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鮎川信夫「兵士の歌」

 戦後詩のエポックとなった『荒地』(1947-48)を代表する詩人は誰だろう。また、『荒地』を離れても読まれ続けていく詩人がいるとしたらそれは誰だろう。
 田村隆一は長く詩作を続け、新しい読者を獲得していった。黒田三郎はその詩に曲がつけられ、歌曲として広がっていったりと、大衆的な人気を博した。
 今でも多くの読者を持っているとはいえないだろうが、三好豊一郎や木原孝一も忘れがたい詩人たちである。
 だが、戦後一貫して重要な詩人とされながら、『荒地』と分かちがたく結びついているのは、つまりは戦後詩の原点に立ち続けているのは鮎川信夫をおいてはいないだろう。
 詩人としての鮎川の出発点は戦前にあった。よく知られていることだが、『荒地』には第一次『荒地』(1938)があり、鮎川の「死んだ男」に登場する「M」はその同人であり、ビルマで戦病死した森川義信を指している。

  Mよ、昨日のひややかな青空が
  剃刀の刃にいつまでも残っているね。
  だがぼくは、何時何処で
  きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
  短かった黄金時代……
  活字の置き換えや神様ごっこ……              (「死んだ男」)

 「活字の置き換え」とは戦前に依拠していたモダニズムの手法を否定的に比喩したものに他ならない。「神様ごっこ」とは、ことばによって世界を創造し得る、あるいは再編し得ると信じていた、もしくは熱望していたことへの自嘲だろう。そして、もはや「太陽も海も信ずるに足りない」と書き、自らを戦争で死んでいった者たちの「遺言執行人」であると宣言するのである。

 ここにとりあげるのは「兵士の歌」である。戦後70有余年を経て、しかし私たちの眼前にある風景が「曠野」に似てくることがないと、果たして言い切れるだろうか。

    「兵士の歌」

  穫りいれがすむと
  世界はなんと曠野に似てくることか
  あちらから昇り むこうに沈む
  無力な太陽のことばで ぼくにはわかるのだ
  こんなふうにおわるのはなにも世界だけではない
  死はいそがぬけれども
  いまはきみたちの肉と骨がどこまでもすきとおってゆく季節だ
  空中の帝国からやってきて
  重たい刑罰の砲車をおしながら
  血の河をわたっていった兵士たちよ
  むかしの愛も あたらしい日付の憎しみも
  みんな忘れる祈りのむなしさで
  ぼくははじめから敗れ去っていた兵士のひとりだ
  なにものよりも おのれ自身に擬する銃口をたいせつにしてきたひとりの兵士だ

  (中略)

  ぼくはぼくの心をつなぎとめている鎖をひきずって
  ありあまる孤独を
  この地平から水平線にむけてひっぱってゆこう
  頭上で枯れ枝がうごき つめたい空気にふれるたびに
  榴散弾のようにふりそそいでくる淋しさに耐えてゆこう
  歌う者のいない咽喉と 主権者のいない胸との
  血をはく空洞におちてくる
  にんげんの悲しみによごれた夕陽をすてにゆこう
  この曠野のはてるまで
  ‥‥どこまでもぼくは行こう
  ぼくの行手ですべての国境がとざされ
  弾倉をからにした心のなかまで
  きびしい寒さがしみとおり
  吐く息のひとつひとつが凍りついても
  おお しかし どこまでもぼくはいこう
  勝利を信じないぼくは どうして敗北を信ずることができようか
  おお だから だれも僕を許そうとするな。

  (あゆかわのぶお、1920 -1986)
by yassall | 2013-10-07 18:58 | 詩・詩人 | Trackback | Comments(0)
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