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教材論 夏目漱石「こころ」

『こころ』断章


  一 灰とダイアモンド

 「灰も昏迷もすべて燃えるものより残されたることを、或いはまた、その灰の底にダイアモンドが横たわり、とこしえの勝利の暁に輝く星のごとく輝けるを。」
  一九五八年に公開されたA・ワイダの『灰とダイアモンド』の題名の由来となったのは、映画中でも引用されるポーランドの詩人ノルウィドの右のような断章による。
 夏目漱石の『こころ』について語ろうとするのに、このような突飛な連想から始めるのは少々気が引けるのであるが、もしかしたら作品の謎を解く鍵がここに隠されているのではないかと突然思い当たったのである。
 漱石は、なぜ「K」や「先生」を自殺させたのだろうか。人間のエゴイズムを究極にまで突き詰めていった結果だろうか。その罪に対する厳格さだろうか。では、それは何のために。
 久しぶりに『こころ』を読んでみて、またまた頭を悩ませていたとき、ふと漱石は滅びゆくものを描きたかったのではないか、否、滅びゆくというよりもっと激しく、紅蓮の炎に身を投ずることによって、灰の中に残るダイアモンドをすくい上げたかったのではないか、という考えに思い至ったのである。
 そうすると、今までどこか無理矢理なものを感じてきた次のような一節も、不思議に納得がいくように思えてくる。
 「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です。」(下二)
 それでは滅びゆくものとしての自己認識には、いったいどのような心性が作用していたのだろうか。自己裁断だろうか、愛惜だろうか。
 漱石を襲った自死への衝動とは何だったのだろうか。自己のあり様への違和感か、それとも己が生きた時代への。あるいはその両方なのか。
 漱石が次世代に託そうとしたものは何か。それがあるとすれば、『こころ』は漱石の絶望の表白ではなく、人間への希望の言志だったのだろうか。
 だが、それらを考える前に、もう少し回り道をしてみたい。

 二 永遠なるもの

 「先生」の「お嬢さん」に対する愛は本当に愛といってよいものなのだろうか、ということがよく問題にされる。それはお互いの人格の尊重にもとづく近代的な意味での恋愛とはほど遠い、偶像崇拝とでもいうべきものだったのではないだろうか、という問題である。
 そのような観点で次のような一節を読むと、まるで「先生」自身がそのことを告白しているかのようである。
 「私はその人に対して、殆んど信仰に近い愛 をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、貴方は変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものではないという事を固く信じているのです。」(下十四)
 もちろん女性にしてみれば、自分が偶像として崇拝されることは耐え難い苦痛であろう。なぜなら、相手は自分をではなく、相手本人の頭の中の観念を愛しているに過ぎないのだから。もしかすると、そこに自己愛や女性蔑視の臭いすら感じ取るかも知れない。
 そうした批判が的中しているかどうかは別の問題として、確かに漱石の女性観がここに表れている、少なくとも若き日の女性への憧れ(「世の中にある美しいものの代表者として、始めて女を見ることが出来た」下七)がそのまま保たれようとしているように思われる。
 それは『夢十夜』「第一夜」の、「百年、私の墓の傍に待っていて下さい。」といって死んでいった女が「真っ白な百合」となって甦るのをじっと待ち続ける男の姿とも共通している。
 「死にますとも、といいながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。」
 このような女性美の描き方は、まったく傾向を異にする川端康成の『眠れる美女』や『片腕』を連想させる。ただ、川端が官能的な幻想性に優れるのに対して、漱石は精神性において勝っている。そのことで危うくフェチシズムを免れている。その精神性とは「百年」を超えようとする意志であり、永遠なるものへの憧憬に他ならない。
 しかし、永遠とはついに人間が手にすることが不可能であるもの、とすれば漱石の愛とは、予め失われているものへの渇望に近かったことになる。

