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2015年埼玉県高校演劇中央発表会

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 11月14、15日の日程で埼玉県高校演劇中央発表会が開催された。今年は2年連続出場は川越高校のみということで、各校どんな芝居で地区発表会から勝ち上がってきたのか、楽しみに出かけた。
 ところで今年についてはちょっとしたオマケつきだった。数日前、いつも写真記録を担当しているIさんが14日に他の出張が入ってしまい、ピンチヒッターで1日だけ代わってくれないか、というメールが事務局から届いた。もともと2日間とも朝から出かける予定でいたので、つい、いいよ、と返事をしてしまったのである。
 まあ、連盟通信用に何枚か使えそうな写真があればいいのだろうし、上手に撮れなかったら撮れなかったで、次からは頼まれないで済むだけのことだ。それでも目つむり写真や手ブレ・動体ブレ写真ばかりでは申し訳ないので、どうしても一定の数はかせぐことになる。
 そんなわけで、普通は撮影禁止になるところ、どうどうと写真を撮るという体験ができたわけだが、出場校にも事務局にも許可を得ているわけではないから、勝手にアップするわけにもいかない。しかも、14日は一日中、15日も朝のうちは雨であったので、いつもの芸術劇場の写真も、与野本町駅前のミニバラ園の写真もない。あまり寂しいので、大ホールの緞帳だけ貼り付けておく。中には懐かしがってくれる卒業生もいるだろう。

 さて、今年の最大の楽しみは東京農大三高の芝居だった。コピスの常連というだけでなく、川越坂戸・熊谷・比企地区という、たぶん今年のブロック割りで一番の激戦区を抜けだし、しかも大道具・小道具いっさいなし、照明は地明かりのみ、音効は肉声のみ、出演者全員ジャージ姿とあっては興味の湧かないわけがない。
 演目は「もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら~」である。寡聞にして始めて耳にするタイトルである。作者・畑澤聖悟のHP「渡辺源四郎商店」から紹介文を引用しておく。

 4月。青森市にある県立賽河高校。その野球部に女子マネージャー、シオリが入部してきます。彼女は1年生の頃、陸上部に入部しており、やり投げでインターハイに出場したほどの選手でしたが怪我のため現役を断念し、陸上部が廃部になったため、2年生のこの時期に野球部に入部したのです。自分が果たせなかった夢を野球部に仮託し、情熱を燃やすシオリでしたが、肝心の野球部は部員が8人しかおらず、やる気のかけらもありません。一念発起したシオリは部員勧誘に乗り出し、転校生カズサに目を留めます。カズサは被災地の学校からこの春転校してきたばかりでした。そして、前の学校では野球部に所属していたというのです。「野球は辞めた」と言いはるカズサをなんとか説得したシオリは「今度はちゃんとしたコーチに来て貰おう」と学校に掛け合います。しかしやってきたコーチはなんと、盲目の老婆、イタコでした。「ワの言うことを聞げば絶対甲子園さ行げる」と豪語する老婆。野球部はいったいどうなってしまうのでしょうか?

 2012年の全国高等学校演劇大会で最優秀賞を受賞、その後も避難所や体育館等を利用して、被災地を中心に全国で上演されているそうだ。
 こうした作品を上演する際、どうしても埼玉の高校生が演じることの是非が問われることになる。この点について、農大三高の生徒たちはパンフレットに次のように書いている。

 東日本大震災から4年。私たちがこの芝居を上演することができるのか……。この疑問を解決するために、この夏、被災地のいわき市へ部員全員で言って参りました。

 見終わってから、というより、見ている最中から、激しい感動の嵐が押し寄せてくる。それはもちろん台本のもつ力が大きいが、そればかりではあるまい。生徒たちが被災地の人々と語らい、演劇部内でディスカッションを繰り返し、台本と向き合い、確信をもって、真っ直ぐに芝居に取り組んだからではないだろうか?
 次々と展開するフォーメーションによる集団行動は厳しい身体訓練のたまものだろうし、ハーモニーの美しい合唱、一皮も二皮もむけた演技は練習量が並大抵でないことを伝えている。それもこれも、そこから生まれたものに違いない。
 少なくとも1日目を終えた時点では関東大会へ選抜されていくことを確信したし、そうなることで、被災地で生まれたこの芝居が全国のものになったことを証明してもらいたいと考えた。
 
