憲法9条を守ろう!原発から撤退しよう!

 憲法改悪反対!原発撤退!これだけは巻頭から外すわけにはいかない!(その理由は口上で)
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ご案内
 たいがいが趣味(夏炉冬扇?)のブログですが、ときに真面目?になって、つい一言もの申したり、語ったり(竹頭木屑?)しています。多少とも関わりのあった「学校図書館」や「高校演劇」についても応援していきたいとカテゴリを設けました。初心を忘れず、ということで「国語・国文」を起こしましたが、あまり更新できずにいます。他は、最近何してる?は「日誌」に、何か考えてる?は「雑感」に、という塩梅です。
 あ、写真をご覧になっていただけるかたは主に「風景・散歩」のカテゴリーに!

この一枚

上野公園。「暗い絵」展は150分待ちでした。行列だけ見て、そのまま公園内をブラブラして帰りました。(12月9日) RX100

 

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# by yassall | 2018-12-31 23:59 | お知らせ | Comments(0)

トイボ クリスマス公演17

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 16日、葉山美侑ことみかわやから出演情報があったので池袋・シアターグリーンまで出かけてきた。案内には演劇集団TOY’sBOX第17回公演「サンタクロースが歌ってくれた」(脚本・成井豊、演出・青瀬博樹)とある。TOY’sBOXでトイボということらしい。劇団には制作として乙部あきなことレッドが参加している。葉山は今回はJJプロモーションからの客演ということのようだ。
 劇団の立ち上げは2013年とのこと。若々しく、エネルギッシュな芝居運びだったが、しっかり作り込まれていて、浮ついたところは少しもなかった。小技も達者だった。オリジナルは未見だが、十分に楽しめる舞台だった。
 写真は終演後の特別企画である撮影タイムのもの。そんなアフター企画があるのは知らなかったが、会場前に街のスナップでも撮ろうと、たまたまD750を持って出ていたのだった。
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 葉山はミツ役。初めてのメイド姿だと言っていた。明日12/17まで。本日は満席だったが、千秋楽には少し空きがあるとのことだ。


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# by yassall | 2017-12-16 20:28 | 日誌 | Comments(0)

東京駅周辺

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 12日、東京駅丸の内口の駅前広場の整備が終わったというので写真を撮りに出かけてきた。円形ドーム(正確には八角形?)の丸天井である。よく見ると中間に落下防止の金網が張ってある。
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 東京駅がリニューアルオープンしたのは2012年。その頃にも一度写真を撮りに来たのだが、駅前広場の整備が続行中で、いたるところフェンスに囲まれていた。ようやく整備が終了して広々とした空間が出現した。駅舎よりは広場を撮りたくて17-35mmズームを持ち出したわけだが、左右の円形ドームの明暗差や歩行者の影をみて分かるとおり、光線条件としてはかなり厳しいものがあった。
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 JR東日本は空中権を売却することによって改装費用を捻出したという。そのためか、周囲は高層ビルが建ち並ぶこととなり、駅前広場は冬の日差しによって長く伸びたビルの影に覆われることになった。この日は好天であったので、日照のあるところとないところの明暗差も悩ましいところであった。
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 JPビル。被写体として面白いと思った。逆光で撮影しているが左側面の反射をみても日差しの強さが分かる。
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 駅前大通りを桔梗濠まで進んでみる。この画像もコントラストが強く出過ぎていたので帰宅してから補正した。ただでさえ古いレンズなのに補正を施すとさらに画像が荒れる。
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 戸の倉噴水公園。2011年にいちど訪れている。そのときは震災直後であったので噴水は自粛するとの案内があった。この日も最初は噴水はなかったのだが、タイミングがよかったのか、滞留中にはじまった。
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 こちらはRX100で。(3枚目も)
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 明治生命館。前後したが、この日のメイン機材はD750。TAMRONの17-35mmを久しぶりに使って見たかったのだ。標準域のレンズでは得られないバースである。あまり多用すると品がなくなるが、日常にはない視角ではある。
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 こちらは三菱一号館。このレンズを持ち出すのはかれこれ10数年ぶり。光線条件もあるがやはり設計の古さを感じる。まあ、廉価版でもあったし。
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 三菱一号館の中庭。狭隘地だが、なかなか雰囲気がある。庭に面したレストランでランチをとると、けっこうリッチな気分になれる。美術館の入り口もこちら側だ。
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 最後にもう一枚撮ってこの日の撮影は終わり。


 D750+TAM17-35mm、RX100




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# by yassall | 2017-12-14 16:31 | 散歩 | Comments(0)

