下人の「サンチマンタリスム」
---『羅生門』を読み続けて 一 小説教材としての『羅生門』 芥川龍之介の『羅生門』は高校一年生の小説教材の定番となっている。 実のところ、私は『羅生門』の作品としての完成度には疑問を持ち続けてきた。 それは、起承転結でいえば起にあたる部分が長すぎること、ようやく作品世界に引き込まれて来たころに、突然作者が顔を出してしまうところ、などである。 最後の一行が発表後も何度か書き直されたことや、初出では柳川隆之介というペンネームが用いられていることなどから、むしろ自己のスタイルを模索する過程での習作と呼ぶべきであるとさえ思うことがある。 しかし、そうした瑕疵をこえて、これだけ長きにわたって高校段階での小説入門教材として定着してきたのは、それ相当の理由があってのことだろう。 それは、時間・空間・人間という小説の三要素が明確でとらえやすく、またそれら自体が表現しているものもつかみやすいこと。 また、新しい表現の工夫が随所に施されており、言語感覚を磨き、言語世界を広げていく力に満ちていること。 そして、「下人」と「老婆」の対決という基本軸が明確で、作品の主題に迫りやすいこと、といった点によるものであろう。 しかし、いざその主題に迫ろうとすると、(おそらくは「イゴイズムのない愛がないとすれば、人の一生ほど苦しいものはない」という恒藤恭宛書簡に根拠を置くものの)、人間のエゴイズムを表現しようとした、などという解釈でとどまってしまうこと、それ自体は誤りではないとしても、ややもすると道徳的解釈で終わってしまうことに不満があった。(結局、下人は「黒洞々たる夜」に閉じこめられてしまったのさ、など。) 二 『羅生門』の謎 『羅生門』を読み続けていると、いくつもの疑問点と出会う。 それはまず、「生きるためには悪事をなすのもしかたがない」というのが老婆の論理であったとした場合、下人はこれに共感して老婆の着物を剥ぎ取ったのだろうか、そしてまた、もし下人に「勇気」を与えたものが老婆の「しかたがない」という言葉だとすれば、門の下にいたとき下人は何を悩んでいたのだろうか、という疑問である。 下人は、すでに門の下に座り込んでいた時点で、「手段を選ばない」とすれば「盗人になるよりしかたがない。」(傍点、桜井)ということに思い至っている(後出にも「さっきまで、自分が、盗人になる気でいたことなぞは」とある)のであり、ただそれを「積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいた」のである。 老婆の言い訳を聞くときも、下人はあくまで「冷然として」聞いているのであり、その「憎悪」と「侮蔑」の心が「引剥ぎ」という行動となって老婆に振り向けられるときも、「あざけるような声」で念を押し、「かみつくように」(まるで判決でも下すように)「おれがひ剥ぎをしようと恨むまいな」と言い放つのである。 『羅生門』が描くところのものが、生か死かの極限状況におかれた人間の姿であり、そこでは「自分さえよければ(生き延びるためには)」という人間のエゴイズムが剥き出しにされるといった観点では、下人も老婆も「生きるためには悪事をなすのもしかたがない」という行動原理にしたがっているだけのことになってしまい、この二人の間の緊張関係の中に描かれる対立軸は浮き彫りにされてこないのである。 三 「愉快な小説」 芥川は『羅生門』執筆の動機を次のように述べている。 「当時書いた小説は、「羅生門」と「鼻」との 二つだつた。自分は半年ばかり前から悪くこ だはつた恋愛問題の影響で、独りになると気 が沈んだから、その反対になる可く愉快な小 説が書きたかった。」(『あの頃の自分の事』) しかし、この作品の、どこが「愉快」であるというのだろうか。 これもまた、過酷な生の実態の前で人間の良心や道徳がもろくも崩れ去っていく、といった観点では、とうてい説明がつかない問題である。 ここで、もう一度下人の「勇気」を検証してみたい。老婆の弁明を聞きながら下人の心にわき起こってきた勇気とは、「門の下で、欠けていた勇気」=「積極的に悪を肯定する勇気」であり、「老婆を捕らえたときの勇気とは、全然、反対な方向」=「飢え死になどということは、ほとんど、考えることさえできない」とされる勇気である。 