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憲法9条を守ろう!原発から撤退しよう!

憲法改悪反対!原発撤退!これだけは巻頭から外すわけにはいかない!(その理由は口上で)

 ご案内
 たいがいが趣味(夏炉冬扇?)のブログですが、ときに真面目?になって、つい一言もの申したり、語ったり(竹頭木屑?)しています。多少とも関わりのあった「学校図書館」や「高校演劇」についても応援していきたいとカテゴリを設けました。初心を忘れず、ということで「国語・国文」を起こしましたが、あまり更新できずにいます。他は、最近何してる?は「日誌」に、何か考えてる?は「雑感」に、という塩梅です。
 あ、写真をご覧になっていただけるかたは主に「風景・散歩」のカテゴリーに!

この一枚
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   3年ぶりの森林公園紅葉狩りで。(11月24日)  E-M5+14-150mm  

# by yassall | 2022-12-31 23:59 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

今年の発句2022

 有よ時よ 静止・バラ園の陶酔  
月光のバラ園デルヴォーの乙女たち
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 私の年賀状は私の趣味の延長である。最近は年賀状じまいをなさる人も増え、さすがにその方たちには送らないようにしているが、今年からはメールでという人たちにも私の方は従来通りにして、無理にも趣味のお付き合いをお願いしている。
 今年はとくに趣味性の高い発句になった。新年早々になるわけだから、負の要素が強いものは避けるようにしているが、近年の心境を伝えるでもなく、ましてや年改まったことを寿ぐでもない。受け取った方々は、なぜ年頭からこんなものを読まされるのかと、いぶかしく思われたことだろう。
 書きたいことを書きたいように書いた、というところだが、それだけに弱点もあらわになっている。観念的で、季節にも、事物にも即していない。だいたい、上の句の原形は次のようであった。

  有よ時よ 静止・迷宮の陶酔

 今年は写真もこれといったものを撮っていないし、5月の港の見える丘公園のバラでいくしかないかと、まず写真の方から決めたはずなのに、肝心のバラがどこかへ行ってしまったのである。イメージを持っているようで映像は浮かんでこない。

  有よ時よ バラ園・迷宮の陶酔

  仕方が無いので「静止」を「バラ園」に替えてみたが、それでは「有よ時よ」は何の呼びかけか分からなくなる。いっそ「有よ時よ 静止する迷宮・バラ園の陶酔」とでもするか、と考えもしたが、いかんせん字数が多すぎる。これは俳句ではなく一行詩である、と居直ってもいいのかも知れないが、字数を多く使えば意味は通じやすくなってもしまりはなくなる。
 観念に頼っていくといずれ限界が来る気はしている。そんなことを思った年始めだった。

  (バラの写真は年賀状に添えたものと変更しています。)


       
  有よ時よ バラ園静止する迷宮

                     こんな手もあったかな?(2022.1.8)








# by yassall | 2022-01-06 18:36 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

今年の読書2021③ 斎藤幸平『人新生の「資本論」』

今年の読書2021③ 斎藤幸平『人新生の「資本論」』_c0252688_14440869.jpg
 斎藤幸平『人新生の「資本論」』集英社新書(2020)は昨年から今年にかけて読んだ。そして、それは私の一年を通してのテーマのきっかけとなるはずだった。
 まずは著者が引用している『資本論』の一節を示す。

  この否定の否定は、生産者の私的所有を再建することはせず、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有をつくりだす。(『資本論』第1巻)

 上は斎藤幸平の訳である。読んでいて、かすかな違和感を感じた。有名な箇所であるので、さまざまな解説書等でも引用されている。下の新日本出版社の訳と比較してみる。

  資本主義的生産様式から生ずる資本主義的取得様式は、したがって資本主義的私有は、自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。だが資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生み出す。それは否定の否定である。この否定は、私有は再建しないが、おそらく資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と、土地や労働そのものによって生産される生産手段やの共同所有とを基礎とする、個人的所有をつくりだす」(『資本論』1.7.24.7)

 この部分についていえば斎藤訳の方が読みやすいということは書いておきたい(新日本出版社版の方が直訳としては本文に即しているのかも知れないが)。それはともかくとして、私の感じた違和感の正体は通常「土地」と訳されるところを「地球」としたところである。これについては斎藤自身が次のように語っている。

  ここで筆者が「地球」と訳した言葉は、一般には「大地」「土地」と訳されます。なぜ地球と訳したかというと、マルクスは「土地」という単語を、自然全体というような、非常に広い意味・概念として使っているからです。一般に「土地」というと不動産的なイメージを持ちますが、マルクスはその土地に生える草木や、その土地を流れる小川、地下に眠る資源なども含めた意味で語っているのです。(100分de名著『カール・マルクス 資本論』NHK出版2021) 