ゲッコーパレード本拠地公演『チロルの秋』

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 12月9日、ゲッコーパレード本拠地公演を見に蕨まで出かけてきた。演目は岸田國士『チロルの秋』であるが、チラシにある通り、タイトルは絵画上演no.1「とにかく絵の具を大量にかけるでしょう。そしたらあなたは目撃する。それが何であったのかを。あなたと私が昔から、必ず線を引いてきたって事も。」なのである。
 黒田瑞仁の「代表からのご挨拶」によると、「これまで〈パレードのように〉と意識して数多くのジャンルの芸術家と共同制作」を行ってきたが、所属メンバーからしてどうしても「演劇公演」の形をとることになった、しかし現代美術家の柴田彩芳が新メンバーに加わったことで「作り出すものの形として「演劇公演」だけでなく「美術作品」という可能性も手に入れた」ということである。
 そこで「とにかく絵の具を大量にかけるでしょう。」ということになる訳なのだが、率直に言って、あまり成功しているとは今回はいえないように感じた。大小の脚立や椅子、あるいは広げられ、吊された布、ホウキなどが、絵の具をかけられたことによって、別な何ものかとして立ち現れてきたかというとそうはならなかった。ある美的操作によって統一されたというわけでもなく、かといって混沌というのとも違っていた。役者たちはそれらのオブジェの中で芝居を演じていくわけだが、役者が動くことによって「美術作品」が生命感を帯びてくるとか、役者側からみてその演技に新しい意味を添えていくというふうにも見えなかった。キャンバス地のような役者の衣装にも彩色がほどこされ、それはそれで面白いこころみではあったが、舞台との一体が実現されたというところまでは達していなかったように思った。総じていえば「美術作品」としても「舞台装置」としても実験的な段階で、もし続けていくのなら、コラボとして成功するのはこれからだろう。
 岸田國士については「岸田國士戯曲賞」とか、岸田今日子の父であるとかの知識しかなく、『チロルの秋』についても今回の公演にあたって「青空文庫」をナナメ読みした程度である。したがって、こちらの方も分かったようなことは書けないのだが、芝居の方は面白いと思った。
 1924年の発表で、最初期の作品であるとのことだが、どこかにボヘミアン志向があるのだろうか? チロルのホテルに長逗留していた日本人アマノが、母親が日本人で、明日には旅立つというステラと愛を語る、といった内容である。ところが冒頭のステラとホテルの経営者であるエルザの会話の部分があたかもプレイバックするかのように途中まですすんでは何回も繰り返され、ときどき陰科白が入るものの、アマノがなかなか登場しないのである。
 後半に入って、アマノは激しい物音とともに、駆け込むようにして登場する。遅れた非礼をわびる科白は原作の通りだが、どこか生々しく、客の方は役者本人の遅刻の謝罪をしているかのように一瞬錯覚する。ともかくも生身のアマノの登場によって、ここからはリアルさが追求されていくのかと思ってしまうし、実際にステラとアマノとの間には緊張感のある科白のやりとりが繰り広げられていくのだが、それらの大部分は隣室に姿を消して障子越しに聞こえてくるという演出になっている。それらのやりとりが重視されていないというより、どこか遠いものとして伝えようとしたのかも知れない。
 どうやら「空想の遊戯」をキーワードにしているのである。原作も愛の不可能性、あるいは愛の挫折をテーマにしているらしいから、決して間違った解釈ではない。むしろ恋愛が「空想の遊戯」であることを強調し、アマノの登場はその断絶でしかあり得ない、あるいは断絶によってしか恋愛はかたちを持ち得ないことを表現してみせようとした演出なのだと思った。
 ステラは崎田ゆかりが演じた。今日の芝居は崎田の芝居だったといってよいと思う。表情豊かな中にも、己れの運命を悟った、凛としたものを感じた。いろいろな役柄をこなせる役者だと思った。エルザをつとめた河原舞は今回は脇を固めた。アマノの上池健太はまだ弱さがあるように感じた。
 ヨージこと岡田萌の姿がないの心配だった。もしこのまま一座から離れるようなことになったら、これまでのように毎回公演を見に行くことになるかどうかは分からない。それでも若い才能がさまざまなチャレンジを続けていくことを応援する気持ちに変わりはない。


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# by yassall | 2017-12-10 04:08 | 日誌 | Comments(0)

