関西電力は福井県・高浜原発1号機・2号機について、運転期間を40年を超えて延長することを目指し、特別点検(※)を行うと発表した。記者会見で八木社長は、「安全性の確保に必要な各種対策を実施するめどがついた」と述べたという。
原発推進論者は「老朽化した火力発電所は、いつ止まるか分からず、危険だ」などといっている。老朽化ということでは、原発の方がよほど過酷な条件下で運転されている。つまりは「モトが取れる」まで使い倒したい、ということなのだろう。そのために「安全神話」をふりまり、また自らも信じ込もうとしている。それにしても選挙前に強気なことだ。国も、地元も反対はしないと踏んでいるに違いない。(11月27日) 大阪市教職員組合(約4千人)が年に1度開く教育研究集会の会場として小学校を貸さなかった処分は不当として、市教組が市に計約620万円の賠償と処分の無効確認を求めた訴訟の判決が26日、大阪地裁であった。中垣内裁判長は約41万円の賠償を命令。市が学校を貸さない根拠とした労使関係条例の「労組活動へ便宜供与しない」とする条文に対し、「適用すれば団結権を侵害して違憲」との判断を示した。(朝日デジタル) 教職員組合が大会や教研で学校を借用する時には、光熱水費にあたる金額は謝礼として支払う。当然のことである。県民の財産を不当に侵害はしていない。ニュースを聞いて、大阪ではそんなことまでしているのかと、むしろそのことに驚きとともに恐怖を感じる。教師に限らず、働くものの団結や向上のための自主活動を抑圧することで、誰が、どのような利益を得るというのか?(11月26日) 本日、衆議院が解散した。 冷静に考えてみれば、消費税の引き上げを先延ばしにしたので分かるとおり、①思うような経済成長を達成できず、今後の追及をかわすため、②選挙後に、さらに国民の生活と安全をおびやかすような政策をおしすすめるため、の二点が解散に踏み切った理由に違いない。 「国民に信を問う」といえば一見アクティブのようであるが、一方で「何について信を問うかは政府が決める」と争点隠しのための煙幕も忘れない。 (間違っても「消費税引き上げの延期は是か非か?」が争点だなどというすり替えは許されない!) どのような公約を掲げるのかは知らないが、「安全でない原発は再稼働させない」「原発に可能な限り依存しないエネルギー政策をすすめる」「聖域なき関税撤廃を前提とする限り、TPP交渉参加に反対」などの2年前の公約がどうなったかを、国民はもう忘れてしまっただろうなどと侮ってはいけない。 これも戦略であろうが、よくぞこの年末に選挙をぶつけてきたな、と怒ってもはじまらない。この2年間の政治に対する審判と、これからの日本の進路を定める選挙として、重大な関心を払っていきたい。(11月21日) 衆院の解散・総選挙を表明した安倍首相は、アベノミクスの成果を強調し、賃金も上がり、景気が好循環に入ったと強弁している。総選挙はそのアベノミクスを確固たるものにするためだ、などとうそぶいている。 この2年間で暮らしはどうなっったか? 正規雇用の労働者数は22万人の減、かわって非正規雇用の労働者数は123万人増え、非正規雇用の割合は1.6ポイント上がって37.1%となった(総務省「労働力調査」)。年収200万円以下のワーキングプア人口は29万9千人増えて1119万9千人となった(国税庁「民間給与実態統計調査」)。 これらを反映して実質個人消費は2兆1186億円の減となっている(内閣府「国民経済計算」)。いったい、どこの誰が成長や好景気を実感できているというのか? 大型公共投資の結果、一部建設業などでは人手不足が生じ、建築費が高騰しているという。かえってそれが民間の設備投資を阻害しているという分析もある。 どだい、実体経済がともなわないのに金融緩和を続けていても、新たなバブルを生じさせるだけではないのか? そうなれば株式を操作するなどして、「濡れ手に粟」をつかんだ一部の資産家に富が集中するだけで、格差はますます広がるだけだ。 どうみてもアベノミクスの失敗を隠蔽するための総選挙としか思えないし、本気でこのまま無茶苦茶な「成長戦略」を続けて行けばいつか破綻がやってくるのは明らかだ。 「高度経済成長の夢よ再び」から一刻も早く醒めて、低成長でも持続可能な社会をどう作るかが課題だと私は考える。(11月20日) 昨日、衆議院の解散・総選挙が表明された。なぜ今解散?という疑問や、これから年末に向かおうという時節柄、関心が高まらないまま投票日を迎えてしまうことが懸念される。 だが、この2年間を振り返ってみれば、今回の選挙の重大性は計り知れない。昨夜のNEWS23に出演した安倍首相は「国民に信を問う」と選挙の意義を訴えている。 公約になかった特定秘密保護法を強行採決し、日本を再び「戦争ができる国」にすることに道を開く集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。選挙前には「安全でない原発は再稼働しないんです」といっていたのに、原発を「ベースロード電源」と位置づけ、再稼働をすすめようとしている。