 三 「私」の中の他者

 『夢十夜』を読むと漱石は詩人であったと思う。『こころ』の根底のどこかにも詩人漱石が隠れていると思う。
 しかし、近代小説とは、そのような個的な夢幻世界に完結するのではなく、人間をその関係の中で捉えることに本質がある。『夢十夜』では詩人であった漱石は、『こころ』では小説家漱石である。
 「K」と「私(=先生)」は親友同士であった。だから「K」が傷つき、困窮しているとき、「私(=先生)」は同居をすすめる。それでは「K」と「私(=先生)」は一体であり得たかといえば答は否であった。むしろ一つ屋根の下にあることによって、「私(=先生)」は互いがまったくの他者であることに気づくのである。その他者性を象徴するのが二人の部屋の間を仕切る「襖」の存在である。
 「そこで時々目を上げて、襖を眺めました。 しかしその襖はいつまでたっても開きません。 そうしてKは永久に静かなのです。」(下三十 七)
 もちろん「襖」は二人を仕切るものであると同時に、二人を結びつけるものでもあろう。しかし、その最期に臨んで「襖」を開けて「私(=先生)」の部屋をのぞき込んだらしい「K」にしても、ついに再び自分の胸中を他人に開くことはなかった。
 〈個〉として自立しようとする限り、近代人はその孤独に耐えなければならない。それは漱石の文学者としての一生涯のテーマであったように思われる。
 「私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味あわなくてはならないでしょう。」(下十四)
 そして、人間は自分の外に他者を見いだしただけでなく、内なる自分の中に他者を発見してゆく。「私(=先生)」はいつ自分の中に「正直な道を歩くつもりで、つい足を滑らせたばか者」(下四十七)が潜んでいることに気づき得ただろうか。
 このように『こころ』を読み解いていくと、やはり漱石は、明治という時代にあって日本人が初めて出会った近代と格闘した、最初の人間だったのだと思ってしまう。
 しかし、それでは漱石は日本で最初の近代人であったかといえば、それは違うように思うのである。むしろ、時代への違和の中で、もっとも苦悶したのが漱石ではなかったのか。
 そうした視点に立ってみると、「K」も「私(=先生)」もまったく別様の存在として浮かび上がってくる。それらは二人ながらにして漱石の分身なのである。

 四 厭世主義者漱石

 先に「漱石を襲った自死への衝動」と書いた。私は何も漱石を無理矢理に破滅型作家の仲間入りをさせようというのではない。また、いたずらに作家自身と作中人物とを同一視しようとしているのでもない。
 しかし次のような述懐に接してみると、漱石自身もまた激しく破滅への傾斜に誘われることが、人生のある時期に確かにあったのではないかと思われるのである。(そして、多くの場合と同じように、それは病的な要因であるのでなければ、むしろ己の人生に求めるものが人一倍過剰であったことの証である。)
 「此頃は何となく浮世がいやになりどう考え 直してもいやでいやで立ち切れず去りとて自殺する程の勇気もなきは矢張り人間らしき所が幾分かあるせいならんか」(明治二十三年八月)
 「僕前年も厭世主義今年もまだ厭世主義なり」 (明治二十四年十二月)
 これらはいずれも学生時代に正岡子規に宛てた書簡である。初め二松学舎に学んだ漱石は、その素養を漢学に養った。しかし子規と出会った東大では英文科に進んだ。それは明治近代に生きて、新しい時代に生きる道を探し求めようとしたからに違いない。しかし、後年「自己本位」の立場に目覚めるまで、「ついに文学は解らずじまい」と嘆じたように、この時期の漱石は、迷い込んだ迷路からの出口が見つからない状態だった。
 養子先から夏目家に復籍したのは東大入学二年前であったが、実家に帰ってからも冷遇が続いていた。日本帝国憲法の発布はその翌年であったが、ちょうどその頃から日本は明治当初の欧化主義から国家主義・国粋主義的傾向へ急激な転換をとげていく。
 自分の確たる進路を見いだせず、家庭の中にも安住を求められず、また世と相容れない自己を抱え込んでしまった、孤立無援の中で呻吟する漱石がここにいる。
 こうしてみると、まずは青年「K」の中に若き日の漱石が投影されていると見ることは決して的はずれなことではあるまい。高い理想を掲げ、その理想を追求しながら、それは「K」自身を孤独に追いやることでしかなかった。その生き方は結局「時勢遅れ」(下五十五)であり、誰からも理解されることはなかった。そればかりか、初めて心を奪われた意中の相手から、その愛を獲得することは叶わなかった。「K」が深い絶望の淵にいたことは間違いない。