MONGOLIAN TEAM

 日馬富士事件以降、大相撲が大揺れである。TVのワイドショーやニュース番組でも、他に報道すべき大事なニュースはないのか、といいたくなるくらい毎日のように取り上げられている。場所がはじまるとにわか大相撲ファンになる私も、日馬富士が引き起こした暴行にせよ、後述する白鵬の場所中の態度にせよ、横綱としてあるまじき行為だと思ったし、何をしてくれたのだと怒りを感じたことは確かだ。せっかくの一年のしめくくりの九州場所なのに、観戦を心から楽しむことはできなかった。
 まだ全容も不明の段階で、しかも事態は流動的で、あらぬ方向へと動いていく可能性もある。何事かを発言する段階ではないと思うのだが、このところの報道ぶりを見ていて、やはりがまん出来なくなったので書くことにする。
   ※
 もちろん非は事件を起こした側にある。しかし、私が感じている不快感の一方には事件をめぐっての報道のあり方がある。事件発覚後、「日馬富士は日頃から酒癖が悪かった」という暴露めいた報道がされた。はて、法政大学の大学院にもすすんだインテリ横綱として知られた日馬富士にも知られざる一面があったのか、と思っていたら、引退の記者会見で本人は「酒の上のことではない。酒癖が悪いといわれたことは一度もない」と述べた。どちらが本当なのか分からないが、「酒の上のことでなければその方が問題」というように論調が変わりこそすれ、その後本人の言葉を否定するような記事はなかった。どこから流れてきたか分からぬ風評やら憶測を選別しようともせず、いきおい任せに過熱をあおっているのではないかと勘ぐってしまうのである。
  ※
 日馬富士の刑事上の処罰についてはこれからだが、横綱引退ということで社会的制裁は受けたといってよいだろう。日本国国籍を持たない日馬富士は(一部には国籍取得に動いていたとの報道もあったが)親方として大相撲に残ることは出来ない。それも自業自得、と切って捨てるにはさすがに気が引けたというわけではあるまいが、「17年間積み上げてきたものを一瞬で失った」本人への同情の声も上がり始めた。
 すると、矛先を失ったのか、今度は「本当に悪かったのは最初に説教をはじめた白鵬」として非難が白鵬に集中するようになった。「説教」云々は場所後に白鵬が危機管理員会の聴取に応じたころからの情報だから、本人が隠し立てをしていたということでもあるまい。だが、その報道があってから、中には「白鵬が目配せした」ことから暴行が始まったなどと、まことしやかに語る記事までがあらわれた。
 白鵬についていえば、自称元「勝手に応援団」の私としても、十三日目にみせたいわゆる「物言い」の態度は横綱の名を自ら汚すものであったとしかいいようがないし、優勝を決めた十四日目の遠藤戦で勝ちを急ぎすぎたのか、しばらく封印していたカチ上げを繰り出したのも褒められる相撲ではなかった。千秋楽の豪栄道戦こそ力相撲とはなったが、せっかくの40回目の優勝なのに大横綱になりそこなった、というのが実感だった。
 しかしながら、日馬富士の引退後、今度は「貴乃花VS協会VS白鵬」とでもいうべき構図がつくられていくのを目の当たりにすると、そもそもの問題の根源は何だったのかと問い直したくなる。長年スポーツ報道にたずさわってきた大隅潔にいたっては、各局のワイドショーやニュース番組に呼ばれては「相撲道」を体現した貴乃花VSモンゴルからの「出稼ぎ」組で「勝たなければ一銭にもならない」と豪語する白鵬と、「金の亡者」といわんばかりの発言を繰り返している。銅谷志朗あたりも似たようなものだ。(ついでに一言すると、貴乃花はかねてからモンゴル人力士たちに反感を持っていた、というようなことを力説されると、貴乃花がまるで根っからの国粋主義者であるように思われてきてしまう。)
  ※
 場所中にモンゴル人力士が不適切なことをすると観衆から「モンゴルに帰れ!」という罵声が浴びせられることがあるという。やはり根底には「強すぎる」モンゴル人力士たちに対する鬱積した感情があるのではないだろうか? しまいには冬巡業の2日目だったか、朝稽古を終えてシャワーを浴びた後、控え室に戻ろうとした白鵬が背中にMONGOLIAN TEAMというプリントの入ったジャージを着ていたことまでが非難の対象になっている。やれ「モンゴル(力士の勢力)を誇示している」だとか、「宣戦布告」などと言い出す始末で、よくもまあ些末なことをおおげさに、とあきれるばかりだ。だが、本気で「力の誇示」だと考えているなら、それはそう考えた人間たちがモンゴル人力士たちを「脅威」に感じていることの裏返しの証明でしかないだろう。
 ガチンコ相撲などというが、全力でぶつかり合う相撲は命がけである。稀勢の里の負った怪我の大きさだけでもそれは知れる。なまじの鍛錬で土俵にあがれるものではない。素質に恵まれた者は他の道にすすんでも大成することだろう。それでも大相撲の道にすすもうという若者が日本にはいなくなってしまった(少なくなってしまった)ということではないのだろうか?
 「土俵には金が埋まっている」というのは先代の若乃花の言葉だという。「出稼ぎ組」などと揶揄した人間には「それで何が悪い」といいたいし、懸賞金制度などをどう考えるのか聞いてみたいものだ。そして、白鵬が本当に「出稼ぎ」に来ているだけで、大相撲の伝統などどうでもよいと考えているかどうかは、次世代の力士を育てるために彼自身が創設した白鵬杯をみるだけでもよい。最近、若手として台頭してきた阿武笑は白鵬杯の第1回の優勝力士だという。
 確かにモンゴル勢は大相撲の一大勢力になった。だが、それは今や大相撲はモンゴル人力士たちによって支えられているということではないのか? それがいやだというとき、モンゴル人力士たちを排除してしまおうということでいいのか? アメリカやヨーロッパ、南米出身の力士たちもいる中で、モンゴル人だけをシャットアウトできるのか? 本場所にしろ、巡業にしろ、彼らなしにやっていけるのか?
  ※
 貴乃花については今いうことはない。我が道を行くというならそれもいいだろう。だが、「貴乃花VS白鵬」という作られた構図については、入門時から注目を集め、他の弟子たちと同様に扱われたといいながら、いわばエリートの道を歩んできた人物と、遠い異国から大相撲への憧れと成功への野心だけを頼りに這い上がってきたモンゴル人力士たちを引き比べて「品格」を云々することのみっともなさを知るべきだといいたい。
 先のジャージは昨年モンゴルで開催された世界相撲大会で作成されたもので、白鵬にもプレゼントされたものだそうだ。もしこの時期に白鵬が何らかの意図を持って着用したとしたら、祖国モンゴルの相撲ファンに対するささやかなサービスだろうと私なら考えるし、ときとして日本で孤立する自分たちのアイデンティティの確認の気持ちがあったかも知れないと考えないでもない。白鵬の背中に「増長」をみるのか、「孤独」をみるのか? そのどちらにせよ、そこへと追い込んだ者たちの責任という問題についても考えてみたい。

