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椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』

 椎名誠は『アサヒカメラ』に「シーナの写真日記」を連載している。世界各地からの旅のスケッチなのだが、主治医から「あなたは自分の死について考えたことはこれまで一度もないでしょう」といわれたのをきっかけにしたらしい本書も、世界各国で実際に立ち会うことになった様々な葬送の紹介から始まる。
 最初に驚かされたのはチベットの鳥葬の模様である。葬送のあり方はその民族のもつ死生観・宗教観の反映であるというのはその通りだと思うのだが、これまで漠然と懐いてきた鳥葬に対する認識を一変させられた。
 民族にはそれぞれの「あの世」観があり、きっと鳥葬は「あの世」を「天」にあると考えた人々が死者を送る方法として編み出したのだろう、というのが私の考えだった。空を飛ぶ鳥に魂の救済を託す、とすれば地下に埋めてしまうなどとんでもないことになるのだろう、と。
 しかし、チベットで行われている鳥葬はそんな生やさしいものではなかった。チベットの寺は高台にあり、その裏が鳥葬場になっていることが多いとのことである。ある本には鳥葬場は1057カ所あると書かれているそうだ。
 さて、寺院と自宅での一連の儀式が終わると、いよいよ遺体が鳥葬場に運ばれる。鳥葬場には通称「またいた岩」があり、うつぶせに置かれた遺体が鳥葬師によって解体される。禿鷹が食べやすいようにするためで、大きな骨も細かく砕かれ、麦の粉をこねた団子にくるんで食べやすくするという徹底ぶりである。そうして、ものの1時間ほどで完全に「遺体消失」ということになってしまうらしい。
 魂が昇天したあと、ただの物体として残った人間の体を空腹の鳥などに「ほどこし」(布施)をする、というのが基本的な理念であるとのことだが、チベットでは「消失」させてしまうのは遺体だけではなく、写真や衣類などの所持品等、その人が生きていた痕跡のいっさいを無くしてしまうというのがしきたりになっているのだそうだ。
 ゾロアスター教徒も鳥葬をおこなうが、考え方はチベットのそれとはずいぶん異なるようだ。「沈黙の塔」という塔の上に死者を置き去りにし、禿鷹が食うにまかせるというやり方で、風葬(曝葬)に近い。方法自体は私の従来のイメージに近いのだが、考え方はまるで違う。
 ゾロアスター教は日本では拝火教とよばれるが、死体はもっとも汚れたもの(悪霊におかされたもの)であり、火葬にすれば火や大気がけがれ、土葬にすれば大地がけがれ、水葬にすれば水がけがれるということから来ているとのことだ。

 
 紹介しているとキリがないが、翻って都市の中に石墓が点在している日本の風景が外国人からみると異様に映るらしい、というような指摘もある。(最近は郊外に公園墓地が造られる傾向にある。)
 以前に紹介した松尾剛次『葬式仏教の誕生』(平凡社新書)によると、日本で石の墓が作られるようになったのは弥勒信仰が盛んになってからで、56億7千万年後に下生した弥勒菩薩(そのときは如来となるのだろうが)によって発見されないことがないように、まさに標を立てておくということから来ているとのことだ。チベットと同じ仏教圏であるが、輪廻転生の考え方からすれば、今生での生を終えた後はきれいさっぱりと「消失」してしまうほうが、仏教本来の教義にかなっている気もする。

 これまで、それほど強い関心も持たずに来た作家であったが、これまでに直面してきた死の危機の数々、複雑な家族史、親しかった人々との交遊などにも触れられていて、興味はつきない。筆者自身の死生観は後半に述べられていくのだが、孤独死もまた一つの尊厳死ではないかという見地には説得力があると思った。
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椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』新潮社(2013)
by yassall | 2013-09-04 13:56 | | Trackback | Comments(4)
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Commented by haru_ogawa2 at 2013-09-11 18:58
椎名誠は、私にとっては、結構長い間憧れてきた存在です。そのきっかけは昭和軽薄体と名付けられた文章。もう30年以上前、「国分寺書店のオババ」「哀愁の街に霧は降るのだ」等のスーパーエッセイを読んで唸りました。こんなに文章のうまい人が世の中にいるんだ、という感動でした。
次いで、その成長のあり方。この方、大学に行っていない。写真の専門学校に行って、それも中退。好きだったのは映像。だから、映画を作って大赤字をなっていたりしますね。それでいて大変な読書家で「本の雑誌」の元編集長。冒険が大好き。何なんだろう、この人は?と思いましたね。
紹介されていることは、なるほどなあと思いますが、この方なら当然そのくらいのことは知っているだろうなとも思わされます。
Commented by yassall at 2013-09-11 20:32
自分の体験を根拠としていること、しかしそれにもたれかかるのではなく深く物事の本質にせまろうとしていること、それでいて思考においても、態度決定においても自由を確保できていること、そんな魅力を感じました。
Commented by torikera at 2013-09-16 15:50 x
う~んチベットの鳥葬の話には驚いた!!
何もかもなくしてしまうわけだ「完全消失」とはすごい
最近「九相図」というものに出会って
とても興味を持った 肉体が朽ち果てていく姿を強調するためには
やはり美人でなくてはいけないというところが俗っぽい(笑)
Commented by yassall at 2013-09-18 00:56
本文でも触れた『葬式仏教』は面白いですよ。私は長い間、姨捨は親孝行の大切さを諭した伝説だと考えて来ましたが、仏教以前の日本の葬送を知ると考え直す必要があるような気がしてきました。少なくとも野晒しは行き倒れでなくともホウムリ(放置)として当たり前でしたでしょうから、「九相図」の世界は普通に見られた光景だったでしょうね。
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