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茨木のり子「六月」

 戦後詩も「荒地」(1947-48)や「列島」(1952-55)と比較すると、「櫂」(1953-?※注)によった詩人たちは前二者のような重苦しさから解放され、明るく、日常性を基盤とするに至ったという印象がある。多分それは川崎洋、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信といった若やいだ才能がそう感じさせるのだろう。自由で軟らかな精神を感じさせる。
 しかし、たとえば茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」や「学校 あの不思議な場所」を読んでみれば、彼・彼女たちもまた戦争を通過し、その体験を見つめることによって詩的出発をとげていることが分かるのである。
 「男の子をいじめるのは好き/男の子をキイキイいわせるのは大好き」(「女の子のマーチ」)という愉快な詩にしても、「強くなった女と靴下 女と靴下?」と反問し、「あったりまえ それにはそれの理由があるのよ」と述べ、戦後を生きる、その生と性のあり方の探究があるのである。だから、2006年に茨木のり子が亡くなったとき、それが彼女の追い求めてきた戦後の終焉になってしまうことを真剣に危惧したものである。
 さて、茨木のり子詩の一篇をというとき、今回私が選んだのは「六月」である。これが詩人の夢見た戦後世界であったとすれば、それは私たちの現在としての戦後を厳しく問うている。


   「六月」

  どこかに美しい村はないか
  一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
  鍬を立てかけ 籠を置き
  男も女も大きなジョッキをかたむける

  どこかに美しい街はないか
  食べられる実をつけた街路樹が
  どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
  若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

  どこかに美しい人と人との力はないか
  同じ時代をともに生きる
  したしさとおかしさとそうして怒りが
  鋭い力となって たちあらわれる


 ※同人誌「櫂」がいつまで刊行されたのか調べてみたが、はっきりしなかった。手持ちの資料では川崎洋が「ユリイカ」1971.12号に「『櫂』の十八年・メモ」を書いていて、その時点では発刊中とあった。
 ※その後、ある人が国会図書館に「櫂」32号(1997)の所蔵があるらしいと教えてくれた。「櫂」には様々な傾向の詩人たちが寄稿しているからかえって長く続いた(いる?)のかも知れない。Sさん、ありがとう。(2013.4.9)


  (いばらぎのりこ,1926-2006)
by yassall | 2013-04-02 10:38 | 詩・詩人 | Trackback | Comments(0)
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