 ちなみに「土地」の語をマルクスが地球資源も含めた意味で用いているという研究は他にもあり、決して斎藤の恣意的な読み替えではないし、一方、マルクスが土地所有者(地主)の存在を認め、地代について論考してきたことを考えれば「不動産的なイメージ」で「土地」をとらえてきたことも誤りとはいえない。
 それはともかく、「土地」を「地球」ととらえ直すことによって、マルクスが現代の気候変動対策、あるいはエコロジーの問題解決にきわめて有効である、というより、そこにしか脱出口はないことを明らかにしたのが本書であるということだと思う。その脱出口とはすなわち、「協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有する」=「共同所有」を基礎とする「個人的所有をつくりだす」ことであり、それは共産主義社会である。
 ※ここに出てきた「私有」と「個人的所有」の区別の説明はむずかしい。私は初歩の段階では生産手段の資本主義的私有と、社会的生産によって得られた生産物の個人の分有との区別としていいのではと考えている。斎藤はさらにヨーロッパで広まりつつある「アソシエーション」を運動として高く評価しているし、「富」をシェアするコミュニズムを提唱している。
 いきなり結論から入ってしまったが、商品価値が最優先される市場経済の下にあっては、経済ケインズ主義=グリーン・ニューディールも限界があり、省エネといった技術革新や効率化がすすめられても、かえって生産量の拡大をまねくだけだと、具体的な事実や数値をあげて論証しているのには説得力がある。斎藤が唱えるのは成長至上主義からの脱却、「脱成長」である。
    ※          ※          ※
 本書は2021年新書大賞を受賞したとのことだ。私が買ったときは2020年10月時点で第2刷だったが、街の本屋ではいまでも平積みにされており、先日立ち寄ったときには奥付に13刷とあった。よく読まれているということは現代人の関心にマッチしていたということだし、それに応えるに値する力作だ。
 付け加えるに、近年マルクス研究者は減少してしまい、もういちどマルクスへの関心を呼び起こしたいというのも、本書の執筆の理由だという。多分野にわたる最新の研究も踏まえつつ、かといって時代の流行に流されることなく、マルクスに新しい輝きを与えた書と言えるだろう。
 しかし、それらの作業の貴重さを認めつつ、私にはある種の「届かなさ」ともいうべき思いが残るのである。それはこの書によってもたらされたと言うより、私が若き日に抱いたマルクスに対する片思い、世界のしくみの全体を一気につかみ取ったような明視感、あるいは新しい世界の扉を開く鍵を手にしたような高揚感が置き去りにされたままだという感じ、と言ったら伝わるだろうか。
 ただ、そうした片思いは多くの人のよって共有された体験であり、その片思いに破れたと感じたときにマルクスから去って行った人々がいる中で、なおその可能性の追究にこだわり続けている人々もいる。(私はひそかにマルクス自身もおのれの思想の可能性を追究し続けた一人ではないかと考えている。)
 この書をきっかけに、私が今年一年のテーマにしようと考えたのは、私の中のマルクス、あるいはマルクス主義の立て直しであった。
    ※          ※          ※
 まず、私の中で置き去りにされたものとは何かを確かめておこう。それは単語で言い表せば「弁証法的唯物論」という思想である。
 マルクス主義を特徴づける土台と上部構造の関係(『経済学批判』序言)は、プラトンのイデア界と現実界の関係をひっくり返したものかも知れないと考えたことがある。それはさておき、ここでいう土台とは経済構造のことである。人類は社会的生産をおこなう。それぞれの歴史的段階において、ある生産様式を作り出し、生産関係をとりむすぶ(正)。しかし、生産力の増強によって、その生産様式は次第に適合しないものとなり(反)、歴史的に新しい段階である、新しい生産様式と生産関係に移行する(合)。資本制は前時代の封建制の枠にとどまらないほどに経済活動が発展し、その封建制を打破し、あわせて身分制度などの旧社会制度と道徳を打ち破って誕生した。しかし、資本制には社会的生産と私的所有という根本矛盾が存在し、貧困や格差を生み出す。したがって資本制もまた打ち破られなければならない。資本制は資本家階級と労働者階級を作り出した。このうち、労働者階級こそが新しい社会を創造する主体である。人類の歴史は階級闘争の歴史である(『共産党宣言』1848)。……
 先に引用した文章でいえば、「資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生み出す。それは否定の否定である」というときの、「一つの自然過程の必然性」すなわち法則性が「弁証法的唯物論」ということになる。①対立物の統一と闘争(対立:浸透:発展)、②量から質への転化、③否定の否定の三つが弁証法の基本法則である。