【関連記事】
http://lite-ra.com/2017/12/post-3628.html

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%A4%A7%E7%9B%B8%E6%92%B2%EF%BD%A4%E4%B8%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E7%9B%AE%E7%B7%9A%E3%81%AE%E8%A9%95%E8%AB%96%E5%AE%B6%E3%81%AF%E9%BB%99%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84-%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%81%8C%E5%A4%A7%E7%9B%B8%E6%92%B2%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AB%EF%BD%A2%E3%83%A2%E3%83%8E%E8%A8%80%E3%81%84%EF%BD%A3/ar-BBGi7RQ?ocid=LENOVODHP17#page=2

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%ef%bd%a2%e7%99%bd%e9%b5%ac%e3%81%9f%e3%81%9f%e3%81%8d%ef%bd%a3%e3%81%ab%e3%81%bf%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9e%8b%e3%82%a4%e3%82%b8%e3%83%a1%e3%81%ae%e6%a7%8b%e9%80%a0-%e6%88%91%e3%80%85%e3%81%ae%e5%b1%88%e6%8a%98%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bd%a2%e6%89%bf%e8%aa%8d%e6%ac%b2%e6%b1%82%ef%bd%a3%e3%82%92%e7%9b%b4%e8%a6%96%e3%81%97%e8%a7%a3%e6%94%be%e3%81%9b%e3%82%88/ar-BBGIdWm?ocid=LENOVODHP17


 

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# by yassall | 2017-12-07 02:01 | 雑感 | Comments(0)

2017年埼玉高校演劇中央発表会

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 11月18・19日、埼玉県高等学校演劇中央発表会が開催された。今年も写真記録の係を依頼された。今年はメインのIさんがフルタイムでいられるというので、半ば趣味の延長という気楽さで引き受けた。何にしても2人というのは何かのときにはカバーし合えるという点で心強い。Iさんもそう思ってくれたならうれしいことだ。
 趣味の延長というのは、具体的には新しい機材を試してみたかったということである。D750はフルサイズであることに加えてハイライト測光という測光方式が選択できる。AFも-3レベルの暗所に対応し、f8のレンズでも合焦可能なフォーカスポイントを備えている。購入の動機は35mmフイルム時代のレンズが使えるというのが最大の決め手であったが、舞台撮影に威力を発揮するかもというのも大きな要因であった。
 スポットライトに照らされた人物を撮るとき、もっとも懸念されるのは白飛びである。その点、ハイライト測光は確かに効果があると感じた。マイナス側よりプラス側に露出補正が必要なケースが多かったほどである。ただ、ミラーレスの場合は撮影前にモニターで補正の適不適をある程度まで確認することが可能だが、一眼レフの場合は勘に頼りながら、また撮影後の画像を確認しながら値を決めていかなくてはならない。どうしても試し撮りの枚数が増える。
 ファイルをパソコンに落とし、一度だけ画像チェックをした段階だからまだ何ともいえないが、ピントについてはm4/3のG8と比較して飛躍的に向上しているかどうかは微妙である。舞台の場合、サスにしろシーリングにしろ、トップからの光が多い。そのためか、どうしても顔や首回りに影が出てしまう。それを避けるためには露出を開けることになるから今度はまた白飛びが心配になる。最終的には枚数をかせいでおくしかなさそうだが、いずれにしてももっと使い込んでおくことが大事だろう。重たいカメラだから三脚の使い方あるいは選択も考え直さなくてはならないかも知れない。
   ※
 さて、カメラの話になると際限もなくなってしまうが、審査の結果は下記のようであった。

 最優秀賞   越谷南高校「宵待草」
 優秀賞一席  秩父農工科学高校「Solid Black Marigold」    (以上は関東大会に推薦)
 優秀賞二席  芸術総合高校「朝がある」
 創作脚本賞  越谷南高校「宵待草」斑鳩里志・作

