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今年考えたこと

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加藤典洋『敗戦後論』筑摩文庫(2005)※初版は1997.8講談社
白井聡『永続敗戦論』太田出版(2013.3)
小川仁志『脱・永続敗戦論』朝日新聞出版(2015.5)
内田樹・白井聡『日本戦後史論』徳間書店(2015.2)
内田樹・他『日本の反知性主義』晶文社(2015.3)
原田敬一『「戦争」の終わらせ方』新日本出版(2015.7)
豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本』岩波書店(2015.7)
中野晃一『右傾化する日本政治』岩波新書(2015.7)

 今年、多少とも系統的に読んだ本を並べてみた。これだけの冊数があると、内容を紹介しながら何事かを論じようとしたら、もっと以前から準備する必要があったのに、もう年の瀬というときになってから書き始めている。とても書き切れないという予測が立つが、それでも一年のまとめとして、読むようになった動機などにふれながら、頭の中に生まれた思考の輪郭線だけでも確かめておきたい。

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 動機は大きくは三つある。
 もともと、定年後のテーマに「私が生きてきた時代はどういう時代か」というのがあった。その時々に生起した様々な出来事に、あるときは振り回されながら、あるときはかなりのエネルギーをついやしながら、考えたり、行動したりしてきた。それらの思考や行動は正しかったのか、きちんと知っておきたかったし、総括しておかなければならないと考えたのだ。
 これはまだ拾い読みの段階なのだが、12月に山本義隆の『私の1960年代』金曜日(2015.10)を買った。70年安保当時、東大全共闘の議長であった人物だ。彼にとっての学生運動の出発点にあたる60年安保を振り返って、次のように書いている。

 ブント・社学同の方針は、「日米新時代」を標榜する岸内閣による安保条約の改定は、復活した日本資本主義の帝国主義的な自立過程であるという分析にもとづくもので、(中略)、他方で、当時反主流派と呼ばれていた共産党傘下の民主青年同盟(通称「民青」)系の諸君は、安保改定は米政府のイニシアチブによるもので、対米従属がより深まると主張していました。

 では55年後の今日、どちらが正しかったといえるのか?
 60・70年代の高度経済成長によって、日本資本主義は独占資本による多国籍企業化をとげるにいたった。日米安保体制が日本資本主義の帝国主義的復活の条件を作り出したとは確かに言えそうである。
 しかしながら、それは「自立」した資本主義の発展過程であったかといえば、大きな疑問を投げかけなければならない。
 こうして原稿を書いている最中にに飛び込んで来たのは「従軍慰安婦問題」で日韓合意が成立したというニュースである。「最終的かつ不可逆的解決」を急いだ結果という見方も出来るだろうが、「当時の軍の関与」を認め、「日本政府は責任を痛感している」ことを表明するというのは、日頃の安倍首相の言動から考えてあまりにも急展開というしかない。このことに関し、いち早くアメリカ政府が歓迎の意思表明をしているのをみるとき、何らかの力が背後で動いているのを推測するのはあまりにもうがった見方だろうか?(※)
 ※端的にいえば日米韓軍事同盟の障害となることを嫌い、中韓の接近を牽制しておきたいというアメリカの政治的意図を反映したとみるのが自然ではないだろうか? しかしながら翌日の新聞によると、両政府による頭ごなしの「合意」に韓国内では不満が高まっているという。日本でも「歴史修正主義」を進めてきた勢力にとっては足元をすくわれたようなことになっているのではないだろうか? この「合意」が「最終的かつ不可逆的解決」にいたるかどうかは予断を許さないとしかいいようがない。
 いや、国会審議が始まる前にアメリカの議会で「安保法制」の成立を確約し、しかもその方向が日米防衛協力指針(ガイドライン)に沿っていることを見ても、とうてい日本資本主義が「自立」した帝国主義段階にあるなどとはいえまい。とすると、先ほど紹介した山本義隆による60年安保を闘う運動体に生じた対立はいったい何だったのだろうかという疑問に戻らざるを得ない。
 『永続敗戦論』は日本の敗戦を「否認」することによって、かえって対米従属を深めていった戦後日本社会の構造を解き明かした本である。「〈憲法・安保体制〉にいたる道」というサブタイトルのついた『昭和天皇の戦後日本』はその対米従属の体制がどのように形成されていったかを検証していった本である。