 マルクスは「我々は空理空論をふりかざして世界に立ち向かうのではない。(中略)現に世界を動かしている諸原理のなかから、新しい諸原理を発展」(『独仏年誌』1844)させるのだ、と書いたときから歴史の発展法則を解明することで革命の必然性を理論化しようとしていたのだと思う。『共産党宣言』が書かれた1848年革命が挫折した後にも、マルクスはその探究を止めなかった。そして『資本論』に到達した。
    ※          ※          ※
 マルクスの思想にふれ、革命の必然性に確信を持ち、革命近しの熱情をたぎらせた人々はたくさんいたのではないだろうか。1917年ロシア革命がまったく無価値であったとは今もって考えていない。レーニンが唱えた「民族自決権」は世界中の民族独立運動を激励した。その社会主義的な諸政策は資本主義国家においても一定の福祉政策を採らざるを得ない影響を与えた。しかし、壮大な実験というにはあまりにも多くの犠牲を強いられながら1991年ソ連邦は崩壊していった。
 「人間の顔をした社会主義」は何度も試みられた。それらが不成功に終わってしまった経過や原因を究明していく必要と意義はあるだろうと思っている。それは人類がもう一度社会主義社会を建設しようとしたときに、同じ間違いを二度と起こさないためである。私は社会主義の可能性をまだ見捨ててはいない。
 しかしながら、今日「歴史の発展法則」「革命の必然性」を文字通りに受けとめることはできなくなっている。
    ※          ※          ※
 ここで「歴史の発展法則」に関連して少し脱線する。COVID-19は人類史におけるパンデミックの歴史を振り返らせた。ヨーロッパ中世にはペストが大流行し、全人口の3分の1(3分の2という説も)が失われたとされる。人口減少は当然生産力の低下をもたらすはずである。すると封建制内部での生産力が高まったので生産様式の変革がもたらされたとする説に矛盾が生じるのではないか、というような疑問がわいてくる。
 実は、そのようなことはすでに研究がすすんでいて、ヨーロッパ中世で進行していたのは十字軍を契機とする商業の発達、それにともなう貨幣経済の発展、貨幣によって地代を支払う小作人の出現、ペストによる人口減少はかえって農民の地位を向上させたこと、中間的な小地主の没落、それにともなう中世共同体の解体が国民国家の成立と資本制を準備していったとするのである(宇野弘蔵ら)。一方、中世の時代になると鉄製農具の発達や三圃制の普及によって生産力が飛躍的に向上し、それによって余剰生産物を流通させる余裕も生じてきたことも確かだから、生産力の発展が歴史をすすめて来たという原理を否定することも適切ではない。ただ、商業の発展を主因と考えたとして、なぜオランダではなくイギリスが資本主義を発生させたのかなど、歴史には多くの偶然性が働くことは確かなようである。
    ※          ※          ※
 さて、それではどうしたら私の中のマルクス、あるいはマルクス主義の立て直しができるのだろうか。まず私は、私が「置き去りにされた」と感じたものを克服しなければならないのだろう。「弁証法的唯物論」が魔法の杖ではないことを知ることである。「資本主義の自動崩壊」論に後退してはならないのである。
 マルクスのとらえ直しはさまざまに行われている。斎藤幸平の仕事もそれにあたるだろう。私はそれらにも学ばなければならない。ただ、始めたのはいいのだけれどまだまだ途上である。一年のテーマとして得られた成果はこれこれでしたと報告できないのは情けないのだが、もういくつかだけ書いておきたい。
    ※          ※          ※
 資本制をくぐり抜けなければ社会主義には到達できないのか? いきなり社会主義をめざそうとすることは歴史の発展法則に反するのか?
 否定の否定の原理からして、またロシア・ソビエトの失敗を資本主義が十分に発達していなかったことに原因をもとめるならば、それは正しいことになる。
 そのような教条主義から離れても、『経済学批判要綱』における人類史の三段階によれば、①第一段階「人格的依存関係」原始共同体、奴隷制、封建制…個人は共同体に埋没するか人格的な隷属のもとに置かれる、②第二段階「物象的依存性の上に築かれた人格的独立性」資本主義社会…人格的独立が社会全体の規模で現実のものとなり、個性を広く発展させる条件が生まれる、労働者は資本との関係で物質的・経済的な従属のもとに置かれる、「個人の尊厳」が社会原理とされるが搾取によって侵害される、③第三段階「個人の普遍的な発展の上に築かれた自由な共同体」社会主義・共産主義、なのであり、第一段階に置かれていた人間たちがいきなり「自由な共同体」の主人公に飛躍していくことは困難であるように思われる。
 斎藤幸平はつぎのようなマクルスの言葉を例示しながら、革命の単一的なモデルを拒否したとしている。

