1 窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず という1番からはじまる「北帰行」は小林旭の持ち歌である。昭和30年代に歌声喫茶で歌われていた曲を採譜・アレンジしたものだという。小林旭版で割愛された2、4番の歌詞は以下のようになっている。(その他、2、3番にも微妙な相異がある。) 2 建大 一高 旅高 4 我が身容るるに狭き 中学生のころ、たしか「中二時代」(あるいは「中三時代」)の付録についてきた歌集で、私は原曲の歌詞を知った。(たぶん歌集を編集した人は歌声喫茶版によったのだろう。) (「北帰行」の作詞・作曲は宇田博であるということが判明したのは、歌が流行るようになってからずいぶん後になってのことらしい。旧制一高の受験に失敗した後、満州の親元に帰り、建国大学前期(予科)に入学するも校則違反で放校、次いで旅順高校に入学したが、ここも校則違反で退学になった。まさに歌詞そのままである。 次に私が「建国大学」の名を意識するようになったのは安彦良和の『虹色のトロツキー』によってである。50歳のころ、ちょうど家の建て替えで3ヶ月ほどマンション住まいをしていた折、近所の本屋でたまたま手に取った。私が購入したのは中公文庫コミック版だが、元々は1990年から1996年にかけて他誌で連載されたものらしい。中公文庫からは刊行中だったが、すっかり夢中になってしまい、ついに8巻を揃えることになった。 さて、ようやく本題に入る。『五色の虹』の筆者三浦英之は朝日新聞記者。2010年から翌年にかけて「建国大学」に関する取材にとりくみ、一部は夕刊紙に連載されたとのことである。 「建国大学」は満州国の崩壊とともに歴史の闇へと姿を消した。開校して8年弱という歴史の乏しさもあり、大学の資料はほとんど残っていないという。というより、敗戦と同時に焼却されてしまった資料も多いことだろう。 三浦が書く通り、建国大学は「日本の帝国主義が生み出した未熟で未完成な教育機関」であったことは間違いないだろう。当初に掲げた「五族協和」の理念も開校数年後には神道や天皇崇拝の強制がはじまり、植民地下における支配と被支配という、そもそもの矛盾を覆い隠せるものであり得るはずもなかった。 「建国大学」の発案者は石原莞爾であるとのことだが、その石原はそのあり方について①建国精神、民族協和を中心とすること、②日本の既成の大学の真似をしないこと、の他に、③各民族の学生が共に学び、食事をし、各民族語でケンカができるようにすること、④学生は満州国内だけでなく、広く中国本土、インド、東南アジアからも募集すること、⑤思想を学び、批判し、克服すべき研究素材として、各地の先覚者、民族革命家を招聘すること、といった意見を述べたという。 大連で取材にのぞんだ一期生の楊増志氏は、在学中に反満抗日運動のリーダーとして地下活動中に検挙されたという人物であるが、中国当局からマークされていたらしく、インタビュー中に長春包囲戦に話題が及んだとき、突然取材が中止された。長春で取材の約束をとりつけていた七期生の谷学謙氏は幾多の変転の上、中国教育界の重鎮の地位を占めるにいたった人物であり、中国での取材ビザの申請にも尽力があったということだが、どのような力が働いたのか、直前になってキャンセルされた。 こうして内容を紹介していると、とりとめもなくなってしまう。日本人卒業生については端折ってしまったが、収録されている在学中の日誌を読むと、政府が掲げる建学の理想と現実との矛盾に直面せざるを得なかった日本人学生の心の葛藤を知ることが出来る。また、卒業生のつながりが国境を越えたものであることも知ることが出来る。 「建国大学」は日本の傀儡国家であった満州国の支配のために作られた国策大学であり、「当初の崇高な理念は物理的な閉学を待たずにすでに崩壊して」いたことには、いささかの留保を加える必要もないことは明らかだろう。しかし、そこで青春を過ごした者同士に生まれた絆と信頼が、地理的な壁、時間的な壁を越えて強固に結ばれていたことも信じていいように思ったのである。 三浦英之『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』集英社(2015.12)
by yassall
| 2016-01-08 21:21
| 本
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