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飯島耕一「他人の空」

    「他人の空」

  鳥たちが帰って来た。
  地の黒い割れ目をついばんだ。
  見慣れない屋根の上を
  上ったり下ったりした。
  それは途方に暮れているように見えた。

  空は石を食ったように頭をかかえている。
  物思いにふけっている。
  もう流れ出すこともなかったので、
  血は空に
  他人のようにめぐっている。

  高田馬場の古本屋街をあさっていて、ばら売りしていた思潮社の『現代詩大系』を買ったのは1969年のことだったから、飯島耕一の「他人の空」と初めて出会ったのは10代の終わりの頃だったと思う。
 高校を卒業した後、私は一年浪人をしたが、どこにも帰属していないことで私は自由だった。若く、解き放たれていた。その私の心をどうしてこのような閉塞感に満ちた詩がとらえてしまったのかは分からない。
  ジョハリの窓というのがある。マズローの欲求階層説とならんで、カウンセリング講習会などで最初に紹介される。自己selfには4つの窓があって、①自分も自覚し、他人も認める明るい窓、②自分は気づいているが、他人には知られていない隠れた窓、それとは逆に③自分には自覚がないが、他人は気づいている盲点の窓がある、というものだ。そして4つめの窓というのは、自分にも他人にも知られていない未知の窓である。
  いうなれば「他人の空」は、この4つめの窓を開けてしまったような違和感、空漠感に満たされているようだ。「他人の」というが、それは誤りで、描かれているのは自己selfの意識世界の内部であるのに違いない。それをもう一度「他人」の側に押しやっている。『現代詩大系』の解説は鮎川信夫が書いているが、飯島耕一には「sense of identityを失った悲しみ」の評をあてている。
  「黒い割れ目」というのは心に負った傷のことではないだろうか。しかし、その傷にさえもselfとしての自覚を持ち得ない、「見慣れない」、疎外感の深さなのだ。
  その後、飯島耕一からは離れてしまったが、思いの外(といってはいけないのかも知れないが)活動期間の長い詩人である(※)ので、またいつか別の出会いがあるかも知れない。それはともかく、今回久しぶりに書棚から詩集を引っ張り出してみて、次の作品にも心惹かれた記憶が蘇ってきた。この詩人にも抒情世界の広がりがあるのだ。決して理知に勝るばかりに乾燥し切ってはいないところの。

   「切り抜かれた空」

  彼女は僕の見たことのない空を
  蔵い込んでいる。
  記憶の中の
  幾枚かの切り抜かれた空。

  時々階段を上って来て
  大事そうに
  一枚一枚を手渡してくれる。

  空には一つの沼があって
  そこには
  いろいろなものが棲んでいると云う。

  そこには一度きりしか通過したことのない
  小さな木造の駅があって、
  草履袋をもった
  小学生が
  しゃがんでいたりする。

  ついで彼女は
  失くしてしまった空の方に
  もっと澄んだのがあったとも云った。

  (いいじまこういち,1930-2013)

  ※この項を書いたころは飯島氏は存命でしたが、2013.10.14に83歳で逝去されました。
by yassall | 2013-01-22 13:11 | 詩・詩人 | Comments(0)
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