 ※「ザスリーチ宛の手紙」1881
  ロシアにおいては共同体が資本主義に対する抵抗の重要な拠点となる
 ※『共産党宣言』ロシア語版第二版への序文
  もしロシア革命が西欧のプロレタリア革命に対する合図となって、両者が互いに補いあうならば、現在のロシアにおける土地の共同所有はコミュニズム的発展の出発点とすることができる。

 ここでいうロシアにおける農村共同体はミールとよばれるものである。中世共同体の解体ではなく、これを基盤とする未来社会の建設が可能であると考えていたことになる。
    ※          ※          ※
  大洪水よ、わが亡きあとに来たれ! これがすべての資本家および資本家国家のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮をも払わない。(『資本論』)

 これも『資本論』の有名な箇所である。これをもってすればマルクスが生産力至上主義者であることは否定される。「協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有する」とは「共同所有」であるとともに「共同管理」することなのである。
    ※          ※          ※
 革命あるいは新しい社会の扉を開く力の源は何か?
 斎藤幸平はエリカ・チェオウェス(ハーバード大)の次のことばを引用してその答としているようだ。

  3.5%の人間が非暴力的な方法で本気で立ち上がると社会が大きく変わる。

 正統マルクス主義者は次のように語る。

  ※社会変革の主体として成長する「三つの必然性」
   ①階級闘争の必然性:労働時間の短縮「時間は人間の発達の場である」(『賃金、価格および利潤』)
   ②労働者階級が新しい社会を建設する主体に成長する必然性:協業=労働者の集団的な力の発展
   ③労働者階級が社会変革の闘士となる必然性:(不破哲三『理論活動教室』)

 「必然性」という語を用いているが、「自然法則」という意味合いではなく、社会変革の主体としての意識変革した人々の力に依拠しなければならないということだと思われる。(社会学者の大沢真幸も同様のことを述べていた。※意識変革によってプロレタリアとして立ち現れる。)
 

 その他、今年読んでよかったと思った本:

  ヤマザキマリ『立ち止まって考える』中公新書ラクレ
  中島岳志『リベラル保守宣言』新潮新書
  山本昭宏『戦後民主主義』中公新書
  片山杜秀『近代日本の右翼思想』講談社新書メチエ
  吉田元夫『東南アジア史十講』岩波新書
  藤野裕子『民衆暴力』中公新書
    ※
  岸恵子『岸恵子自伝』岩波書店
  村上健志『俳句修行』春陽堂書店
  ※上記2冊はちょっとミーハー
    ※
  白石かずこ『黒い羊の物語』人文書院
  片山杜秀『皇国史観』文春新書
  長山靖生『日本回帰と文化人』筑摩選書
  ※上記3冊については他で触れた。


# by yassall | 2021-12-31 18:53 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

今年の読書2021② 尾中香尚里『安倍晋三と菅直人』

 次の一冊は、尾中香尚里『安倍晋三と菅直人』集英社新書(2021)である。
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 誰か書かないか、と思い続けていた本が出た、と感じた。副題は「非常事態のリーダーシップ」とある。2011年、菅直人が直面した非常事態が東日本大震災、とりわけ福島第一原発事故であった。安倍晋三が直面した非常事態とは、日本では2020年から始まるCOVID-19である。
 安倍は政権に行き詰まると「民主党政権下の暗黒の時代に逆戻りしていいのか?」という脅し文句を常用した。確かに民主党政権下ではなかなか政権が安定せず、沖縄・辺野古基地建設の海外・県外移転は腰砕けとなり、「コンクリートから人へ」などのスローガンを掲げながら八ッ場ダムは結局再開となるなど、公約は前へ進まなかった。内部でのヘゲモニー争いもあからさまになっていった。
 中でも福島第一原発事故については起こった出来事の深刻さから批判は強かった。この点については著者の尾中は当時を振り返って次のように書いている。

  あの時、多くの国民が感じた理不尽、その悲しみと怒りを受けとめる責任を負うのは、国民の代表たる政治家しかいない。だから菅首相が、当時あらゆる方向から罵倒されまくっても、仮にその中に不当な評価があったとしても、厳しくともそれに耐え、受けとめることが、その時のに首相の立場にある者の役割だと考えていた。

