人気ブログランキング |
<< 2016秋の高校演劇 Cブロッ... さようなら原発さようなら戦争9... >>

2016秋の高校演劇 Cブロックを振り返って①

c0252688_11095654.jpg

 9月24日、比企地区発表会が開催された。会場は東松山活動センター(写真)。開会式では生徒による司会が緞帳前に立ち、各校から5人の制作委員が選出されて運営に当たっていることなどが紹介され、また時間的制約のある中であったが各校紹介などもあった。良き伝統が残っている地区であると思った。午前中には小川、滑川総合高校の2校、午後には鳩山、東京農大第三、松山、松山女子高校の4校の上演があった。
 昔読んだ演劇入門書に、演劇の4つの要素として①戯曲、②俳優、③舞台、④観客などと書いてあった。ずいぶん形式的な分類だなあと、その後顧みることもなかったのだが、最近になって舞台があって初めて演劇が始まるのではないか、というようなことを考えている。舞台という小宇宙に俳優が登場人物として立ち現れ、科白を発し、ドラマが展開していく。その舞台を舞台たらしめるために、音響や照明、舞台美術などさまざまな効果を駆使し、演出を冴え渡らせる。舞台はまさしく出会いの場なのである。
 さて、この日で今年のCブロックの審査が終わった。そこで、Cブロック全体を振り返ってみたい。ブロック割りは毎年変更になるが、今年は西部B(所沢・入間)・比企地区から中央発表会に2校を推薦する。その役目がTさんと私。最初にその2校を順位とともに紹介する。

  第1位 東京農大第三高校
  第2位 飯能高校

 第2位には、所沢高校も候補になった。飯能高校と所沢高校は2週間前に西部B地区が終わった時点での暫定2校であったが、その段階では順位をつけられなかった。最終的な決断を下すにあたっても最後まで悩んだ。また、西部B地区で2校にしぼる段階で芸術総合高校も候補に残った。比企地区では松山女子高校が2位の位置につけた。まず、以上の5校について書いてみたい。
 (以下は少なからずネタバレになるので、これからの上演を控えた学校についてはその点を承知の上で読んで欲しい。)

 東京農大第三高校「翔べ!原子力ロボむつ」作・畑澤聖悟
 農大三高としては2年続けての畑澤聖悟作品の上演になる。地域性が高く、また社会的なメッセージ性が強い。
 「むつ」といっても日本で最初で最後(でなくてはならない)となった原子力船「むつ」ではない。高濃度放射性廃棄物の最終処理を目的として設計されたという、架空のロボットである。つい最近、やっと廃炉に向けて動き出した高速増殖炉もんじゅともども、日本の原子力政策のしわ寄せ的存在ともいうべき六カ所再処理工場(実態は中間貯蔵施設)を想起させる。青森のかかえる難題を題材としている点でホットであり、地方の衰退という背景を持つ(六カ所村の敷地は元々工業団地を誘致しようとして整備された。産業を興す前に衰退が始まってしまったのだ)。
 社会的メッセージを含んでいると、プロパガンダだとして、あたかも芸術的価値が低いような議論がある。かつての芸術的価値論争でもあるまいに、社会的メッセージを持たないから享楽的で無価値だ、というのと同じくらいおかしな議論だ。
 (近年、トランボの再評価がすすんでいるが、「ローマの休日」には全く社会的メッセージが込められていないなどいうのもおめでたいし、「ジョニーは戦場へ行った」は反戦のメッセージを含んでいるから芸術的価値が低いなどという人はいまい。)
 時代の課題をとらえ、警鐘を鳴らしたり、共通認識化していくことは演劇の重要な働きのひとつだと私は考えている。時代の課題を取り上げたらメッセージ性が優先しているなどといったら、高校演劇でイジメの問題をとりあげることも出来なくなる。問題はいかに演劇として魅力あるものとして舞台化していくか、ではないだろうか?
 さて、では演劇としてどうだっかということだが、見終わっての感想はお見事というしかない。大集団を動かしながら、無駄のない、スピード感に富んだアクションは、それでいて単調にはならない。最初のうちこそ集団の中に紛れていた個々の役者も、しだいにその表情が鮮明となり、深みを増していく。一番の課題は10万年という時間をどう実感させられるか、ということだったと思うが、舞台上に3つのスポットライトを落とし、上手と下手から舞台を駆け抜ける黒子たちの動きを巧みに使って表現した。
 講評でも触れたことだが、課題としては「リンゴ王国」と「イカ王国」との差異と類比をどう考えるか、全体のトーンを主題に合わせて暗く設定した方がいいのか、ときに明るいトーンを持たせることでかえって恐ろしさが表現されるのか(もう一度吟味して欲しい)、ラスト近くに出てくる「夢だった」をさらに逆転させていくどんでん返しをどう印象づけ、悲劇性を伝えていくか、だと考える。
 「リンゴ王国」の独立は台本にあることだから、その通りやるしかないが、ドラマとして焦点がぶれないようにする工夫も必要だと思った(地方の逆襲や怒りの表現は必要)。
 オリジナルがある以上、影響を受けないではいられないだろうが、いかにして農三としての独自の表現を作り出していくかについては最後まで追究してもらいたい。
 カズキの町長演説を聞いていて、青森でこの芝居を上演するのには相当の勇気を必要としただろうと思った。その勇気に埼玉の地から応えようとした心意気に敬意を表する。

