憲法9条を守ろう!原発から撤退しよう!

 憲法改悪反対!原発撤退!これだけは巻頭から外すわけにはいかない!(その理由は口上で)
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ご案内
 たいがいが趣味(夏炉冬扇?)のブログですが、ときに真面目?になって、つい一言もの申したり、語ったり(竹頭木屑?)しています。多少とも関わりのあった「学校図書館」や「高校演劇」についても応援していきたいとカテゴリを設けました。初心を忘れず、ということで「国語・国文」を起こしましたが、あまり更新できずにいます。他は、最近何してる?は「日誌」に、何か考えてる?は「雑感」に、という塩梅です。
 あ、写真をご覧になっていただけるかたは主に「風景・散歩」のカテゴリーに!

この一枚

 通称バラ屋敷Y邸の生垣のバラ(5月12日)
 

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# by yassall | 2018-12-31 23:59 | お知らせ | Comments(0)

白山神社の紫陽花

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 20日、紫陽花を撮りに白山神社へ出かけて来た。紫陽花は開花期間の長い花だが、やはり季節が深まると枯れた花が多くなる。はじまりの頃が撮りごろだと思うのだ。
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 白山神社が紫陽花の名所だと知った。はて、どうやって行けばいいのだろうと調べてみると、何のことはない、三田線の白山で降りてすぐが参道なのである。昔、東洋大の司書講習に1年通ったのに、こんな場所があるとは気がつかなかった。まあ、夜間講習だったから行って帰るだけだったが。
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 この季節、紫陽花はどこでも咲いている。ロケーションを選択することでモチベーションを上げようというのである。
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 この日はGM5を持ち出した。町場の散策なので軽快さを求めてだ。小石川植物園でも使用したばかりだったのに、なぜか半押しシャッターが利かなくなった。
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 アイセンサーAFをoffにしてみたり、電池を一度抜いて電源を入れ直してみたりしたが、復旧しない。モニターでみるとピントは合っているようなのでそのまま撮影を続けていると、何かの拍子にリセットされたのか、突然復活した。
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 修理への持ち込みを覚悟していたのに、原因不明のまま復旧されてもかえって不安である。修理を依頼しても症状がなければそのまま返って来るだけだからだ。
 家に帰ってからも、同様の症状が出ないか身近において試してみるが、その後は平気なようだ。デジタル化して精密機械という度合が高まっていることを実感する。
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 白山神社はこじんまりとしているが気持ちの良い場所だった。孫文の碑が建っていたので何事かと説明板を読むと、孫文が日本に亡命中、宮崎滔天にかくまわれていた時期があり、その滔天の家が近所であったという縁らしい。二人してこの神社へやってきて石に腰かけ、中国と日本の未来について語り合ったというようなエピソードがあったのだそうだ。
 つい最近、ジュンク堂で浦辺登の『玄洋社とは何か』(弦書房)をみつけ、読んでいる最中である。玄洋社のルーツである筑前勤王党のことなども書かれていて、なかなか興味深い。滔天は玄洋社と関わりが深かったからこの本にも名前が出てくる。

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# by yassall | 2017-06-25 17:32 | 散歩 | Comments(0)

木下通子『読みたい心に火をつけろ! 学校図書館大活用術』岩波ジュニア新書

 木下通子さんは埼玉県の高校図書館の司書である。この6月、岩波ジュニア新書から本を出された。これまでも共著では何冊か学校図書館に関する本を世に出しているが、今回は岩波の編集部から「今までの実践を、まとめてみませんか?」と声がかかり、上梓にいたったとのことである。
 木下さんとは新任司書として岩槻商業高校へ赴任したころからの知り合いである。以来、何校かを異動して現在は春日部女子高校で主任司書をつとめている。新任のころからエネルギッシュで、学校ばかりでなく、各種の研究会や地域にも飛び込んで精力的に活動してきた。私とはいっしょに高校図書館研究会の副会長をつとめたこともある。いまや高校図書館研究会でも、学校図書館問題研究会でもリーダー的な存在である。
 そんなご縁で、本書でも紹介されている埼玉県高校図書館フェスティバルの企画にさそわれ、お手伝いしたことなどは記憶に新しい。私の定年退職後はめったにお会いすることもなくなったが、facebookではつながっているので、近況についてはよく存じ上げていた。
 この本の出版にいたるヒストリーも承知していたので、書店に出たらすぐにでも駆けつけようと思っていたのだが、昨日、岩波の封筒に入った本書が送られてきた。さっそく御礼のメールを差し上げたところ、「埼玉から全国に、学校図書館の輪を広げていきたいです!」という返信が返ってきた。その返信の素早さもなのだが、いかにも木下さんらしい文面だな、と感じた。
 埼玉県の司書採用試験の再開のために高校図書館フェスティバルを企画し、各方面に働きかけ、国会議員へのロビー活動もおこない、実現にこぎつけた。この本の執筆を引き受けたのも自分の司書としての生き方をふりかえるためだけではなく、全国的にはまだまだ司書も不在の学校図書館の現状を打開したいとの願いからだろう。
 そんなわけで、私も私のためだけに贈られた本だと思わず、一人でも多くの人たちに手にとってもらいたい、読んでもらいたいとの願いをこめて紹介する。

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# by yassall | 2017-06-24 18:54 | | Comments(0)

コピスみよし2017/第16回高校演劇フェスティバル 勝手に名場面集!

