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米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』

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 米原万里(1950-2006)、日本共産党常任幹部会委員・衆議院議員であった米原昶の長女として生まれた。父親が日本共産党代表として『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任されたことにともない、一家でチェコスロバキアに移住、9歳から14歳までをプラハのソ連大使館付属学校(ソビエト学校)に通った。その後、曲折をへて東京外語大・東大大学院で露語露文学を学び、同時通訳として活躍しながら、文筆生活に入った。

 米原万里については亀山郁夫+佐藤優『ロシア 闇と魂の国家』で知った。両氏とは個人的にも交遊があったらしい。両者が両者ともに高く評価し、その死を惜しんでいる。
 二人の対談を読み終えた後、どうしても気になってamazonで著書をとりよせた。『不実な美女か貞淑な醜女か』(1995年読売文学賞)、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(2002年大宅壮一ノンフィクション賞)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(2003年Bunkamuraドゥマゴ文学賞)の三冊である。文庫になってからだけでも『不実な』が26刷、『嘘つき』が19刷を数えている。長編で重いテーマを扱った『オリガ』でも4刷である。なぜ、これまで著者を知り得なかったのだろう。わが不明を恥じる。

 どうしても気になった理由には、生まれ年こそ1年違うが、学年でいうと同学年となることがある。もちろん著者の経歴からして、学舎を同じくするなどということはあり得なかっただろうが、強い同時代性を感じた。
 『嘘つき』の登場人物が少女時代に起こったキューバ危機、プラハの春、中ソ論争などについては、訳も分からないなりに、何かたいへんなことが起こっていると自分の生育歴の中で感じ取ってきたことだし、後年になって自分が生きている時代がどんな時代かを考える上で歴史をたどり検証せざるを得ない出来事だった。
 少なくとも1980年代までは世界を社会主義圏と資本主義圏との冷戦構造としてとらえる枠組みは生きていたと考えて来たが、ベルリンの壁の崩壊から一気にすすんだ東欧・ソ連の解体、その後に残った社会主義国ですすむ市場経済化は世界観の変更をせまるものであった。
 おそらくは私などよりははるかに身近に、内実に深く関わり、それらを見続け、的確に分析し得たのであろう著者がどのようにそれらの出来事を語るのか、私には強くひかれるものがあったのである。

 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は1980年代に東欧の共産主義政権があいついで倒れ、ソ連が崩壊した後、ソビエト学校時代の友人ギリシア人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビアのヤースナの3人を探し歩いた記録である。ノンフィクションとあるが、少女時代のエピソードをからめ、生き生きと人物像が浮き彫りにされて、小説を読んでいるような気にさせられる。それぞれの祖国とそれぞれの人生がかかえている難問も容赦なく描き出されていくのだが、それにうち拉がれている様子はみじんもない。彼女たちがエリートであったということをおいて、三人三様に、したたかに自分の人生を切り開いていく。

 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を先に読み、そのあとで『オリガ・モリソヴナの反語法』を読んだ。執筆順というだけでなく、順番として正しかっただろう。
 『嘘つき』と同様にソビエト学校体験を時代的背景としながら、スターリン時代の闇にまでせまっていこうとする。ノンフィクションという形式では書ききれなかったこと、『嘘つき』で描こうとしたことをさらに深めようとしたとき、フィクションという表現を選択するしかなかったのだろう。
 ただし、予め断っておけば、小説としてたいへんよく書けていて、著者の才能を疑うべくもない。謎解きという点では推理小説という要素もあり、旧ソ連からの脱出シーンではサスペンス小説としての要素も兼ね備えている。小説としては処女作とはとうてい思えない達者ぶりである。
 Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞したときの選考委員である池澤夏樹との対談が文庫本には収められているのだが、著者は「池澤さんの書かれたものを読むと、自分はいつもこけおどしで、ひどく大げさな言葉を使いながら、あまり大したことをいっていないなあと恥ずかしくなります。だから、こういう厳しい目をもった方に選んでいただいたのは光栄です」と謙遜している。読む人が読むと、「書きすぎだよ。そんなに上手くことが運ぶわけがないだろう。」ということになるのだろうが、テーマの重さから考えるとこれくらいの弾みがないとバランスがとれないのではないかと思う。