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 二つめ。一冊目の『敗戦後論』だけ、ずいぶん以前に出版された本だが、その理由を述べる。志木高時代の同僚であるTさんから読書会の誘いがあり、その最初のテキストがこの本だったのだ。メンバーはTさんの大宮光陵時代の同僚であるNさんとの3人。その人数であるから場所も池袋の喫茶店で、3時間ほど粘っては3月に1回程度のペースで続けている。
 『敗戦後論』は単行本になったのは1997年であるが、収録された論文は1995年前後に書かれたものである。あたかも戦後50年にあたり、「村山談話」「河野談話」が発表された時代であり、これらの論文もそれらを背景として書かれている。
 発表された当時、いわゆる『敗戦後論』論争を引き起こしたことで知られるが、要点を簡単に述べるならば、次のようであろう。

 新たに制定された日本国憲法の下で戦後日本は国づくりをしてきた、わけても憲法9条にもとづく平和主義は戦後日本社会の柱となってきた、しかしながらその憲法は米軍による占領下で、圧倒的な軍事力を背景に強制されたものであるという根本的な矛盾をかかえている、それは今日、「押しつけ」であるが故に否定されるべきものという改憲論者の口実となり、護憲論者にとっても「押しつけ」でありながら「よいもの」というねじれを生じさせるものとなっている、そこで加藤は「憲法の選び直し」を提唱する。

 加藤は他に「死者の弔い方」といった問題を提起したり、上記についても国論を二分するというより「ジギル氏とハイド氏」にたとえて人格分裂であるという言い方をしたりしている。ある意味できわめて「文学的」な文章で、決して明晰であるとは言いがたいが、「ジギル氏とハイド氏」との比喩は戦後日本人が真に敗戦と向き合っては来なかったことを指摘して鋭いと考える。
 ※ただし、いわゆる「押しつけ憲法」論についてはもう少し丁寧な議論が必要である。『昭和天皇の戦後日本』を読んでも、改めてそう実感する。今回はきちんと論じられそうもないのでここで触れておく。
 
 読書会のことに話をもどすと、最初に選んだテキストが『敗戦後論』であったことから「戦後」をテーマとして追うことになった。『永続敗戦論』『昭和天皇の戦後日本』はその読書会の続きのテキストに選ばれた本である。

 「戦後」を考えるとき、最大のポイントは「ポツダム宣言」をどうとらえるかではないかと思うようになった。第10条と第12条を見てみよう。

 十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
 十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ


 「ポツダム宣言」は日本に降伏を迫る最後通牒として出されたものであるから、第13条に「右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス」とある通り、相当適度に威圧的に無条件降伏を迫るものとなっている。
 だが、「日本国民を滅亡させようとするもの」ではなく、(=国家としての主権は存立させ)、「民主主義」的で「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重」が確立した国家になることを要求した内容なのである。
 さらには、「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立」が達成されたときは占領軍は直ちに撤退することも確約している。
 (※ではなぜ今日まで日本には多数の米軍基地が存在しているのかという問題がある。これも『昭和天皇の戦後日本』を読むと明らかになるのであるが、簡単にいえばアメリカの世界戦略の一環に加わることを日本政府も是としてきた、というより自ら求めてきた結果なのである。)
 すでに戦争を継続する能力を失っていた日本に対し、戦勝国が力尽くで降伏を迫り、西洋的な価値観を押しつけてきたもの、などとして「ポツダム宣言」そのものを否定したがる傾向も一部にはある。
 (※5月の国会答弁で「ポツダム宣言」を読んだかという共産党の志位氏の質問に、「つまびらかに読んでいない」とした安倍首相などはその最右翼だろう。)
 だが、当時の日本政府が「ポツダム宣言」を受け容れたのはまぎれもない事実なのであり、だとすれば「民主主義」的で「平和」主義的な国家として日本が再生することは世界に対する約束だったのである。
 『「戦争」の終わらせ方』が興味深い見地を紹介している。同じ第2次世界大戦の敗戦国であっても、政府そのものが潰滅してしまったドイツと日本では敗戦処理が異なる。いわば「頭のなくなったドイツ」と「頭を残したままの日本」の差だというのである。ベルリンの壁の崩壊後、英米仏ソと東西ドイツの6カ国で最終規約条約が調印され、全面的な講和が成立したの1990年9月のことだという。

