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見田宗介『宮沢賢治』

 定年後の目標に積ん読の解消があった。いつか読もうと思ってそのままになっている本、途中までのままになっている本を片付けるようにして読んでやろうというのは、定年を心待ちにするという意味で精神バランスをとる働きもあったのではないかと思っている。
 現在実行中であるわけだが、途中で止めてしまった本は再読してもやはりつまらなかったり、理解できなかった本は結局チンプンカンプンであったりすることも一再ならずである。別段嘆くこともないし、読まなかった(読めなかった)としても悔いる必要もないことが確認できたと思えばよいだけのことだ。
 それでは定年後は新たに積ん読になる本はないかというと、そんなことはないというのが悲しいところなのである。遠出であろうが近所への買い物であろうが、本屋があるとつい寄ってしまう。本屋によれば面白そうな本や、もしかして読んだら少しはかしこくなれそうな本に呼ばれてしまう。
 11月にひさしぶりに信山社に寄ったときもそうだった。都営三田線で神保町へ出て、水道橋から後楽園あたりをぶらぶらするだけのつもりだったのだが、「そういえば信山社にしばらく寄っていないな、健在なのかな」と思ってしまったのだ。
 あれこれの本に呼ばれながら、文庫本二冊に止まったのは我ながらあっぱれである。買ったのは瀬戸内寂聴・前田愛『対談紀行 名作の中の女たち』と本書である。正月に入ってようやく読み始め、まず『名作の中の女たち』を、つぎに本書を読んだ。

 社会学者が宮沢賢治?(コンナ本ヲイツノマニ?) というのが本を手に取ってみた動機である。見田宗介はペンネーム真木悠介による『人間解放の理論のために』(1971)の著者として記憶の中に刻印されている。現代社会の分析を通してその課題を明示してみせてくれる手腕には感嘆するしかなかった。だが、それがどう実践されていくのかが見えないまま、いつしか遠い存在になっていた。今は大澤真幸の師匠筋にあたる人という認識でいた。
 社会学というと確かに境界学問としての性格が強いし、それが魅力でもある。それにしても宮沢賢治をどう論じようというのか?

 論の構成は著者らしく明晰である。「銀河鉄道の夜」には「幻想形態と現実形態」および「存在否定と存在肯定」という交叉する二つの軸があり、それぞれ世界の外へと内へ向かう方向性がある。その二つの軸によって定義される四つの象限がⅠ〈自我の羞恥〉、Ⅱ〈焼身幻想〉、Ⅲ〈存在の祭り〉、Ⅳ〈地上の実践〉であり、それはそのまま宮沢賢治の全作品と全生涯をとおしてくりかえし現れる原主題に他ならないというのである。
 ※象限:①四分円、②平面上で直交する座標軸が平面を四つに分けたそれぞれの部分(「広辞苑」)
 自我が「実体のないひとつの現象である」という現代哲学のテーゼを賢治は明確に意識し感覚していたという。それは賢治の「自意識」を否定するものではなく、「他者のまなざし」(「目の赤い鷺」)に囲まれ、「家の業」を強い倫理観とともに自覚していくことは、しかし他者との関係性の中で「羞恥」が自我の内部に構成されていくことなのである。そして、「修羅」としての自己規定が「矛盾の存在」であり、「苦悩する存在」であることによるという。
 私が筆者の冴えのようなものを感じたのは第二章「焼身幻想」である。「よだかの星」にみられる焼身願望は「銀河鉄道の夜」の中でも「さそりの火」のエピソードとしてくり返されているという。
 そして、「焼身」が必然的であるのは「存在の罪」と対応するからであり、死というよりも「消滅」への意思を表現しているというのである。まず、ここでなるほどと思わされる。自殺の動機と方法は様々なのだろうが、自らの存在を「消滅」させてしまいたい、さらには「粉々にしてしまいたい」とうする衝動には、「死んでしまいたい」につきまとうある種の甘えや自己陶酔を一切許さない、強烈な自己否定がある。
 だが、私が「冴え」といったのはそのことではない。筆者はさらに「〈死〉というものが、再生を前提とするものであること、あたらしい存在の仕方へ向かうものであること」を示しているというのだ。フェニックス(不死鳥)をイメージさせるそれは、「存在のカタルシスとでもいうべきものの象徴」であるとする。
 ここから自己規定としての「修羅」が、「偏在する光の中をゆく闇」という自己感覚を持ちながら、「存在の祭りの中へ」と飛び込んでいくのであり、その心象がもう一度「世界」の内へと振り向けられたところに「羅須地人協会」にいたる「地上の実践」があるのだとする。とすれば、「グスコーブドリの伝記」こそは賢治が描いた自己解放への道すじの完成形なのである。

 本書が初めて上梓されたのは1984年のことだそうだ。1977年の『校本宮沢賢治全集』の完成をふまえていることをあとがきでも記している。「ふつうの高校生に読んでほしい」と思って書いたというが、著者自身が認めているようにそれにしては「なお骨ばっている」。だが、読み終わった後、この書が年若い人々に読まれることを願って書かれたことはよく理解できるような気がする。

  感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
  それをがいねん化することは
  きちがひにならないための
  生物体の一つの自衛作用だけれども
  いつまでもまもつてばかりゐてはいけない

 という「青森挽歌」からの詩句を引用しているのだが、まだ概念にとらわれない「新鮮」な驚きをもって世界と向き合い始めた青年への期待があらわれているように思う。だが、それは同様に「自我の解体の危機」にさらされたことのある人間であるならば、誰に対してでもある方向を指し示す力を有しているように思われる。
 「羅須地人協会」の経営も生家の経済援助があってのことであり、自分で消費する分のほかは「町内に配給」したことなど、賢治が真に「農民」にはなり切れなかったことも、筆者は単純に「甘え」であったとは切り捨てない。
 「その〈生計〉を人びとの慈悲にゆだねきるというかたちでみずからを功利の外にげんみつに保つインドの〈聖者〉の生き方を、日本近代の社会の中で可能なかたちで獲得したのだともいえる」と書くとき、筆者の宮沢賢治に対する愛情がなみなみでないことが知れる。冷徹なばかりではないのだ。

見田宗介『宮沢賢治』岩波現代文庫(2001)

《もう一冊》
 ここ数年で読んだ宮沢賢治に関する本では、山折哲雄『デクノボーになりたい』小学館(2005)が面白かった。「雨ニモ負ケズ」の中の「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」は高村光太郎の解釈によるもので、手帖には「ヒドリノ」となっていることに初めて気づかされた(写真版では確かにそうなっている)。「ヒドリ」は「日取り」つまり「出稼ぎ」に出なくてはならないときと解釈できるし、山折哲雄はさらに「一人」ではないかとの仮説も立てている。昔、岩手の友人から「東北では日照りより冷夏の方を怖れるのだ」ということを聞いたことがあり、すぐさま納得してしまった。
 最初は山折哲雄・吉田司の対談集『デクノボー宮沢賢治の叫び』朝日新聞出版(2010)から入ったのだが、吉田司を上回る山折哲雄の異才・異能ぶりにすっかり惚れ込んでしまったのだった。


by yassall | 2014-02-09 18:49 | | Comments(0)
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