 五 「明治の精神」への疑問

 それでは「先生」はどうだったか。もしかすると、「K」以上に底深い人間不信と絶望を抱えながら明治という時代を生きざるを得なかった「先生」という人物造形にもまた、漱石の影が落とされているように思うのである。
 国家レベルでの「富国強兵」は、個人レベルでは「立身出世」という価値意識としてあらわれる。「末は博士か大臣か」的価値意識を一概に俗物として排することはできない。少なくとも、それは封建的な身分制度から脱却して初めて可能なのであるから。
 しかし、「先生」はその明治にあって社会参加をしようとはしない。自分の学問を国家に生かそうとはしない。「高等遊民」を自称する『それから』の長井代助ともども、漱石の主人公たちは明治国家に与しようとしない。(そういえば「先生」がどのような学問をし読書をしたかは明らかにされていないが、そもそも「富国強兵」「殖産興業」に役立つようなものではなかったように思われる(福沢諭吉いうところの実学に対する虚学!)。その「先生」の学問に惹かれたという「上」に登場するところの「私(=青年)」に、新しい時代の希望を託そうとしていることに注意を払いたい。)
 このようにしてみると、「先生」の自殺の動機とされた「明治の精神」への殉死なるものも、これをもって、漱石が明治日本を礼賛していたのだなどと軽々しくみることは出来ない。「先生」を最も激しく動揺させたのは乃木希典の殉死の報であるが、その乃木からして、その精神性の根は、「明治の精神」というよりは、旧時代の武士道にこそあったのではないだろうか。(加藤周一『日本人の死生観』岩波新書)
 漱石には、どこか明治という時代にそっぽを向いたところがあるのではないか、と思えてならないのである。

 六 思想家漱石と文学者漱石

 漱石には文学者としての一面と、思想家としての一面がある。それでは『こころ』を執筆していたころ、漱石の思想はどのような到達点に至っていたのだろうか。それは二つの講演、『現代日本の開化』(明治四十四)と『私の個人主義』(大正三)によって知ることができる。
 『現代日本の開化』は大逆事件(それは日韓併合の年でもある)の翌年に行われた。漱石は日本の「開化」(=近代化)は「外発的」であるとして、「日露戦争以降、世界の一等国の仲間入りをした」かのような世相を批判した。
 まさに『こころ』の執筆と同時進行的に行われた『私の個人主義』では、そうしたあり方への反省に立って、借り物でない、「自己本位」であることの重要性を説いている。
 それにしても学習院の学生に向かって、「あなた方のうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんある」ことを指摘し、こう諭す漱石が見据えていたものは何だったのだろう。
 「もし人格がないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす」
 深刻な格差が放置され、派遣労働者の大量解雇がまかり通るなか、企業の社会的責任がとりざたされたのはつい昨今のことである。漱石の射程はいかに長いものであったことか。
 そうしてみると、「そのころは覚醒とか新しい生活とかいう文字のまだない時分でした」(下四十三)という件にしても、漱石がどのような目で明治末年の日本を見つめていたかが推察されるのである。(「近ごろは自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手なまねをしてもかまわない符丁に使うようです。」!)
 もちろん、『私の個人主義』は前途ある青年たちに向けて、本当の自分らしさに目覚めること、その上で自分の進むべき道を見いだすことの大切さを訴えたものである。
漱石の立場は反近代ではない。真に「自由と独立と己れ」を確立すること、そしてそれにともなう責任主体を自らに引き受けること、それらは経済的自立だけでなく、内面的自我を深く掘り下げることによって達成できること。それらが個人レベルでの課題であるとすれば、国家レベルにおいては、物質的繁栄をとげるだけでなく、真に文化国家といえる内実を豊かに開花させること、旧道徳にかわる新しい倫理や社会規範を、人々の間から生まれ出、その生き方の指針となるまでに熟成させること。
 漱石が『こころ』を通して次世代に伝えたかったものとは、そのようなものではなかったのか。

