録画はしたが見ないままになっている番組はたくさんある。しかし、なぜか今日は見てみようか、という気になった。見終わって、これは何かを書かなくてはならないと思った。この憤りを誰かと共有せずにはいられないと思ったのだ。
日本にポツダム宣言の受諾を最終的に決断させたのは、8月6日と9日の原爆投下と、9日のソ連参戦であったとされている。 ソ連参戦は日本との中立条約を突然破棄してのものだったが、実は2月に開かれたヤルタ会談で、ドイツ降伏後3ヶ月以内に参戦するという密約が連合国間でなされていた。そんなことは想像だにしなかった日本はソ連に戦争終結のための仲介を要請しようとしていた。… それがこれまでの私(だけでなく多分は多くの日本人)の歴史の知識であった。ところが番組は、少なくとも日本の陸軍海軍はその「ソ連参戦近し」の情報をつかんでいたことを明らかにした内容だった。証拠としてあげられた最も早いものは、日本の駐在武官が本国に送った電報で、日付は5月24日である。イギリス側が解読していた資料がイギリス公文書館に残されていた。それ以外にもヨーロッパ各地に駐在していた武官たちが同内容の電報を送っている。 ?????……それっていったい何? 番組でもさまざまな角度からその理由を究明しようとしていた。軍がつかんでいた情報は外務省には知らされなかったという。日本のタテ割り機構の弊害もあげられていた。 その中で、「自分たちに都合の悪い情報は見なかったことにする」という体質があった、という指摘に、根源的な気持ちの悪さとともに、妙に納得させられてしまった。 その「気持ち悪さ」というのは、現在の日本でもその体質は少しも変わっていないと思わざるを得なかったからである。 「一撃和平」論なり「ソ連仲介」論なり、一度自分たちが立てた作戦に都合の悪い情報は無視したり、軽視したりするというのは、旧型の原子炉の欠陥や巨大津波による電源喪失の可能性について、何年も前からアメリカから情報を提供されていたり、国会で質問されたりしていながら、「安全神話」のもとにこれを無視してきたことと全く同じことであり、この間には何の反省も進歩もなかったことの証明でしかない。 ソ連がドイツ降伏の後、ヨーロッパ戦線から極東に兵力を移動させるのにはそれ相当の時間と労力が必要だったはずである。その動静さえつかめないほど日本軍の情報収集能力は低かったのだろうか。昨年は、アメリカの暗号電を解読していた日本の通信兵がテニアン島に特殊な秘密兵器が搬送されていることをつかんでいたが、この情報もまた戦争指導部は握りつぶしていたという内容のNHK特集もあった。その秘密兵器こそ原爆に他ならない。戦争の闇はまだまだ深そうである。 ※番組は昨年の8月15日に放映されたものを2月10日に再放送したもの。ネットで調べたら、昨年の段階ですでに大きな話題になっている。私が鈍感だった。10日にはもう一本「核のゴミはどこへ」も放映された。使用済み核燃料のリサイクルシステムは行き詰まっている。しかし、当面の置き場もなく、最終的な処分方法もない中で、止めたくとも止められない構造になっているところに、今日の原子力行政が泥沼に陥っていることが明らかにされていた。ここにも闇がある。 《補足》 ずいぶん文章を切り詰めたつもりだが、やはりその後もいろいろなことを考えてしまう。 ソ連の参戦前に日本が降伏していたらシベリア抑留もなかったのではないかと言われるが、満州に取り残され、ようやくにして内地へ引き揚げてきた方や、シベリア抑留の体験者の証言を聞いてみると、ソ連軍の侵攻の前にどこからか情報をキャッチしていた軍上層部や満鉄の幹部などはいち早く特別列車で避難してしまったとのことだ。その情報はいったい、いつ、どのように、誰によって、どの範囲に知らされたものであるのか? これまで極秘とされ、今回初めて明らかにされたことと関連はないのだろうか? 日本社会のタテ割り(というよりタコ壺)構造も根が深い問題だ。国家国民の全体の利益よりも自分が所属している省庁などの組織の立場が優先してしまうというのは原発行政の問題でも見られた・ることだ。その組織の中での地位を失うことを恐れ、誰も全体に対する責任を果たすことが出来ない。 自分たちの反省も含めて考えていかなくてはならない。一度始まってしまったら、その行き詰まりが明らかになっても、立場上反対したり中止したりできなくなった、などということはどこでも起こり得ることだ。
by yassall
| 2013-03-07 17:25
| 雑感
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