(この項は6月29日を期限に書き換えをする部分があるかも知れません。書き換えがあったときは日付付きでお知らせします。定稿となったときはこの案内を削除します。6月23日)

  6月18日、コピスみよし2017/第16回高校演劇フェスティバルが開催された。正確な来場者数は第4回実行委員会での発表を待たなければならないが、朝の一本目からほぼ満席という状況からして、例年を上回る盛況であったことは確実である。成功を喜びたいし、会館スタッフ、実行委員会の皆さんの労を多としたい。
  今年も写真記録班を担当。今年はKさんがFUJIのXシリーズ2台を引っさげて撮影に加わってくれた。どんな絵が出来上がってくるか楽しみである。私の方は今まであまり使ったことのないAFCを試してみたりしたが、結果としてはいつもとあまり変わらない仕上がりだった。各校に納得してもらえるショットが撮れたかどうかはおぼつかないが、各校の許可を得て、「勝手に名場面集」として何枚かをアップする。
  さて、ここ数年「勝手に名場面集」に「やぶにらみ観劇記」を添えている。今年も6校が出場したが、演目をみるとザ高校演劇あり、不条理劇あり、コメディあり、ファンタジーありと、各校の個性を存分に生かしたプログラムになっている。何とも多彩で、バラエティに富んでいて、楽しみが倍加することだなあ、と思っていたし、実際その通りだった。
  しかし、数日が経過し、さて「観劇記」を書こうという段になって、今年の6校の芝居が何やら不思議な因子で関連づけられ、系統立てられているような気がしてならなくなったのである。もちろん、それこそ私の勝手な思い込みで、いわば妄想のようなものであるのだが、いちど捕らわれるとなかなか抜け出し難いのである。何だか判じ物めいて恐縮なのだが、まずは各論に入る前にそのことを書いてみたい。
  ※
  最初に朝霞西高校による『ある日、ぼくらは夢の中で出会う』を置いてみる。新任刑事のカトウはTVの刑事ドラマにあこがれてこの世界に飛び込んで来た。しかし、その「夢」は現実の固い壁の前に粉みじんに砕かれる。そこまでは一般社会でも起こり得る当たり前の成り行きなのだが、その現実との格闘は少しもカトウを大人へと成長させはしない。むしろベテラン(?)刑事たち=現実の胡散臭さばかりがあからさまになっていく。カトウの心の中に生まれるのは失望と反感のみである。本来なら自分の目標となるべき先輩刑事たちを射殺することでカトウは自らの未来を閉ざしてしまう。否、それはすでに閉ざされている未来にケリをつけただけかも知れない。若者の「夢」の不可能性というマークをつけてみる。
  坂戸高校の『修学旅行』と東京農大三高の『翔べ!原子力ロボむつ』には若者たちの未来をふさぐものの正体というマークがつく。
  坂戸高校『修学旅行』の主人公である高校生たちは、まだ自らの「夢」=目標に対してすら無自覚な者たちだろう。ソフトボールに、新体操に、漫画に、それが自分たちの将来に繋がるかどうかなどということは考えもせずに、ただ毎日の高校生活に打ち込み、青春を謳歌している。修学旅行中の平和教育も生徒たちにとっては余所事でしかない。だが、その高校生たちも過去の歴史から自由であることはできず、現代という時代との関連の中で生きるしかないという事実からは逃れようもない。その影はいたるところで顔を出すのだが、正座を命じられた高校生たちが始める古今東西ゲーム中にいよいよ本体をあらわす。順番に国の名前をあげていく途中で、生徒の一人が「私たち、明日どうなるんだろう?」と突然つぶやく。それは他の全員を不安にさせる。「明日があるさ!」と他の一人が声をあげるとようやく元気づくが、どこか空元気で何の保証も根拠もないことを皆知っている。ゲームが再開されるが、列挙される国名は内戦や紛争をかかえた国ばかりである。沖縄は世界の紛争でしばしば米軍の出撃基地となっている。平和はみせかけで、いつか壊滅的な危機が襲来するのではないか、という不安は拭いがたい。
  東京農大三高『翔べ!原子力ロボむつ』では二つの「夢」が描かれる。カズキは町長となって「町を再興させたい」という夢をみる。その夢の実現のため、高レベル放射性廃棄物を無害化させるというプロジェクト「むつ」を誘致するが、町長としてその完成を見とどけるため自ら冷凍睡眠に入る。だが、何度目覚めても「むつ」は完成せず、何度かの氷河期を経て、5万年後には人類はとうに滅亡し、「原子力ロボむつ」も放射能の封じ込めもできないまでに破損してしまっている。その「むつ」もまた夢をみる。「人類の役に立ちたい」「アトムのように太陽に飛び込んで消滅してしまいたい」という夢である。だが、その夢は果たされない。人類はすでに大量の放射性廃棄物を抱えこんでしまっている。それなのに世界では大量の核兵器と多数の原子力発電所が保有されている。3.11後の世界の中で、「原子力ロボむつ」は警告の域を出て、人類の未来をふさぐ壁として立ちはだかるものの正体を指し示している。
  ※
  柄谷行人は現代社会が直面する課題は、①戦争、②環境破壊、③経済的格差だという。同様のことは他の多くの人も指摘しているが、なかなか脱出口が見いだせない。朝霞高校の『酔・待・草』もそうした閉塞状況を表現しようとした劇ではなかっただろうか? 『酔・待・草』については朝霞高校が私の古巣であること、地区発表会の上演後、オリジナル性の問題が話題となったことから、私なりに原作にあたったり、いろいろ調べごとをして考えたことがある。『酔・待・草』の初演は1986年、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起こった年である。これは偶然ではなく、原作ではブッチとサンダンスの会話の中に「チェルノブイリはどうなった?」というセリフがあるように、原作がどこかでチェルノブイリを意識して書かれたことは間違いないと思う。このセリフは朝霞版ではカットされていたのだが(それはそれでいいのだが)、2011年後の現在、芝居はブッチのセリフ「デ・ジャ・ビュ。…デ・ビュ・ジャの反対。きっと夢を見たんですよ。正夢ってヤツを。」さながらに不思議な既視感をもって眼前に立ち現れてくる。規制線で立ち入りを制限され、肉親の遺体とも対面できないこと、事件の解明のために派遣されてきた刑事たちも全く手をつけようとしない(出来ない)でいること、子ども達が大人を見つけては石を投げつけるという逆襲に出ていること、などを考え合わせると、この一本の木の立つ田舎の一本道という場が私にはフクシマのように思えて来たのである。最後にブッチとサンダンスはボリビアへと旅立って行く。そのボリビアで何が待っているか、1969年公開の映画「明日に向かって撃て」を見ている我々は知っているのである。
  ※
  そうした閉塞状況からの出口を模索したのが星野高校の『リトルセブンの冒険』と新座柳瀬高校の『Love&Chance!』であったように思う。
  星野高校『リトルセブンの冒険』は「白雪姫」後日譚というファンタジー仕立てになっている。「白雪姫」で母親の王妃が倒された後、かえって鏡の魔力が高まり、制御不可能になってしまった、というのである。(どこか日本の現状と似ている気がしないでもない。)死んだ王妃の娘レッドローズはその鏡の雫を持ち出して新しい女王クリスタニアのもとから森へ逃れてきた。小人たちはレッドローズを助けようと立ち上がるのだが、なかなか気持ちが一つにならない。中でもフレイムとリキッドの二人は女王側について、かつての仲間と敵対する。魔法の鏡の魔力を制御するのに、女王側のミラード侯爵の魔力の方に期待してのことだった。しかし、その二人も仲間の危難をみて一族意識をとりもどし、再び仲間と結束する。たわいもないといえばたわいもなく、ただハラハラドキドキを楽しめばいいというお芝居ではあるのだろうが、より強まった危機に対する認識の共有、分断を乗り越える力、何より強大な敵に立ち向かっていく勇気といったものが提示されている。
  ハラハラドキドキを楽しむということなら新座柳瀬高校の『Love&Chance!』も同様である。夢物語は夢物語として楽しむべきだが、なぜ人間は「夢」を必要とするのかについても考えてみたい。
  この作品については、原題が「愛と偶然の戯れ」であったことを知って、次のような解釈が成り立つのではないか、と書いたことがある。

