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詩とは何か  「鳥居歌集」から

 「鳥居歌集 キリンの子」を読みながら、詩とは何かについて考えた。それは、詩において「言葉」が先か、「心」が先か、という問題である。まだまだ雑感の段階であるが、少しく文章にしてみたい。
 よく引き合いに出されるのは、「太初に言あり」(「ヨハネ伝」)と「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」(『古今和歌集』仮名序)の対比である。しかし、キリスト教文化圏であれ、日本語文化圏であれ、「言葉」が人間の思考、あるいは感情までも決定していくことは確かである。
 「言葉」は言葉の法則にしたがうから、主語は述語を求め、修飾語と被修飾語は相互に探究しあう。鳥居の次の歌をみてみよう。

  目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ

 この一首は「キリン」という言葉との出会いから始まっているのではないか? それは、「墓参り供えるものがないからとあなたが好きな黄色を着て行く」にある「黄色」が連想させたのかも知れない。そこから「キリンの子」という修飾・被修飾が導き出されることで、母の子という母子関係と自己認識が生まれる。
 さらに、キリンのイメージは「空へのびゆく」という修飾語の広がりを生み出す。変形生成文法の考え方にしたがえば、初発においては「キリンの子」が「空へのびゆく」という主語・述語の関係であったとみることも出来る。そうすると、それは「子」としての成長と自立を確認する言葉となり、距離をおいた地点からもう一度母と出会うことを可能にする。今、「キリンの子」をつつんでいる「月の光」を「かあさんのいろ」と認識したとき、母子の間に和解が成立し、交流し合う愛情を感じ取ることが出来る。

  虐げる人が居る家ならいっそ草原へ行こうキリンの背に乗り

 鳥居には別に上のような歌もある。鳥居にとって「キリン」はもともと開かれた「草原」へと自分を解放してくれるイメージとしてあったのかも知れない。地上からはるかに離脱した位置に頭をおき、「草原」にあって孤高を保てる存在として。したがって、先に述べたような「和解」もつかのまに訪れた一瞬の感情であったのかも知れない。それでも、そう歌ったとき、鳥居は一歩本来の自分に近づいたはずだと思うのである。次のような一首と出合うと本当にそう思う。

 お月さま少し食べたという母と三日月の夜の坂みちのぼる

 最初の問題にもどろう。「言葉」に捕らわれることで詩(歌)が生まれるのか、「心」がその現れ出る出口を求めて「言葉」を捕らえるのか?
 どちらが先かは別として、「言葉」との出会いによって激しく「心」が動かされるということなしに詩(歌)は生まれないと思うのである。
 先に、「言葉」はその法則にしたがう、と書いた。しかし、「キリン」の修飾語となり得る言葉、述語となり得る言葉は無数に存在する。「言葉に導かれる」といっても、無数の選択肢から選び取る力の源泉があるはずである。「言葉」が思考・感情を決定する、といっても、「心」を捕らえていない言葉は破棄されていった過程があるはずである。

 オレンジの皮に塗られた農薬のような言葉をひとつ飲みこむ

 上にあげた一首の「農薬のような言葉」とはどのような言葉であるのか? 自分に向けられた悪罵であるのか、あるいは一見は耳に心地よい偽善の言葉であるのか? いずれにしても、深く自分を傷つける予感に満ちた言葉であるに違いない。「飲み込む」とあるのは、表出されないという意味だろう。深く心に抱え込んだ言葉に苦しみながら、これを異物として拒否し、排除していく。
 最近、「自分をしっかり語る」というようなことを考えている。「自分をしっかり語る」ことは、「自分をとりもどす」「自分の居場所を発見する」ことであるに違いない。そして、矛盾するようだが、そのような「言葉」を捕らえることで、人は今ある自分を脱けだして(脱自)していくのである。

  心とはどこにあるかも知らぬまま名前をもらう「心的外傷」
  名づけられる「心的外傷」心ってどこにあるかもわからぬままで

 最後に定型という問題について考えてみる。これも「言葉」と「心」の関係に似た問題がひそんでいるように思うのである。
 寺山修司の創作活動が短歌、それより以前には俳句から始まったことを不思議に思ったことがある。希代の天才といってよい寺山が、なぜ短歌・俳句といった古典的様式を借りなければならなかったのか、という不思議である。
 私の出した回答は、言葉以前の「心」(本当にそのような「心」があると断言してよいのか、まだ自信はないのだが)があったとして、その混沌が「形」を有するものとして表出するためには、定型という通路を必要としたのではないか、というものである。
 鳥居の場合にもそれがいえると思う。定型との出会いによって、「形」あるものとして自分を見つめ直すことが出来た、そのことで「自分をとりもどす」「自分の居場所を発見する」ことが出来た、その証が「鳥居歌集」であると思うのである。
 ただ、定型は定型としての様式にしたがうという法則がある。それはときとして危ういものである、と思うのだ。
 上にあげた二首について述べる。上の一首は昨年の東京新聞に連載された「鳥居 セーラー服の歌人」でとりあげられた作品である。だが、この作品は歌集には収録されなかった。歌集に収録されたのは下の一首である。
 これは私の私見であるから間違っているかも知れないが、下の一首は上の一首を改作したもの、あるいはもともと同じ趣意の作品が何作かあって、歌集の編集にあたって選び直したものということだと思われる。
 そこで二首を比較してみる。上の一首の方が表現が直接的で、下の一首の方が技巧的であるように感じられる。もし、様式美という観点から下を選んだ(あるいは改作した)としたら、それは間違いではないかと私は思うのである。たとえ完成度で劣ることがあったとしても、固い土を破って表れ出る「言葉」の力、歌の発生に立ち会っているかのような臨場感は上の一首の方がまさり、また深い心の痛みや、「心的外傷」と呼ばれて済まされてしまうことへの鋭い拒否の姿勢、さらにはその反発が心のあり処への探究に向かう動きまでもが正しく伝わってくるように思うのである。



by yassall | 2016-05-13 16:58 | 詩・詩人 | Comments(2)
Commented by たにむら at 2017-02-08 17:51 x
はじめまして。私の好きな歌は
気づくのは 降りやんだあと雨傘の 水滴を切り空を見上げる
です。

辛い状況(雨)から身を守るように傘をさしていたが、
それもいつの間にか止んでいた。
止んでから気づき、身を守ってくれた傘を一振り、過去を振り払い
青空を見上げる、と前向きな歌ととらえています
Commented by yassall at 2017-02-09 14:46
コメントありがとうございました。歌の力が、自分をとらえ直し、自らの人生を歩み出させる、ということでしょうか? しかも、自分一人ではなく他の人々にも力を与えていく、ということに気づかされるような一首でした。
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