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つい一言 2015.4

 自民党は28日の総会で、サンフランシスコ条約が発効した4月28日を「主権回復記念日」とし、祝日法を改正して祝日に加えることを求める決議を採択した。
 同日は沖縄がアメリカの施政権下におかれた日であり、沖縄県民にとっては「屈辱の日」である。今年も「屈辱の日県民集会」には2500人が集まり、辺野古基地の建設を強行しようとする日米政府に対する怒りの声があがった。
 自民党がいかに「主権回復」の旗印をかかげようと、国会審議を飛び越した日米ガイドラインで地球規模の米軍支援を約束させられ、新たな米軍基地の建設を強いられるままに平然と沖縄を切り捨てているありさまでは、せいぜいが「目下の同盟国」、真の姿はいまだ占領下におかれた従属国(もしかすると衛星国)という実態がますます鮮明になるばかりだ。
 「戦後70年談話」は「未来志向で」などとのたまっているが、このままでは本当に日本の未来は危うい。(4月30日) 

 4月28日という日程を設定したのはアメリカ側の演出だろうか? 1952年にサンフランシスコ条約が発効した今日、日米防衛協力指針(ガイドライン)が日米の外務・防衛の閣僚協議で決定した。
 戦時における機雷掃海など、集団的自衛権の行使に関わって、国会でこれから争点になるはずのことがらが、想定される協力項目に盛り込まれているという。
 外務・防衛閣僚会合では、普天間基地の辺野古への移設について、「固定化を避けるためには、唯一の解決策」という認識について確認したともある。
 日本では、憲法よりも日米安保条約の方が上位にあるのだろうか? 戦後は終わっておらず、日本は依然アメリカの占領下にあるというのは説得力がある。のこのこアメリカにまで出かけて行って、こんな約束をして来る連中が「戦後レジームからの脱却」などという戯言をのたまっているのだ。その矛盾に自分たちは気がつかないのだろうか!(4月28日)
 ※いわずもがなだが、内容自体の問題ももちろんながら、国会で決まる前に(与党間でも協議中なのに)、アメリカと約束してしまうことをとらえて「占領下にある日本」といわざるを得ないのだ。

 福井地裁が高浜原発の再稼働を差し止めた仮処分決定に対して、和歌山県の仁坂知事が定例記者会見で「大飯も高浜も判断がおかしい」と疑問を呈した問題について文章を書いた(「正気にもどれ!」)。交通事故と原発事故とが比較の対象になるかという問題について、こんなことも考えてみた。
 交通事故であれば事故を起こした人間の責任が問われ、処罰の対象になる。自動車そのものに欠陥があった場合にも賠償責任が問われるし、メーカーが欠陥を認めた場合には速やかにリコールしなけければならない。
 原発事故が発生したとき、その責任は誰がとるのか? 福島原発についていえば、電源喪失の危険性は過去に国会で指摘されていたという。その追求に対して、「日本の原発は安全だ」と突っぱねたのは現在の安倍首相だというではないか。
 アメリカのGEとは、原発事故があっても責任は追及されないという契約がなされていたという。原発メーカーの責任が問われないように予め布石が打たれていたというわけだ。
 再稼働についても、規制委員会は「基準への適合審査はしても、安全とはいわない」といっているのに、政府は「規制委員会の審査にもとづいて」「地元の同意を得て」といい、地元は「政府の責任で」と、互いに責任をなすりつけあっている。
 つまりは、原発事故のような場合には何人も責任を取りきれない、ということなのだろうが、この無責任体制の構造こそが原発村の温床になっているのではないだろうか?(4月22日)

 斉藤隆夫の「反軍演説」について書いたことがある(「正邪曲直自ずから分明」2013.7)。当時、議会内の諸党派は「聖戦」を冒涜するものとして議事録から演説の抹殺をはかり、圧倒的多数の力で斎藤を衆議院から除名した。
 なぜそのことを思い出したかというと、3月1日の参院予算委員会で社民党の福島瑞穂氏が政府が提出をめざす安全保障関連法案を「戦争法案」だと批判、答弁に立った安倍首相が「レッテル貼り」だと逆ギレし、17日になって自民党の理事から「一方的な表現」だとして修正を求めたという事件が報道されたからだ。
 国会発言を削除・修正するのは国会の権威や人権を傷つけたり、事実関係を間違えたりした例が大半。政治的な信条に基づく質問の修正を求めるのはきわめて異例であるという。
 先の三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言がまかり通って、「戦争法案」発言にこれほど目くじらを立てる背景にあるものはなんだろうか?
 福島氏は修正を拒否。岸宏一予算委員長は「福島瑞穂さんの発言中、不適切と認められるような言辞があったように思われるので、後刻理事会において速記録を調査の上、適当な処置を取ることとする」と述べたとのことだ。
 ついに国会内にまで言論封殺の手が及びはじめたということか。斎藤隆夫の「反軍演説」が1940年2月2日、太平洋戦争開戦の1年前であった。(4月19日)

[国内の原発が戦争やテロなどで攻撃を受けた場合の被害予測を、外務省が1984(昭和59)年、極秘に研究していたことが分かった。原子炉格納容器が破壊され、大量の放射性物質が漏れ出した場合、最悪のシナリオとして急性被ばくで1万8千人が亡くなり、原発の約86キロ圏が居住不能になると試算していた。研究では東京電力福島第一原発事故と同じ全電源喪失も想定していたが、反原発運動が広がることを懸念し公表されなかった。](東京新聞4/8)
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015040802000140.html
 なぜ公表されなかったのか? もちろん、自分たちにとって「不都合」であったからだ。オイルショック以降、国策としてすすめてきた原発の建設にストップがかかってはならなかった? 多額の先行投資を「無駄」に出来なかった? つまりは「命よりは金」なのだ。
 それにしても、これだけのデータが出ていたながら「粛々」と原発政策をすすめてきた鈍感さはなんだろうか? 「金」が一国のリーダーたるべき人間たちの目を曇らせ、漠然とした「安全神話」に自らを麻痺させて来たのだ。(4月9日)
※そして福島原発事故から4年、ふたたび自らと国民を麻酔にかけようとしている。

 6日、経団連の榊原会長は記者会見で、高収入の専門職で働く人を残業代の支払いなど時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」について「制度が適用される範囲をできるだけ広げていっていただきたい」と述べ、将来的に年収の要件緩和や対象職種の拡大が必要になるとの見解を示したという。
 「多様な働き方」などという訳の分からない言い方で、労働者の「働き方」の選択肢を増やすように見せかけながら、実は資本家に都合のよい「働かせ方」に変質させようということではないのか? それが経団連の本音だということだ。(4月8日)

 政府は3日、「残業代ゼロ」制度創設や裁量労働制の対象拡大などを盛り込んだ労働基準法などの改正案を閣議決定した。
「残業代ゼロ」ではなく、「残業ゼロ」社会を作らなくてはならないはずなのに、時代に逆行する長時間過密労働法だ。これでは古代の奴隷労働、中世の経済外的強制労働の再来になってしまう。
 「仕事があるだけありがたいと思え」とか、「代わりならいつでもいる」などという脅し文句に屈していていいのだろうか。これでは日本社会そのものが「ブラック企業」化する。(4月4日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015040402000148.html
by yassall | 2015-04-01 14:55 | つい一言 | Comments(0)
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