 「偶然の戯れ」とは「運命のいたずら」ということではないのか? 人間がいかに「知恵」をめぐらせたところで、かえってその「知恵」のために窮地に追い込まれ、思いもよらなかった運命に翻弄されてしまう。喜劇の背景に潜んでいるのはそのようなアイロニーである、と思ったのだ。そう考えると、オルゴン伯爵の占めるポジションは興味深い。オルゴンだけは最初からすべてを知っている。いってみれば人々の「運命」をつかさどる神の位置にいるのである。だが、その神でさえもその力でドラントとシルヴィアを結びつけることは出来ない。二人が結ばれるのはあくまで自らの「愛」に忠実であろうとした人間の営みなのである。稲葉智己の芝居にはヒューマニズムが底流に流れている、と考える所以である。

  マリヴォーが原作を書いたのは18世紀のこと。フランス革命にはまだ50年を待たなければならないが、ヨーロッパはすでにルネサンスの大きなうねりを経過している。「文芸復興」というより「人間復興」、人間復興こそが現代の閉塞状況を打ち破るための道標となり、人類の未来を切り開いていく原動力となるのではないか?
  ※
  少しばかり大仰な物言いになってしまったが、私としては今回も大いに想像力と思考回路を刺激され、錆び付きかけている感性と思考脳を多少なりとも活性化させてもらった。これらは私個人の内部に起こったことがらだが、それも演劇の有する力だと考えたい。
  ここから各論に入るのだが、今度はいいことばかりは書けないかも知れない。だからといって、1本の芝居を舞台に乗せるまでの労苦と情熱に対するリスペクトを欠いているつもりは少しもないことを予め断っておく。

県立坂戸高校『修学旅行』作・畑澤聖悟

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  何度見てもよく書かれた台本であると感じいってしまう。教師の視点と、生徒の視点とが共にあり、少しばかり危うい校内恋愛まで飛び出してくる。ああ、こんな日常があるなあ、という実感と、展開の思いがけなさが併存している。戦争と平和がテーマであるのは間違いないが、思うようには生徒に伝わっていない(きちんと受けとめている生徒もいるが)のは、教師側の平和教育に対するとりくみのどこかが間違っているのだろう。それでいて、宿の一室はいつしか戦場さながらの態になっていく様子が実に面白おかしく描かれている。
  いつも感心するのだが、坂戸高校の演劇部員はそうした背景としてのテーマ、芝居のしかけ、発せられるセリフの意味をきちんと理解してキャラクターづくりをしている。何度目かの観劇になる私の方が、かえって新しい発見をさせられたりするのだ。
  あえてコメントするならば、教師の前ではよい子を演じきり、クラスメイトの前ではわがままぶりを発揮する生徒会長役の生徒の二面性がもっと強調されてもいいのではないか、と思った。この生徒が台風の目となり、班の中に対立が生まれていく。他の生徒と同列になってしまわないことが大事だと思った。地だから仕方がないが、まだいい子過ぎた。
  台本は現代性を失っていないと思っているが、部屋は和風で(そうでないと枕投げは始まらない)、男子生徒は大広間で雑魚寝ということになっている。一昔前の修学旅行スタイルである。照明だけ現代的なリモコンだったり、壁際に並べられた旅行カバンが今風のスーツケースだったりが少しそぐわない気もした。カイトを呼んでくるように頼むときの「大広間云々」のセリフはカットしてもいいのではと思ったが、一部だけを変更すると全体のバランスが狂ってくるだろうか? 古今東西ゲームであげられる紛争地の国名も、現代であればもっと緊急な事態にある国が他にあるから、何に気づかせようとしているのか直感的には落ちてこない。時代をとらえた作品を時代が移っても演じ続けていく難しさを感じるところである。
  写真は班長が修学旅行最後の夜に楽しい思い出を作ろうと皆を説得しているところ。だが、どうも心がひとつにならず、皆が皆、てんでんばらばらである。もう1枚は正座させられるハメにはなったが、さまざまな誤解が解け、古今東西ゲームを続ける班員。皆いい表情をしている。
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朝霞高校『酔・待・草』作・竹内銃一郎