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 だが、「ポツダム宣言」に関して私が考えたこととはそのことに止まらない。「ポツダム宣言」には二面性がある。そのどちらに立つかこそが最重要の課題なのだ、という考えが生まれたのである。
 「ポツダム宣言」は連合国がある時点で突然思いついて乱暴に押しつけてきたもの、という言い方をする人がいるが、とんでもない話なのである。
 詳しくは『「戦争」の終わらせ方』に譲るが、遠くは第1次世界大戦後のヴェルサイユ平和条約(パリ講和会議)に端を発する、長く、深い議論の積み重ねが存在するのである。それは泥沼化の中で甚大な被害をもたらした大戦に対する反省から、国家間の平和維持、国際正義の保持、さらには各国に労働状態の改善までも要求する内容になっている。
 (※日本は第1次世界大戦には連合国として参加した。大戦後の軍事法廷に判事を送り出した日本が、第二次世界大戦後に開かれた東京裁判を批判するのは矛盾であるという指摘はもっともである。)

 私は最近では第2次世界大戦を対ファシズム戦争として単純化することは出来ないと考えるようになった。少なくとも1938年のミュンヘン会談、1939年の独ソ不可侵条約締結あたりまでは英仏・ソ連双方がナチスを容認し、これを利用できるとさえ考えていたふしがある。
 だが、1941年8月の「英米共同宣言」(大西洋憲章)は①領土不拡大、②民族自決、③政府形態の選択のための人民の権利、④恐怖と欠乏からの自由の必要性などを謳い、ヴェルサイユ平和条約を引き継ぐ内容となっている。アメリカは日本との太平洋戦争に突入する以前であったが、このような戦後構想を示すことによって国際世論を統合し、連合軍を結成することに成功したのである。
 大西洋憲章はもちろん連合軍側をも規制するものとなる。1943年に大西洋憲章のアジアでの適用を要求したのは蒋介石であったということだが、このとき米英は治外法権の権利を放棄している。
 こうした歴史を押さえるなら、「ポツダム宣言」がヴェルサイユ平和条約や大西洋憲章の延長にあることは明らかである。

 「ポツダム宣言」の二面性とは何かを論じてみる。結局は戦勝国が自分たちの権益を守るために世界を固定化しようとしたもの、という見方を一概に否定することはできない。
 領土不拡大の問題についても、ヨーロッパにおける南欧・東欧に対する影響力についての米英仏とソ連の密約やかけひきがあったことは今やまぎれもない事実である。アジア世界でいえば大戦終了後の「モスクワ宣言」で朝鮮の独立を認めず、当分の間「信託統治」(※)とすることを決めている。
 勝った側には自由が与えられ、負けた側や弱小国には不自由が強いられるというのは、本来の大西洋憲章の精神からは外れるものである。
 (※このことが朝鮮戦争を引き起こす原因となり、それが休戦後もアメリカ軍が韓国・日本に駐留し続ける理由のひとつになったことを考えれば、大西洋憲章に示された精神の不徹底はたいへんな禍根を残したことになる。)

 だが、そのようなシニカルな見方から脱却できず、弱肉強食・適者生存の論理に止まることは決して生産的であるとはいえない。「大西洋憲章」を掲げなければ戦争を継続することは出来なかった、「ポツダム宣言」によらなければ日本に降伏を迫ることは出来なかったことに、積極的意義を見いだすことはできないだろうか?
 ヴェルサイユ平和条約にもとづいて創設された「国際連盟」はカントの恒久平和論を反映したものだという。カントが生きた時代であったら一哲学者の頭の中に宿った理想の域から出なかったものが、人類史の中で初めて結実したのが憲法9条であった。だとしたら、たとえそれが風前の灯のごとく、いつ吹き消されるかも知れない危険にさらされている存在だとしても、決しておろそかにしてはならないと私は思うのである。