 飯能高校「M・H・P」作・飯能高校演劇部
 題名の「M・H・P」は確率に関する数学用語らしいが、説明を受け、自分なりに調べてみてもよく分からなかった。
 芝居を見てみると、確率のことも出てくるが、主題はむしろ人生における選択ということのようだった。人生は選択の連続である、必ずしもその条件は公平ではないが、それでも人はよりよい人生を求めて選択する、それは自己形成の過程でもある、失敗しても必ず続きがある、と伝えようとするメッセージは良質であり、むしろ常識的であると台本を読んだ段階では思った。それと引き比べ、積み重ねられていくエピソードはそれらのメッセージを正しく伝えていくだろうか、それが課題だと考えながら上演に臨んだ。
 だが、芝居をみているうちに、作品はさらに重いものを発しているのではないかという考えが起こって来た。私の若いころはまだまだ実存主義が全盛だった。その実存の有り様のようなものを描こうとしているのではないのか? たとえてみれば、人は一つの椅子にしか座ることが出来ない、一つの椅子に座ってしまえば、(少なくとも同時に)他の椅子に座ることは出来ない、というような。そして、それでも人間は選択しなければならない。死神たちのゲームとは、実は選択し直しの不可能性ではないのか? つまり、問題は確率にはないのだ。
 見終わって2週間がたってみると、果たして私の見方が正しかったのか、どうかは分からない。それでもそうした実存的な問いを投げかけて来たことは確かだと思ったのだ。
 そして、何より役者たちが達者だった。とりわけ死神Aが変幻する役どころを感性豊かに演じた。死神BもAによく応えていたし、手下1・2もしっかり脇を固めていた。女子高校生と女も、役どころはこなしていたと思う。精霊1・2・3は1年生らしくやや固かったし、もう少し透明感が欲しかったが、白の衣装を揃え、雰囲気を出していた。
 私の見方にやや自信がなさそうなもの言いをしてしまったのは、やはり台本が分かりやすくは作られていない(直球勝負で来られても困るが)ことがある。台本についてはさらに作り込んで欲しい。また、幕開けに近い段階で出てくる変態じみたエピソードは、ツカミのつもりでかえって客を引かせてしまうのではないか、と思った。飯能高校演劇部が表現上の必然であると考えるなら止めようもないが、やるならば後の女子高生や女優のかかえる問題の伏線となるような小話を用意した方がいいのではないかと思った。

 所沢高校「うぉーつつ」作・安水真由子
 所沢高校も台本に弱点をかかえていた。むしろ、その弱点をカバーしてしまうくらいに演技が突き抜けていたところで西部B地区で抜けだし、Cブロックとしての最終審査でも最後まで候補に残った。
 発表会に向けた台本づくりという、よくある設定の演劇部物である。彼らが選んだテーマは「戦争」。テーマを深めていく中で高校生たちがどのように変化していくかが主要な観点となる。
 私が台本の弱点と考えたのは、テーマに食いついていく段階では改憲や集団的自衛権の問題、中東情勢などに注目しておきながら、劇作りの段階では戦争の要因に「水争い」を持ち出し、帝王や王様がいることになってしまう点である。これでは「(中世では)闘いってロマン」を批判しても説得力がない。(もっとも「水争い」が「油争い」であったら生々しすぎたろうが。)
 私が台本上の弱点を突き抜けてしまった、と評したのは、小田ちゃんの「違う」という科白の鋭さからである。周囲から「そんなセリフは無い」という声が聞こえてくる中で、「こうじゃない。こんな気持ちじゃない。」と続ける小田ちゃんが、自分たちが作りかけた劇そのものを否定し、欺瞞や虚構を突き崩していく力に満ちているように感じられたのだ。そして、そこまで到達して初めて「ぼくたちはぼくたちの目と心で、考えたいんだ!」という科白が生きたものとなると感じたのだ。
 これは、私にそう聞こえた、ということではないと思う。私自身は最初からこの台本には否定的であったのだから。だから、これは所沢高校演劇部の生徒たちがこの台本にとりくんでいく中で、台本に振り回されるのではなく、自分たちの芝居として追い込んでいく過程で、自分たちのことばとして発することが出来た、ということではないかと思ったのだ。
 ただ、そう芝居を見つめ直してなお、台本の弱点は如何ともし難いとの思いは残った。もし、私が解釈した通りだとすれば、この演劇部員たちは一から台本を作り直さなくてはならないはずなのである。また、講評でも触れたが、まだまだ方向性を見いだせないでいる段階での部内のうだうだ感、戦闘シーンなど、細部の作り込みはまだまだだと感じた。総勢11人のキャストがいれば、科白のない役者の中には素に帰ってしまう者もどうしても出てくる。一人一人によく目を配っていることは理解できたが、この点ももっともっと作り込めるのではないかと思った。
 厳しいことも書いたが、皆で力を合わせて芝居づくりにとりくんだことは見て取れたし、好演であったとの思いは今も変わらない。