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  クライマックスに差しかかるところでカスミに単サスを当てたのはいいが、他の役者たちの前明かりを欠いてしまったのはかなりの打撃だった。前日のリハで照明Cue確認のとき、舞台上に役者を立たせなかったのがミスの原因である。(5月16日の出演校打ち合わせ会で配布されたプリントには「キャストに衣装を着せて、実際に立たせてみないと明かりは作れませんので準備をしておきましょう」と書かれている。)Cue確認とは明かりづくりであり、提出したCueシートの通りになっているかどうかだけでは不十分なのである。6年ぶりのコピス出場で、過去の経験が失われてしまったことによる初歩的なミスであったが、6年ぶりであったからよけいに残念だった。
  本番でも開演前からガチガチで、なかなか芝居が温まらなかった。そういうわけで決して成功とはいえなかったが、もと居た学校だけにこれまで辛口にならざるを得なかった朝霞高校の出場を、今回ばかりは応援したい気持ちでいたし、それは変わらないのである。
  2年前の地区発表会で高泉淳子の『ライフレッスン』を上演したとき、久しぶりに真っ直ぐに演劇にとり組んでいる姿をみたと思った。今回はその方向性にあると感じたし、舞台美術等の作り込みもはるかに向上している。照明の失敗も地区発表会から演出を再考し、役者の動きを変えたことが遠因になっている。お客に見てもらったときが最終形であるから、そんなことは何の言い訳にもならないが、最後まで芝居をよくしようとした結果だったと考えたい。3年生が中心だった『ライフレッスン』のときと比べると、ともかくも人数ギリギリを出演させた今回の方が見劣りすることは確かだ。だが、その分、皆で励まし合ったり、フォローし合ったりしながら稽古してきた様子は伝わって来た。
  今回のコピス出場をぜひとも今後の部活動に生かして欲しい。受けねらいだけの、お手軽で安直な芝居づくりには流れて欲しくない。3年間しかない演劇部生活で、もっと深いところで演劇を掘り下げていって欲しい。そしていつかリベンジを果たして欲しい。
(原作に改変を加えること是非、あるいはオリジナルの尊重の問題については私なりに考えたこともある。一般論としてもあるし、この作品についてはどうだったのか、ということもあるだろう。ただ、1953年発表の『ゴドーを待ちながら』を下敷きに、ヴラジーミルとエストラゴンを1969年公開の『明日に向かって撃て』のブッチとサンダンスに置き換え、1986年に初演された本作を2017年に上演しようというとき、ギリギリのところではあったが、このような演じ方があってもいいのではないかと思った。牧歌性は失われ、個々人はいっそう分断されている。私は田舎の一本道というこの場が不法投棄された廃棄物で覆われていてもいいとさえ思った。まあ、実際に演出を任されたら、やはり広漠たる空間であるべきだ、と思い直しただろうが。)
  写真は木の下で眠るように横たわるカスミと第一発見者のカオル先生。芝居の始まりである。もう1枚はボリビアに出発しようとする直前のブッチとサンダンス。ボリビアで何が待ち受けているかは前述した通りである。
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新座柳瀬高校『Love&Chance!』原作・ピエール・ド・マリヴォー 翻案・稲葉智己

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  シルヴィアとリゼット、そしてルイーズが新キャストである。シルヴィアのじゃじゃ馬ぶりが少しやさしい伯爵令嬢になってしまったり、替え玉にさせられたリゼットのアクの強さが薄まってしまったり、というのが最初の印象だったが、なかなかどうして立派な出来栄えで少しも不自然さがなかった。とくにリゼットやルイーズは1年生のはずである。驚異的な仕上がりの早さだ。セリフの駆け引きや芝居のテンポも狂いなく、このままでも上演可能という感想を持ったが、全国大会までの1ヶ月半、まだまだ作り込んで行くことだろう。
  そういうわけだから、柳瀬については何もいうことはないのだが、ますます磨きをかけて、仙台でも大いに観客をつかみ、楽しませ、黄色い歓声を上げさせて欲しい。
  写真はお互いに正体を明らかにし、晴れて結ばれようとするドラントとシルヴィア。やはり絵になっている。もう1枚はアルルキャンとオルゴンの掛け合い。この二人も大いに客を湧かせた。
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朝霞西高校『ある日、ぼくらは夢の中で出会う』作・高橋いさを

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  地区発表会のときと比較すると数段良くなったと思った。芝居づくりは丁寧で、一人一人の役者も自分の見せ場のようなものを心得ながら演技していると思った。だが、この台本は丁寧に作ろうとすればするほど、訳が分からず、客を置いていく結果になりはしないだろうか?
  とはいえ、どうしたらいいのかは私にも分からない。演劇部顧問に成り立てのころ、部員が「これをやりたいです」と初めて持って来た台本がこれだったという話を以前にも書いた。それ以来、折にふれて考えてみることがあるが分からない。
  転換勝負の芝居だ、ということが一つあるだろう。(そこで舞台装置も簡素で単純にせざるを得ないから、それらの助けを得ることもかなわない。)スピード命にしたとしても、刑事と誘拐犯との入れ替わりにはきちんとアクセントをつけていかないと、後半でめまぐるしく交替する場面で客を引っ張っていけない。
  それは誰でもいうことだろうが、私はもう一つ、一対三という構図をどう作っていくかが決め手になるのではないかと考えている。この芝居の対立軸は刑事対誘拐犯ではない。ベテラン(?)刑事・犯罪者たちと新米刑事・犯罪者なのである。新米からみたベテラン達の胡散臭さ、嘘っぽさ、いいかげんさ、それでいて頑強(犯人からの電話を聞きわけるのだから)な経験という壁に守られていること、それらに対するカトウの驚き、怒り、失望といったものが、それぞれに本当(「本当」の「嘘っぽさ」というのも変な言い方だが)でないと、客の笑いも共感も得ることが出来なかっただろう。
  写真は刑事たちが作戦を開始するシーン。もう1枚はカトウのモノローグ。ただ一人の三年女子が演じた。彼女のための演目だったのだろう。
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星野高校『リトルセブンの冒険』作・中島かずき