 全日程を終え、発表された審査結果は次のようなものだった。

 最優秀賞   宮崎駿原作・阿部哲也脚色「最貧前線(「宮崎駿の雑想ノート」より)」  川越高校
 優秀賞1席  オオマリコ・作「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」  芸術総合高校
 優秀賞2席  ふくすけ・作「その向こう側に。」  戸田翔陽高校

 先に書いたように、川越高校も農大三高といっしょに激戦区を勝ち抜いてきた学校である。それだけのことは確かにあった。創作脚本賞を受賞した台本は時代の今日的課題に応えようとしているとも思えたし、昨年は1年生ばかりでいかにもビギナーズ然としていた役者たちも明らかに力をつけていた。それだけに今後の課題としてはヘタウマ(という言い方を好まない人も多いが)的好感度の段階を超えて、「普通の」強豪校として他の強豪校と渡り合っていかなくてはならない、その覚悟を持たなくてはならないということだろう。
 芸術総合高校の芝居は賛否が分かれるかも知れない。建築家アントニン・レーモンドによって設計された東京女子大学をモデルにしたらしい、女子大生たちの入学から卒業までを描いた作品である。昔でいうとペギー葉山歌うところの「学生時代」とどれくらい差があるの?という気がしないでもないが、鍛えられた発声と身体表現によって、美しい叙情詩の群読を聞いているような心地よさがあった。好きか嫌いかといわれれば好きな方である。(といいながら、途中少しも退屈しなかったといえば嘘になるが。)
 戸田翔陽高校の芝居はさらに賛否が分かれるだろう。美術部に応援してもらったという舞台装置は、斜めにカットされたパネルがデザイン的に優れていたとは思う。だが、肝心のドラマが作れていたかというと疑問が残るし、演技もただ動き回っていただけという感が否めない。

 審査経過の報告の中で、他に第三位の候補にあがった学校が浦和一女と浦和北高であるというような話があった。両校とも昨年浦和地区の審査に行ったときに印象に残った学校であり、選から落とすのに忍びがたいものがあった。その意味ではよくがんばってくれた(私のためにがんばってくれたわけではもちろんないが)と思う。

 さて、ここからが本番である。さまざまな観点があるのは仕方がないし、審査結果をうんぬんしても詮ないことではあるのだが、何としても心残りなのが農大三高である。これらの学校にひけを取ったとはどうしても思えないのである。
 そうすると、審査員の講評ですら、ただの難癖でしかないように思えてくる。農大三高が言いだしたら見苦しいだけになってしまうから(あとで顧問のFさんに聞いたら、生徒たちは「先生、ああいうふうに言われたら仕方がないよ」と冷静に対応していたという)、代わって私が書くことにする。