 最優秀賞・優秀賞一席とも顧問創作である。今年は秩父農工科学高校の芝居に注目させられた。高校生が生徒会室に集まってきては生徒会活動にあたったり、文化祭準備のためにマリーゴールドの造花を作ったりしている。生徒会室を取り囲んでいるのは鉄筋がむき出しになったコンクリート建築の廃墟のようである。そこへ転入生がやってくるのだが、その転入生は生徒会メンバーの多くが卒業した小学校で、かつて皆がイジメの対象にした生徒だった、というのが物語の発端である。
 イジメを取り上げているとはいえ、その場でイジメが展開されるのではなく、過去のイジメや知らんぷりを反省して謝罪し合っていくという逆ベクトルになっている。暴力の連鎖をさかのぼっていくと「見ていたのに助けようとしなかった」から「知ろうとしなかった」ことの罪悪にまでたどりつく。
 「サイコパス」の問題が出てくるところが少しわかりにくかったが、「共感」の欠如というあたりが焦点になるのだろうか? そのあたりまで突き詰めたところで、一転してテロの問題が提起される。ここで舞台装置としての廃墟の意味も明らかにされる。具体的にはシリア空爆の光景である。カナトの妄想癖というのは言葉を変えれば想像力であるのだろう。カナトは想像力で世界とつながったのである。
 マリーゴールドの花言葉は「友愛」と「絶望」なのだそうである。ラストは爆撃機の飛来音らしき音響でしめくくりとなるが、「絶望」的な状況ばかりが提示されたのだとは思われない。「絶望」に突き当たったあと、なお「友愛」の道の探求を伝えようとしたドラマであるとみた。「絶望」の底まで落ち込むことで、はじめて「希望」を切実に希求することがあるように。
 今年夏の宮城大会を振り返った小池さんの文章に、「誰も掴みだしていないようなココロノカケラ」を舞台化していきたい、というような一節があった。昨年の芝居で秩父農工がめざしたものが何であったか少しばかり理解できたような気がしたが、私としては今年の方が作品として優れていると思われた。直前でひねりの入る変化球ではなく、ストレートにメッセージが伝わってきたように思えた。
  ※
 越谷南高校の芝居は審査結果の発表の以前から周囲の人たちの間で評価が高かった。ただ、どうしてか私は芝居に入っていけなかった。理由としては幕開け早々にちょっとした撮影上のトラブルがあったことがあげられるかも知れない。ツカミのところをツカミ損なってしまった。
 だが、そればかりではないように思う。様々な人間模様が延々と繰り広げられていくのだが、いったい何を伝えようとし、どこへ向かって時間が進行しているのか、そのかけらさえも心に引っかかってこないのだ。
 大正という時代の雰囲気を表現してみたかった、というならそれでもいい。激動の昭和の前夜、日本の近代史の中でも特異な位置を占める大正に心引かれる気持ちも理解できないわけではない。だが、もともと「大正浪漫」などというのはあまり信用していないが、どこか頽廃的なまでの爛熟を表現するには役者があまりに若すぎる。フリーラブを唱えながら先へ進もうとするとたちまち封建的な家制度の壁に突き当たらざるを得なかった挫折が表現されているか、といえばそれは無理だっただろう。やがて日本を飛び出していった東郷青児、アナキスト大杉栄らが人物群像として配され、豆腐屋に「シベリヤ出兵以来、どうにも不景気で」というような台詞をしゃべらせることでもう一つの大正史が描かれそうにもなったが、芝居を立体的にするまでには至らなかったように思う。
 以上のようなものいいになってしまうのは目下のところ私が次のような「大正」観に大きく影響されているからかも知れない。実際、急速な資本主義の発達の中で労働問題は深刻化していったし、昭和の戦争の時代に兵士として動員されていった圧倒的多数は大正生まれであったのだろう。「大正浪漫」「大正デモクラシー」は歴史の一面でしかない。

「大正の文化を支配した普遍主義が、西洋市民社会の日本社会への内面化であるという幻想を知識階級に抱かせたときから、明治近代国家が帝国主義国家に変質し、まずアジアの中で急速に孤立の度を深めていったのは、皮肉な運命といわねばならない。」(桶谷秀昭『夏目漱石論』)
  ※
 新座柳瀬高校の「Lonely My Sweet Rose」は選外となってしまったが、深い井戸から水を汲み上げてくるような、あの切ないまでのリリシズムは確かに会場に伝わったと思う。
  ※
 所沢北高校の「のぞく・はいる・ほる」には、実は心配と期待とが相半ばしていた。心配というのは地区発表会で私たちが目の当たりにした通りの芝居が中央発表会で再現できるだろうかだった。(さらなるレベルアップを目標にしてもらいたかったのはもちろんだが。)どうしても守りに入ってしまうことで、台詞のやりとりでは微妙に間の狂いがあったとは思う。衣装を夏物から秋物(一部不統一)に変えてしまったから、何となく軽快さが失われてしまった(あわせてそれぞれが自分を守る鎧を持ってしまった)ようにも感じた。だが、総体としては上出来だったと思っている。
 地区発表会での劇評にも書いたが、この重いテーマを正面から受け止め、自分たちなりに脚本を読み込み、理解しようとし、舞台化しようとしていた。頭だけ(?)で演技しようとしているというような言われ方をするかも知れないが、それを言ったら頭を使わずに演技しようとしていた学校が他にあったのかと問いたいし、舞台化といったとき、彼らが身体表現の重要性に気づかず、おろそかにしていたとは思えないのである。(Eが声を張りすぎてしまったために怒りの中にある嘆きを表現しきれなかったというようなことは確かにある。頭ではEの心情を理解できていても、心が作れていなかったということかも知れない。それでもこの台本にとりくんだ意気込みは評価してやってよいと思うのである。)
  ※
 こうして振り返ってみると、確かに私の芝居の見方はメッセージ性に偏重しているのかも知れない。(本当は耽美的な世界も好きだし、不条理や怪奇、純粋なアクションやコメディに対する評価がないわけではないのだが。ただ、それらを見せてくれるとしたらプロでしかないだろう。)その意味では私は観劇者としては初歩の初歩なのだと思う。だが、大多数の観客はその芝居が何を自分に伝えてくれるのか、どのように自分を変えてくれるのかを待っているのではないだろうか? であるなら私は玄人であろうとは思わない。