 それはその通りだろうと思いながら、冷静に考えると原発事故の責任は民主党政権のみが負うべきものかどうかについては疑問があるし、振り返ってみれば菅直人ならびに民主党に浴びせられた批判・非難には「不当な評価」(あるいは故意にねじまげられた評価)が多々あったことは事実であると思われる。
 3月12日午前6時14分の時点で菅直人が陸上自衛隊のヘリで現地視察を行ったことに対して、そのためにベントが遅れたというような批判はかなり早い時期からなされた。実際には菅はベントを急ぐように指示していたのであり、遅れた理由は停電時のベントマニュアルを作っていなかったことが大きい。しかし、数々の証言によって検証されているにも関わらず、非難は執拗になされている。自衛隊「10万人体制」要請にも自民党は「国防がおろそかになる」などと非難を浴びせかけた。
 尾中も「はじめに」で触れているが、とくに看過しがたいのは安倍晋三による「海水注入中断デマ」である。5月、自身のメルマガで原子炉冷却のための海水注入を「菅首相が止めた」と配信したのである。実際には東電は海水注入を中断しておらず、まったくの作り話であるのに『読売』『産経』が追随記事を掲載した。
    ※          ※          ※
 だが、そもそも安倍は福島原発事故に対して、自身には責任がないかのような物言いは出来ないはずなのである。
 2006年12月22日第165回国会で、当時も総理大臣だった安倍晋三は、巨大地震に伴って発生する津波被害による原子炉の電源喪失の危険性を質問した吉井英勝衆議院議員(共産)に次のように答弁しているのである。

 安倍晋三首相「(日本の原発で全電源喪失)事態が発生するとは考えられない」
 安倍晋三首相「(原発が爆発したりメルトダウンする深刻事故は想定していない)原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである」

 このことはよく引き合いに出されるのだが、自民党がこれを深刻に受けとめ、原発政策の転換をはかろうとする形跡が認められないのは不思議なことである。まるで事故そのものは民主党政権下で起こったのだから、責任はすべて民主党に負わせればよいのだと決め込んでいるかのようであるばかりか、これを民主党政権叩きの好機にしようとしたとしか思われないのである。
 2006年の国会質問では、地震による送電鉄塔の倒壊や落雷による停電など質問は細部にわたった。バックアップ電源の故障の国内外の実例など、かなり突っこんだ追及もされたが、これらの質問にも「御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである」など、答弁は言い逃れに終始しているという印象である。もし、この質問がなされた時点で原発の安全性の総点検がなされたら、ジーゼル発電機の設置場所が津波によって水没してしまう箇所のままであった、というような間抜けな事態は避けられたかも知れない。
    ※          ※          ※
 さて、尾中の著書に話をもどす。「非常事態のリーダーシップ」を問うとき、菅直人と安倍晋三のそれぞれの特徴点は次のような比較によって鮮明となる。それは国民の「私権制限」をめぐるあり方、臨み方の違いである。
 菅直人の側からみる。3月11日午後7時3分、政府は原子力災害対策特別措置法(原災法)第15条にもとづいて「原子力緊急事態宣言」を発令した。原災法では宣言を出すと内閣府に原子力災害対策本部が設置され、首相が本部長になる。そして避難のための立ち退き等について「必要な指示をすることができる」(20条)という。
 11日午後9時23分、原発から半径3キロ圏内の住民に避難指示、12日午前5時44分避難区域を半径10キロ圏内に拡大、12日午後3時36分、1号機原子炉建屋が水素爆発を起こしてから半径20キロ圏内にまで拡大された。
 このとき、菅首相・枝野官房長官・福山副官房長官とで確認したことは「避難の指示は1分1秒でも早く(中略)少しでも広い範囲で。後になって避難が広過ぎた(中略)と批判されるほうが、避難が小さ過ぎて被曝するよりまし」だったという。
 これらの措置に、国民から「権力の乱用」との批判はほとんど起こらず、むしろ「範囲が小さすぎる」「段階的な範囲拡大が後手後手」などとする批判の方が大きかったという。後者の批判に対して菅直人は「最初から10キロとし、その区域の全員が一斉に移動すると、原発に近い人程、逃げ遅れる可能性が高い。この場合、最も危険な半径3キロの人を先に避難させ、そこを空にした後、10キロに広げ、それも終わった後に20キロにするという方法」をとったと著書で述べているという。
 次は安倍晋三の側である。2019年12月31日、武漢市は「原因不明の肺炎患者」の発生を公表した。翌年1月9日、中国当局は「新型コロナウイルス」に原因するものとWHOに報告した。
 日本政府は1月21日、「新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する関係閣僚会議」を開き、4項目からなる対応方針を決定した。また、23日に武漢市が都市封鎖されると武漢市に滞在する日本人の希望者全員をチャーター機で帰国させる措置を発表し、29日から2月17日まで計5回運航、828人が帰国した。「危機対応への強さ」「中国への強い対応」をアピールした、というような側面はあったものの、対応の迅速さについては尾中も評価している。
 しかし、その後の対応の遅れとつたなさは直近に見てきた通りである。初期の段階で水際作戦にこだわりすぎていたこと、あるいは水際で食い止められると楽観視していた(実際には1月18日の時点で屋形船での集団感染が起きていた)ことの他に、オリンピックと習近平の来日予定の影響が指摘されている。
 安倍晋三による「私権制限」は2月26日「今後2週間の大規模イベント自粛よびかけ」、翌日27日の全国の小中高校と特別支援学校について「3月2日から春休みまでの臨時休校を要請する」ことを表明したことにはじまる。
 これに先立つ24日、政府の専門家会議は「これからの1~2週間が急速な拡大か終息かの瀬戸際」との見解を発表し、これを受けた25日の政府対策本部による「基本方針」では、「イベント等の開催について、現時点で全国一律の自粛要請を行うものではない」、また「学校等の臨時休業等の適切な実施に関して都道府県等から設置者等に要請する」としていたことから、閣僚の中にも27日の首相「要請」の唐突さに驚かされたものが多かったと報道された。
 非常事態において一定の「私権制限」が必要となるケースはあるだろう。尾中の視点はその際にいかなる法的根拠を求めたかである。先述したように原災法にもとづいて「原子力緊急事態宣言」は発令され、原子力災害対策本部は設置された。この辺のいきさつについて尾中は次のように書いている。

