒田の口上を読むと、「6人の演出家」が「家の部屋ごとにシーンを用意してお待ちしています」とあるように、観客は場面ごとに各部屋に誘われたり、また元の部屋に戻されたり、掃き出し窓越しに(額縁の向こうを見るように)塀の上に立つリンドバーグを見つめさせられたり、最後には屋外ににまで誘導されて街路をいっしょに歩いたりするしかけになっていた。
詳しくないとはいったが、ブレヒトが「異化効果」を唱えたり、「叙事演劇」を標榜したりしたことは平田オリザの著作等で知っている。すると、脚本のみならず、その手法をもブレヒトにならって、芝居の途中に「移動」を持ち込むことで、全体を一つの完結体にしてしまうことをあえて拒否したのだ、ということになるのだろうか?
スリリングといったのは、そのような問いを観客に投げかけてくるという意味であって、そのことで演者と観客との間に強い緊張感が生まれ、芝居への集中力がいっそう高まったということだ。その緊張感は観客の側だけに強いられるのではない。観客の側にどのような反応があるかによって芝居の方向性は変わってしまうはずであり、その集中力は演者の側にもあらわれる。「一にして全なるもの」の否定に見えて、決して芝居として破綻しているわけではないし、むしろその逆である。
出演は河原舞、渡辺恒、崎田ゆかり。ゲッコーパレードの創立メンバーで固めた。濃霧のつぎにリンドバーグを襲った乱気流(だったか)のシーンではオルガンが演奏された。ずいぶん攻撃的な演奏だな、と感じたが、演奏していたのは本職のピアノ奏者であるということだった。名前を確かめなかったが、リーフレットに本間志穂の名があり、たぶん本人に間違いないと思う。オルガンという楽器の見直しをさせられたような気がした。
ゲッコーパレード本拠地公演も今年は今回で最後。何と!5回とも皆勤してしまった。終演後、かつての卒業生ということで制作担当の岡田萌とはよく話すのだが、今回は他の役者さんともお話する機会があった。「イデオロギー」と小題のついたシーンが印象深かったので、リンドバーグを演じた河原舞(プロという自覚でいると思うのであえて呼び捨てにする)に話を聞いてみると、演出からは「〈私〉が言葉を発しているというより、物体としての身体を通路にするようにして科白を出して欲しい」という指示があり、発声については自分なりに工夫したのだという。ずいぶん難しい注文だったと思うが、抑揚をおさえながらも、きちんと科白が届いてきた。
全5回をしめくくるのに相応しい公演になったのではないか? 好評が伝わって19ステージの予定を21回に増やしたとのことである。来年度からどうするかはまだ話し合いの最中であるとのことだが、次のステップに向けて着実に進化していって欲しいと思っている。
さて、先週末から3日連続の演劇三昧となった。
17日には、この12月24・25日に新潟で開催される関東大会に出場する新座柳瀬高校の公開通し稽古を見てきた。通し稽古は遠征直前まで続けるという。部員たちに観客を目前にしての演技になれさせるためと、科白を出すスピードの最終調整ということらしいが、新潟まで行けない人たちのためのあいさつも兼ねているのだろうと推察している。
新座柳瀬の芝居については9月に「2016秋の高校演劇 西部A地区発表会」に書いたことを訂正しなければならない。というか、すでに【追記】として触れてはいるのだが、メイン・ストーリーとサブ・ストーリーとの重点を見誤っていた。誤りは誤りとして、誤りを生んだ要因についてもしっかり受けとめてくれ、県の中央発表会ではみごとに修正されていた。ほぼ完成形であると思うので、新潟では堂々と舞台に立ち、大いに観客を湧かせて欲しい。まずは大舞台を思う存分楽しんで欲しい。きっとそれは観客に伝わる。
18日には朝霞高校のアトリエ公演に出かけて来た。演目は「祭りよ 今宵だけは哀しげに」。よく色々な学校で上演されるが、私はこの台本には多くの問題を感じているし、少なくとも宮沢賢治の世界とはまったくの別物で、「私の一番の幸い」という解釈も完全に誤っていると考えている。
アトリエ公演は1年生が主体で2年生が応援するというかたちをとっている。キャストの関係から、今回は1・2年生総出だったが、主要な役どころには1年生がついた。
見終わっての感想としては、先に述べた台本の弱点があまり目立たず、役作りに努力のあとがあった。少なくとも「のびしろ」の大きさのようなものは感じられて、先が楽しみだと思った。
ただ、トータルな意味での芝居づくりの初歩が理解できていないところがあると感じた。他校の工夫の仕方を学んだり、よい芝居をたくさん見たり、皆で切磋琢磨に励んで欲しいと思った。間違っても「自分たちはこの程度でいい」などと思わず、個人としても、部活としても、1段階でも2段階でも高みをめざしてもらいたいというのが元顧問の願いである。