それはすなわち、生への意志の積極的な肯定であり、老婆の「しかたがない」=消極的肯定を乗り越えるものとしての力への確信とでも呼ぶべきものである。 それはエネルギーに満ち溢れたものとして生命を活性化させるものであり、確かに人間を「愉快」にするものに違いあるまい。『今昔物語集』に「野生の美」を見いだした芥川は、その善悪の垣を超えた野性的生命力にあこがれを抱いたのではないか。 (私はそれを教室で、積極的ニヒリズムと名づけてみた。それはときに、既成の秩序に鋭くノーを突きつけていくものであり、新しい時代を切り拓いていくものであろう。悪党と呼ばれた武士集団が、やがて中世の幕を開けていったように。) 四 下人の行方 『羅生門』が『今昔物語集』「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の語」を下敷きにしているのは明白であるが、少なくとも構想の段階でもうひとつの原話が存在したのではないかという仮説にいたったのは、朝霞高校国語科の同僚であるM先生の示唆による。 それは、『古今著聞集』「後鳥羽院強盗の張本交野八郎を召取らるる事」である。M先生所有の山梨県立文学館発行の資料集『羅生門』(注1)には、「交野の平六は羅生門の石段に腰をかけて」云々という書き出しのノートや草稿が多数散見される。 「張本」とは「悪党の首領」ということであり、どうやら「交野の八郎」とは当時世を騒がせた大盗賊であったらしい。とすれば、構想の段階で芥川の頭の中にあったのは、名を「平六」(注2)と書き換えられているものの、やがて世に名高い大盗賊となった男の前史、その素姓にかかわる秘話、という設定ででもあったのだろうか。 だとすれば、初出の結末部が次のようであることは必然であったといえよう。 「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強 盗を働きに急ぎつゝあつた。」 「雨」をものともせず、強盗を働きつつ「京都の町」を疾駆する男のイメージからは、すでに「雨に降りこめられ」て「途方に暮れていた」弱々しさは払拭されている。男はまさに生への意志としての、強者の力を得たのである。 しかし、その結末部は書き改められた。 「下人の行方は、誰も知らない。」、と。 改稿の理由として、作品をひとつの世界として完結させるため、というような評価のされ方をするようだ。それはそれとして頷けないこともないのだが、それと引き替えに失われたものも大きいのではないだろうか。 ここにはもう初出のような躍動は感じ取れない。むしろ、改めて下人の行方を尋ねるならば、そこには「黒洞々たる夜」があるばかりなのである。 注1山梨文学館が所蔵する芥川龍之介関連の資料の複写を中心とする資料集 注2人物の名はノートや草稿によって、「八郎」「六郎」「五郎」など様々な書き換えがされている。なお、この文章を書いているうちに、「平六」の名は同じ『古今著聞集』の「強盗の棟梁大殿小殿が事」に見えることをM先生に教えられた。大殿小殿と並び称せられた強盗のうちの小殿が自ら「平六」と名乗りを上げている。大殿は「後鳥羽院の御とき、からめられけり」とあり、小殿は改心して源判官康仲に仕えたとある。 五 芥川の青春 芥川の挫折は原因はどこにあったのだろうか。『羅生門』に漂うひよわさはそのような疑問を投げかける。 そういえば、『今昔物語集』との比較においても、「ここにいる死人どもは、みな、そのくらいなことを、されてもいい人間ばかり」なのだからと必死に弁明を繰り返す老婆と、「己があるじにておはしましつる人」の遺骸を羅城門に置き去りにし、さらにはその髪を「かなぐり抜き取る」嫗と、また「老婆の着物」だけをはぎ取る下人と「死人の着たる衣と嫗の着たる衣と、抜き取りてある髪とを奪い」取った盗人と、いずれがその悪のエネルギーのすさまじさにおいて勝っているのかを問えば、答えは自明であろう。 かつての私には、それは「理知派」の限界であるとしか思えなかったし、したがってあまりにも唐突にあらわれる「平安朝の下人のサンチマンタリスム」の一節も、作者一流の気取りとしか受けとめられなかった。 