  「初の原子力緊急事態宣言発令」という事態に、首相官邸もざわついた。秘書官や官邸スタッフたちが総出で、六法全書と首っ引きになっていた。この「六法全書と首っ引き」という場面が報じられると、インターネットなどでは菅政権があたかも「法律の素人」であるかのような揶揄の声があふれた。今でも「原発事故直後の最も重大な初動時期に『関係法令勉強会』を開いた」などといった表現を探すことができる。 
  しかし「首っ引き」の意味は、必ずしもそういいうことではない。原子力緊急事態宣言出したら首相にどこまでの権限が与えられるのかを、原災法の条文に照らして慎重に確認させていたのだ。

 さて、これに対して「臨時休校を要請」の方はどうだろうか。学校の臨時休業について定めているのは学校保健安全法である。「感染症の予防上必要があるとき」に臨時休校の措置をとることは法的な裏付けがある。ただし、個人の出席停止については校長が決定し、学校の臨時休業の決定は学校の設置者が行うものと定められている。国立学校はともかくとして地方自治体が設置する学校には文科省から「通知」が出されることによって統一をはかるのが常である。先に述べたような経過や、荻生田文相(当時)をして当日になってその決定を聞いた、というような経緯からして、手続き上に問題がなかったとはいえない。安倍晋三のスタンドプレーであったのはその通りだし、むしろ超法規的な力を見せつけるためのパフォーマンスであったというしかない。
 その後、感染拡大か深刻化する中、4月7日になって安倍は「緊急事態宣言」を発令した。このとき安倍は「発出」という耳慣れないことばを使った。「発令」といわないのは、法的な裏付けを持たないので、政府として「要望」するという意味かと私は受けとめた。しかし、宣言は「改正新型インフルエンザ等対策特措法」に基づいており、「発令」である方が正しい。
 それはさておき、この特措法を巡っても理解に苦しむことが起こっていたようだ。「新型インフルエンザ等対策特措法」は2012年に民主党の野田政権のときに成立した。WHOが緊急事態宣言を発表した1月30日の翌日、国民民主党の矢田議員が同措置法のCOVID-19への適用について予算委員会で質問しているのだという。このとき、加藤厚労相(当時)はCOVID-19は同法の対象に含まれないと答弁した。これには水際対策で乗り切れるという見通しがあったこと、もっと根深いところには民主党政権下で作られた法律は使用したくないという思惑が働いていたのだという見方もあるという。やがて政権側が野党側の提案を採用せざるを得ない時期がやってくると、「新型コロナウイルス感染症を特措法の対象とする」という「法改正」をはかろうとする。ここでも「政権主導で野党の協力を得た」との演出が見て取れるという。
 立憲民主党の枝野代表は3月4日の党首会談で、「特措法は現行法を適用すべきだ。それでも『改正する』と言うなら、審議を急いで行うことには協力する」と述べ、改正特措法は3月13日に成立した。
しかし、4月7日の発令までなお3週間の足踏みがあった。その間に各自治体からは発令の要請がたびたびあったし、独自の緊急事態宣言を発した自治体もあった。
 その理由について尾中はつぎのように書いている。

  おそらく安倍首相は、ここへ来て緊急事態宣言を出すことによる「政権の責任」の発生を、ようやく自覚し始めたのではないか。大規模イベントの自粛や全国一斉休校のような「法的根拠を伴わない強権発動」は「気軽に気持ちよく」出すことができても、法律でその権限を縛られ、政治の責任が問われるような「強権発動」には二の足を踏んでしまったのではないか。