 芸術総合高校「いまここから見える君を含んだこのときのすべて」作・生徒顧問創作
 発声、科白のやりとり、身体表現など、どれをとっても一級品だと思った。脚本も小品ながら詩情にあふれ、そっけないといえばそっけないまでに多くを語ろうとしていないが、それゆえに上質な物だけを摘み取ったような、ピュアという意味での贅沢感があった。
 横尾忠則のエッセイを読んでいたら、10代のころは20歳から先の自分はまったく見えなかった、という一節があった。芝居は、「ここにいるのは『いま』から10年後の私たちです。」といって始まるが、描かれるのは「これからご覧いただくのは、『いま』のわたしたち。ここから出てくるのは、高校生です。さっきのひとたちが高校生だった時の『いま』。私も高校生に戻ります」という世界である。
 題名の「いま」「ここから見える」「このときのすべて」というのは、実は10年後に振り返ってみたときにはすでに思い出すことも不可能な、宝石のようにキラキラしながらも、その瞬間に失われていくしかない、それでいて豊穣な10代の日々ということであると思う。流れるような芝居はこびの中で交わされるあれこれの会話も、さまざまな喜怒哀楽さえ置き去りにして、止むことのない時間の残酷さを表現しているのだと思った。
 題名の分析から「君を含んだ」を故意にはずしてしまった。10代のときには君は確かに「いた」、しかし10年後には「いた」とはいえない、というのは若くして失われた命の存在を暗示させる。だが、ドラマとしてはその死は描かれていない。
 選びきれなかったのはドラマとしてのもの足りなさであった。「人魚」が人魚である所以、「ライオン」がライオンである所以が語られないと、それらのニックネームは説得力を持たないし、その後の人生に想像力をめぐらすことも出来ない。ラストシーンで出てくる「ここなんだね」という素敵な科白も、どうしても胸に落ちてこない。

 松山女子高校「千里だって走っちゃう」作・市村益宏
 大店舗の圧迫を受ける中で小さな薬局を営む家族と、その娘にひそかに恋心をいだく同級生の羽場が店の存続をかけて町内リレー大会に挑むという、破天荒といえば破天荒な設定のラブコメディーである。
 羽場がよかった。高校生の羽場もよかったし、50年後の羽場もよかった。50年後の羽場が、ときおり高校生の羽場の間近に立ちながら、往時を懐かしみ、今は亡き恋人の死を悲しむ思いが伝わってきた。母親は母親に、男子は男子に見えていた。悪役も元気に頑張っていた。
 中途半端にまとまってしまうと芝居の命が消えてしまうと思っていた。混沌としたエネルギーのようなものが欲しいと思っていたが、まだまだパワーが足りなかった。その反面、力を込めたつもりが、かえって雑になってしまったところが散見された。
 舞台美術や衣装、照明効果なども力が入っていたのは見て取れたが、細部の作り込みがまだまだ甘いと思った。

 各校の観劇を見終わって思う。ここまでの芝居を作り上げるのは並大抵の努力ではない。いろいろ注文をつけたが、それならお前がやってみろ、といわれれば返す言葉もない。力の拮抗している(それでいて尺度が異なっている)芝居が並ぶと、審査とはつらい仕事だとつくづく思う。


by yassall | 2016-09-26 11:13 | 高校演劇 | Trackback | Comments(3)
トラックバックURL : https://sakurago.exblog.jp/tb/26012450
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by 藤橋 隆 at 2016-09-26 21:12 x
審査、アドバイスありがとうございました。
部員たちと一丸となって中央大会に臨みます。

Commented by kawagoenishi at 2016-09-27 07:37
劇評の掲載ありがとうございます。
②も楽しみにしています。
                 mom
Commented by yassall at 2016-09-27 18:46
momさんも審査お疲れ様です。劇評、参考にさせてもらっています。
藤橋さん、中央発表会は必ず応援に行きます。結果よりは中味の追い込みを! イカ王国が滅びた後のドラマは夢のシーンです。客をどう欺すか、見せどころだと思います。
<< 2016秋の高校演劇 Cブロッ... さようなら原発さようなら戦争9... >>