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施餓鬼と万霊節

 柳田国男の「先祖の話」くらい読んでおかなくてはと定年後になってから読んだ。動機がそんなふうだから目を通したというのに近く、きちんと読めたというのではなかったが、その調査活動の範囲と視野の広さはなるほどと理解できた。民俗学はこうして方法として確立していったのだろう。

 さて、私の地方では盆は7月15日のうちに済ましてしまう。すると、あまり季節にちなんだ話題でもなくなってしまうのだが、ひとくさり。

 施餓鬼とは、盂蘭盆にあたって精霊(各家の祖霊)に供物を供えると同時に、施餓鬼棚を設け、餓鬼道に堕ちたもの、あるいは無縁仏となったまま成仏できずにいるものにも布施をほどこすことである。
 キリスト教では11月1日を万聖節(諸聖人の日)と定めている、その前夜祭がハロウィンであるわけだが、これは元来ケルト人の死者の祭および収穫祭を起源とする民俗行事であり、キリスト教とは関係がない。解釈の範囲を拡げればキリスト教に習合されたということだろうか。
 ここで問題とするのは翌日の11月2日である。ローマカトリック(※1)ではこの日を万霊節(死者の日。柳田は万霊祭としている)とし、すべての死者の魂のために祈りを捧げる日であるとしている。
 ※1東方カトリックでは別の日を定めているらしい。
 柳田は施餓鬼と万霊節との類似に注目している。万霊節は、死んだ後に煉獄(※2)に堕ちた人間はそこで罪の清めを受けなければならないが、生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間が短くなるという考え方から発しているそうだ。そうしてみると、仏教の追善回向の考え方と似ていなくもない。
 ※2煉獄の思想が生まれてきたのはダンテが「神曲」を書いた頃からだというから、本来のキリスト教にはなかったものなのかも知れない。
 たぶん柳田の関心はキリスト教(行事)と仏教(行事)との類似というより、万聖節と万霊節が対になっているように、精霊供養と施餓鬼が対になっているとすれば、日本においては祖霊=神とされてきたことを解き明かそうとしているのだろう。
 「先祖の話」では、アラタマの「アラ」は「新」魂であると同時に「荒」魂でもあり、亡くなったばかりの荒々しい魂を鎮めようとするのが元々のマツリであった、というような説も開陳されている。仏教渡来以前の日本人が、人間の死とどのように向き合おうとしてきたかを探究しようとしていることがわかる。

 我が家の宗旨は浄土真宗で、真宗では人間は死ぬと直ちに成仏してしまうわけであるし、そもそも霊魂の存在を認めていないから、本来お盆の行事は行わない。それでもお盆近くなるとお寺から案内が来る。行ってみると、そのような教義についての解説の後、真宗では仏縁と近づくための機会の日ということだ、との説明がある。
by yassall | 2013-08-11 11:01 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
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