 法規を超えて権力を振るうことはしても「政治の責任が問われる」事態にはたじろいでしまうというのは、国民生活をどう支援しようとしたかという二つ目の観点からも賛同できる。長くなってきたので詳しくは書かないが、武漢から日本人を帰国させるためのチャーター機の段階から当初は飛行機代を利用者に支払わせようとしたことでも分かるし、補償らしきものが開始されたあとも足りない、遅いはここ2年間でつとに実感してきたところである。これは私の感想だが、同じ金を出すのにも個人宛はきわめて少額であり、GoToキャンペーンに象徴されるように企業が対象である場合は手厚いというのは気のせいではないように思う。(最近、知ったことでは政府はベッドの確保に消極的だったわけではなく、1ベッドにつき450万円だかを補助し、使われないときにも1日160万円だかを補償したとのことだ。受け入れの制限を名目に(実際には受け入れを拒否し)「幽霊病床」になっても病院には高額の補償金が支払われた例があったという。)
 尾中は国民に何を伝えようとしたかという三つ目の観点からも両者を比較している。これも詳細は本書にゆずるが、2月段階での「37.5度以上の発熱が4日間」という目安を厚労省があらためたのちにも長く残った問題について、5月段階で加藤厚労相が「我々からみれば誤解」と答弁して恥じなかったように、国民に懇切だったとはいえない。
 菅直人政権が「最悪の事態」を想定して先手を打っていったのに対し、安倍晋三政権が重大さになかなか気づかず、対策を小出しにしているうちに後手後手に回り、傷口を大きくしていった、というのも比較として正しいだろう。
 一つだけ補足するとすれば、安倍が特措法にもとづいた「緊急事態宣言」の発令を渋ったのは、さも法的な整備が不足しているフリをして、自民党の改憲4項目のひとつである「緊急事態条項」に道を開くためだった可能性がある。(2020年1月、早くも日本維新の会の馬場伸幸はその必要性辺の議論を深めよという質問をおこなった。どこまでも自民党応援団なのだ。)
 原災法や特措法の存在は、憲法「改正」をしなくても一定の「私権制限」を伴う権限を首相に与えることができること知らしめた。そうしてみると自民党がねらう「緊急事態条項」とは、それらの法律の縛りを無視して、いわばフリーハンドの権力を首相に一元化することを目標としているに違いない。しかし、この2年のCOVID-19対策の体たらくをみて、そのようなフリーハンドを与えてしまうことがいかに無謀で、無意味で、危険であるかを思い知らされたのではないだろうか。
 今年の衆院選挙では政権交代が起こってしかるべきだと私は考えていた。それには野党の力が不足していた、という現実があるにせよ、結果に対してはほとんど絶望を感じた。(本来、モリカケ桜を踏まえれば安倍晋三などは選挙区で落選するくらいでなければ日本の民主主義は無いも同然だ、とも思い、そうはならないことにまた先行きの暗さを感じた。)
 最後は個人的な感情が先走ってしまったが、民主主義は可能なのか、マスコミから垂れ流され、場合によって操作される情報の渦の中で、いかにして主体を確保できるのか、主権者であるとはどういうことか、などなど様々なことを考えさせられた。
 我々はつい目先の情報に左右されがちである。その点、10年前までをさかのぼり、丹念に時系列を追って客観的かつ冷静に起こった出来事を振り返り、比較・検討を加えている本書のような試みは貴重であると思った。