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 動機の三つめになる。今年は戦後70年ということで、様々な観点から戦後のとらえ直しや再検証がこころみられた。安倍首相による8月の「戦後70年談話」は注目を集めるところとなった。そんな年に昨年の「集団的自衛権」容認の閣議決定のもと、安保法制(戦争法案)が強行採決された。憲法9条の危機であるばかりか、立憲主義そのものの危機である。
 このような年に、「私が生きてきた時代がどのような時代であったか」を問うことはあまりに呑気なことであるだろうか? そんなことはない、と私は思うのである。「戦後レジームの終焉」などという言説がまかり通ることになりそうな昨今であるからこそ、日本の「戦後」とは何であったかを検証し、未来に生かしていくことが重要なのである。
 佐藤優の『世界史の極意』NHK出版(2015.1)は多少怪しいところもある本であるが、歴史を大局的にみること、アナロジカルにとらえることの方法と可能性を教えてくれる。
 イギリスの歴史家ホブズホームの「長い19世紀」と「短い20世紀」を例に引きながら、しかし「戦争の時代」は終わっておらず、アメリカによる覇権に陰りがさしてきた今、新たなる「帝国主義」の時代が始まったことを指摘している。
 冒頭に列記した『右傾化する日本政治』は二つの勢力がせめぎ合ってきた戦後史を、時代を追ってていねいに解説した本である。『永続敗戦論』などを読むと対米従属の体制が構造的なものであったことになるが、『右傾化する日本政治』によると冷戦時代、ベトナム戦争後、ソ連崩壊後、中国の経済的台頭という各時代によって、そのあり方が違って来たことを知ることが出来るのである。決して固定化されたものとして捉えてはならないのである。
 『右傾化する日本政治』によれば現在は「右傾化」の完成期である。立憲デモクラシーの会の共同代表をつとめる中野晃一がそれを良しとしているわけではもちろんない。リベラルの復権はどのようにして可能かについても提起されている。

 『日本の反知性主義』も力になる本だと思う。「日本の」と断り書きがある通り、「反知性主義」にはアメリカに始まる歴史があり、それらもこの本ではていねいに解説されている。新自由主義といったときにニュー・リベラリズムとネオ・リベラリズムとは区別されなければならず、アメリカのそれと日本のそれとはまた性格が異なるといったこともこの本に書いてあったのかも知れない。
 それらの細かい議論をはしょっていえば、「反知性主義」とは「自分に不都合な真実は否認する」ということである。すると、現代日本を支配しようとしている風潮が「反知性主義」そのものであることがたちどころに理解できる。原発の再稼働しかり、歴史修正主義しかりである。

 それではこのまま日本は右傾化の道をたどり、戦前のような社会に逆戻りしてしまうのであろうか? 私は今年戦争法案反対に立ち上がった若者たちのすがた、また年末に近づくにつれて相次いで封切られた映画「杉原千畝」や「母と暮らせば」のヒットをみたとき、戦後日本がたくわえた平和と民主主義の力はまだまだ侮れないと思っているのである。

 最後に、これもまだ拾い読みなのだが、岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電』新潮選書(2012.8)のことを紹介して終わりにしよう。
 小野寺信は日本陸軍の軍人であった。1940年11月にはスウェーデン公使館附武官に任命され、諜報武官としての任についていた。大戦末期、その小野寺のもとにある情報がもたらされる。ヤルタ会談で、ドイツが降伏した3ヶ月後にソ連が日本との戦闘に参戦するという内容である。杉原千畝に恩義を感じていたユダヤ人スパイから伝えられたものだという。小野寺は直ちに本国にその情報を暗号電で送る。
 受け取った日本政府や大本営はどうしたか? あろうことか日ソ不可侵条約を頼みに、戦争終結のための仲介を要請しようとしていた日本政府はその情報を握りつぶしてしまったのである。
 ※この間の経緯は以前に「NHKスペシャル」が特集したことがあり、私も2013.3の雑感でアップしたことがある。
 小野寺信は筋金入りの日本帝国軍人であり、反共主義者であり、愛国者だった。だが、「反知性主義者」ではなかった。電報を受け取った日本の戦争指導者は「自分たちに不都合な真実」を否認してしまった。
 「反知性主義者」が政権の座につくことを許容し、一国の命運のを委ねることがどれほど危険で、国を滅ぼしかねないか、これもまた歴史が教えるところなのである。



by yassall | 2015-12-30 19:25 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
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