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  ともかく大勢が出演する、ビジュアルである、ファンタジーもの(そうでない年もあるが)である、という、いかにも星野高校の本領発揮という芝居だった。
  原作はもっと上演時間が長いに違いない。それを1時間に合うようにカットしていくから、どうしても前半はストーリーを追うだけになってしまう。それでも、つまみ食いをしているうちに何が何だか分からなくなってしまう失敗も多々ある中、物語の骨格というのか、設定がつかめてからはけっこう芝居に入っていけた。
  ビジュアル的にはクリスタニア女王と道化師コンパクトが優れていると思った。衣装も一番手間をかけたのではないだろうか? コンパクトは原作ではもっと出番があったのではないかと思った。少しもの足りない。
  演技的には悪役側ではミラード侯爵が声もよく出ていて達者だと思った。リトルセブン側ではリーダー的な存在であるひねくれ者のサンがはしこいキャラクターをよく出していた。続くのはフレイムだろうか? 最初は女王側についていたのだが、その理由を語る口調にも説得力があり、再び仲間のもとに帰ったあとも振る舞いが凛々しかった。自分たちも楽しみ、客も楽しませた。
  写真はリトルセブンが勢揃いしたところ。先ほど、女王と道化師がビジュアル的に優れていたと書いたので、星野だけ特別にもう1枚。
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  最後の1枚はレッドローズが最後の難敵ミラード侯爵を倒さんとするところ。こうした照明効果も演劇の見どころのひとつではある。けっこう好きだ。
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東京農大第三高校『翔べ!原子力ロボむつ』作・畑澤聖悟

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  農大三高の『ロボむつ』も今回で4回目の観劇となる。その4回の中で一番良かったと思った。それだけ農大三高演劇部の諸君がこの台本を大切にし、またコピス公演を大事なものと考えていたということではないだろうか? 
  自分たちにとってはすでに完成され、手慣れた芝居であったと思うのだが、いっそうの進化があった。初めて見た芝居であるかのように、セリフや演技が新鮮に感じられ、心に届いてきた。キャストの一人一人の輪郭が鮮明になって、キャラクターが立ち上がってきた。
  そういうわけで農大三高についても、もう何も書くことがない。そこで、前文の続きのようなことを書いてみたい。
   ※
  前文では、人類はもう引き返しようもないところに差しかかってしまったのではないか、というような悲観的なことを書いた。だが、本当は絶望感や虚無感にひたっている暇すらないのだ、と思うのだ。
  コピスみよし高校演劇フェスティバルの翌日、6月19日の朝刊で「韓国 原発新設を白紙化 文大統領宣言 寿命も延長せず」との見出しで、隣国である韓国が脱原発に向けて大きく舵を切ったということが報道されていた。実際には韓国では24基の原発が稼働中だそうで、現在の日本よりはるかに多い。しかし、一度は「40年」と定めた寿命をなし崩し的に延長し、世論を無視して次々に再稼働を決め、海外輸出まですすめようとしている国とどちらに未来があるか考えてしまう。
  私が高校から大学のころは韓国は軍事独裁政権の国だった。朴前大統領の父親である朴正煕は親日政策をとり、60年代に韓国の工業化を進めた。ずいぶん日本の資本がいったはずである。(現在の韓国における反日世論の一部にはその影響もあるのではないかと思っている。)
  また、歴史的に朝鮮半島は三つの国に分かれ、必ずしも国民はひとつに統合されていない。軍事独裁政権を打ち倒すには巨大なエネルギーが必要だったはずで、右に左に、その揺れ幅もまだまだ大きい。
  そんなこともあり、まだまだ予断を許さない状況ではあると思うが、未来に対する希望の光を点そうとする人々がすぐ隣にいることを私たちは心強く思わなくてはならないと思った。
  ※
  写真はオープニング。これも農大三高ならではだ。もう1枚はカズキとノゾミの出会いのシーン。ノゾミはカズキの初恋の相手と瓜二つなのだ。この二人の出会いと別れも切ない。
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 来年の第17回高校演劇フェスティバルは6月17日(日)と聞いた。皆で楽しみにしたい。では、本年はこれまで!


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# by yassall | 2017-06-23 17:23 | 高校演劇 | Comments(3)

つい一言 2017.6

(承前)共謀罪法案が法務委員会での採決を省略していきなり参院本会議での採決にいたったのは、与党内で公明党からの要望があったからだという説が流れている。委員長の秋野氏の会派は公明党で、都議選を前に委員会採決でもみくちゃ(?)にされる委員長の画像が流れることを避けたかった、というのが理由だという。TVのインタビューでは公明党の山口代表は否定しているから真偽のほどは分からない。
 安倍一強といわれる背景には小選挙区制があるという。公認が受けられなければ立候補すら出来ないから、いきおい執行部には従順にならざるを得ない。かつては自民党内にタカ派からハト派までの派閥があり、バランスが働いていたがそれが機能しなくなった、というようなことが言われる。
 そこで、公明党には与党内でかつての派閥のようなバランス機能、あるいは歯止めのようなものが期待されていた。だが、このところ、何か相当の弱みを握られているのではと疑いたくなるほど、公明党は自民党のいうがままである。
 だいたい、上記のような流言を立てられて悔しくはないのか? 安倍という人物は消費税の値上げを見送ったように、自分では泥をかぶろうとしない小ずるい男なのだ。今度の強行採決も公明党のせいにして非難を緩和しようとしているのではないのか?
 知人にもご近所にも創価学会の人は大勢いる。戦中、治安維持法および不敬罪で検挙され獄死した初代会長の牧口常三郎の本をもらったのは元同僚からだ。その創価学会に支持基盤をおく公明党が共謀罪法案に賛成すること自体が理に合わない。ましてや安倍の支持母体である日本会議とは懸隔の関係にあるはずだ。いつまでも与党にしがみつかず、本来のあり方に立ち返るときではないのか?(6月17日)