 さて、題名となっている「オリガ・モリソヴナ」はチェコで現地雇用されたソビエト学校の舞踏教師という設定になっている。作品の冒頭に「オリガ・モリソヴナという教師はプラハ・ソビエト学校に実在しましたが、この物語はすべてフィクション」であると断り書きがついている。「反語法」とあるのは生徒を叱咤する際の独特の罵倒語で、「これぞ神様が与えて下さった天分!」というふうに使われる。だが、彼女の振り付けとレッスンによるダンスは、学園祭で披露されるやチェコのテレビ局が取材にくるほどのレベルの高さであり、ソ連本国から圧力がかかったときにも校長以下全教職員がこれをかばったという。
 物語はソビエト学校在学中にオリガの影響を受け、ダンサーを志した過去を持つ弘世志摩を主人公に、元同級生で親友であったロシア人カーチャ、ロシア滞在中に知り合ったモスクワはエストラーダ劇場のダンサーのナターシャらと、少女時代に垣間見たオリガの謎を解き明かしていくという展開である。その過程で旧ソ連・現ロシアの過去と現在が描き出されていく。

 佐藤優は米原万里を「尊敬すべきヒューマニスト」とよび、亀井郁夫は『オリガ』を「あれだけ共産主義イデオロギー(※)にこだわり、アイロニーにもあふれた人が、何というか、恩寵にあふれた世界を創造できるなんて、神が宿ったとしか考えられない」とまでいいきっている。私はそれらの賛辞が決して誇大であるとは思わない。読む者を作品世界に引き込んでいく力、緻密に構成されたた謎解きのしかけ、最後まで緊張感が保たれながら一時も読者を手放そうとしないストーリー展開、そして読み終わったあと、何か重いものを心の底に残しながら、それを上回る感動があった。
 ひとつだけ紹介する。一切の刃物や紐の類いの所持を禁じられたラーゲリ収容者が、靴紐の留め金をはずし、丹念に磨いて小さなカミソリを作る。それが自由の拠りどころであり証であったというのである。
 ※亀山は「共産主義イデオロギー」と書くが、前後の文脈からして唯物論(無神論)的な立場といった方が適切であるように思われる。

 最後に。作品は「すべてフィクション」ということだったが、著者には高校卒業後、3年間ほど舞踏学園に在学していたという経歴がある。今は翻訳業で生計を立てているという主人公と、どこかで重なり合うところがある。多感でさまざまな可能性に夢を託そうとしていた少女時代があったのだろうし、もしかすると終生その少女の心をどこかで持ち続けていたような人であったのかも知れない。


米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮文庫
米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川文庫
米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』集英社文庫

米原万里『終生ヒトのオスは飼わず』文春文庫(2007、文庫版は2010)
※『終生ヒトのオスは飼わず』は著者の死後に刊行された。ペットにまつわるエッセイと、家族を語ったエッセイとの二部構成になっている。これを読むと「弘世」姓、「志摩」「龍馬」名の由来が分かって、著者の家族愛といたずら好きがしのばれる。また、党籍がどうだったかについても語られている。(この項はあとから)

※こんな記事がありました。(2016.7.4)
http://digital.asahi.com/articles/ASJ6Z7FPZJ6ZUCLV01N.html?rm=294


by yassall | 2014-06-01 15:09 | | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from 天竺堂の本棚 at 2015-11-12 14:37
タイトル : オリガ・モリソヴナの反語法
米原万里の長編小説。 著者がモデルと思われる日本人女性が、少女時代を過ごしたプラハのソビエト学校で出会った舞踊教師の消息をたずねて、民主化後のモスクワをさまよう、ミステ ...... more
Commented by haru_ogawa2 at 2017-08-12 14:58
いつか話した本ですね。
同時代性と言うことで言えば、私はプラハの春ですね~。それまでの世界は、私にとって、誰かの手によって整理された物語として語られていたものでしたが、この事件に接して初めて、今自分は同時代を生きているということを実感できました。また、大人達の語ることは自分とは次元の違う知恵や賢さを持っているとそれまでは感じていましたが、その時から、同じだなぁ、自分の考えることも大人達の考えることもそうそう次元の違うものでは無いと感じられるようになりました。その意味で、ルソーではないですが、プラハの春は私にとって第二の誕生であったと思います。
Commented by yassall at 2017-08-12 15:40
高校生になってからだと文化大革命かな? 全容が明らかになるのはずっとあとになってからですが。今、ハンガリー動乱を背景にした真継伸彦の小説を読んでいます。
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