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藤圭子の死

 藤圭子が死んだ。デビューは1969年9月、「新宿の女」のいきなりのヒットは鮮烈だった。だが、藤圭子の名を不動にしたのは翌1970年に発表された「圭子の夢は夜ひらく」だろう。
 これにはエピソードがあって、デビュー前に何曲か曲は出来上がっていて「圭子の夢は夜ひらく」も出来ていたという。ただ、ディレクターの中で一目置かれていた馬渕玄三氏の考え方で、特定の曲だけが売れすぎるとそのイメージが歌手に勝ってしまう、そこでデビュー曲としては比較的地味な「新宿の女」を候補とした、というのだ。
 だが、それだけの戦略をもってしても、「圭子の夢は夜ひらく」は藤圭子のイメージを決定づけてしまったといえるだろう。彼女自身の幸福とはいえないな生い立ちもそのイメージの形成に拍車をかけたかも知れない。「圭子の」という枕ことばは園まり版と区別するために添えたのだというが、重点が変わって「藤圭子の」になってしまったのだ。
 60年安保後に西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」がヒットしたという。70年に「圭子の夢は夜ひらく」がヒットしたのと比較してみる。物憂く、投げやりな気分性で共通点が探せそうな気もするが、「圭子の夢は夜ひらく」の方がはるかにツッぱった感じを受ける。自分の運命にしょげかえっているのでもなく、かといって甘えているのでもなく、敢然と立ち向かっている意志性さえ感じる。藤圭子の端正な顔だちの中の鋭い視線にそれを感じたからこそ、時代は歌手を自らの象徴として受け入れたのではないだろうか。
 しかし、それは藤圭子の歌手人生にとって必ずしも幸運なことであったとは言い切れない。例えば、同じようにハスキーボイスで人々を魅了した八代亜紀と比較してみる。すると八代亜紀の持つ明るさや大衆性が藤圭子には決定的に欠けていることが明らかになる。八代亜紀なら長距離トラック運転手たちの女神となり、明日の活力となれるだろうが、少なくとも「圭子の夢は夜ひらく」の藤圭子はどこまでも夜の底を彷徨わざるを得ず、もしどこかで遭遇したとしても強い拒絶に会うだけだと思わされる。
 生まれが私と同じ年(学年はひとつ下)だが、最初はもう少し年下かと思っていた。その少女性も年齢とともに成長をとげていくことの妨げとなっていたのだろう。
 歌手人生は短かったが、どこかで同時代性を感じていた。引退時のLPも、後に発売されたCDの何枚かもまだ持っている。あまりヒットしなかったが、「みちのく小唄」や「恋の雪割草」などは今でもいい曲だと思っている。近年は奇行のあることも伝え聞いていたが、思いもかけない最期となった。
 なんだか隠れ演歌ファン(でもないのだけれど)を露呈することになったが、イチローの4000本安打達成をおいても、前橋育英の甲子園初出場初優勝をおいても、書かずにはいられなかった。魂よ安かれと祈るばかりだ。
by yassall | 2013-08-22 20:14 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
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Commented by torikera at 2013-09-16 15:53 x
yassallさんが「隠れ演歌ファン」?あははっこれまた意外性が嬉しいですね CDも持っていらっしゃるとは!素敵です
Commented by yassall at 2013-09-16 16:03
ドーナツ盤もLPもありますよ!
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