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西部A地区2014春季発表会

 先週の土曜日、高校演劇・西部A地区春季発表会が開催された。会場はいつもの朝霞コミュニティセンターである。
 顧問OBとなって3年ともなると、やはり立ち位置は一般客に近くなってしまうが、各校の顧問はもちろん観客となって戻って来た卒業生にもまだまだ顔見知りが多く、古巣に帰ってきた感慨がある。会館スタッフのKさんも懐かしい顔だ。今後はスタッフを増員してローテーション体制になるそうだ。ことによると、これからは会える機会が減ってしまうかも知れない。今回、あいさつができてよかった。

 今回の上演校は朝霞・新座総合・和光国際・新座・朝霞西・新座柳瀬の6校である。過去数年間、和光国際と朝霞西はなかなか部員が集まらず、出演にいたらないことが多かったが、3年前くらいから息を吹き返したようになったと思ったら、めきめき力をつけてきた。
 和光国際の演目は成井豊「ナツヤスミ語辞典」。テンポ良く、破綻のない芝居運びの中でも、きちんと感情表現が伝わって来た。昨年もエネルギッシュで好感度の高い舞台だったが、どうしても初心者らしいわざとらしさや大げさな身振り手振りが目立った。そこへいくと、今年は自分たちの芝居を客の視点から見直してみる余裕ができたのか、無理のない、それでいてメリハリのある演技ができていた。
 朝霞西の演目は「その、七日間」。サイコ・ドラマというべきか、サイコ・サスペンスというべきか、生徒創作とあるが心の闇に分け入っていくような内容で、重層的な構成には相当の力量を感じた。内心への目覚めといえば聞こえはいいが、青春期のとば口で出会うそれはときとして他者的で、グロテスクである。著者もまた、内面への深い関心と出口を求めて、哲学書や心理学書を読みふけったのではないか。ただ、それを創作劇として表現しようとすると、思い込みの強い、独りよがりのものになってしまいがちなのだが、(おそらくは顧問の助力もあってのことだろうが)、脚本としてよく書き込まれており、また3人の出演者も相当の存在感と演技力を発揮していて濃密な舞台空間を作り出していた。
 新座総合、新座もこのところ安定して出演し続けている。新座柳瀬は今回もオシャレでハイセンスな舞台を見せてくれた。原作をもちながらむしろ翻案といっていいような独特の脚色で、路線としては我が道を行くというところがあるが、しばらくは地区をリードする存在であり続けるだろう。

 さて、朝霞である。どうしても客観的になれないところがあるのはしかたがない。多少ともかかわりのあった部員はみな卒業してしまったのだが、一昨年に出戻りよろしく3月ほど非常勤講師をつとめたとき、今年の3年生については新入部員当時の様子をみているのである。
 もちろん新しい顧問の方もおいでになり、よけいな手出し口出しは自制したつもりだし、非常勤講師だから放課後残ることもなかった。ただ、人数的にも、素質的にも、先が楽しみに思って来た生徒たちだったのだ。
 幸いにもというべきか、演劇にはずいぶんハマってしまったようで、伝え聞くところによれば毎日の基礎練などもまじめにとりくみ、ほぼ全員が3年生まで続いた様子である。
 ただ、同期生に大人数がいて、しかも個性豊かな部員が揃っていたりすると、自分たちの思い込みだけで突っ走ってしまったり、まかり間違えると空中分解してしまったりするものである。見たところ、互いの個性を尊重しあう気風は育っているようで、仲良くやっている様子なのは安心できた。
 ただ、芝居を見せてもらうと、なかなか自分たちの方向性が見定められず、せっかくの力を発揮できていないような歯がゆさを感じてきたのも率直な感想である。昨年あたりから大道具にも工夫がみられるようになってきたが、私からいわせると「ああ、そこが違う!」と思わず手直ししてやりたくなることも少なくなかった。

 では、今回の芝居はどうだったか。アンケートにも書いたのだが、これまでの「演技とはこういうものだ」という思い込みから自由になって、テンポもとれていて、なかなか好感の持てる舞台となった。演技をしよう、演技をしようと一所懸命になっていると、つい自分のことしか見えず、実はコチコチで、芝居としてはギクシャクしてしまうものだ。それが今回はきちんと他の役者との息、さらには客との息をはかったり、ひとつにしていこうとしている姿勢がみえた。まあ、全体のバランスはまだまだだが、2年生にしては演出もがんばっていた方だと思う。あとは日頃の稽古や通し稽古のときに客観的な観点からのダメ出しを受けるようにするしかないだろう。

 演目があとになってしまったが、この代では初めての生徒創作。「絵宇宙事」と書いて「えそらごと」と読ませている。「空」が「宇宙」になっているのは宇宙船に乗った宇宙人が燃料切れで地球に不時着したというSF仕立てだからである。
 どんな芝居になるのか、期待と不安こもごもだったが、初めての創作にしてはよく書けていたのではないだろうか。いちおうの起承転結(というところでは承の部分が弱いが)も整っていたし、よく生徒創作へのアドバイスとして「芝居の場合は最後にもうひとつ転結が必要だ」などと当てずっぽうを言って来たものだが、どんでん返しに当たるような結末も用意されていた。
 そのどんでん返しになって「えそらごと」という題名が生きてくるという仕掛けも面白い。「宇宙人が探していた燃料というのは地球人たちの友情や思いやりの心であった」というのが、実は難破した飛行船の宇宙飛行士(こちらは地球人)が子ども時代にみた夢であったというのである。

 さて、今回はこのような文章を書かないつもりでいたのに、こうしてキーボードの前に坐ってしまったのはここに至ってのことなのである。
 この宇宙飛行士は最期を迎えようとしている。その飛行士が過去を回想し、「友情や思いやり」を「えそらごと」と呼んでしまうことには、実は重大なシニシズムが潜んでいる。それは単なる皮肉や冷笑という意味ではなく、得がたくも渇望の対象でもあり、ついに手にすることのない夢としてあり続ける嘆きのようなものである。
 単なるどんでん返しや、とってつけたような「意外な結末」としてではなく、「友情や思いやり」がどんなに困難で、それでいて人びとの心の底に渇望されていたかというようなドラマが前段に用意されていたら、もっと奥行きのある芝居になったのではないか。たとえば宇宙監察局(だったか?)の局員たちが、最初からいい人たちだったのではなく、「友情や思いやり」の反対物であるような敵意や猜疑心の持ち主であったのが、次第に変化していくような描き方をすることで。おそらくは作者も半分は気づいていたのでないか、と思うと、よけい惜しまれてならないのである。
 その彼らももう引退の時期である。最後まで自分が関わる機会がなかったのを残念に思わなかったといえば嘘になるが、私がそばにいればやはり手出し口出しすることになっただろうし、彼らを自由にすることはできなかったかも知れない。彼らなりの試行錯誤があったからここまで到達できたのかも知れないし、彼らなりの充実感が得られたというならそれでよしとすべきなのだろう。もし、卒業公演でもやるようなことがあったらぜひ呼んで欲しいものだと思っている。
 今回、2年生が思いのほか力をつけているのに驚いた。そういえば前回のバンクバンレッスンに出演していた2年生(昨年の時点では1年生)もなかなか演技ができていた。まずは部活を部活として存続させていくこと。そしていつかまた、皆で力を合わせて朝高演劇部の第4、第5の黄金期をつくって欲しい。


by yassall | 2014-04-21 20:45 | 高校演劇 | Trackback | Comments(0)
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