 主として舌鋒鋭かったのは自分は元野球部員だったという審査員である。その審査員にいわせると「(バットの)素振りがなってない」(まともなコーチもいない学校だったのに)のであり、「沢村の霊を呼び出して試合を勝ち進んで何が嬉しいのか。自分たちの力で勝ち上がってこそではないか」なのだそうである。
 野球にとってピッチャーが決定的なことくらい、私だって知っている。だが、審査員は「160kmを超えるカズサの球を受けるためにキャッチャーは猛特訓をしたそうです」という科白を聞き落としたのだろうか? ピッチャーがその力を発揮できるのは頼りになるキャッチャーがいてのことである。優秀なピッチャーほど、ストライクゾーンを外す球を投げ分ける。直球にしろ、変化球にしろ、ストライクゾーンを外れてくる球を捕球してくれるキャッチャーがいなければ、投手は安心して球を投げることはできない。チーム力は明らかに向上しているのである。
 第一、他の審査員が指摘していたように、相手チームは全国から優秀な選手をスカウトして集めてきたような学校であるらしい。学校数が少ない県ほど甲子園に行ける確率が高い、などといって選手を誘って歩くのだろう。そうして集められた選手も甲子園を足がかりに、プロの世界へすすもう、やがては大リーグにも挑戦しようという者たちなのである。青森の生徒たちが青森のイタコの力を借りて何が悪いというのだ。
 だいたい、この芝居を野球の試合を勝ち上がっていくドラマだと思うのが間違いなのだ。それは仮の姿なのであって、これは東日本大震災で亡くなった厖大な死者たちの鎮魂と、故郷の再生への祈念のドラマなのである。「単なるマスゲームに堕する危険性」だとか「背景としての集団劇が前景の芝居を殺している」だとか、どこに目をつけているんだと言いたい。あの集団こそ、若くして断たれた生命の輝きを甦らせようとし、また生き残った者たちを鼓舞しようと力強くも立ち上がった無数の死者たちの表象なのである。劇中で何度も歌われる「栄冠は君に輝く」は誰に向かって歌われていると思っているのだろう。
 農大三高の生徒たちはそこのところをきちんと理解している。でなければ、あんなにもさわやかな、明るい表情でい続けられるはずがない。自分たちは「その他大勢」ではなく、ほんとうの主人公であることを知っているのだ。
 (観客の反応についてもここで書いておきたい。会場は作中のギャグに反応して湧いただけはあるまい。あの集団芝居のもつエネルギーを受けとめ、共感したからこそではないか。芝居にたずさわる者が客をなめてかかってはいけないのだ。)
 ここでもう一度、沢村栄治のことに戻りたい。「沢村は復活して高校野球で投げることを喜んでいるだろうか?」だと。3度目の徴兵で27歳で戦死した沢村を呼び出したところに、「修学旅行」を書いた作者のもう一つのメッセージを読み取れなくてどうする。死者を忘れてはならないのだ。それでよく脚本家だとか演出家だとか言っていられるものだ。
 沢村の霊が成仏をとげることでチームは決勝戦に敗れる(そう、沢村は成仏をとげたのである)。ああだ、こうだと審査員がケチをつけようとしていたことの答がここに出ている。作者は最終的な勝利を与えてはいない。このドラマの主人公たちは志半ばで斃れた者たちなのである。
 この芝居のラストシーンはイタコの修行を終えたチームメイトが、カズサの死んだ元のチームメイトの霊を憑依させ、カズサと再会させるという設定になっている。そういう結末になるのだろうということは予想された。被災地の人間ではない者たちがそこまで演じていいのか、一番迷うところだった。
 だが、今は思う。そこまで演じてこそ、このドラマは完結する。なぜなら、このドラマは挫折からの復活を誓うドラマであり、もう一度命よ輝け!と希うドラマであるのだから。

 やはり、書かなければよかったかなと思い、いや決して贔屓の引き倒しではない、とまた思い直し、アップすることにする。ああ、もう一度彼等の歌う「栄冠は君に輝く」を聞きたい。


by yassall | 2015-11-17 01:39 | 高校演劇 | Trackback | Comments(2)
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Commented by torikera at 2015-11-17 22:30 x
ちょうど昨日同僚の若い演劇部顧問と大会の話しになり 高校演劇を観て初めて泣いてしまったとにうので どんな劇なのときいたら 農大三高の「もしイタ~」だというので それなら僕もTVで被災地で上演しているものを観たことがあると 話が盛り上がりました(´▽`)ノ
Commented by yassall at 2015-11-17 23:04
直球勝負というのが第一印象。真正面からこの芝居に取り組んだことが伝わって来ました。よく、これだけの芝居を作り上げました。それだけに審査結果は不可解! 実は、審査員の頭の中に「もしかしたらコピーじゃないの?」という疑いがあったのでないかと勘ぐっています。中学時代、ブラスバンドだった生徒が演出にあたったといっていました。マーチングもやっていたかどうかは分かりませんが、合唱や集団劇のフォーメーションはその生徒が中心になって考えたのではないでしょうか? ストーリーとセリフとト書きが一緒なのだから、どうしたって似たような部分は出てくるでしょうが、ちまちまとした了見は捨てて、この芝居を拡散してやろう!という心意気を買って欲しかったです。
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