 七 恋愛小説『こころ』

 少々、結論を急ぎ過ぎたかも知れない。私たちは思想家漱石をないがしろにしてはならないし、現代に生きるものこそ、真摯にその言葉に耳を傾けなくてはならない。
 しかし、文学者漱石がそのような結論にいたるためには、自分自身を切り刻み、その血しぶきを浴びざるを得なかった。明治という時代の中で失われていくもの、滅んでいくものの痛切な自覚の中で、それらが新しい生命をもって復活を遂げていくのを願わざるを得なかった。
 どうやらこのあたりが私が語りたかったことのおおよそらしい。
 人間は他者との関係の中で生きるとともに、時代(社会)との関係の中で生きる。
 言い残したことをいくつか書きたい。『こころ』は恋愛小説でいいのではないか、いつからかそのように考えるようになった。
 「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ」(『厭世詩家と女性』明治二十五)
 と書いたのは北村透谷であった。恋愛は自己の内面性の発見であり、また近代精神の所産である。「先生」は恋愛によって人生を棒に振った。それにはそれだけの価値があった。恋愛は明治近代に対置させうる。その思想は、ときに国権主義を内側から掘り崩す爆薬たりうる。
 『こころ』はまた人間の「罪」の物語である。なぜ人間は「罪」の意識にさいなまれるのであろうか。(漱石は『こころ』で人間のエゴイズムを描こうとした、というのは皮相な見方であると思う。少なくとも、そこに止まってはなるまい。そのエゴイズムがもたらした人間の「罪」をこそ、漱石は問うたではないのか。)そして、その「罪」から人間はいかにして救済されるのであろうか。
 もしかすると目下の私にとって、それは最大の関心事である。ただ、ここで始めると収拾がつかないことになってしまうだろう。日蓮宗・浄土真宗と挙げられた、宗教的な背景が問題を解いていく鍵になるかも知れない、とだけ言っておこう。
 『こころ』でいう「自然」とは何かという問題も提起のしっぱなしであった。ただ「良心」の問題にせよ、「先祖から譲られた迷信の塊」(下七)としての祖先信仰にせよ、それらは文字通りに「自然」に発生したものではないのではないか。人間の作り出した制度や文明を「第二の自然」と呼ぶことがあるように、それらもまた、長い歴史の中で培われ、まるで自然に呼吸するまでに至った、それぞれの文明や文化の生み出したものではなかったのか。そうであるからこそ、新しい文明や文化の波が押し寄せたとき、脆くも覆されてしまうことがあるのではないか。
 その意味でいうと、「故郷喪失」はやはり『こころ』を貫くテーマ、あるいは基調的なトーンであると思う。

 八 『こころ』を読む

 夏目漱石の『こころ』を読むことは、高校生にとって、一つの事件なのではないだろうか。そして私自身にとっても、いまだに事件であり続けているような気がする。
だから、今回については、私の『こころ』の授業の総決算、という訳にはいかなかった。再読するたびに新たな謎が生まれ、せいぜいその謎を提示してみせるばかりであった。題名を「『こころ』断章」とせざるを得なかった理由である。
 『こころ』を読み続けること、それは底深い魂の井戸から、新しい命の水を汲み上げることである。生徒諸君にとっても、この一冊が長く人生の相談相手となることを願っている。


※「明治の精神」覚え書きを書きました。あわせてお読みいただければ幸いです。[国語・国文]2014年5月12日

by yassall | 2011-03-01 12:51 | 国語・国文 | Comments(0)
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