 (承前)それにしても日本はこれからどのような国になっていくのだろう。戦前、治安維持法が制定されたのが1925年。1928年には共産党員をいっせい検挙した3.15事件が起こっている。その3.15事件を小説に書いた小林多喜二が特高によって拷問死させられたのが1933年。治安維持法が改定された1941年に15年戦争は太平洋戦争に拡大し、1945年に日本は敗戦を迎えた。治安維持法制定から、たった20年後のことだった。
 「共謀罪」は現代の治安維持法だとも批判されている。そのような猛威をふるわせない運動と世論が必要だろう。それは国の進路を過たないためにもだ。
 いずれにしても、人々が自由であるためには自由であるための知恵や工夫、自由を守るための連帯やたたかい、そして何よりも自由であろうとする意志が必要な時代が到来したことは確かなことであると考えるのだ。(6月16日)

 昨日14日の昼頃から「委員会での採決を省略して本会議で採決」という情報が伝えられた。その時点で自民党と民進党との国対委員長会談は決裂、あとは夜討ち朝駆けとでもいうのか、夜を徹した攻防ののち、一気に参院本会議での強行採決に持ち込まれた。
 それにしても衆参両院で圧倒的な多数を占め、会期の延長も自由自在な与党・自民党はなぜこれほど乱暴な一手に出たのだろうか? 「加計隠し」とか都議選対策とかいわれているが、そればかりではないように思う。
 特定秘密保護法や安保法制のときと同様、今回も「共謀罪」反対の市民運動が繰り広げられた。とくに安保法制反対運動では車道を埋め尽くした国会前集会など、若者たちも含めた大きな運動になった。それらを乗り切ってきた自信ともみえるが、むしろ反対運動をどうしても挫けさせたい、圧倒的な力を見せつけることで無力感というダメージを与えたいということではなかったか、と考えるのだ。
 つまり、通常の国会運営のルールを踏みにじって強行された今回の採決は、与党・自民党の強さの表れというより、彼らの危機感や焦燥感の表れではなかったか、ということなのだ。
 「共謀罪」の成立を許したのはもちろん反対運動がまだまだ弱かったからであるのは確かだろう。だが、ここで無力感や虚無感にとらわれたらまさに権力側の思うつぼだと思うのである。(6月15日)

 YouTubeで先日の金田法相の発言を確かめて見た。質問は事前通告されていたのだから当然といえば当然だが、金田法相の答弁は文書を読み上げながらだった。(たぶん、自分で作成した文書ではあるまい。)つまり、「治安維持法は適法」発言は金田法相個人の思想や資質によるものではなく、内閣としての統一見解であるということになる。治安維持法による恐怖政治、社会運動の弾圧、言論封殺、多くの冤罪に対してまったく無反省であるということは、現政権の本質を示しているし、そのような答弁を行っても国民は抵抗しないと踏んでいるのだろう。
  ※
 安倍首相はもともとだったが、冷静と見られていた菅官房長官も、国会答弁や記者会見での激昂ぶりや個人攻撃があからさまになっている。菅官房長官は前川前文部次官を攻撃して記者会見の後、オフレコながら「出会い系バーに50回も100回も通っている」などと付け加えたそうである。その回数を本当に把握していたとしたら、たまたま偶然にも誰かによって目撃された情報が伝わったのではなく、明確なターゲットとして継続的に尾行したり監視したりしていたことになる。
 「共謀罪」法案が監視社会を生み出すと指摘されているが、監視社会はすでに進行しており、それが合法化され、「共謀」や「準備」の段階でフリーハンドに罪に問うことができるようになると考えるべきなのだろう。(6月6日)

 あたかも「共謀罪」法案が審議中の折も折、よくもこのような発言が飛び出したものだ。しかも金田法相は(仮にも)担当大臣ではないか!
 2日の衆院法務委員会で戦前の治安維持法への認識を問われ、金田法相は「(同法は)適法に制定され、勾留・拘禁、刑の執行も適法だった」と言い放ち、「損害を賠償すべき理由はなく、謝罪・実態調査も不要だ」と切り捨てた。質問に立った畑野議員(共産党)は1976年に当時の三木首相が「治安維持法については、その時でも批判があり、今日から考えれば,民主憲法のもとではわれわれとしても非常な批判をすべき法律である」と答弁したことを示し、金田法相の異常な態度を追及したという。
 「悪法も法なり」という言葉があることはある。治安維持法が戦前の帝国議会で一応の審議をへて制定された、という程度の認識なのだろう。だが、国民よりも国家を優先させる強権政治がもたらした反省から戦後政治が出発したという観点がまったく抜け落ちている。戦前の国家主義と強権主義が最後は国を滅ぼしたことを振り返れば、治安維持法は繰り返し実態を明らかにし、反省し、否定しなければならない。
 「共謀罪」審議において答弁不能な単なる無能力者ではなく、きわめて危険な思想の持ち主であることが明らかにされたし、その所属する内閣が最終的にめざす国家像ももはや隠しようがなくなったと言わなければならない。(6月4日)
 ※付け加えれば、またしてもマスコミはこの重大発言をまともに取り上げようとしない。今日の「オール埼玉」集会のゲストスピーチで伊藤千尋さんは「韓国では国民はマスコミを信じていない。だからネットを通じて自分たちで情報発信をし、100万人集会を実現させたと述べていた。日本も民衆からの情報の発信と普及が必要な社会になっているのではないか?

