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ユートピアを求めて ロシア・アヴァンギャルド展

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 「ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」展を見に世田谷美術館まで出かけて来た。
 ロシア・アヴァンギャルドについては、20代だったか30代だったかの頃、かなり充実した美術展が開催されたことがある。(そのときのチラシもどこかにあるはずなのだが、探しても見つかりそうもない。※注)
 今回の企画展はデザイナーでもありポスターの蒐集家でもあった松本瑠樹氏のコレクションをもとにしており、内容としてはポスターに特化している。ただ、それだけに芸術運動としてのロシア・アヴァンギャルドが、どのような大衆的な広がりを持とうとしたかが明らかにされるような内容となっている。
 第1次世界大戦後に起こった芸術の革新運動はダダイズムにせよ、シュルレアリスムにせよ、西欧を中心として展開されたという印象が強い。とくにパリには多くの才能が集結した。
 だが、それと匹敵するような力強さでロシア・アヴァンギャルドは同時進行的に展開された。しかもそれは1917年のロシア革命がめざした社会主義建設の理想とともにあったことに特徴づけられる。そして、そこにロシア・アヴァンギャルドがたどった悲劇もあったのである。
 ロシア・アヴァンギャルドの担い手たちはロシア革命の成功に心血を注ごうとした人々でもあった。だが、ソビエト政府による経済政策の転換、スターリンの台頭、忍び寄る第2次世界大戦の影の中で、それらの前衛的かつ革新的な芸術運動は弾圧の対象となっていく。芸術家たちは粛正されたり、謎の死をとげたり、亡命を余儀なくされたりしていくのである。
 そうしてみると、これらのコレクションがこのように大量に残され、展示されていることが奇跡であるかのような思いがしてくる。ソビエト時代に一度否定され、ソビエト崩壊後もしばらくはロシアを滅亡に導いた芸術運動として否定され、再評価はずっと後になってからのことだったという。
 わずか10年間というその軌跡をたどってみると、モンタージュ技法などに前衛性を認めるものの、5カ年計画時代の政治ポスターなどは社会主義リアリズムとほぼ変わらない印象がある。考えてみれば、社会主義リアリズム自体も、その時代にあっては最先端をめざしたものであったのかも知れない。
 時代の先を行き過ぎ、大衆の理解と支持を得られなかったなど、ロシア・アヴァンギャルドの挫折の要因はさまざまで、一概にはいえない。
 それでも、現代にあってなお色褪せないものを感じたし、ユートピアに向かって溢れ出るような情熱をかたむけた夢の跡を見たように思ったのだった。

◎関連参考文献:亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』岩波新書(1996)
※亀山の本を再読して分かったのだが、私が見た「ロシア・アヴァンギャルド展」とは1982年・87年に池袋西武百貨店で開かれた「芸術と革命」展であった。そのどちらかかまでは記憶にないが、87年の方だったとすれば、まさにペレストロイカが提唱されたころのことである。 
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 まったく話題が異なるが、徳大寺有恒氏(74)が亡くなったとのことである。『間違いだらけのクルマ選び』を愛読していた時期があったし、『ぼくの日本自動車史』には氏の自動車への愛がにじみ出ていた。ご冥福を祈りたい。

by yassall | 2014-11-08 20:05 | 日誌 | Trackback | Comments(0)
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