しかし、やがてこの「サンチマンタリスム」こそ、この作品の底を流れ続ける気分であり、動機であるのではないかと考えるようになった。 それは芥川自身の、(失恋に終わった)「悪くこだはつた恋愛」がもたらした喪失感、またそこにかいま見た「人の上に落ちてくる生存苦の寂寞」(前出恒藤恭宛書簡)が、作品上に色濃く反映されたものであったのかも知れない。 人間の「イゴイズム」に直面した芥川の、「周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい。しかも人はそのまゝに生きることを強ゐられる」(同)ことへの嘆きは、「生きる」ために「盗人になるよりしかたがない」(=そのようなあり方を「強ゐられる」)、社会の最下層民として生きるしかなかった下人の苦悩あるいは反抗心に重ね合わされている。 「強者」として自己回復をなしとげるには、芥川はあまりにも繊細で傷つきやすい心性の持ち主だったのであろう。老婆が覗き込んだところの「黒洞々たる夜」とは、ときに生きてあることへの否定にまで傾斜しようとする、底知れぬ人間存在への絶望に他ならなかったのではないか。 すでにして「僕は亡びると云ふ予感」(同)に脅かされながら、その「サンチマンタリスム」から何とかして脱しようとする模索こそが初期芥川の作品群であると今は思う。その成否は問わぬとしても。 六 おわりに 生徒たちと『羅生門』を読む機会がもう一度くらいはあるのだろうか。 国語教師になりたてのころ、教科書の小説教材=テキストとして作品に接してみると、私にはまったく『羅生門』が読めていなかったことを痛感させられた。それまでは芥川を、昭和という時代への移行の過程で乗り越えられるべき、文学史的事件くらいにしか捉えていなかったのである。 それ以来、さまざまな切り口を求めて『羅生門』の読解にアプローチしてきた。そして、教師人生にも終止符を打つ時期が近づくにつれ、そろそろそのまとめをして置きたくなった。 これがこのような文章を書き始めた理由であるが、やはり文字に残そうとすると当たり障りのないものになってしまう。 教室では、「本当はキリストを描きたかったのでは?(「人はパンなしには生きていけない」ことは当然のことであるのに、「パンのみに生きる」人間の生のあり方にキリストが悩んだのだとしたら、その同じ悩みを悩みながら、その対極に立ってしまった下人。)」などとかなり乱暴な挑発をおこなったこともあったし、最近ではもしかするとドストエフスキーの『罪と罰』の影響がありはしなかったか、などと考えている。 そのような仮説を立て、これを検証するには私はあまりに不勉強である。 ただ、そうした不勉強を棚上げにして、ひたすら生徒たちを揺さぶるごとくに様々な解釈の可能性を投げかけたのは、優れた作品ほどそうした試みを受け入れ、新しい価値を生み出すものであると思うからである。作品に即しながらも、自ら問題発見し、思考し、読みを深めていく読解のダイナミズムを体験させたいと考えたのである。 描写の力、比喩の力にも、文学作品を鑑賞する重要な要素として気づかせたかった。「火の光が…その男の右のほおをぬらしている。」(傍点、桜井)といった表現が、既成の言語秩序を破壊しようとする試みであるとすれば、それは第一次世界大戦後のヨーロッパに起こり、やがては日本のモダニズム文学にも影響を与えたアバンギャルドのさきがけであったかも知れない。 『羅生門』には、やがては抗しきぬほどに重みを増していったのであろうサンチマンタリスムを早くも抱え込みながら、己の才気にしたがい、文学的野心に賭けようとする若き芥川の青春がかいま見えるのである。 《補論》 「若し夫れ然らず、長く今日の趨勢に放任して以て省みる所なくんば、吾人の四囲は唯た百鬼夜行あるのみ、吾人の前途は唯た黒闇々たる地獄あるのみ。」 確かに「唯た黒闇々たる地獄あるのみ」と「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである」とには偶然の一致とは思えない近似がある。
by yassall
| 2011-03-05 13:03
| 国語・国文
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