 東京電力が水力でつくった電気だけを販売する家庭向け電気料金プラン「アクアエナジー100」を発表した。
 東電は水力発電所を163カ所保有しており、毎年100億kw/h超を発電。そのうち1億kw/hを新プランに割り当てるという。電気料金は通常より1割程度高くなるが、火力発電との差異として燃料費の影響を受けないため、円安がすすんだ場合はかえって安価になる可能性もあるという。
 すでに新電力への移行をすませてしまった私としては今のところ検討材料にはならない。ただ原発に頼らず、CO2を排出しない再生可能エネルギーによる電力を求める声に、東電も耳を傾けざるを得なくなったということだと受けとめたい。(6月3日)

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# by yassall | 2017-06-15 15:13 | つい一言 | Comments(0)

奥蓼科の旅

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 どうもこのところ引きこもりがちになっている。ただの出不精で、精神的に落ち込んでいるというようなことはない。むしろフラストレーションが溜まってくるのが分かるので、これではいけないと、以前から行ってみたいと思っていたツアーに参加してきた。
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 13日、東京は雨。あれ、天気予報が外れたな、雨支度をしないとかな、と出がけはドタバタしたが、中央高速を西に向かうにつれ雨はあがり、御射鹿池に到着するころには青空すら顔を出すようになった。
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 御射鹿池は東山魁夷の「緑響く」で名高い。もともとは農業用温水のため池である。だが、人工の池とは思えない静謐な雰囲気をたたえている。
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 農業用水の取り出し口。でこぼこした岩の上を流すことによって(速度を遅らせることによって)水の温度をさらに上げるのだろう。
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 奥に築かれた土手がいかにも人工物であることを表しているが、それをもって絵づくりに適さないとは言えないと思った。
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 横谷峡に移動する。峡谷を降りていって最初にあらわれたのが乙女滝である。名前は嫋やかであるが約10mの高低差を水量も豊に落ちる姿はなかなか迫力がある。
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 少しシャッタースピードを上げて水の粒を表現してみた。滝壺の方への行ってみたかったが、それらしい小道の入口に「崩落の危険あり」の表示板が立てられており、またその傾度から一度降りたら昇っては来られまいとあきらめた。
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 その看板をみて多くの人は引き返してしまったのだが、峡谷の沿道は歩きやすかった。
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 上流になるにしたがって谷川が望めるようになる。
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 一番近寄れたのはこのあたり。川の名は渋川というのだそうだ。
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 霧降の滝はもう少し先らしいのだが沿道は尽きている。
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 最後の訪問地は白駒の池。池までは入口から15分ほど坂を登らなくてはならない。日ごろの運動不足がたたる。
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 苔の森である。吉永小百合出演の大人の休日倶楽部のCMのロケ地はここだったのだ。
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 ただ、季節がらか、あまりきれいな色の苔にはたくさんは出会えなかった。
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 白駒の池は標高2100m以上の湖としては日本最大の天然湖だそうだ。空気はまだまだ冷たく、じっとしていると手がかじかんでくる。
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 山荘があったり、テント村があったりしているが、人の手の及んでいない自然が残っている。
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 湖の周囲は木道がめぐらされている。自然保護のためだが、スニーカー程度では木道を離れてはとても歩けない。
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 木道は朽ちてくると新しい木材と入れ替えられ、常に整備されているらしかったが、奥まったところでは痛んだままになっている箇所も多かった。
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 山側は苔の森がひろがっている。
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 溶岩が流れ出して出来た土地なのか、樹木も十分に根が張れないらしく、倒木がめだつ。そこから新しい生命が芽吹いている。
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 このあたりが一番奥まったあたり。もののけの森と名づけられている。青木ヶ原と似た雰囲気である。溶岩というより噴石が堆積しているのだろうか。苔むした岩の隙間には深く切れ込んだ洞がみえる。
  ※
 白駒の池を出発したのが15:30、池袋到着が19:20。急ぎ足の日帰り旅行だったが行ってよかったと思った。国会情勢も気にかかるが、人生も大事だ。

 G8+12-60mm






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# by yassall | 2017-06-14 21:09 | 風景 | Comments(2)

止めよう!辺野古埋立て 共謀罪法案は廃案に!6.10国会大包囲

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 「止めよう!辺野古埋立て 共謀罪法案は廃案に!6.10国会大包囲」に参加してきた。
 今日の集会は基地の県内移設に反対する県民会議、止めよう!辺野古埋立て国会包囲実行委員会、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会による共催。沖縄では工事の強行に反対する県民へのなりふりかまわぬ弾圧、国会では参院での審議の中でますます正体が明らかになる共謀罪法案の強行への動きが強まる中、連帯の輪が大きく広がっていることが実感できる集会となった。
 正門前エリア、官邸前エリア、議員会館前エリア、国会図書館前エリアのそれぞれにミニ・ステージが設けられ、野党や各団体からのアピールがあった。沖縄からは「共謀罪を先取りしたような弾圧が行われている」との訴えがあり、岐阜で活動している弁護士からは「風力発電について勉強会を企画したメンバーへの極秘調査が行われている」との報告があった。集会は14:00から15:30まで。参加者は18000人と報告された。
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 稲嶺進名護市長も沖縄から駆けつけた。たぶん各ステージを回ってスピーチしたのだろう。「勝利の秘訣はあきらめないこと」は沖縄での合言葉なのだろう。共謀罪法案は今週がヤマ場になると予想されている。