# by yassall | 2021-12-29 01:30 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

2021年 今年のニューフェイス

 ステイホームが習慣化すると写真を撮りに外出することも激減する。ならば新しいカメラなどは不要のはずなのだが、内にこもるということは趣味の世界も昂じていくということで、今年のニューフェイスである。
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 NikonZ50を買ったのは2月である。D3300を下取りに出せて、一番格安で入手出来るところ、かつ店頭販売を併用していて、引き取りの際に点検が可能なストアを探したら御徒町になった。新品であればメーカー保証がつくし、1ないし2週間以内の初期不良は交換が可能である。ただ、外観上の瑕疵等は対象外になる。購入の際は引き取りの前に店頭で点検させてもらうようにしている。
 NikonのZシリーズには以前から興味があった。昨年の8月にZ5が発売されたとき、これなら買ってもいいかなとあれこれ検討していた。Z6、7の廉価版ということになるが、記録媒体がSDダブルスロットというのもD750と同仕様で私の使い方にはマッチしていた。
 さて、レンズは24-200mm一本でいいかな、キットの24-50mmも持っていた方がいいかな、などと考えているころ、落合憲弘氏のレビューを読んでいて気が変わった。どうやらセンサーがZ6、7のような裏面照射タイプでないことが理由らしいのだが、日中は問題ないとして、夕暮れ時や暗所に入るとたちまちAF性能が落ちるというのである。
 今から考えると、それほど極端なことでもないのではと思い直してもいるのだが、Zシリーズへの期待を満たさないのであれば無理に手を出すこともあるまいと撤退することにした。ただ、Z熱冷めやらずとでもいうのか、同じく落合憲弘氏のレビューを読んでいるうちにZ50なら導入してみてもいいのではないか、と思い出した。
 根底には私なりのNikon愛がある。カメラの進歩(具体的には電子化)から各社がマウントの変更に踏み切る中、オールドユーザーを大切にする観点からNikonはマウントを変更せず、ずっと技術的な工夫で対処してきた。そのNikonが満を持してZマウントを発表したのである。APS-CセンサーであるZ50がそのZマウントを生かしきっているのかという問題はあるにせよ、1回位使ってみてもいいか、というのが第一の理由。いろいろな人のレビューやテストレポートを検索してWズームの評価がきわめて高かったこと。そして価格はZ5と比較しても2/3程度、重さはZ5の675gに対し450g(16-50mmとのセットでも585g)という、軽さこそ価値という近年の私の路線に合致しているというのも背中を押した。春の桜のシーズンには50-250mmをつけてあちこち持ち歩いた。
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 X-T30を買ったのは4月である。5月の「アメリカ山公園・港の見える丘公園」で紹介済みである。その後、7月にXF23mmf2とXC15-45mmの2本のレンズを買い足した。上はXC15-45mmを装着したところである。
 Z50を買ったとき、対抗馬として検討していたのがFUJIのX-S10だった。テストレポートをみていると高感度性能など決して悪くないし、なぜかZ50では見送られたイメージセンサークリーニングもきちんと搭載されている。いくつかの項目でのスペック上の数値や、店頭で実際に操作してみるとコンパクトにしようとし過ぎたのか電源スイッチが入れにくかった、などの理由からZ50に軍配が上がった。
 X-T30を買おうと思ったのはZ50の使い始めのころ、その色味に何となく納得がいかなかったためである。下にZ50+16-50mm、X-T30+XC16-50mm、同+XC15-45mmで撮った写真を並べてみる。
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Z50+16-50mm
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X-T30+XC16-50mm
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X-T30+XC15-45mm

 季節も時間帯も異なるし、天候もそれぞれである。blog用にリサイズしてしまっているから、もちろん正確な比較にはならない。それでもZ50+16-50mmは解像度は高いものの、彩度に欠けている印象である(設定を操作しても大きな変化はなかった)。そこでフィルムシミュレーションで定評のあるFUJIの色に食指が動いたといういきさつなのである。
 ※解像度の面ではいずれも周辺部まで大きな乱れはないように思う。色味的には不思議なことに一番廉価であるXC15-45mmが好みである。
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 ただし、Nikon対FUJIには一応の決着をつけたばかりだったので、FUJIの方はレンズを含めて中古を探すことにした。X-S10は書いたとおり操作性に疑問があったし、発売したてだったので中古も見つからなかった。そうこうしているうちに、X-T30なら性能的にはほぼ同格で軍艦部をみてもらうと分かるとおり、操作性も問題なさそうなので候補とした。同じころX-E4も発売されたが、X-E1を手放した過去もあり、コンパクト設計にするあまりダイヤル類を減らしたため、操作性はいっそう悪そうだった。重量もX-T30なら383gとZ50よりも軽い。以下は試し撮りのころ、各機種で撮った写真である。
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 Z50+16-50mmによる。上はそうでもないが、下はやはり彩度に欠ける印象。季節がまだ冬だったこと、下は日陰にあたっていたことも影響しているかも知れない。秋の殿ヶ谷戸公園には持って行った。
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 X-T30+XC16-50mmによる。XC16-50mmにはバージョンⅡがあり、広角側での近接撮影能力を向上させているのをMapカメラに注文した後から思い出した。ただ、こちらのレンズでもこの程度には寄れる。販売終了になっているレンズだから程度や色で選んでいくと限定されてしまう。一度手放すともう一度入手するのは困難になる可能性が高い。
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 XC15-45mmによる。パワーズームだと使いにくそうだったので16-50mmを選んだのだが、広角側での近接撮影能力を高めているし、35mm換算22.5mmが魅力だったので買い足した。下の写真では近接での解像感はそれほどでもない印象(微妙な手ぶれの可能性もある)。ただ、135gという軽さは気軽に持って出るにはこの上ない。下に紹介するXF23mmが180gだから並みの単焦点レンズよりも軽量だということになる。 
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 XF23mmf2を装着したところ。色がシルバーなのは[美品]という程度で探すとシルバーしかなかったことと、かえって面白味があるかと考えたことからこうなった。FUJIではXCシリーズの方が普及版、XFシリーズの方が標準仕様という位置づけである。
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 近くの公園で撮った一枚をサンプルに。単焦点だけあって解像度も彩度も高い。いさぎよく単焦点一本で勝負するのもマニアぽくていいとは思っているのだが。


# by yassall | 2021-12-23 19:11 | カメラ談義 | Trackback | Comments(2)