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# by yassall | 2017-11-21 01:32 | 高校演劇 | Comments(2)

紅葉2017⑤森林公園

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 Kさんの声かけで今年も森林公園で紅葉狩り。Nさんも合流して最初は3人でカエデ園を散策した。
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 まだ盛りはこれからなのか、青葉も残るがこのグラデーションもなかなか美しい。
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 森林公園内には20種類の紅葉が植栽されているという。見分けはつかないが、枝振りはどれも立派である。
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 天気がよかったので陽を受けて葉が輝いている。
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 もしかすると今年一番の紅葉かも知れない。
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 かたちのよい葉を選んでくクローズアップしてみる。
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 ピントが今一か…。
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 ライトアップの準備もされている。
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 渓流広場までもどり、日当たりのよいベンチを選んで、いつものように持ち寄った飲み物やつまみを広げる。そうこうしているうちにYさんから連絡が入り、今から参加するという。到着を待ってカエデ園で落ち合い、今度は夕暮れから灯ともし頃の紅葉を楽しむ。Yさんは車で来たので同乗させてもらい、(Yさんはアルコール抜き)、行きつけとなった焼き鳥店で宴会の続きを楽しんだ。

 EM10Ⅱ+LX12-60mm


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# by yassall | 2017-11-17 19:55 | 散歩 | Comments(0)

紅葉2017④蒲生の棚田・美人林・椿寿荘・黄金の里・弥彦公園

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 ツアー2日目。蒲生の棚田(十日町市)は日本の里100選に選ばれている。今回のツアーで最も楽しみにしていた撮影スポットであったが、家に帰ってパソコンのモニターで開いてみて、もっともがっかりしたのがこの地での写真だった。
 全体にぼやけてしまっているが、プリントしてみると細部が解像されていないわけではない。当日はあいにくの曇天、パンフォーカスにしたかったのでf8をキープしていたためISO感度が上がり、大量にノイズが発生してしまったのが原因ではないだろうか? だとすれば、三脚を用いて低速シャッターに耐えるようにしなければならない。
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 色調も崩れていたのでいっそモノトーンにしてみたらどうかとフォトショップで色を抜いてみた。なんだか墨絵風といえなくもない(?)。最初からモノクロで絵づくりをねらうのも手かも知れない。
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 美人林は同じ十日町市にあるブナ林である。昭和初期、木炭にするために伐採され、一度ははげ山になったのだが、あるときいっせいに若芽が生えだしたのだそうだ。その後、杉林に変えたらどうかという話も持ち上がったが地主が拒否。いつしか野鳥の宝庫になったり、森林浴が流行したりするうちに観光客が集まるようになったとのことである。私はツアーに組まれていたことで始めて知ったが、思いがけない拾いものだった。
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 とはいえ、ただでさえ曇り空のところに暗い森の中だから写真にするのは難しい。
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 林以外には何もない。それでも、いつかまた来てみたいと思わせる場所であった。
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 椿寿荘(田上町)は豪農原田巻家の離れ屋敷。ただし、写真は母屋(?)の表門。公開されている離れはもう少し先の入り口から入る。
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 離れとはいえ、玄関は大名玄関、上段の間から三の間までに脇の間、さらに奥の間、奥次の間までついた、贅を凝らした造りである。座敷から主庭をのぞむ。露出が中途半端になってしまったのとホワイトバランスにも狂いがある。まあ、写真には記録の要素もあるので。(その後、補正をほどこして差し替えた。さて、どちらがよかったか。)
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 黄金の里(五泉市)は公孫樹の紅葉で知られる。その昔、慈光寺の住職が非常食として銀杏の実が得られるよう栽培をすすめた、というような逸話が残されているそうだ。黄葉はなかなかのものだったが、名前の通り広く里全体に植栽されているもので、バスの中からの観賞となった。バスの駐車場からは慈光寺への山道があるばかりである。
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 最後の訪問地は弥彦神社とそのご神体である弥彦山である。さすがに越後国一宮の風格がある。
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 参拝を済ませた後、ロープウェイで山頂へ。弥彦山は標高634m、東京スカイツリーと同じ高さである。
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 麓にいたころからポツポツ来だしていたのだが、到着するや山頂はごらんのような濃霧につつまれた。ツアーとしてはメインに位置付けられていたようだが、私はそれほどでもなかったので、午後から雨という天気予報がここまでもってくれただけでむしろラッキーという感じだった。つけ加えるとこの日は家に帰り着くまで一度も傘を差さずにすんでしまった。
  