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# by yassall | 2017-06-11 18:10 | 日誌 | Comments(0)

北綾瀬しょうぶ沼公園

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 花菖蒲の季節がやってきた。6日、北綾瀬のしょうぶ沼公園に出かけてきた。水元公園は2回連続になったので、今年は新しい撮影スポットを探そうと思ったのだ。
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 西日暮里から千代田線に乗り換え、いったん綾瀬で下車する。綾瀬駅の0番線(!)から北綾瀬まで1駅だけの枝線(というのだろうか?)が出ているのだった。駅を降りると1分でしょうぶ沼公園。園内を流れる小川が菖蒲畑に水を供給している。
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 少しこんもりした木立と藤棚を中心にして半円形に菖蒲畑が並んでいる。
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 区画ごとに株分けがされている様子で、4年目・3年目などの表示がある。
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 どこかの老人ホームのお楽しみ会なのか、介護の人に引率された車椅子の集団がのんびり観賞している。
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 さて、撮影にとりかかる。
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 この日はクローズアップをねらってみた。
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 あまり上手くボケてくれない。
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 もっと近寄ったショットもあったのだが、イメージに合わなかったのでブログにはアップしない。
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 この日は曇りがちだったのだが、帰り際になって空が晴れ、日が射してきた。
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 花も違った表情をみせる。
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 花菖蒲の季節と紫陽花は重なる。紫陽花は息の長い花だが、この季節の若い紫陽花が好きだ。

 G8+14-140mm

dropboxにリンクしています
https://www.dropbox.com/sh/c1mf4ya83jdugv6/AACq3FQhCFwMua-6WTu9o8GLa?dl=0

 

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# by yassall | 2017-06-07 20:01 | 散歩 | Comments(0)

安保関連法案廃止!立憲主義を取り戻す!6.4オール埼玉総行動6.4オール埼玉総行動

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 4日は安保関連法案廃止!立憲主義を取り戻す!6.4オール埼玉総行動、会場は北浦和公園である。市民団体、生協や埼商連、連合系・全労連系の労組などの諸団体のほか、1区から15区までの小選挙区ごとに結成された連絡会が集った。
 政党あいさつは民進党・枝野幸男氏、共産党・小池晃氏、社民党・福島みずほ氏、自由党・青木愛氏がスピーチに立ち、「野党と市民の共闘」の本気度が伝わって来た。
 ゲストスピーチは国際ジャーナリストの伊藤千尋氏。「発言し、連帯し、行動することで変わる!」との訴えは、9.11後のアメリカの言論状況、隣国韓国での激変、沖縄での自衛隊基地の白紙化など、現地取材にもとづいていて説得力があり、力があった。(韓国の朴前大統領も、日本の安倍首相も、自分に身近な人物に便宜をはかるという政治の私物化という点でよく似ている、という指摘は本当だと思った。)
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 集会名は「安保関連法案廃止!立憲主義を取り戻す!」であったが、スピーチでも、アピールでも強調されたのはもちろん「共謀罪」! 小熊のゼッケンには「いらん共謀罪」とあった。
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 集会は10:00に開会し、11:30ごろ閉会。参加者は13200人と発表された。終了後、浦和コースと与野コースに分かれ、市内をパレードした。

 次の行動は「止めよう辺野古埋め立て 共謀罪は廃案 6.10国会大包囲」である。14:00~15:30。


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# by yassall | 2017-06-04 17:37 | 日誌 | Comments(0)

横尾忠則 HANGA JUNGLE展

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 1日、横尾忠則HANGAJUNGLE展を見に町田市立国際版画美術館まで足を運んできた。
 横尾忠則は1960年代、アンダーグランド芝居のポスターで注目されるようになった。私が印象深く記憶しているのは大島渚の「新宿泥棒日記」に主役の万引き青年役で出演していたことである。(計算してみると当時すでに横尾は33歳。青年というのもどうかと思うが、田辺茂一ともども不思議な存在感をはなっていた。一方、映画公開時、私は18歳。1年浪人させてもらったにも関わらず、映画館にしけこんでいたことになる。親不孝なことである。)
 その大島渚も死んだ。三島由紀夫も死んだ。状況劇場のポスターを描くようになる以前、横尾は天井桟敷にも参加したが、主宰した寺山修司も死んだ。澁澤龍彦もとうにいない。
 そうしてみると横尾忠則の活動がとても息の長いものであることが分かる。今回の版画展はペインティングをのぞく版画作品のほぼ全作品約250点を展示しているという。
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 町田市立国際版画美術館は小田急町田駅から徒歩15分、芦ケ谷公園の一角にある。なかなか立派な建物で、しかも版画に特化した美術館を建てるとは、町田市はどのような自治体なのであろうか? その建設をよしとした町田市民とはどのような人々なのだろうか?
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 撮影フリーということだったので遠慮なく撮らせてもらった。三島由紀夫の死後、オカルティズムに近づいたころの作品群。
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 やがて横尾はその世界からは離れていくのだが作品には力がある。
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 いかにも横尾ワールドといった作品群である。1982年、横尾は「画家宣言」をするが、その後は日本国内でよりも世界での評価が高かったようだ。海外で個展を開くとまたたく間に作品が完売してしまうと聞いたことがある。
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 なんだか懐かしいポスターも広義の版画として展示されていた。
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 横尾のこだわりである「y字路」の作品も展示されていたのはうれしかった。
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 2017年作とある近作も展示されていた。タイトル未定とあった。ガラス面に反対側の壁の展示物が写り込んでしまったのは残念だった。一眼にPLフィルターを装着すれば避けられたのだろうが、そこまではなあ。

 横尾忠則HANGAJUNGLE展 町田市立国際版画美術館 ~6/18



 

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# by yassall | 2017-06-02 15:41 | 日誌 | Comments(0)