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陶淵明「帰去来辞」

 帰去来兮          帰りなんいざ 
 田園将蕪胡不帰     田園将に蕪れなんとす なんぞ帰らざる

 「人に冷たく、かつ無能な国では原発を持つべきでない。」とし、原子力撤廃の姿勢を鮮明にした東海村村長の村上達也氏が任期満了とともに引退を表明したとき、その心境を問われて「帰去来辞」の冒頭を引用したという。
 岩波書店から出ていた『中国詩人選集』が廃刊になってしまい、私が陶淵明を読んでみようと思い立ったとき、手にしたのは岩波文庫版『陶淵明全集』(1990、上下巻)であった。

 
 既自以心為形役     既に自ら心を以て形の役と為す
 奚惆悵而独悲      奚ぞ惆悵として独り悲しまん
 悟已往之不諌      已往の諌められざるを悟り
 知来者之可追      来者の追ふべきを知る

(自ら求めて精神を肉体の奴隷と化してしまっているのに、ひとりくよくよと嘆き悲しんだところで、どうなるものでもない。過ぎ去ったことは、今さら悔やんでもしかたがない。これからのことは心掛けひとつでどうにでもなる。)

 世に雄飛する才を持ちながら、精神の自由に重きをなそうとする姿勢には真の知識人、あるいは芸術家の矜持を感じる。憧れはしても、なかなか思うにまかせぬ凡夫の身ながら、少しでも近づきたいものだと思う。
 

 善万物之得時      万物の時を得たるを善(よみ)し
 感吾生之行休      吾が生の行(ゆくゆく)休するを感ず
 已矣乎          已んぬるかな
 寓形宇内復幾時    形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
 曷不委心任去留    曷ぞ心を委ねて去留に任ぜざる

(万物がよい季節にめぐりあったのを喜ぶとともに、わたしの生命がそろそろ終わりに近づくの感じ取るのである。ああ、いかんともしがたい。肉体がこの世にあるのは、あといくばくもないというのに、なぜ自らの願うところにしたがい、自分の出処進退をそれに合わせないのか。)

 陶淵明はこのようにいうが、詩人がすべての役職を捨て、以後二度と出仕しないことを決意したのが41歳、その後20数年を生きて亡くなったのは63歳である。ここで「感吾生之行休」というのは、自分の死期を悟ったというより、悠久の時間の流れに比し、人間がこの世にある期間はあまりに短く、有限なのだという人生観を語ったものだろう。

 攜幼入室 有酒盈樽   幼を攜へて室に入れば 酒有りて樽に盈てり
 引壷觴以自酌       壷觴を引きて以て自ら酌み
 眄庭柯以怡顔       庭柯を眄へりみて以て顔を怡ばしむ

(幼な児を伴って部屋に入ると、酒が樽いっぱいに用意されている。さっそく徳利と杯をひきよせて手酌をはじめ、庭の木々の枝ぶりをながめやれば、顔は自然とほころんでくる。)

 陶淵明は「隠遁詩人」「田園詩人」と呼ばれるとともに、「酒の詩人」でもある。後の唐代の詩人にも大きな影響を与えたとされているが、同じく「酒の詩人」である李白も陶淵明の詩を読んだはずである。

 聊乗化以帰尽       聊か化に乗じて以て尽くるに帰せん
 楽夫天命復奚疑      夫の天命を楽しみて復た奚(なに)をか疑はん

(自然の変化にわが身を合わせ、生命の終わりを待ち受ける。天命を素直に受け入れて楽しむ境地に入れば、もはや迷いもなくなってしまうのだ。)

 陶淵明が隠遁生活に入るにいたった理由には、東晋末の政争に巻き込まれるのを避けたためであるという説を耳にしたことがある。そのあたりは竹林の七賢とも共通し、もしかしたら後の白居易が江州に左遷されながら隠居生活を楽しむ風をみせた処世術とも一脈を通じているかも知れない。しかし、陶淵明にはそうした処世術をこえた哲学があり、人生観・人間観における深さがある。

 雲無心以出岫       雲は無心に以て岫(みね)を出で
 鳥倦飛而知還       鳥は飛ぶに倦みて還へるを知る

(雲は山の峰から自然とわきいで、鳥は飛びつかれてねぐらにもどっていく。)
 ※岫は「しう」と読み、本来は山の穴のこと。雲はこの山の穴から湧いてくるものだという説に由来しているが、ここでは岩波文庫版に従って峰とする。

 「帰去来辞」にはもうひとつ思い出がある。現役時代に、祖父だったか祖母だったかが日本人だった縁で、中学2年生のときに中国から渡ってきた生徒を教えたことがある。優秀な生徒で卒業後は推薦入学で国立大学へ進学していった。1年生から教えていたが、3年生の最後のころ、教科書にはなかった「帰去来辞」を授業でとりあげた。すると、その生徒は感想で「日本に来る前の年に学校でこの作品をならった。読んでいると故郷の風景が目に浮かんでくるようだ。」と書いたのだった。
 中国と日本とで「帰去来辞」を授業で学ぶとは何という縁であろうか、また「風景が目に浮かぶ」までにはとうてい至らない私に比し、やはり母語のもつ力の強さに私は感じ入ったのだった。
 最近、旅行をしていて、青々とした山々に白い雲や霧がかかっているのをみては、きっと彼女の目に浮かんだのもこんな景色であったのだろうと思い起こしているのである。

 臨淸流而賦詩      淸流に臨みて 詩を賦す

 「帰去来辞」は正確には詩ではなく『楚辞』の流れをくむ辞賦であるが、陶淵明自身が「詩を賦す」と書いているのだから、この詩・詩人シリーズに加えることをためらう必要はないだろう。

(とうえんめい、陶潜とうせんとも、365 - 427)

《追記》
 大事なことを書き落とした気がする。書き出しの「田園将蕪」の「田」は田畑、「園」は果樹園のこと。つまり田園とは自然そのままなのではなく、人々の営みがあり、生活がある場所なのだ。それらが「将蕪」としているという指摘は、中央の政争の中で地方が置き去りにされようとしている実態へのプロテストが込められているのではないだろうか。ここで冒頭にもどるならば、東海村村長によるこの詩句の引用もますます万感胸に迫るものがある。
by yassall | 2013-08-06 00:41 | 詩・詩人 | Comments(0)
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