 G8+12-60mm、ZR4000

 さて、ここからは自分のための覚え書きである。今回の撮影結果について納得がいかなかった理由を考えてみる。最初に考えておかなくてはならないのは、カメラという機械がその性能の範囲で作り出す画像と、ファインダーをのぞいていた人間の記憶との間の差異である。人間の目は明暗比や被写界深度をカバーしてしまう優れた特性がある(その反面、自分の関心の外にあるもの、見たくないものを無視してしまうという弱点もある。画像を見てみたらトイレの看板に気づかず人物写真を撮っていた、というようなケースである)。カメラの性能を知り、自分がみているものがカメラにはどう写るかを意識しておかなくてはならない。
 その上で、
①今回、パソコンを新調し、今までと違うモニターで画像をチェックした、というのは大きいと思われる。フルHDではあるが15.6inchのノートパソコンではやはり作業がしにくく、もう少し大きい画面だったらなあ、といつも感じていた。HDMIケーブルでTVとつないでみたり、いっそモニターだけ新調しようかと考えたりしたが、どうにも行き詰まっていた。そこへ、近所で開店したJoshin電機のチラシにほぼ条件にピッタリで、しかも格安のパソコンが掲載されていたのである。
 条件というのはオールインワンのデスクトップでモニターは21.5inch程度まで、そして最大の決め手はノングレアであることだ。このノングレタイプの製品が国産ではなかなかないのである。17inchのノートパソコンも候補にあげてみたが、見つかったのはHPの製品だけだった。また、ノングレタイプのモニターは事務作業用に作られている場合が多いとのことで、それらは写真を見るにはあまり適していないのである。
 新調したのはlenovoの製品で、CPUがcorei3なのは現有のノートのi7より非力になるが、メモリーはJoshinの特別仕様で8GBに増設されており、私の使い方ならまず不足はないだろうと踏んだのだ。届いたのが5日の日曜日。1日半であわてて最低限のセッティングだけして旅に出た。
 そんなわけで、画像をチェックしていてガッカリしていたとき、真っ先にモニターの性能を疑ったのある。おかしいなあ、USBメモリーを持ち込んで画像をチェックさせてもらったはずなのになあ、でも確かに暖色傾向が強かったかなあ、「格安」に惑わされてしまったかなあ、などとすっかり落ち込んでしまったのである。

 その後、同じ画像を前機種のノートパソコンでも確認したり、過去の画像を閲覧したりしているうちに、これはそうでもないぞ、という気になってきたのである。画面が大きくなった分、アラも目立つようになった、というのは確かにある。また、フルHDとはいえカメラ側の作った画像を十分に映し出しているかというと、その点でも疑問が残る(実際、少し拡大してみた方が画像が鮮明になることが多々ある)。それらを頭に入れつつ、理由は他にもありそうだと考えたのである。

②撮影技術の問題としては手ぶれ機能への過信というのが考えられる。フィルム時代にはそんな機能のついたレンズやカメラはなかった。その分、しっかり脇をしめてかまえるなどの基本があった。もう一度基本を思い出すべきである。
③過信といえばAFにもある。AFになってからは一眼レフのスクリーンマットだって当てにならなくなった。せめてピンポイントAFを多用すべきである。
④紅葉を撮るためには普段以上に細密な描写が必要となる。カメラの性能の限界はあるが、f値の選択、露出の決定、シャープネスやコントラストの設定などを研究する必要があるし、様々な値で枚数をかせいでおくことも心がけたい。
⑤赤色はとくに色飽和を起こしやすい。まだ上手く対処できていないのだが、露出を工夫してみるしかないのだろう。
⑥天候による光線条件だけはいかんともしがたい。それでも記録として撮っておきたい写真と、作品作りのための写真との区別は割り切って考えるしかないだろう。

というようなことを、ブツブツと考えさせられた撮影旅行だった。


 





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# by yassall | 2017-11-11 16:20 | 風景 | Comments(0)