武器輸出三原則をなし崩しにし、原発の輸出ともども、「死の商人」の道を踏み出そうとしている。 無関心であることは、これらに「信任」を与えてしまうことだ。選挙を終え、長期政権の座を与えてしまえば、その暴走は止まることをしないだろう。 このブログを読んでくれている人にはさまざまな意見の方がおいでだろう。おのずから限度のあることをわきまえながら、やはり発言すべきは発言していかなければならないと思うのである。(11月19日) 伊藤祐一郎鹿児島県知事は7日午後、九州電力川内原発について「原発再稼働を進める政府の方針を理解する」と述べ、再稼働に同意する考えを表明した。 政府は「地元の同意」に、鹿児島県知事は「政府の責任」でと、責任をなすりつけ合ってきた結末である。 「地元の同意」というが、地域住民の反対を押し切っての強行であったことは忘れないようにしないといけない。ひとたび過酷事故が発生したとき、その影響のおよぶ範囲を考えれば、だれが世界と未来世代に責任を負おうとしたかは歴然としている。(11月7日) 川内原発の再稼働を前に、日本火山学会が、巨大噴火について原子力規制委員会の審査基準を見直すよう求める提言をまとめた(2日)。 昨日の定例記者会見で、規制委員会の田中委員長は、「火山学会が今更のごとくそんなことを言うのは、私にとっては本意ではない」と述べ、「火山学会挙げて夜も寝ないで観測をして、国民のために頑張ってもらわないと困るんだよ」と不快感をあらわにしたという。 いわゆる「逆ギレ」によって窮地を脱しようというのは良くある手だ(最近の安倍首相の国会答弁もしかりである)。だが、この人はつい1年ほど前には「規制委員会の審査というのはそんなに甘いものではない」とうそぶいていたのではなかったか? 「不眠不休」で、などというのが非科学的だが、予知できないものはできないのだし、予知できたとしたって、噴火が起こる前に核燃料を運び出せるとは思えない。(前にも書いたように、ベースロード電源と位置づけた原発を停止出来るのかさえ疑わしい。) 同記者会見では、その点を指摘され「『石棺』という方法もある」と述べたということだが、それこそ科学者の言説とは思えない。「石棺」はセメントで覆ってしまうだけだから耐用年数には限界がある。チェルノブイリでは30年を経て「石棺」をさらに覆う「石棺」を建造中である。セメントで固め、さらに溶岩流に覆われてしまったら、その後手の施しようもない。 これらの妄言が飛び出すようでは、「安全神話」「安心神話」は始まる前から破綻してしまったという他ない。(11月6日) 環境省が福島原発事故による健康影響について中間とりまとめ案を発表した(10月20日)。それによると、「被曝線量の上限値でも、健康影響をもたらす可能性は低い」とあるとのことである。 避難生活を強いられ、生活の場であった故郷に帰れない状況が続いていることはともかくとして、健康に対する悪影響が最小限にとどめられたことが本当ならばそれに越したことはない。そうでなければ避難した甲斐もなくなってしまう。 だが、専門家会議の複数の委員からはデータ不足が指摘されているという。原発推進派と目される「国際放射線防護委員会」のメンバーである伴信彦氏(東京医療保健大教授)からも、「一番高い被曝線量はよく分かっていない」との発言があったそうだ。 エボラ出血熱は最長でも21日間で発症する。だが、特に晩発性の放射能の影響はすぐにはあらわれない。そのかわり、その人の一生に影響を与え続ける。 環境省の中間とりまとめ案が新たな「安心神話」に利用されてしまうのではないかと懸念するのは、ヒロシマ以来、人体に対する放射能の影響は軍事機密とされ隠され続けて来たからだ。 政府が「存在しない」と言い続けてきたビキニ水爆実験による日本の漁船員に対する調査データが公表されたのは半世紀を経てからのことである。(11月5日) 「つい一言」が滞りがちになっているのは、「これは変だ!」というのが誰の目から見てもあからさまで、わざわざ指摘するまでもないから。どれくらい「これは変!」で、「これは危ない!」かは、古賀茂明『国家の暴走』(角川書店)を読むと分かる。 いまだによく理解できないのは、アベノミクスとよばれる経済政策である。 国債を大量発行し、日本銀行がこれを買い取るという構図は戦前の戦時資本主義と同じ手法だという。一方、これまで国債を中心に運用されてきた国民年金・厚生年金の積立金を大幅に株式に投入するという。 (アメリカの社会保障信託基金の運用は全て非市場性の米国政府証券で行われている、云々にかかわる予算委委員会での塩崎厚生相と民主党細野議員の応戦はもっと注目されるべき。) 国債の大量発行は未来世代にツケを回すこと、年金積立金を株式のリスクにさらすことは現有している国民の財産を食い物にすること。 それによってわずかばかり株価が上がったからといって、景気が好循環を迎えたなどというまやかしに、いつまでも欺される国民ではあってはならない。(11月3日)
by yassall
| 2014-11-01 12:30
| つい一言
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