紅葉2017③諏訪峡・西福寺開山堂・長岡もみじ園・夕凪の橋・松雲山荘

 11月7・8日、「晩秋の上州越後路12景めぐり」なる謳い文句にほだされ、ツアーに参加してきた。Maxたにがわを上毛高原で下車しバスに乗り換える。最初に着いたのは諏訪峡である。
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 昔、組合の夏期講習会が水上で開かれていた時期が長かった。車で会場に向かう際、何度も諏訪峡大橋の鉄柱を目にしたが、諏訪峡に下り立ったのは初めてである。
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 とはいえ、滞在時間が短かったので、今回回ったのは笹目橋近辺まで。どうも見どころはもっと下流の方らしい。
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 後述するが、今回はどうも納得できない写真が多かった。ピントも色味もコントラストも大外れのショットを量産してしまった。撮影技術の不足によるところが多いのはもちろんだろうが、機材のせいなのか、被写体のせいなのか、天候のせいなのか(1日目はピーカン、2日目は曇りのち雨)、だとすればどのような対策をとったらよかったのか、帰宅してからずっとくよくよした気持ちでいた。これでも比較的ましなショットを選んでいるつもりなのである。
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 笹目橋のたもとに与謝野晶子歌碑公園がある。与謝野晶子は水上を4度訪れているのだそうだ。

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 川岸にも歌碑が並んでいる。
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 赤城山西福寺は室町時代後期に開かれた曹洞宗のお寺。写真の開山堂は江戸幕末の建立だそうだ。ずいぶん風変わりな建築だなあと思っていたら、外側は鉄骨づくりで近年になって雪除けのために増築されたもののようだ。
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 なぜ本堂にもない補強がなされているかというと、彫刻、絵画、漆喰細工に長けた石川雲蝶という名匠の手になる天井画や彫刻が残されているかららしい。内部は撮影禁止であったが、外へ出て表に回ってみると確かになかなかの彫刻が施されている。ただ、越後日光まではうなずけるが越後のミケランジェロはどうかと思う。
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 12景と並べられても決してメジャーな箇所ばかりではない。もちろん、そうであるからこそ新発見の楽しみもあるということだ。長岡もみじ園は土地の大地主にして実業家であった高橋家の別荘として建てられたものだという。旅行会社が開拓したのだろうが、もみじ祭のような催しも開かれるらしく、けっこうな人出だった。
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 透過光が美しい。
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 まだまだ空も青い。
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 出雲崎の夕凪の橋。ここで日本海に沈む夕日を見ることになっていたのだが、その気配もない。海辺へ出たり、内陸に戻ったり、忙しいことだったが、どうやら次の目的地でライトアップが始まるまでの時間稼ぎのようだった。まあ、海を眺めるのは好きな方なのでそれはよしとして、ここへ向かう途中、東電の刈羽原発の敷地脇の道路を通過した。その占有地の広大さに驚かされたが、延々とつづくフェンスの向こうに一定間隔で監視カメラと緊急放送用のスピーカーが設置されているのを見て、考え込まざるを得なかった。新潟で脱原発派の知事が誕生したことの意味についても改めて考えた。
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 松雲山荘は柏崎市内にあり、ライトアップの時期には相当数の観光客が訪れるという。ただ、時期が悪かったのか、色づきはまだまだだった。大正15年の造園以前は療養所だったという。その来歴の方に興味が引かれた。

 G8+12-60mm、ZR4000
  

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# by yassall | 2017-11-10 19:41 | 風景 | Comments(0)

11.3「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」国会大包囲行動に参加してきた

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 11月3日文化の日は日本国憲法が公布された日。先の総選挙で与党が改憲のための発議に必要な1/3の勢力を維持したことの危機感から、国会大包囲行動には続々と人が集まり、14:00の開会時間30分前には歩道は身動きもままならないありさまとなった。埼玉県高校・障害児学校教職員「9条の会」の旗を国会図書館前でようやくみつけ、会員の皆さんと落ち合うことが出来た。実は前日に事務局会議が開かれ、やはり行動し、人々の前に立っていくことが大切だと話し合ったところだったのだ。
 本当は正門前にもいって写真を撮りたかったのだが、一度離れたら2度と戻れないような有り様だったのでその場でスピーチに耳を傾けた。政党からは立憲民主党、共産党、民進党、社民党がスピーチにたち、自由党の小沢氏がメッセージを寄せた。参院に残った民進党の議員の中に市民との共闘を大切に考えている人たちがいることが知れた。韓国の朴槿恵政権を倒したろうそく革命で中心人物となったキムヨンホ氏、今年のノーベル平和賞を受賞したICANでも力をつくしたピースボート共同代表の川崎哲氏などのスピーチも印象深かった。
 Facebookを見ていると、当日には会えなかったいろいろな人たちが参加していて心強い。埼労連議長の伊藤さんからは国会周辺の4か所にステージが設け、そのうちの町村会館前でスピーチするはずだったのに右翼団体の妨害でそのステージだけ中止となったとの報告があった。
 日本会議をはじめ、改憲勢力も本気になってくるだろうし、他の右翼団体も存在感を示そうと活気づいてくることだろう。国民投票にも本気で備えなくてはならない。覚悟を固め、とりくみを強化していかなくてはならないだろう。私も自分に出来ることから始めて行きたい。


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# by yassall | 2017-11-06 19:44 | 日誌 | Comments(0)